第二話 『メイガーロフの闇に潜み……』 その18


「さてと。悪いが眠ってもらうぞ」


「そ、それってさ……あの、睡眠薬だよね?」


「殺すつもりはないと言っただろ」


「そうだけどさ」


 ロビン・クリストフ特務少尉の隣りにしゃがみ込むと、オレは医療用パックから睡眠薬の入った薬瓶を取り出した。それをリエルから手渡された注射器に吸い上げて、彼の首筋に針を刺す。


「……とても、不安な気持ちだよ」


「顔面をブン殴られて気絶するよりはマシだろ」


「……ああ、顔が痛い気がするのは、そういうコトをされたからか……酷く乱暴な手段だね」


「そっちがいいか?」


「……いや。止めておくよ。薬の方にしてくれ。アンタを信じることにするよ、名も知らないけどさ……っ」


 薬液を注射した瞬間、ロビン・クリストフ特務少尉は怯えのふるえを身に走らせていたが、首の静脈から入った森のエルフ秘伝の睡眠薬は、またたく間に彼の体に広がっていく。心臓の拍動数を少なくし、深い睡魔に精神は呑まれる。わずか十数秒の間にな……。


「対毒訓練をしちゃいないようだ」


「ふむ。この男、帝国軍のスパイではなさそうだな。戦闘に関する能力が低い。戦士としては、イマイチだ」


 リエルもそう考えているらしい。


「……たしかに、彼の能力はそれほど高くはない。さすがに、スパイの一人ってとはないだろうよ。だが、南方戦線の情報も吐かせられるそうだしな、有益な情報源じゃある」


「そうっすね!自分も、そう思います!……遠くの土地の情報だって、知ってて損はありません!大陸中の帝国軍が、自分たちの敵っすもんね!」


「そういうことだ。さてと、運ぶか」


「手伝おうか?」


「いや、オレ一人でも十分に運べるさ。書類はまとめたか?」


「もちろん、オッケーっすよ」


「じゃあ、外に出ようぜ」


 オレは寝息を立てるロビン・クリストフの体を持ち上げる。胸ぐらを掴んで、背負って投げるような形にな。もちろん投げ飛ばすことはないのだが……こうやって体を吊すことにする。


 高度な寝たふりをしていたとすれば、この男を見直すことも出来るのだが。秘薬の影響下にある彼は、魔力の流れさえも緩慢になっている―――本当に寝入っているだけだ。帝国軍のスパイであれば……厄介な敵を一人、排除したことにもなったんだがな。


 ……いや。高望みはいけない。十分な情報を入手したと考えるべきだ。


 カミラの『闇』に包まれて、オレたちは『コウモリ』へと化けた。煙突から夜空へと昇り、そのままワイン蔵の外に向かう。ゼファーがすでに待機しているからな。


 ワイン蔵に並ぶようにして、ゼファーはその身を横たわらせている。『コウモリ』からヒトの姿へと戻ったオレたちは、ゼファーの元へと歩いた。


『あ。『どーじぇ』、『まーじぇ』、かみら、おつかれさまー』


「お疲れさまっす、ゼファーちゃん」


『えへへ。ぼく、みはりしてただけー』


「見張りもちゃんとした仕事なのよ。いい子ね、ゼファー」


 『マージェ』の手がゼファーの頭を撫でていた。金色に輝く竜の瞳が細く閉じられて、ゼファーは幸せそうに微笑んでいる。


「……さてと。ゼファー、背中に、コイツを縛り付けるぜ」


『うん。それを、『あるとーれ』に、はこぶんだね?しゃーろんのところに』


「そうだ。アイツに渡しちまうんだよ」


 眠れる帝国人をゼファーの背中に置いて、ロープでしっかりと縛りつけて行く。『フクロウ』が先行して『アルトーレ』に向かっているはずだから、ゼファー単独で向かっても攻撃されることはない。


 ……オレたちには、帝国人の捕虜を抱えておく余裕まではないからな。それに、シャーロン・ドーチェが尋問した方が、より多くの情報を得られるだろう。まあ、とにかく。積み込みは終わった。ロビン・クリストフの荷物もゼファーにくくりつけたよ。


「ゼファー、頼むぞ」


『らじゃー!』


 『パンジャール猟兵団』の役に立つことを喜ぶ、うちの良い仔は尻尾と翼を夜空に向けて伸ばしながら、ゆっくりと立ち上がる。


 『ガッシャーラ山』から吹く北風を広げた翼で掌握しながら、ゼファーは枯れたブドウ畑の隣を駆け抜けて行く。風と一つになったその瞬間、脚で斜面を強く蹴りつけて、ゼファーは風に乗って上空へと浮上していった。


「いい飛び方だぜ」


 ちゃんとロビン・クリストフも固定されている。衝撃でロープが緩んだりしなくて良かったな。ゼファーはしばらく斜面に沿って南に向かいながら加速した後で、大きく旋回し進路を北へと変えていた。


 翼で星空を叩きながら、オレたちの頭上、はるかな高みをゼファーが飛んでいく。『アルトーレ』まで、小一時間もあれば往復してしまいそうな速さがある……いい風が吹いているな。『ガッシャーラ山』を囲む風は、竜の翼に速さを与える強さを持っているのだ。


 ……ゼファーの飛翔はすぐに見えなくなる。いつまでも、このムダに寒い場所にいても仕方がない。


「カミラ。再三の頼みになるが」


「はい。『コウモリ』っすね」


「そうだ」


「どこに向かえばいいっすか……?」


「『カムラン寺院』だ。採風塔の……あの大きな塔の下に、ガンダラと帝国軍から脱走した戦士ナックスがいる。そこに戻るぞ」


「援護は必要ないわけだな?」


「ああ。カミラの『コウモリ』があれば、どれだけ多くの敵に囲まれても、問題はない。今のところは、『太陽の目』とも友好的な関係にはある……少なくとも、敵じゃない」


「今のところか」


「そうだ。今のところはな」


 後々はどうなるか……?


 ……そいつはオレにも読めない。『太陽の目』に帝国軍は圧力をかけてくるかもしれん。『イルカルラ血盟団』との敵対を強いられる可能性もあるし、元々、両者の間に対立感情は存在している。


 ヒトってのは悪意に確実性を求めるものだ。悪意は合理的だから。そして、そもそもが攻撃的な動物である。


 それは持って生まれた動物としての習性。鳥が空を飛ぶように、ヒトは善意よりも悪意を支持し、排他的で攻撃に快楽を覚える。そういう下らん動物だ。争いを好む。


 ……それでも、善意というものも持ってはいるのだ。ナックスを助けた。対立していながらも同じ国で生まれ、同じ人種であるナックスを『太陽の目』は助けはした。


 その善意をも、悪意をもって利用するというのがヒトの本性ではあるが……今は、敵対している集団を助けたという事実にこそ、希望を見出しておきたい。


 ……オレたちは分の悪い賭けをしている。人種の垣根を越えて、生まれの違う国同士で手を組まなくてはならない。本来ならば、あり得ないことだ。奇跡と奇跡を掛け合わせるような戦いをしているわけだ……。


 合理的な悪意ってものに、反しなければならない。ヒトの本能に逆らうような行動をして、結束を作り上げる必要があるのだ。そうでもしなければ、帝国には勝てん。


 少数勢力の難しいところだ。合理的なことをしていれば、負けると来ているのだからな。


「……とにかく。敵サンの悪意を邪魔してやるさ。ナックスの件で、『太陽の目』が脅されないようにする」


「……どうするんですか?」


「ナックスを隠す。お前の『コウモリ』に頼ることになるが……」


「はい。自分は、ソルジェさまのお役に立てることが、何よりの幸せっすから!……で、でも。ちょっとだけ魔力が足りないっすので……」


「ああ。オレの首に噛みつけ」


「……はい」


 愛しい『吸血鬼』さんが、アメジスト色の瞳を妖艶に輝かせながら、オレの首に両腕を回してくる。そして、彼女の唇がオレの首筋を舐めて、あの白くて尖った牙をゆっくりとオレの首筋に突き立てて来る。


 血と共に魔力を吸われるのが分かる。数秒間の行いだったが、それでカミラは満たされたようだ。止血のための、魔力が宿ったキスで傷口が塞がる。


 夜の闇のなかで、『吸血鬼』はくるりとその身を軽やかに旋回させた。ポニーにされた金色の髪が、フワリと宙に浮かぶのさ。


「えへへ。元気補充したっすよ!それじゃあ、あのお寺に参りましょう!」




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