第二話 『メイガーロフの闇に潜み……』 その8


 採風塔の近くに行く。30メートルほどの高さのある、石組みの塔だ。遠くから見た時は、蛇神の寺院ということで蛇をイメージしていたが、今はそのわずかな曲線は北にある『ガッシャーラ山』からの風を受け止め、地下へ尾導くための傾斜だと納得する。


 宗教的な美術という観点からの構造ではなく、機能美を追及した結果のことか。『メイガーロフ』建築について、また一つ学べたよ。


 もしも、オットーがここにいたら、オレの発見に強い共感を抱いてくれそうだな。そしてオレの知らない知識を一つか二つ、小さな声で静かに教えてくれるような気がする。


 ……まあ、今は見識を深めることよりも、『イルカルラ血盟団』の戦士と会うとしよう。


 ホーアンは採風塔のつけ根にある、黒い鉄格子の鍵を開けていく……。


「……閉じ込めているのか?」


「いいえ。彼は脚をケガしている。閉じ込める必要はない。どちらかと言えば、彼を守るための処置ですよ」


「帝国の密偵からか?……それとも、君たちからか?誰もが納得して、彼を匿っているというわけではないんだろう」


「鋭いですね。ええ。これは我々の同胞から彼を守るためでもあります」


「先にそちらを言うとはな」


 帝国の密偵から匿っているという建前を使うかと考えていたんだがな。僧侶という人種は己の心中にある悪意を隠そうとしたがるもんだが……『太陽の目』の人々は、少しばかり攻撃的なのかもしれない。


 ホーアンは年寄りの肩をすくめていた。猫のように首を捻って背後にいるオレを見つめて来た。


「どうにも嘘は苦手なのですよ。我々と『イルカルラ血盟団』の関係性、それを理解してもらうためには分かりやすい言葉でしょう」


「確かにな。それでも、アンタは彼を守ろうとしている。理由があるのか?」


「……僧兵の一人の弟なのですよ」


 ハニア・ルーミアの情報は正確なものだ。さすがは地元民の店ということか。狭い街のことは、地元に根付いた商売人に訊いてみるべきだな……そして、『太陽の目』の僧兵も、この件に関してはやや口が軽いようだ。


 帝国兵も利用している『紅い月』で、ハニアの耳に入るような声で捕虜のことを話していたのかもしれないな。


「……僧兵同士も割れているか。情報をあえてもらす僧兵もいるらしいぞ」


「それは、忠告ですかな?」


「そう聞こえているとすれば、わざわざ口にしてやった甲斐もある」


「……この問題は、ややこしいものです。私たち長老たちの間でも意見は対立している」


「解決してやれることが出来るかもしれんな」


「……どういうことです?」


「オレたちが彼の身柄を引き受けてもいいと言っている。帝国に見つからない場所に運んでやるよ」


「そんなことが……?」


「不可能じゃない」


 星のきらめく空を見上げたよ。ホーアンもマネするように空を見る。しかし、彼は気づけないままだった。巨人族の夜間視力は、せいぜい並みの人間族と同じぐらいのものだからな。夜風と遊ぶゼファーの姿を見つけることは、彼の年齢では困難というわけさ。


「……何か、あるのですか?」


「アンタに見つけられないなら、コッソリと彼をこの街から運び出せるだろうよ。帝国軍にも見つからない……彼が負担ならば、引き受けてやってもいい。オレたちにはその力がある。殺したいわけじゃないんだろ?」


「もちろん。少なくとも、私と、過半数の長老はそう考えています」


「決まりだな。彼がこの場所を離れたいと答えてくれたら、連れて行くよ」


「……もし、そうなったら。私にとっても幸いなことです。彼を死なせる気はない。ですが……彼についての情報が漏えいしているのなら……それを僧兵の誰かがしたとするのならば……その僧兵は、彼のことを殺すかもしれません」


「君らの教義として、それは正しいコトなのかい?」


「砂漠の民にとっては、報復は自己防衛のための基本的な選択肢です。我々を襲った者に対しては、我々も襲う。その行為を、蛇神は否定してはいない」


「八つ当たりになるな。君らが復讐すべき男はバルガス将軍だろうに」


「……ええ。それでも、報復心は最も制御しにくい感情の一つでしょう?」


「耳が痛い言葉だよ」


 オレもまた復讐を志す男だ。八つ当たりも良くしている。帝国兵を斬り殺すときは、本当に心が弾むものだからな。


「さてと。まずは当人に会わせてもらうとする。今後のことも含めて、ベストの選択をしたいな。アンタも同席してくれるか?」


「分かりました。そうするとしましょう。彼の処遇について話し合うことになりそうですからね。では……こちらへ」


 採風塔の鉄格子を押し開き、巨人族の老人は背を屈めながらその風が注がれる塔のなかへと入る。オレとガンダラも続き、見張りの若い僧兵もついて来た。


 ガンダラはそのことが気に入らないようだ。


「この青年まで、彼のもとへ近づけるのですか?


「……不服かね」


「若者は暴走しやすいものだ。彼には、感情を抑えるほどの胆力があるのですか?」


「……オレは、厳しい修行を受けてきた。長老の命令には絶対に従う」


 若い僧兵は若干の不機嫌さを示しながら、そう主張した。その主張にどれほどのガンダラを説得する力があったのかは疑問だった。


 そのことにホーアンは気づいている。


「……このメケイロは、優秀な僧兵だ。忠実で生真面目。この塔にいる誰の危険になることもない」


「そうらしいぜ、ガンダラ。だから、心配する必要はない。何が起きても、オレとお前がいれば、実力で制圧することが可能だ」


「……そうだとしても、トラブルの可能性をより低くすることも出来ます」


「彼の修行を信じてやるとしよう。ホーアン殿の推薦もあるんだからな」


「……分かりました。団長の命には従います」


「そうしてくれ。さて、メケイロ、怪しい動きをするなよ。オレとこのガンダラお兄さんは、君が思っているよりも速く動き、君に致死性の攻撃を正確に与えられる」


「……脅しているのか?」


「いいや。事実を教えているだけだ。まあ、仲良く行こうぜってことさ」


「侮辱された気持ちになる」


「メケイロ。それは未熟である。ソルジェ・ストラウス殿の力量に気づけぬお前ではあるまい。思い上がるでないぞ」


 長老殿はメケイロに厳しい指摘をしていた。メケイロは、若く、気高さがある。自分よりも強い相手を認めたくない。そんな感情を消せていないのさ。


 僧兵メケイロは長老の言葉に頭を深々と下げることで、何らかの意味を持つ返事としていた。オレとガンダラは、その動作の意味を知らない。しかし、ホーアンがメケイロの態度に満足げにうなずいたことは分かる。


「……私は、この『カムラン寺院』の敷地内での殺生を好まない。それはメケイロにとっても同じことだと信じて下され」


「……そうするよ。いいな、ガンダラ」


「……ええ。メケイロ。よろしく頼みます。疑って申し訳ない」


「いいえ。いいのです。オレの未熟さを懸念する貴方の気持ちも分かる。この人間族の剣士の挑発に、容易く乗ってしまうのだから……オレは未熟だ」


 マジメな男のようだ。オレの言葉で感情を昂ぶらせたことを恥じている。一件落着だな。


 ホーアンは首を回して若い弟子から、ゆっくりと視線を外すと、上空から冷えた夜風の降り注ぐ採風塔の中を歩き始める。彼が目指すのは、地下へと伸びる大穴だ。採風塔の中央の床には深い縦穴が開き、その側面には階段が設けられていた。


 慣れた足取りで、ホーアンは夜風が飲み込まれていく地の底へと向かい、オレたち三人もホーアンを追いかけて、その狭い階段を降りる。老朽化の気になる、所々が崩れた段差に慎重な動きで鉄靴の底を押し当てていく。


 深く昏い場所に向かうのさ。




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