第3章 覚醒 その2

 巫女姫の答はそれだけだった。

「だから、見殺しにしようとでも?」

 デュエールは尋ね返したけれど、返事は返ってこない。もちろん彼女の言葉だけで、デュエールはエルティスが二時間も閉じ込められている理由を理解することはできなかった。

 それ以降は誰も一言も喋らず、余計な時間だけが刻々と過ぎていく。

 デュエールがいい加減痺れを切らし、動き出そうとしたとき、巫女姫のすぐ傍にいた中年の神官がようやく口を開いた。

「我々は、ずっと脅えて暮らしてきたのだ。いつ"神の子"にルシータを滅ぼされるのかと」

「あの娘がいなくなれば、ルシータは永遠の安寧を得る。ただ一人の命と街の存続と、どちらが大切だと思うのだ」

 一人が喋ったことで、勢いづいたのか、一人、そしてまた一人と神官たちが喋りだす。しかし、それはデュエールの苛立ちを煽る効果しかない。



 彼らは何の罪の意識もない様子でさらりと言い切った。言葉そのものは婉曲的だが、その内容が残酷なものであることに気付いてもいない。このままエルティスを見殺しにすることを、――彼らは当然のこととして肯定しているのだ。

 彼らの考えも、あるいは正しいのだろう。一人の命と五百人のこれからの生活。どちらが大事か。しかし――。



「娘の命と引き換えで、このルシータは繁栄し続けるのだぞ――」

 父親ほどの歳の神官の、青ざめた顔で焦るように訴えたその言葉が引き金になった。

 これ以上話しても、時間の無駄だ。

 デュエールは冷徹にそう判断を下した。彼女が命を落としてもかまわないと、むしろそうなって欲しいと望んでいる連中に、彼女を助けることを期待すること自体が間違っていたのだ。

 助けたいと思うなら、自分が行けばいいだけ。

 旅の疲れはあるけれど、休まずに掘り続ければ、一晩もかけずに助け出せると思う。

 ただ黙って助け出されるのを待っているような幼馴染みでもないから、もし彼女が諦めずに内側から土砂を少しでもどけているなら、あるいはもっと早く。



 デュエールは神官たちの間を抜けて、祠へ向かおうとした。

「どこへ行くつもりだ」

 慌てた様子で、神官たちが壁のように立ちふさがる。デュエールは彼らを睨み付けた。

 自分の父親ほどの年代の神官たち。もともと彼らの考え方が嫌いで、あまり敬意も持てないでいたのだが、今はもう敬意を払おうという気さえ起きない。

「もうあなたたちには頼みません。このままエルティスを見捨てるつもりなら、俺一人でも助ける」

 通り抜けようとするデュエールを、神官たちは数人がかりで止めようとする。言葉と行動とでデュエールを抑えようとする彼らにデュエールが怒り、ひと悶着起ころうとしたとき。




 威厳のある声が響いた。

「おやめなさい、どちらも」




 斜め後ろに娘を伴い、デュエールの傍へ歩み寄ってきたのは巫女姫カルファクスだった。

 巫女姫の言葉は、神官たちには絶対。波が引くようにデュエールを抑えようとしていた手が引っ込む。それでも、デュエールの行く手を塞ぐ壁はなくならなかったけれど。

「デュエールの言い分ももっともです。一緒に育ってきたも同然のエルティスが閉じ込められているのを見捨てられずに助けたいと思うのは当たり前のこと」

 優しい穏やかな口調で、巫女姫は言った。



 デュエールはそれを黙って睨み付けている。今はもったいぶっている場合ではない。エルティスを助けるなら一分でも一秒でも早く、行動を起こさなくてはならないのだ。

 しかし、デュエールが表情を緩めなかったのは、そんな優しい声音でも、その言葉を言う巫女姫の瞳は冷たく輝いていたから。決して自分にとって都合のいいことは言わないだろうと予想がついていたからだった。

「それなら……」

「けれど、デュエール。あなたも神官たちの言葉を聞いたでしょう。彼女は滅びをもたらすと予言された身。私達は常に滅びの恐怖と隣り合わせに生きてきたのです。だからこそ、彼らはあなたを通さないのですよ」

 巫女姫はデュエールの言葉を遮って、ぴしりと言い放った。



 エルティス・ファンがルシータを滅ぼす。五百人の生活を壊す。

 いつになるかはわからないのだが、それでも彼女がいる限り、いつか滅びるという恐ろしい予言は消えない。明日かもしれないし、あるいは数十年先かもしれない。その恐怖に脅えて、毎日を過ごしてきた。

 その予言を負う彼女が、死に瀕している。このまま閉じ込められた状態が続くならば、間違いなくいつか彼女の命は費えるだろう。

 ただ一人の娘の命より、自分たちの住むこの街の平和を、自分たちの心の安寧を望むのは、許されざることか。

「もし今、あなたが無理にでもエルティスを救いに行けば、おそらく民は決してあなたを同胞とは認めないでしょう」

 それでも、デュエールには関係のないことだった。自分にとって、彼女は幼い頃から一緒にいた幼馴染みで、"神の子"と呼ばれる微妙な立場を理解し合えるただ一人の人だったのだから。代わりなどいない。



 巫女姫から視線を逸らし、神官たちの壁を突破しようと動こうとしたデュエールは、巫女姫の次の言葉で動きを止めた。

「――あなたの父君共々」

 デュエールは絶句する。何故、ここで父のことが出てくる。たとえ自分がルシータの存続に反することをしたとしても、それは彼自身が責められるべきことなのに。

 そこまで、彼女の死を望むのか。

「……どうしてここで父が出てくるんです!?」

「そこまで私たちは追い詰められているのですよ。あなたを育て、そしてエルティスを育てたジュノンを責めようとするほどに」

 デュエールの叫び同然の質問にも、巫女姫は変化を示さなかった。最初に声をあげたときとまったく同じ口調で続ける。

「ですが、もしあなたが今から私の言う交換条件に従うのなら、エルティスを助けることはできます」

 黒い瞳に宿る光は冷たく冴えている。デュエールはゆっくりとつばを飲み込んだ。

 たぶん、選択肢はひとつしかない。今から提示される、ただひとつだけ。



「交換条件は、何ですか……?」

「あなたが、エルティス・ファンを助けた後、彼女と一切の関わりを断つことです」

「何……?」

 デュエールは一瞬耳を疑う。巫女姫の表情は変わらない。神官たちもじっとデュエールを見つめたまま。

 風だけが先ほどよりも強さを増して、彼らの間をすり抜けていく。

 陽は山々の向こうへ沈み、彼らの上に最後の残り陽を落とそうとしていた。ルシータはゆっくりと夜の闇に覆われようとしている。

「このままエルティスを見捨てるか、関わりを断ってエルティスを助けるか、どちらかお選びなさい」

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