第五話 『ドゥーニア姫の選択』 その35
砦の前にある崩れかけたレンガの壁。そいつに身を隠しながら、オレたち四人は砦を探ることにする。上空から見ても、ゼファーが砂から頭を突き出しながら観察していても、怪しげな動きを見つけられてはない。
オレの魔眼もそうだ。これだけ近くに来ているのに、誰の気配も感じられないでいる。善意もない敵意もない。警戒心もない。無人のような印象を受けているが……しっかりと確かめなければならん。隠れることに長けた暗殺者がいる可能性はゼロでもない。
注意深く、集中力を使うことで、この場所の全てを把握してみることにした。崩れかけたレンガの一部から、ガルーナ人の頭を突き出したよ。雪原から頭を突き出す雪兎のような慎重さでだ。
荘厳さではなく、みすぼらしさをまとった砦だな。生活することは最低限できそうではある。それ以外には、とくに向いた使用法を思いつかないな。軍事的な拠点としては、あまりにも貧弱すぎる……。
……流砂の罠に囲まれて、身を隠すためだけの場所ということらしいな。赤茶色に日焼けした、石で組まれたその砦は、何百年も客が訪れていないかのように静かだな。風に削られて、ゆっくりと朽ち果てていく定めにあるようにも見える。
壊れかけた外壁からは、ワイルド過ぎる窓みたいに砦のなかが見えちまう。我らがお抱え詩人でもあるシャーロン・ドーチェ、ヤツがこの砦を見れば、滅び去るものに宿る美学を語ってくれそうだな。
崩れた屋上は、かつて整然とした均一な石のブロックが並べられていたんだろうが、今では砂漠の風にかじり取られている。いくつものブロックが砦の周りに落っこちていやがった。
死にかけている砦。骸みたいに横たわった石材の欠片。そのくたびれ果てた姿に、歴史を見るのさ。男ってのは、孤独なモノが好きなもんでね。この孤独な建物を細めた瞳で愛でるように観察しながら、酒でも呑んでみたくなる。
月の光でも浴びるこの岩のカタマリを見て、冷たい砂漠の夜風に吹かれてみるのも、楽しげな記憶になるはずだった。
……観察して、分かったことがある。オットー・ノーランみたいに、どんなルーツを持つ建築哲学なのかまでは分からないが、この砦には、もはや戦うための力はない。内部にある程度のリフォームを加えて、生活のための設備を補強しただけのものだ。
『メイガーロフ』の巨人族の王たちは、この砦に絶対の自信があったらしい。見つけられるハズがないというな。流砂を恐れて近寄る者はいないと考えたのか、あるいは『ガオルネイシャー』の生息地に近づく物好きはいないと考えていたのか。
どっちであれ、『メイガーロフ』に生きる者たちは、この場所には近づかないという自信があったからこそ、戦うための力までは管理する必要を抱くことはなかった。
……そういう歴史を読み取ることはやれたよ。
あとは、そうだ。こいつは、そんな歴史的な考察よりも、もっと大事なことになるんだが……この砦には、人の気配は完全にない。無人だ。オレの魔眼、嗅覚、聴覚……それらの全てが、この砦は無人であると感じさせている。
それを悟りながら、オレは口を開いた。
「……誰もいないな。この静けさを、ヒトは作り出せん」
「だよな。オレも、そう思うぜ、サー・ストラウス」
「私も同意する」
「自分も、そんな気がするっす。何よりも、ソルジェさまがそう考えるのなら、絶対に外れたりしないっす」
「……ああ。まあ、例外があるとすれば、『侵略神/ゼルアガ』が隠れていたりする場合だけだろう」
ヤツらだけは、本当に認識することが出来んからな。あちらからの敵意だとか、接触するか、殺されそうになる直前までは認識が叶わない存在だ。ヤツらが、こちらに接触する気がなければ、すぐそばにいたって気づけないだろう。
「『ゼルアガ』がいるって注意書きは、王家の連中は残していたのか?」
アインウルフはオレの問いかけに首を横に振る。
「いいや。そんな注意書きはなかった。他の土地にはいるのかもしれないが……少なくとも、この場所に『ゼルアガ』の伝説はないらしい。あったとすれば、『メイガーロフ』の王たちがどんなに勇敢だったとしても、ここを隠れ家の候補には選ばない」
「たしかにな。それで、お前はここをどう思う?」
「無人なのかどうかということを訊いているのなら、無人であることに賭ける。私の勘は外れないぞ」
「全員の意見が一致したな。コソコソ隠れるのは止めて、さっさと砦のなかを調べるとしようじゃないか」
「そうしようぜ!こういう地味な偵察は、オレみたいなグラーセス王国の戦士には、向いちゃいないんだ!」
ギュスターブ・リコッドがレンガの壁から飛びだして行く。
「いいな、ギュスターブ。罠には気をつけろ。地雷を踏めば、いくらお前でも痛いだけじゃすまないからな」
「おう。火薬の臭いには気をつけるぜ!……サー・ストラウスの仲間の男だか女だか分からんヤツに、色々と教わっているんだぞ、オレも」
「男だか女だか分からん?……ああ、そうか、シャーロンのことか」
相変わらず、『ラミアちゃん』に化けているらしい。あの父親思いの美女にな。
いや……というか、クラリス陛下に化けようとしているんだろうな。影武者として、クラリス陛下を刺客から守ろうとしているのだろう。
……つまり、愛しい女性を守るための、どこまでも男らしい行為になるんだがな。自分を身代わりにして、クラリス陛下の命を守っている。
それなのに、何故だかその尊い行いのことを、素直にカッコ良く思ってやることが出来ないんだよな。やはり、女装しているからだろうか。偏見かもしれない。そういうのは良くないことだと思うが、シャーロンはあの状況を楽しめる不マジメさを持ったヤツだからな……。
だが、有能な男であり、『パンジャール猟兵団』の猟兵である。団長として、フォローはしなくてはな。
「……シャーロンは、あれでもカッコいい作戦を実行している最中にいるんだぞ?」
「そうなのか?……オレには、やっぱり外のコトが分からないままだ」
「社会経験を積めば良い。そうすれば、シャーロンの行動のカッコ良さも見えてくる」
「分かりたくもない気がするけど、それも成長するということだろうな」
「そうだ。大人ってのは、ちょっと薄汚れたことに対する自虐的な悲しみを背負って生きているもんだ」
「……グラーセスにはない考えばかりだ。オレも、まだまだ修行が足りないようだ」
そんなことを呟きながら、ギュスターブはドワーフ族の強い奥歯をギリリと噛み合わせていたよ。世界の広さを知ったとき、男ってのは手持ちぶさたになるものだ。何かしらの無害な癖を実行することがある。
ギュスターブはその一種の儀式を終えた後で、自信家の顔になる。オレたち全員を見回しながら、短くて強腕を使い、分厚い胸板をドン!と叩いていた。
「だが!火薬については任せてくれ!……オレは、そいつを嗅ぎ分けるための手段を覚えた。『パンジャール猟兵団』のメンバーに比べれば、まだまだかもしれないがな。とりあえず、先頭はオレに任せろ!罠があっても、見つけて解除してみせる」
鋼を振り回すだけが、戦士の仕事ではないということを、ギュスターブ・リコッドも学んだらしい。
そいつは喜ばしいことだと、オレは感じるのさ。帝国と戦うためには、可能な限り多くの戦闘にまつわる技巧を持っておくべきだ。敵の数は、多すぎるほどいるんだからな。
「じゃあ、行こうぜ!皆、オレの十歩後からついて来てくれ。それなら、爆発しても皆を巻き込むことはない」
「……頼りになる言葉だな」
「おう」
「……今のは皮肉だ。猟兵の技巧を授けられて、惨めな失敗をすることは許さん」
「……わかった!」
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