第五話 『ドゥーニア姫の選択』 その97
「おつかれさまっす、ソルジェさま、ガンダラさん、ドゥーニア姫さま!」
『おつかれさまー』
カミラとゼファーが精神的に疲れてしまっているオレたちの心を癒やす笑顔で迎えてくれた。伸びて来たゼファーの黒い鼻先をやさしく撫でる。ああ、癒やされるね。帝国人との取引をしてしまった直後には、愛する者たちとの触れ合いが苦しみから心を救ってくれる。
ゼファーの鼻先に両腕で抱きつきたいところだが、仕事中の『ドージェ』は団長であることを優先しなければならんのだ。ゼファーの背の上にいる、要人たちにも報告しておきたいところだな。
「……聞こえていたとは思うが、メイウェイは『新生イルカルラ血盟団』との同盟を受け入れてくれた。オレは耐える。お前たち二人も、この選択を受け入れてくれ」
顔を黒い布で隠した戦士たちは、無言のままうなずくことで態度を示した。さすがはオレよりも年上で、軍を長年にわたって率いていた男たちということか。割り切って受け入れるという力が、オレよりも数段上なわけだ。
もしくは顔を黒い布で隠しているせいで、苦悩の表情が浮かばないのだろうか、ラシードは?アインウルフは、ある程度の満足をもってこの結果を受け入れているのかもな。
どうあれ、傭兵は雇い主の命令に従うものだ。
「『新生イルカルラ血盟団』のもとに戻るぞ」
『らじゃー!ぼくのせなかに、のって!』
「フフフ。素直ないい竜だ。私の馬も、喋ればよいのにな」
ドゥーニア姫はおそらく叶わないであろう願望を口にしつつ、ゼファーの背に跳び乗る。
オレとガンダラは周囲を見回して、伏兵の有無を調べていた。メイウェイを信用していないわけではないが、メイウェイの部下の誰かがメイウェイの統制から離れて行動する場合だってある。
ドゥーニア姫に兄弟でも斬り殺された帝国兵がいれば、彼女への個人的な恨みで暴走したとしても、おかしなことではない。戦場を支配する人間関係ってのは、そんなものだよ。
「……いませんな。団長の魔眼には?」
「いないな」
「伏兵を探しているのか。なかなか良い護衛だな」
依頼主さまからお褒めの言葉をたまわったよ。
「まあな。君を狙う帝国人は、少なくないだろうから」
「たしかに。心あたりはある」
「……だが、オレの魔眼にも映らん。ゼファーの鼻にも眼にもな」
『うん。だれもいないっぽい』
「心配しすぎではないか?」
「帝国のスパイのなかには特殊なヤツらがいる。クマに化ける能力を持った兄弟さえいたんだぞ」
「……世界は広いな。竜に乗った騎士以外にも、そんな連中までいるのか」
「心配するにこしたことはない状況だ。メイウェイの軍に、スパイが紛れ込んでいないと断言することは出来ないのだからな」
「ですが、とりあえずは大丈夫そうです。移動しましょう」
「ああ」
『じゃあ、いくよー!』
皆を背中に乗せたあとで、ゼファーは砂丘を駆け下りて作ったスピードを翼に与えて、空高くへと舞い上がっていく。
……上空に浮かびながらも、メイウェイの軍勢を睨みつけてしまう。敵対する者がいないかを探していたよ。ゼファーに弓を引く者がいないかを。信頼というものは、何とも得がたいものではあるな。
理性よりも深い本能的な部分では、彼らを仲間とは認めていない。お互いに、そうだろう。敵の敵だから、手を組む。友情はなく、信頼は乏しい行為だった。
しかし、兵士たちはこちらを見ることはあったとしても、敵対する様子を見せることはなかった。我々の提案が何であったのかに、彼らも勘づいているのかもな。
ゼファーは彼らの上空を飛び抜けていく。もちろん矢が届かない高さでのことだ。余計な挑発をするつもりもない。
そのまま北から吹く風にゼファーは乗り、南東を進んでいる『新生イルカルラ血盟団』の姿を追いかける。道中は静かなものだった。この同盟についての質問が飛び交うこともない。
無言のまま、砂漠を見つめる……風に吹かれた痕跡を残す、乾いた砂の世界がそこにはあった。ああ、無言でいるには、あまりにもさみしい場所だ。仕事をするとしよう。会話が必要だし、段取りも決めなければな。
「ドゥーニア姫、どうやって部下に報告するつもりだ?」
「そうだな。せっかく、竜がいるのだからな。竜を使って空から報告するというのはどうだ?」
「たしかに、早く済むし、君を警備する上では適した行いだが。コミュニケーションとして、雑すぎる気もするぞ」
「かまわん。私と行動を共にしていた幹部連中には、前もってこの作戦を伝えてある……メイウェイが帝国に裏切られた時点で、このシナリオは現実味を帯びていた。戦士たちの中にも、悟っている者は多いだろう」
「それほど慎重に話さなくても、大丈夫ってことか」
「ああ。皆、混乱はしても、理解はしてくれる。メイウェイはガミン王と違い、善政を行ってはいたからな……歓迎する者さえも、少なからずはいるだろう」
「人気者か……」
「安心しろ。私の方がアイツよりも人気者だ。同盟を組んだとしても、主導権を奪われることはない。それに……アルノアの軍勢と戦った後では、主導権を争うほどの余力も残らんさ。軍事力は消費し尽くされ……『メイガーロフ』の民だけが残る」
「アルノア軍の数は多いですからな。メイウェイの手勢を引き込めたことは幸いですが、それでも、こちらは十分な戦力ではない」
「じゃあ、作戦を考えないといけないわけっすね?」
「……そういうことだな。ガンダラ、焦土作戦以外に何がある?」
「まずは、『ガッシャーラブル』を使った戦い方がありますな」
「あの城塞を使っての籠城か?」
「それなりには頑丈な城塞です。アルノア軍の攻撃をしのぎ、彼らを疲れさせてからの反撃するタイミングを作ることも可能になります。体力的なことを考えれば、『新生イルカルラ血盟団』は一度、街に入って休息を取りたくもあります」
「……城塞は一晩ぐらいは持ちこたえられそうじゃあるな。兵の体力を回復させることに使うというのも有りか……」
攻撃を好むガンダラとしては消極的な策ではあるが、それだけに『新生イルカルラ血盟団』の疲弊を伝えてくれもするな。無理もない。『大穴集落』は攻撃を受けていたし、『ザシュガン砦』の生き残りは戦いと夜を徹しての長距離移動の疲労が出る頃だ。
「アルノアの援軍は、この土地の寒暖の差に適応してはいないはずです。野営を強いれば、その疲労は強くなるでしょう」
「体力を削ってやるわけか。その上で、短時間の決戦を挑む……いいデザインだが、『ガッシャーラブル』をすみやかに掌握することが前提となる作戦だな」
「有無を言わさぬ説得が必要らしいな。ゼファー、手伝ってくれるかい?」
『おっけーだよ、どぅーにあ』
「フフフ。ガンコそうな『大穴集落』の連中も、『パンジャール猟兵団』のおかげで、今回ばかりは素直に動いてくれるはず。雇って良かったぞ、ソルジェ・ストラウス団長」
「君を感心させるのは、これからだよ。オレたちは話術よりも戦が本職だからな。メイウェイの援軍がいる前提で、勝つための策を考える」
「心強い言葉だ。勝てる……のか?」
砂漠の戦姫は、部下のいない場所だからこその自由さで、その疑問を吐露していた。不安を感じずにいられるほど、状況は良くないからな。オレは、傭兵としての義務を全うしよう。
「勝てる。オレたち猟兵は、君に勝利を与えるために雇われた」
「……そうだったな。ソルジェ・ストラウス。今の弱気な言葉は、忘れてくれ。指揮官は、迷わず勝利のみを信じなければならない」
「ああ。自信を持っていて大丈夫だ。オレたちは、強い。アルノアの軍に打ち勝てるよ」
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