エロを糾弾する人たち - 歴史に暗躍する芸術の破壊者

キリスト教ヤバい

 キリスト教の一夫一妻、貞淑とかの概念を聞いて、「生めよ増やせよ」で結婚して子を生む条件ならOK、みたいな話と思っていたが、原典聖書を読むと全然違って驚いた。


 エロ本見たら目をえぐれ。自慰オナニーしたら手を切断しろ。さもないと地獄ゲヘナに落ちる。

 基本的に性行為、というか触れるだけでアウト。童貞が一番。どうしても性欲を我慢できない人は、結婚したらその相手とだけSEXするのを許す。

 結婚しても罪ではないが、”苦難を受ける”からしないほうがいい。

 独身なら神のことだけ考えられるが、結婚すると夫や妻や世俗のことを考えてしまうから良くない。

 聖書の最終章「ヨハネの黙示録」では、救われるのはイスラエル (人名)の子孫(*1)の童貞男子だけである(あとは神が起こす災害をどうにか生き延びるか、死んだ後生き返る)。

 これらを教義に入れているカトリック・正教会・プロテスタント諸派だけがキリスト教を名乗れる。あとは「異端」だ。


 「結婚は性欲を我慢できない人がするもの」「エロ表現は悪魔サタンの罠」という倫理観にビックリだ。


※イエスの名誉のためにいうと、イエス自身の言葉ではない。(研究者によれば)キリスト教の教義は後世の二次・三次創作だそうな。


 時代を経て世俗化していくが、ルターの宗教改革で、世俗化した教皇や司祭の言葉ではなく、原典の聖書を重視する動きが起きる。プロテスタント諸派ができ、カトリックとの殺し合いユグノー戦争になる。プロテスタントとは、(カトリックに)抗議プロテストする、という意味の言葉である。

 中でも厳格な一派が英国の清教徒(ピューリタン)であり、弾圧を恐れてメイフラワー号で新大陸アメリカに逃れる。これが米国の信教・思想の中核となる。

 現在でも神や神っぽいナニカID:知性ある何かや天地創造を信じ、進化論を否定し(カトリックは認めた)、中絶に反対し、内心でLGBTを軽蔑し、宗教的情熱で性の乱れや性表現を糾弾している。大統領選挙の大票田でもある。


 この清教徒(ピューリタン)に生まれたある青年が、キリスト教団体らと共にある行動を起こす。


「悪徳弾圧協会」。

 文学作品から新聞にいたるまでの出版物や演劇に対する検閲を行い、駅や路上などで一般人を監視した。多くの書物を出版停止にしたり、演劇人を逮捕させたりした。

 弾圧された側が弾圧する側に。この協会は、キリスト教信者クリスチャンの票を集めて、ある法律を成立させる。

”An Act for the Suppression of Trade in, and Circulation of Obscene Literature and Articles of Immoral Use”

「猥褻(わいせつ)な文学と(新聞)記事の不道徳な使用の取引と流通を禁止弾圧するための法律」

(注:Supression 抑圧 鎮圧 弾圧 隠蔽(いんぺい) 発売禁止)


 その成立と運用に尽力した人物の名から、通称「コムストック法」または「言論弾圧法」と呼ばれる。米国で1873年に成立し、1936年に違憲判決が出て無効になるまでの63年間、数千人の逮捕者、罰金、懲役者を出した。

 実際に取り締まりたいのは「わいせつ」だけではなく「神の御心(みこころ)に反するもの」なので、避妊や中絶に関わる医学書や医者も取り締まりを受け、産婦人科学会が大きな影響を受けた。また、避妊具による「明るい家族計画」を提唱した人は何度も投獄された。


 そういえば、どこぞの通販サイトで(R18でない)エッチマンガが販売されなくなったのは、数名の声の大きいクレームのせいではなかったか。国連のナントカ勧告や、ユニセフ(の一部?)や、日本でも非実在青少年(二次元)まで規制したがる団体があるのを「何がしたいの? 児童虐待防止じゃないの?」と不思議に思っていたが、疑問が解けた気がする。



 一方、日本の伝統では、SEXは神事である。何しろ日本国土と八百万やおよろずの神々(後の人間も)は神々のSEXによって生まれたのだ。娼婦は巫女であり、神聖な職業である。

 この倫理観は日本に限らず、世界各地で見られる。例えば「ハンムラビ法典」で有名なバビロニアでも、「神殿娼婦」がいて、神聖な巫女だった。旧約ヘブライ語聖書で神の敵として出てくる国である。

 万葉集には神事の名目で巫女とヤッた系の話がある(そういう名目で男が楽しんだであろうことは否定しない)。戦国~江戸時代は基本的にの出入り禁止だが、聖職者つまり僧や巫女はOK。そこで「武田の歩き巫女」がスパイとして活躍できた。彼女らは神社の一角などを借りて神事の名目でナニをして、相手から現地情報を聞き出す(漫画ゴルゴ13で、娼婦を買って現地情報を仕入れるシーンが時々ある。その逆バージョンだ)。



 明治維新で、日本へ世界標準グローバルスタンダード、つまりキリスト教倫理観が入ってくる。一夫一妻、性(特に同性愛)の忌避、強烈な男尊女卑、異教徒の迫害や奴隷支配などである。

 しかしそれは支配層から徐々にであり、庶民の間、特に農村では、昭和初期まで、盆踊りの後は乱交パーティだったことが、民俗学者の記録などに見られる。



 明治44年、平塚らいてうは言った。

 ”元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。/今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く、病人のような蒼白い顔の月である。”-『青鞜』創刊号

 古き日本に戻ろうとした彼女や、仲間の与謝野晶子らは、文学的にも私生活でも性に奔放であった。


「やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君」

「むねの清水あふれてつひに濁りけり君も罪の子我も罪の子」(濁り=不倫)

「くろ髪の千すじの髪のみだれ髪かつおもひみだれおもいみだるる」

- 与謝野晶子 みだれ髪


 しかし糾弾され、キリスト教倫理観に押し流されていった。


此一書この本は既に猥行(わいこう)醜態(しゅうたい)を記したる所多し、人心に害あり世教世間の倫理に毒あるものと判定するに憚(はば)からざるなり。”


 特に、米国留学したバリバリのキリスト教信者クリスチャンである津田梅子とは、仲が悪かったようだ。


”女子英学塾(現津田塾大学)の津田梅子は塾生が青鞜に関わることを禁じ、日本女子大学校の成瀬仁蔵も「新しい女」を批判した。”



 現在のキリスト教倫理観で、江戸期の遊女(娼婦)、中でも花魁(おいらん)が武士や庶民のトップアイドルであったことや、江戸から明治の過程で、遊女言葉の「ざます」が現在の金持ち言葉になった経緯をイメージするのは難しい。



 一方で、キリスト教倫理観に反発する動きもある。米国の人気SF作家であるロイス・マクマスター・ビジョルド(女性)は、ヒューゴー賞(SF界のアカデミー賞のようなもの)を受賞した作品中で、未来の先進惑星において、高度な国家資格の心理カウンセラーとして娼婦を描いている。


 また一方で、当のキリスト教の神父や牧師は、禁欲が過ぎたのか、こっそり児童を性的虐待(男女とも)していたのが時々バレて問題になっている。

 戦国時代に信徒を煽(あお)って強訴(ごうそ)や一揆をおこし、僧侶・僧兵自身は肉食女犯・殺人してた比叡山 (天台宗)や一向宗(こちらは肉食妻帯OK)みたいな、どこかで聞いた話だ。

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