第7話 告げ口の姉と多喜子への縁談

 それからというもの、彼女達は、時々場所と時間を指定して会うようになっていった。

 しかしそんなことをいちいち見ているひとというものが居るものらしい。


「まあよくいらっしゃいましたね、真希子さん」

「わたくしのお家ですもの。訪ねて何悪いことありましょう?」


 八月。

 立て板に水、と言った口調で、真希子は玄関まで迎えた夫人に言った。日傘を閉じた彼女は、「耳だし」の髪に結い、上等そうな着物を、夏の蒸し暑さの中でもびっしり着込んでいた。

 夫人は少し苦笑しながらも、まあお上がりなさいな、と言う。言われなくとも、と真希子は草履を脱ぐ。

 居間に紅茶と菓子を持って来させると、真希子はしばし、その紅茶と菓子に関して批評を加えた。


「ああ、国産の青缶ですのね。だったらおっしゃってくれればよろしかったのに。先日、トワイニングの茶葉がたくさん、宅には入りましたから」

「まあそれは」


 夫人はどう言ったものか詰まる。


「今度たくさん持って来させましょうね。ああ、その時には、ケーキでもご一緒に」

「ありがとうございます。所で、今日は何の?」

「用事が無くては帰ってはならないのですか?」

「いえ、やはりそちらのお宅もお忙しいことでしょうに」

「何ーにも!!」


 真希子は両手を広げた。


「そりゃあ真希さんのお宅は、うちよりずっとおつかいになる人たちも多い訳ですし、きっと優雅にお暮らしなんでしょうね。でも、ゆかれる前は、ピアノだの、ダンスだの、その関係のお友達もいらして毎日忙しそうでしたのに」

「そんな! 皆それぞれのお宅で忙しくて、それどころじゃあありませんわ! 下手に家事全般に手が足りているというのも困りものですわね」


 本当に。どう言っていいのか、いつも夫人はこの娘には困るのだ。


「それで、真希さん、今日は何のご用事で?」

「ああそう!」


 ぶつぶつと文句を言いつつもつまんでいたクッキーを、真希子は慌てて飲み込んだ。


「こんなことを申し上げるのも何ですが、お母様」


 非難するような、その一方で何処かわくわくしているかのような目が、ぐっと大きく開けられる。


「先日わたくし、向こうのお義母様のお使いで、上野のほうへ参りましたの」

「上野ですか」

「そこで多希さんを見つけたんですのよ」


 口調が如何にも嬉しそうである。夫人はやや嫌な感じがした。


「別にどうということは無いのですかないですか? まあ、寄り道は誉められたことではないですけど」

「甘いですわお母様。そう言っているとだんだんあの子がつけ上がって行くんですのよ」

「でもまあ、上野と言えば、美術学校とか音楽学校もあることですし、きっとそういったお友達のところとか、そうそう、美術館で今何かいい催しをしていませんでしたか?」

「それだったらわざわざわたくし、お母様にお話いたしませんわ」


 少し苛立った様に首を振り、真希子は綺麗に整えた眉を吊り上げる。

 それは毎日毎日、熱心に鏡を眺めている顔である。たくさんの使用人にかしづかれ、日々美しく在るために、長い時間をかけている顔である。


「ではどういう」


 夫人はやや不安になる。


「確かに仲がいいらしい子と歩いていたのですがね。腕など組んでいましたし。でもどうも学校のお友達ではないようですのよ」

「と言われますと?」

「わたくしの見たところでは、あれは学校に通ってるひとではありませんわ」


 え、と夫人は息を呑んだ。


「洋装の子でしたの。だけど何処か…… おわかりでしょう? 何か、判るじゃあないですか。ちゃんとしたお家のお子さんか、そうでないかくらい!」

「……」

「わたくし少し後をつけてみたのですけど、どうにもその態度がはしたないことですし…… 買い食いとかもしているようですし」

「まあ」


 夫人は眉をひそめる。後をつけることははしたないことではないか、とも少し心をかすめたが、多希子への心配の方が勝った。


「ぜひ一度、お母さまから注意してやってくださいましな。あの子のためですのよ」

「そうですね……」


 自分や多希子に多少なりとも反感を持っている真希子の言葉だから、多少は誇張も交じっているだろう、と夫人は思う。

 しかしこのように、自分達に反感を持たせてしまったのは自分なのである。よかれと思って勧めた嫁ぎ先は、どうやら本人には満足のいくものではなかったらしい。

 それを考えると、余計に多希子には姉の二の舞はさせたくないと思うのだ。



 その夜、夫人は父親の一ノ瀬氏に話を持ちかけた。

 無論多希子が不良(?)らしい子とつきあっているのではないか、ということは口にはしない。彼女は娘をできるだけのびのびとさせてやりたかった。

 それでいて、良縁に、と考えるのは矛盾が無いか、と言われれば、それはそれで、この時代、特に矛盾とは考えられていないのである。

 真希子が昼間訪れたことを話し、彼女が婚家でどうもあまり満足していないのだ、ということを話してみた。


「私が悪いのですわ。もう少し真希さんの気持ちを思いやってやれば」

「ああ、あれも根性なしなのだ。放っておきなさい」


 今日だけではない。上の娘が婚家の文句を言いにしばしば実家へと戻ってきていることは、彼もよく聞いていた。


「だいたい真希子は嫁いだらそこが自分の家なのだ、ということを忘れているのだ。お前も今度来たら、いちいち話を聞いてやるのではなく、突き返すくらいで行け。お前が母親なのだから」

「でもだからこそ、多希さんにはちゃんとあの子の気性に合ったお宅へと嫁がせてやりたいのですわ」

「まああれも、なかなか頭でっかちの所があるからな。困ったものだ」

「でも優等生ですから、私も鼻が高いですわ。級長をしたこともありますし」

「ふむ」


 父親は節くれ立った指をあごに当てた。


「できれば、早いうちに相手の方とおつきあいさせて、しっくり行かせてからのほうが…… それでどうしても合わない方だったら、またその時考え直すこともありますし」

「お前も相当甘いな」


 しかし自分も甘いことを、この父親は良く知っていた。

 ただ甘いことは甘いのだが、理解はしていない。それを多希子が知って、あきらめかけていることなど、なおのこと、知らないのだ。それが幸か不幸かは、心持ち次第と言えばおしまいなのだが。


「いいご縁を得て、多希さんの幸せな花嫁姿を見とうございます」

「それはもちろんわしも同じだが」


 一ノ瀬氏は少し考えて見る。自分の守備範囲で、なおかつ多希子に好かれそうな「いい男」はいなかっただろうか。あの娘は、自分と話ができないような馬鹿な男は嫌いだろう。歳は。あまり若すぎても困るし、かと言って。

 頭の中に若手の幾人かを浮かべてみる。これはどうだあれは駄目、と考えていたが、やがていきなり手をぽん、と叩く。


「おお、そうだ」

「どうなさいましたか」

「彼なら良かろう。うん」


 自分一人で納得した顔だったので、夫人は少しすねた顔になる。


「おひとりで楽しんでいないで、お教え下さいな」

「ああ、そう急かすな。宇田川君だ」

「宇田川さん…… ああ、先日大連からお帰りになったという方ですのね」

「そうだ。向こうでの大共和生命の新社屋のコンペで入賞して、その関係でしばらく向こうに渡っていたのだが、仕事も終わって、こっちに戻ってきたのだ。わしもうちの社の設計部に誘ったのだがな、昔から世話になっている設計事務所に、ということで見事にふられてしまった」

「ああでも、多希さんを振るなんてことはできませんわ」


 ほほほ、と夫人は笑う。そういえば、多希子を使いに出した時、その青年にも挨拶をしていたのではないか、と思い出す。

 しかし多希子は覚えていまい。何となくそれが判ってしまうあたりが、彼女は母親であった。

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