第六話 『不帰の砂漠イルカルラ』 その117


 ゼファーのリスクを取った献身は、アルノア軍の北側の弓兵どもに大きな影響を与える。


 知っている声が響いていたよ。


「ヤツらの矢は、尽きているぞおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ!!!」


 マルケス・アインウルフだったな。それに、より親しい声も続いた。


「よっしゃあああああああああああああああああッッッ!!!チマチマした矢の撃ち合いなんて終わりだああああああッッッ!!!突撃して、ぶっ殺してやるぞおおおおおおおおおおおおおッッッ!!!」


 ドワーフのノドから放たれた歌が熱気に揺らぐ戦場の風を貫いた。天空にまで響く、その勢いはギュスターブ・リコッドがこの消耗戦に対して大きなストレスを感じていたことの証だ。


 矢の撃ち合いなど、たしかにグラーセス王国最強の勇者である男には似合わない。マントを脱ぎ捨てて肌に刻まれた一族の歴史を描いたタトゥーを見せつけていたな。


 鎧以外は脱いでいたようだ……暑いから、気持ちは分かるぜ?マントをこれまで脱がなかったのは、直射日光を浴びた方が体力を奪うからさ。本当に、この戦場はクソ暑いからな。


 突撃の機運が高まり、『第六師団/ゲブレイジス』の騎兵たちが昂る気持ちを歌う。突撃するぞ!……そう盛り上げているな。軍馬たちまでいななきを上げる。何という連帯感だろうな。人馬一体の最強騎兵たちは、声と足踏みで気合いを形にしていく。


 もちろん。


 ギュスターブ・リコッドはともかく、古強者たちの全てが突撃を即座に実行したいわけではないさ。マルケスは……どうだろう。いちばん読めない男だがな。だからこそ、有効ではある。


 『第六師団/ゲブレイジス』の騎兵たちの多くが若くはない。昨日から繰り返された戦闘のせいで、とっくの昔に体力は限界を迎えていた。アルノア軍の兵士どもも飾りではない頭をつけているんだからな、肌で感じる弱体化も分かるはずだがな。


 それでも、マルケス・アインウルフという名のある猛将さまが突撃すると叫んでいる。騎兵たちもそれに呼応しているのだからな―――この行動は最高の『ハッタリ』として機能するわけだ。


「む。隊列の後ろが……っ!」


「士気が切れ始めたようだな」


 アルノア軍の兵士たちの一部が、こっそりと後退し始めていた。見つからないように身を低くしながらな。卑怯な臆病者どもだ。しかし、死を恐れるという行動は一種の健全さを持つものだ。


 全滅するまで戦ってくれる兵士など稀有なものだよ。オレも、この9年間でガルーナ文化の異常さを知ってはいる。戦場で死んで歌になりなさい。我が母上殿がおそらく乳飲み子であったころから、オレに言い聞かせてきた言葉だが。


 世間一般的には、じつは過激なタイプの教育方針であることを最近になって理解しているんだよ。劣勢を感じたり、死の危険を感じたり……そんなとき戦士の少なくない数が逃亡しようとする。


「よおおおおおおおおおおおおおおおおおしッッッ!!!準備しやがれええええええええええッッッ!!!呼吸を整えて、一斉に行くぞおおおおおおおおおおッッッ!!!」


 演技ではないギュスターブの100%の闘争本能が、この歌声に緊張感を与えていたな。声だけでも十分だ。ヒトの士気を砕くことは、それで可能だよ。アルノア軍の弓兵の逃亡が続く……十人、二十人、三十人……コソコソと逃げ始めていたな。指揮官狙いでのオレたちの射撃も、貢献していると自賛したいところだ。


 本来ならば逃亡兵など即座に射殺すべきだが、その指示を出せる者が減っているのさ。リエルとオレの矢のおかげでな。


 アルノア軍は間違いを犯した。戦力差を過信しすぎていたとしか思えん。密集しておくべきだったな。だが、理由はある。取り囲まれることを嫌っていたのさ。だからこそ、両翼を南北に広げていた。


 これが盤上の駒遊びに過ぎないのならば、絶対にアルノア軍は負けることはない。しかし、これは命がけの戦いだ。どいつもこいつも駒ではなく、それぞれの人生の物語を生き抜いてきた命そのものだった。


 死への恐怖が、生存への欲求が。兵士の士気を挫いていく。こちらは背水の陣。そもそも逃げる場所などないからな。死にたくなければ勝つしかない。士気の堅固さでは、はなから勝負にはならない。


 盤上の駒ではない命たちが、死を嫌い戦列の維持を放棄していた。枯れ木の葉っぱのようだ。吹きすさぶ風に、たやすく散ってしまう。この軍団の強さは尽きようとしている。


 そんなときに、騎兵が現れた。


 二人乗りの騎兵だ。


 若い女と、鎧を身に着けた男……なるほどな、さすがだ。


「……ミシェール・ラインハット軍曹に―――」


「―――ランドロウ・メイウェイか。死にかけても、仕事をしにくるとはな」


 リエルの言葉は正しい。そうだ。瀕死であった男を引き連れて、若い娘は馬を走らせた。読んでいたのかもしれない。騎兵たちが突撃する機運をな……メイウェイは戦場の全てよりも、自分の部下たちのことのみを考えていただろうからな。それに、元・部下のことも。


 ああ、守りの陣形だからといって、その陣形を死守すべきではなかったな、アルノアよ。


 ……若い娘は対峙し合う敵と味方のあいだに馬で突入した。ギュスターブは目を丸くしていただろうな。


 砂漠で生まれた旅商人の娘は度胸がある。この戦場で最も危険な場所へと躍り出て、小さく若い体を震わせながら叫んだよ。


「聞けえええええええええええええええええええええええッッッ!!!私と同じく、『メイガーロフ』で生まれた人間族たちよおおおおおッッッ!!!メイウェイ大佐の言葉を、聞くんだああああああああああああああああああッッッ!!!」


 そうだ。


 命を助けようとしている。鋼を突き立てられた体で、いまだに青ざめちまったままの表情で。それでも、敵を……いいや、元・部下を見つめながら、ランドロウ・メイウェイは叫ぶのさ。


「私の名前は、ランドロウ・メイウェイ!!!私の部下であった者たちよ、私と共に同じ時間を生きた若者たちよッッッ!!!私の言葉を聞いてくれッッッ!!!」


 死にかけた男の仕事が始まる。この戦場で出来る最後の仕事のために、無茶して戦場に出てきやがった名将の仕事がな。




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