第6章 真実 その2

 エルティスは絶句した。

 ルシータの民は、既に一度神々からの使いを殺しているという。だからこそ、神に仕える者でありながら、神々の下したことに抗うことができるのかもしれない。



「あたしが二人目……?」

『少なくとも、一人目が現れたとき、彼らはまだ何も知らなかった。<アレクルーサ>と名付けられたのは、その娘がいなくなったずいぶん後のことだ』

「その人は<アレクルーサ>だと知らずに殺されたの?」

『彼女はその強大な魔力を持つが故に、<結界>の生贄に選ばれた。その時点ではまだ誰も、ルシータを滅ぼす者のことになど気付いてはいなかった』

 生贄として選ばれる理由となった、エルティスと同じような強大な魔力。あるいは空間を一瞬にして移動することも、五精霊と心を交わすこともできたのかもしれない。

 しかし、どこかでそれとずいぶん似たようなことを聞いた覚えが――。


 エルティスは妙な既視感を受けながらも犬神の話を聞く。

『だが、彼女は自分の持って生まれた宿命を知っていたから、生贄にされる前に使命を達しようとしたのだ。だが、それには必要なものが足りなかった……結果として、彼女は生贄にされてしまったというわけだ』

「滅ぼそうとしたから、神官たちは気付いたの?」

『いや、違う。<アレクルーサ>は命を落とす直前にひとつの予言を残したのだ。たとえ自分がいなくなっても、ルシータが繁栄する限り宿命は終わらないのだという予言を。そして、精霊と心を交わせるほどの魔力は、<アレクルーサ>を見つけ出す手がかりとなった』


 そして、その後にエルティスが生まれたというわけだ。エルティスは静かに呟いた。

「だから、みんなあたしが<アレクルーサ>だと判っていたのね」

 炎の色をした記憶が、目の前に鮮やかに蘇る。しかし、もう体が震えるほどの恐怖は襲ってこなかった。

 この夢こそが、先代の<アレクルーサ>の記憶なのだろう。今なら、彼女の遺した感情がとても理解できた。彼女が怒りを感じていたのは、無理やり生贄にされることではなく、<アレクルーサ>としての自分の宿命を阻まれた挙句、ルシータの民の繁栄に利用されることに対してだったのだ。

『――あなた達は罪人よ、いつか世界に裁かれるでしょう。私を滅ぼしても、この地が続く限り、あなた達が栄える限り、決して終わらないわ!』

 犬神が予言と表現した言葉は、確かに彼女の中に残っていた。



『お前さんが<アレクルーサ>と同じような魔力を持って生まれたとき、巫女姫は気付いたのだ。<アレクルーサ>はその血によって受け継がれていくのだということを』

「血……血縁?」

『先代の<アレクルーサ>はお前さんの叔母にあたる。その名はリアーナ・ファン。名前くらいは聞いたことがあるだろう』

「……リアーナ叔母さんが!?」

 今のほんのわずかな時間の間に、一体何度驚いただろう。だが、エルティスは驚かずにはいられなかった。


 リアーナ・ファン。父の妹にあたる人物として、エルティスもよく名前を聞いている。

 しかし、エルティスはおろか姉のリベルでさえその姿を見たことはない。父が結婚する少し前に、わずか十七歳という若さでこの世を去っており、叔母の姿を見ることができるのは数枚ほど残っている絵だけなのだ。

 魔法ですら救うことのできない病に冒され亡くなったのだと、そう聞かされていた。叔母のことを尋ねる度、父は寂しそうに笑ってそれだけ話してくれたことをエルティスは思い出す。

 ……今思えば、それは父がすべてを知っていたからではなかったか。病で死んだのではなく、無理やり生贄にされ命を落としたことを知っていたからではないのか。


「まさか、リアーナ叔母さんが……知らなかった……」

『巫女姫は、<アレクルーサ>がリアーナ・ファンの生まれきた血筋から生まれてくることに気付いた。すなわちファン一族――エルティス、お前さんの血族だよ』

「あたしの……血族……」

 ――いつか、私と同じ血に連なる者に滅ぼされてしまいなさい。罪を犯すあなたたちに、存続の価値はない。

 夢の中で響いた、彼女――リアーナ・ファンの言葉。エルティスは何の抵抗もなく受け入れることができた。リアーナは知っていたのだ。自分に流れる血を辿り、自身の持つ宿命が受け継がれていくことを。


『ファン一族が続く限り、<アレクルーサ>の出現という恐怖は残る。巫女姫はファン家を厳重な管理の下に置かねばならなかった。……お前さんの姉であるリベルの婚姻が神官全員に反対されたのは何故だと思うかね?』

「……?」

『お前さんを亡き者にした後、<アレクルーサ>が生まれてくるのは間違いなくリベル・ファンの子孫になるからだ。ファン一族の血に連なる者を一人でも増やせば、それはルシータの民の憂いになる――巫女姫はそう考えたのだろう』



 犬神の話をそこまで聞いて、エルティスは唐突に閃いた。

 リベルがドラークとの婚姻を反対されたのは、そこに生まれる子供がエルティス亡き後の<アレクルーサ>として目覚めることが間違いないからだ。たとえその世代では覚醒しなくとも、子孫が増えれば増えるほど、巫女姫が目を配らなければならない対象が増える。

 エルティスの両親は幼い頃に流行り病で亡くなっていた。魔法による癒しさえあれば、よほど体力が衰えていない限り命を落とすことはないはずだった。しかし、より重症の者の治療が優先された結果、まだ若かったにもかかわらず、二人は命を落としてしまった。

 二人を救うことで、あるいは別の命が失われていたのかもしれない。それでも幼い心についた傷はそう簡単には癒えはしない。

 ずっと――見捨てられたのだと、見捨てたも同然だと、そう思って神官たちを憎んできた。それが、まさか。

「まさか……」


 既に子供は二人いたけれど、それでもさらに子供を儲けても十分なくらいに両親はまだ若かった。二人とも娘だったから、跡継ぎの男の子を欲しがったということは十分に考えられる。

 それはつまり、ファン一族の血を、<アレクルーサ>が生まれる血筋を増やすということになる。もし、巫女姫や神官たちが、リベルの婚姻を反対したようになんとしてでもエルティスたちの一族の血を絶やしたいと思っていたとしたら。

「――本当に、見捨てたの……!?」

 エルティスは呆然として呟いた。さすがに、今自分の言ったことが信じられなかった。

 もしそれが事実だとすれば、彼らは始めからエルティスの両親を助ける気などなかったということになる。後回しと言いながら、二人が命を落とすのを待っていた、ということになるのだ。――デュエールの母親が助からなかった理由の説明にはならないのだけれど。


 エルティスは、自分の心臓の鼓動がひどく速くなっていることを自覚する。彼女の呟いた言葉も断片に過ぎなかったが、それに対する犬神の返答はない。彼にもそれはわからないのか、あるいはその沈黙すら回答であるか。

 もし真実だとすれば、自分は巫女姫や神官を許せるだろうか。エルティスは自分に問いかける。

「そんなこと……」

 今知ったことがあまりに多すぎて、混乱しそうになったエルティスが叫ぼうとしたとき、突然あたりがざわめいた。




 獣たちの吠える声、鳥のけたたましい鳴き声。

 木々の緑の向こうから、響き渡るただならぬ声とともに勢いよく影が飛び出してくる。

 まだ若い木々や背の低い木をなぎ倒しながら現れたのは、数多くの動物たちの群れ。

 森の入り口の方向から二人のいる広場を突っ切り一目散に森の奥へと逃げていく。

 姿をはっきりと捉えられないうちに姿を消してしまうほどの速さでありながら、一匹としてエルティスや犬神にぶつかるものはいない。二人の間を上手く走り抜けていく。

 思わぬことに会話を遮断されたエルティスと犬神は、同時に動物たちが現れた方向へと目を向けた。先ほどまであった静寂は掻き消え、恐慌を起こしたような動物たちの鳴き声が遠くに近くに聞こえてくる。


「何が起きたの!?」

『精霊たちが逃げてきたのは、これか……』

 ここから森の入り口まではだいぶ距離がある。動物たちがこれほどまでに混乱し逃げてくるほどの出来事が、ここまで影響を及ぼすにはまだ時間があるだろう。

 魔法で飛んで様子を見に行こうとして、エルティスはあたりに全く風霊がいないことに気がついた。これでは魔法を使うのは無理だ。働きかけて風霊をこの場に呼ぶこともできるが、走ったほうが早いかもしれない。

『私も行こう。背に乗るといい』

 エルティスが森の入り口へ行こうとしたのに気付いたのだろう、犬神が珍しく横たわっていた大岩から飛び降りて言った。

 その身体はエルティスが背に乗ってもまだ余りある。だが、犬神がこの大岩からほとんど動くことがないのは、長老としてその名を頂くほどに長く生きているためなのだ。若い山犬に比べれば、足腰も強くはない。

「大丈夫なの、犬神?」

『なに、年老いたとは言っても、お前さんを乗せて走ることくらいはできるさ。まあ、若い者に比べれば、遅いがね。それでも人の足で森を走るよりはいいだろう』

 犬神は彼女の問いに笑って答える。エルティスは一瞬躊躇したが、結局犬神の背に乗ることにした。

 確かに自分が走るより速いかもしれないと思ったからだ。


 エルティスがしっかり背に座ったことを確認して、犬神は軽く跳躍した。大地に脚が着いた次の瞬間には軽快に走り出している。

 生い茂る木々の間をその大きな身体ですり抜ける。いきなり騒がしくなったときと比べて数は減ったが、それでもまだこちらへ逃げてくる動物たちとすれ違った。

 エルティスが後ろを振り返ると、森の奥へと消えていく後姿を捉えることができたが、わずかに数匹は足を止めてこちらを見送っていた。この森の統治者たる犬神が騒ぎの元へ向かっていくのを見て、安堵したのかもしれない。

『何か、森の外が騒がしいな』

 犬神の声にエルティスは前に向き直った。犬神の耳が、何か音をとらえたらしく、わずかに動く。

 しかし、エルティスには動物たちの悲鳴以外は何も聞こえない。なんだろうかと首を捻ったエルティスの鼻孔に、何かが焦げる臭いが飛び込んでくる。

 そして、追いかけるように目の前にどす黒い煙が広がった。

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