第94話:初めての胃薬

 目が覚めればお菓子の残り香がする。ハイダは胸いっぱいに空気を吸い込んだ。

 ハイダが王都に来て三か月。今日もハイダは上機嫌だった。

 毎日を菓子に囲まれての生活を送っているのだから、不機嫌になろうはずもない。

 イサウラの紹介で入った店の名は人界の言葉で一番星という意味だと聞いた。その名の通り王都でも指折りの菓子店らしく、数多くの菓子が店頭に並ぶ。そのどれもが美味しそうで、実際どれもとても美味しかった。

 あまりに美味しかったものだから、初めての給料をつぎ込んで買い漁ろうとしたハイダだったが、それを止めたのはやはりホルガーだった。

 まずは生活必需品を揃えろだとか、消耗品だ家賃だ光熱費だと小うるさかったので、聞き流していたところ、翌月からは給料からもろもろを天引きされることになってしまった。

 手元にのこった金銭の、あまりの少なさに猛抗議をしたハイダだったが、ホルガーにはばっさり切って捨てられた。

 曰く、ハイダに金を残すと菓子に全て使ってしまうため、給料はホルガーが管理することになったようだった。

 これっぽっちでは毎日お菓子が買えないではないか、この店の菓子はどれも美味しいのに! と食い下がったが、ホルガーの


「王妃様の名に泥を塗りたいのか?」


 という一言にがっくり膝をついた。

 ハイダはお菓子は大好きだが、それと同じくらい王妃リオネッサが大切なのだ。もしかしたら、お菓子以上の存在かもしれない。

 王妃リオネッサの名を出されては仕方がない。ハイダは少ない小遣いから少しずつお菓子を買うことにしていった。

 最近ではハイダのお菓子狂いっぷりに理解を示した先輩達がケーキの切れ端や、クッキーやビスケットの屑などをくれるようになったし、匂いを嗅いで気持ちを落ち着けるすべを身に付けつつあったので、そこそこ満足しながら働いていた。

 店内イートインスペースではときどきイサウラを見かけた。

 まだ見習いであるハイダは仕事の合間に会釈するくらいしかできないが、いつ見ても幸せそうに菓子を頬張っているイサウラが心底羨ましい。


「うらやましいーわたしもたべたいぃー」

「涎を拭け」


 なるほど、菓子を心ゆくまで食べるには金が要るのだな、と金の大切さ痛感したハイダであった。その後ろで、それは違うぞとホルガーは首を振っていた。

 見習いとして掃除を覚え、器具の名前、使い方を覚え、手順を覚え、下拵えを覚え、ハイダは順調に仕事を覚えていった。

 ホルガーも接客を首尾よくこなしているらしい。ハイダにはまったく興味はなかったが。

 今のところのハイダの目標は、一日三食おやつに全てお菓子を食べることであった。そのために少しずつではあるが金を貯めている。

 材料を買って菓子を作ることを覚えてからは、自分で作ったものだが、より多くの菓子を食べられるようになったし仕事の復習もできる。一石二鳥だった。

 面倒なのは日々の食事だ。

 できれば三食をすべてお菓子にしたいとハイダは切に願っているのだが、それはホルガーが許してくれないし、少しでも生活の足しになれば、と魔界から送られてくる食材も無駄になってしまう。

 勤めのある日は義務感でこなしていたが、休みの日はどうしても面倒になってしまい、ハイダはどうにかしてお菓子にできないかと頭を捻ってはホルガーに食材を無駄にするなと注意されていた。


***


 ある休日のことである。

 ホルガーが同僚に誘われ遊びに行くことになり、監視がいない! イヤッホウ! と喜んだハイダにホルガーは


「三食菓子にするな材料を無駄にするな人界人を驚かすなおとなしく過ごせ」


 ときっちり釘を刺してから出かけていった。

 守らなければ王妃様に直訴して留学を止めさせてもらう、とまで言われたので、しぶしぶハイダは昼食作りのために井戸へ向かった。

 野菜を洗い、丸かじりで昼食を終わらせてしまおうかと考えたところで、物影にいる生き物に気が付いた。

 ひどく小さく、痩せているし、どうにも元気のない様子に見えた。呼吸のために胸は上下していたが、それ以外はぴくりとも動かない。

 甘い匂いを漂わせる菓子とは違い、魔界でよく嗅いでいた、たぶん人界人にとってはひどく不快であろう臭いがする生き物だった。

 人界で初めてみる魔界にいるような生き物に好奇心をそそられ、つついてみると小さく呻いた。


「もしかしてこの生き物汚いのかしら。汚いものを触ったら手を洗わなくちゃいけないのよね」


 王妃リオネッサを始め、マルガや厨房組に口酸っぱく言われたことを反芻しながら、ハイダはついでにそのぐったりとしている生き物も洗うことにした。

 汚い生き物は“フエイセイ”で、飲食を扱う店においてはいけないのだそうだ。けれど、この生き物は王妃リオネッサに似て小さくか弱い。きっと王妃リオネッサの代わりになるに違いない。

 ハイダは王妃リオネッサの代わりに味見をしてもらおうと考えたのだった。

 洗浄の魔術は得意ではないので、王都に来てから使うようになった石鹸でごしごし洗っていく。

 途中で生き物の目が覚めて暴れたが、魔界人ハイダの腕力に勝てるはずもなく、最後にはくったりしてしまった。生きてはいるからいいだろう。材料と生き物を小脇に抱え、自室に戻った。


「洗ったあとは乾かさなきゃよね。マルガ様なら一瞬なのに」


 ハイダが使えるのは水系の魔術だけだ。生き物の水気を拭ったあとは、とりあえず病気にならないようにベッドに放り込んでおいた。生き物に巻き付いていたフエイセイなごみを片付け、昼食の材料を見る。

 今日も魔界から肉と野菜が一日分届いている。パンは朝に焼いたものが残っていた。

 ハイダは加熱用魔術陣の描かれた魔術布を取り出し、鍋を置き、細かく切った野菜と肉を入れ、細かくちぎったパンを入れて煮込んだ。やはり王都に来てから育て始めた、窓辺の植木鉢で育ているハーブをちぎり鍋に入れる。


「リオネッサ様はお元気かしら」


 リオネッサが寝込んだ時にマルガが作っていたパン粥を思い出しながら鍋をかき回す。


「そういえば塩を入れないといけないのだったわ」


 どうせならお菓子に使いたいのに、とハイダは塩を入れた。もちろん少しだけだ。

 以前、一掴み入れようとしたらホルガーにはたかれた。


「三食お菓子が食べられたらなあ」


 くうくう腹の鳴る音が鳴る。ベッドの上の生き物はシーツの中で丸まっていた。

 煮込むだけになった鍋をそのままに、ハイダはリオネッサ宛の手紙に今日のことを書き足した。そうして封をして空間魔術の木箱に入れた。こうしておくと魔王城に手紙が届くようになっている。

 鍋を伺い、材料がよく煮えている事を確認して、卵を取り出す。よく泡立ててから流し入れれば、見た目だけは菓子のような気がしないでもない。

 味見はしても良し悪しがわからないのでしない。わかる人間ホルガーは今外出中だ。 出来上がったパン粥を皿によそい、テーブルに置く。


「ねえ、お腹が減っているんでしょう。食べましょうよ」


 生き物は動かなかった。こちらを伺っているようだった。

 人界語が通じなかったのかしら、とハイダはパン粥を口にした。

 少しの塩味と、野菜と肉の味がする。不味くはないので、自分にしては上出来だ、とハイダは食べ進めた。

 半分ほど食べたところで、ベッドの上の生き物がくしゃみをした。どうやら寒いらしい、と理解したハイダは箪笥を漁る。

 ハイダが選んだのはホルガーに買わされた服だ。ハイダも、そして選んだホルガーもよくわかっていないのだが、王都のおんなはこういう動きづらい服を着るらしい。

 どうせなら王妃様に着てもらいたいような気もするが、服飾部に目をつけられるのは嫌なので、魔界に送らず、かといって着る事もなく、箪笥にしまっていたのだった。ハイダは作業着さえあればそれでいい。

 服を着せようとすれば、やはり暴れた生き物に


「カゼ引くよー。病気になるよー。大人しくしなよー」


 と声をかけながら着せる。

 やはりくたりと項垂れた生き物は、くるくるとした毛が王妃によく似ている。毛色はあまり似ていないが。


「これで寒くないでしょう。冷めないうちに食べましょう」


 のろりと動き始める意思を見せたので、ハイダは引きずって席に着かせた。

 パン粥の皿を前にした生き物はハイダを伺い、皿を伺い、そろそろと食べ始めた。一口食べるごとに食べる速度が上がっていき、最終的にのどに詰まらせた。


「お腹空いてたのねえ。お腹の音がしたものねえ」


 水差しに水を入れ忘れていたので、魔術で水を出して与えた。コップも出し忘れていたので手からになってしまったが、汚れていないので大丈夫だろう。

 水を飲んで落ち着いたあと、今度はゆっくり食べ始めた生き物に目を離しても大丈夫だろう、とハイダは残りを平らげ、皿を片付けた。

 鍋に残っていたパン粥をがっつく生き物の皿に追加して、鍋も片付けてしまう。

 代わりにフライパンを取り出し、手早くパン生地を作ってしまう。パンはパンでもパンケーキの生地だ。手軽で材料費も安く、トッピングで無限の味が楽しめる。

 今日はベニーモのジャムをのせて食べる事にした。

 パンケーキを焼き始めると部屋いっぱいに甘く香ばしい匂いが広がった。ハイダは鼻をひくつかせながら、ああなぜ三食お菓子を食べてはいけないのだろう、と湧き出す唾を飲み込む。

 粥を食べている生き物も焼き上がっていくパンケーキを見ていた。


「あなたはお菓子が好きなのね! わたしはお菓子が大好きです!」


 口早にしゃべってしまったせいか、目を白黒させ粥の咀嚼に戻った生き物を気にすることなく作業に戻ったハイダは、二皿分のパンケーキを焼き上げた。いそいそと机において、うきうきと食べ始める。

 たっぷりとかけたベニーモのジャムが甘くて美味しい。もっと食べたいもっと食べたいもっと食べたい。

 けれど悲しいかな、どんな皿にも終わりはあるのだった。

 粥を食べ終わった生き物は物欲しそうに空の皿を見つめるハイダと、まだパンケーキの乗っている自分の皿とを見比べ、ハイダに差し出そうとしたが、ハイダはきっぱりと首を振った。ホルガーが見れば顎が外れるほど驚いたことだろう。


「わたしねえ、お菓子作るを勉強するの。でも見習いです。下拵えです。王妃様に食べて美味しいって言って欲しい。だからあなたに食べて欲しい」


 たどたどしい人界語だったが、通じたらしい。ハイダに促された生き物はパンケーキを食べ、喜色を顔いっぱいに現した。


「美味しいですか? 感想を教えてください」


 パンケーキを飲み下そうとして、また喉を詰まらせた生き物に水を与えながら、水汲みして来なきゃなあ、とハイダが考えたのと、出かけたはいいもののハイダが何かしらをしでかしていないかが心配になり、一時戻って来たホルガーがハイダの部屋の扉を開けたのと、水を飲み終えた生き物が「美味しい!」と声を上げたのは同時だった。


***


「おいハイダどういう事だ説明しろ何故お前の部屋に人界人の子どもがいてお前の服を着て食事をしているんだあれほど面倒事を起こすな大人しくしてろと言ったろう聞こえてなかったのか理解していなかったのか俺はリオネッサ様になんと言えばいいんだ」

「落ち着いてよホルガー。これは井戸の近くに落ちてたんだよ。汚れものは洗わなくちゃいけないし、洗ったら乾かさなくちゃいけないでしょ? お腹が鳴ったならお腹が空いてるでしょ? だからご飯を作って食べさせただけ。あと毛がくるくるしてて、ちっちゃいし、リオネッサ様に似てたから、代わりにお菓子を食べて感想を言って欲しくて」

「貴様は馬鹿だ。そんな理由で人界人を誘拐するな」

「だから落ちてたんだってば。誘拐なんてしてないよ」

「魔界じゃあるまいし、人界人の子どもが落ちてる訳ないだろう! 親元に帰してこいこの馬鹿!」

「えー。こんなにちっちゃくてくるくるした毛でかわいいのに」

「それは髪だ馬鹿。もういい」


 ホルガーは悪びれも反省もしないハイダとの話し合いを諦め、子どもと目線を合わせた。


「申し訳ありません。私の身内がご無礼を働きました。すぐ貴方様の家元に送りますので、少々お待ちください」


 ホルガーの言葉に子どもが怯えた。

 ホルガーは首を傾げる。人化の術は解いていないし、人界語も間違っていないのに。


「帰る場所なんてない……」


 ホルガーが店長たちに相談し、迷子の届け出をしたが、子どもの親は見つからなかった。

 結局、この子どもはハイダが面倒を見る事になり、人界人で初めて魔王城勤めの菓子職人となるのだが、それはまた別の話だ。

 そしてホルガーはこの日初めて胃薬を飲んだ。

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