第3話 逃げるために変化したら猫になったようです
思う間にも、絶えず、怖い音が頭上から降ってくる。
けど我慢。
恐怖に泣きわめく時間なら、あとでも取れる。
埃を被った色あせた布を棚の奥から引きずり出す。
あった。
荷物の口を開ける。指が震えた。
自身の動きが、もどかしいほど遅い。
突っ込んだ指先が、何か固いものに触れた。
この際、なんでもいい。
心臓の鼓動がうるさかった。死にそう。
遠くなりそうな気を抑え込み、私はそれを引っ張り出した。
見るなり。
「…これ」
目を瞬かせる。
指が引っかけていたのは、赤い皮のチョーカー。
暗がりの中、私の脳裏を古い記憶が過ぎった。
ろくでもない記憶だ。が。
―――――どうにか、なるかもしれない。
とはいえ、すぐに行動はできない。
躊躇った。
本当に、ろくでもない代物だったから。
そのとき。
カタン。
先ほどまでの暴力的な騒乱が嘘みたいな静けさで、地下への出入り口がしずかに開かれた。
その向こう側、呑気な声が明るく響く。
「あ、御曹司―、こっちに地下への入り口がありますよ?」
とたん、私の全身に鳥肌が立った。
御曹司?
まさか。
ハク家の直系が、出てきてるの?
まさか、ほんとに。
あの、少年が。
嘘でしょう。
だって、あの年頃のハク家直系と言えば。
直後、思考と息を止め、私は躊躇いを振り切った。
震える指で、金具を外す。
このチョーカー自身が魔道具だ。下手な魔術の発動もない。
それに効果の影響を受けるのは、私自身。
術者が魔術の発動を察知して先手を打った攻撃を仕掛けてくるなんて悲劇は避けられる。
私は口から飛び出しそうな心臓を宥めながら、首の後ろで金具をはめた。
とたん。
(…ぁ、)
目が回る。その、直後。
「そうか」
感情の薄い声がした。と、同時に。
―――――ドンッ。
巨人が足踏みしたような音が腹の底を蹴りあげる。
とたん、いっきに地下が明るくなった。
何事っ!?
驚いて、辺りを見渡そうとして、…気付く。
あ、あれ。
布が、頭の上にあって周りが見えない…ってか、もしかして…。
「ちょっと御曹司、せめて事前の通達は欲しかったっすね、天井と床を同時に抜くとか…ん、あれ」
さっきの呑気な声が、妙に近くから聞こえた。
とにかく、私はもそもそ布から這い出すことにする。
布のトンネルは意外に長い。
というか、間違いない。
これ、私がさっきまで着てた服だ。
じゃああの時聞いた話って、本気で本気だったか…どうしよう…。
いや、本当だったおかげで目の前の危機を乗り越えられるんならいいけど、後始末に困ると言うか。
しょんぼり。
とにかく、布の海から這い出すのが先決。
ようよう、外へ顔を出した私は、一度、頭を振った。
ぷるん。
う、頭の上にふたつ、変な感触。
これ、耳か。あ、…耳か…。
見下ろせば、白い毛を生やした小さい獣の脚が見えた。
うん、聞いた話の通りになったみたい。
これ身につけたら猫になるって言ってたんだよね、渡してきたヒトがさ。
猫って。
―――――何のためにつくったんだ、この魔道具!
変身なんて、簡単にできる魔術じゃないぞ、変なところに知識と技術を使うなぁ!
心の中で叫んだとたん、誰かが「あ」と息を吐いたのが聴こえる。
「…うわぁ…、月光に、ひかってる。きれいだ」
なんのごまかしもない素直な、まだ若い―――――幼い声。
つい、私は顔を上げた。後悔した。
大きな人影が、いくつかこっちを見下ろしてる。
シャァッ!
私の口から飛び出す、威嚇の声。
正確には、違う。威嚇じゃないよ。
怯えてるんだよ。
怖いよ!
棚の下に駆け込む。壁に身をくっつけた。物陰から、唸る。
「確かに、美しい猫ですが…、噂に聞く魔女の使い魔かもしれません」
また別の声が、生真面目に進言した。
え?
魔女って。
どういうこと?
確かに私は魔女だけど、ここに来てからは誰にも言ってないよ?
だって魔女は、魔境の生き物。
諸手を挙げて歓迎される存在じゃない。
…まあ、もう一人、同時期にヨミから出てきたあの子は堂々と言いふらしてるみたいだけど…。
私と違って、もう一人の方は、嫌悪と恐怖の対象ってのを、逆手に取ってるってわけ。
「それならそれで構わない」
さっき聴こえた若い声がまた聴こえた。
私が隠れた棚の前。
すぐ近くに誰かが跪く。
だめ。
猫になったせいで皆おっきく見えて、怖いったら。
もう唸ることもできない。
ぎゅっと目を閉じた。壁際でぷるぷる震える。
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