第二話 『囚われの狐たち』 その25
『ええッ!?』
いきなり重量物が消えたから。ゼファーの飛行が不安定になる。バランスを崩していたが―――それも一瞬のことだった。すぐに修正してみせた。
「ロープが、切れたでありますか?」
『ど、『どーじぇ』!?だ、だいじょーぶ!?』
「……オレは大丈夫だ。だが、ヤツが落ちた」
「ロープが、老朽化していたんでしょうか?」
……違うな。
このロープはそう容易く切れはしない。ヤツが引き千切っただけのことだ。
「ちょっと追いかけて来る。ゼファーとキュレネイは、エド・クレイトンをあの砦に連れて行ってこい」
そう告げながら、オレの指はロープを手放して、眼下の黒い森に目掛けてダイブしていく……。
『ら、らじゃー!!』
「すぐに戻って来るでありまーす」
ゼファーとキュレネイの言葉を背中に浴びながら、オレは森の木々の枝を貫いて、大地へと着地する。『風隠れ/インビジブル』のおかげで、今度も無痛だ。
それにゼファーが意図的に高度を下げていたことことも大きい。ヤツはオレよりも7メートルは高い場所から落ちた。魔術を使うこともなく、そのまま地上に叩きつけられたはずだ。
常識の範囲なら、ヤツの即死を考えるだろう。
死んだと考える。
それはそうだ、20メートルの高さから落ちたら、ヒトは死ぬ。竜騎士とか高度な風使いならばともかく、ただの人間族ならば死んでしまうに決まっているさ。
……もしも、ジャン・レッドウッドを知らなければ?
オレもその常識に囚われていただろう。
この高さから落下して、ヤツの死体を見つけられなかったとしても、ヤツの死を疑うことはなかった。獣のエサにでもなればよいと考え、そのまま放置したさ。
でもね。
ジャン・レッドウッドを知っているオレからすれば、このままヤツを『逃す』気は起きなかった。
走る。
どこにか?
……決まっているな。ヤツは拠点に戻ろうとする。仲間と合流して、情報を伝えようとするのさ。オレたちの正体を知ったのだから。竜を操る者が、この大陸にオレたち以外にいるとは考えられない。簡単に正体はバレちまうさ。
『パンジャール猟兵団』の介入をすぐに仲間に伝えておきたいのさ。何故ならば、オレたちがヤツを殺そうと動くことを予期しているからだ。そうなれば、ヤツは自分が生き残れる可能性がゼロだということも理解している。
強いだろう。
とても強い。
だが。
それがどうした?……本気の猟兵の前では、強さなどという、戦いを構成する一要素の優劣などに勝敗を決定づけるほどの重みはない。オレたちに勝てるとは考えてはいないだろう。
たとえ、お前が『何』であれ。
誰にも負けたことがなかったかもしれないが―――オレたちには勝てんと本能が悟っているだろう。
だから、逃げた。全力で走っている。
もしも、お前がジャン・レッドウッドならば?……絶対に追いつくことは出来ないだろうが―――そうじゃない。お前は似ているが、間違いなく違う。
何故なら、お前がジャン・レッドウッドと完全に『同じ』なら、わざわざ居場所の分かっているスパイを捕まえるのに、ジークハルト・ギーオルガを頼ることはない。
お前だけで足りるだろう。
そうじゃない。
似ているが、たぶん『同類』なのだろうが。だが、ちょっと違うらしい。
魔力を嗅ぐ、獣臭い魔力を。ああ、聞こえるぜ、足音が。とても重たい。並みのヒトよりは速いかもしれないが、『風』の加護を受けた竜騎士の脚からは逃れられない……。
黒い森を駆け抜けていく大男がいる。アイゼン・ローマンだった。あの高さから落ちたというのに、まったく負傷はしていない。
「おい!!アイゼン・ローマン!!」
その名を呼ばれたことで、ヤツは悟っていた。
動きを止める。全力疾走で疲れた粗い呼吸を整えにかかる。その大きな手を、大樹の幹に押し当てながら、疲れた体を休ませていた。
「背後から魔術で焼き殺しても良かったんだが―――ちょっと気になるからな」
「…………どうして、オレが生きていると分かったんだ、ソルジェ・ストラウス」
「お互いの名前を知っているか」
「『自由同盟』の英雄だ。我々としても、最も危険視しているターゲットの一つ」
「帝国の情報機関に、マークされているのか」
「ああ。帝国軍からの評価は、アンタは低いんだぜ?」
「そうかい」
「だが……オレたちはアンタの強さを分析している。『自由同盟』側で、最も厄介な存在として分類すべき者だ。同盟の盟主、ルード女王クラリス、武術の達人の群れであるハイランド王国軍、北海の戦では無敵のアリューバ海賊騎士団……そして、アンタだ」
「その面子と同列にしてもらえるとはな」
「それは当然だ。アンタは……竜を使う。それだけじゃない。さまざまな力を集めているようだし……今では、力がアンタの方へ寄って来つつある……」
「ガルーナを奪還して、王となる予定だ。古き伝統を継ぎ、魔王となる。貴様の尽くしているファリス帝国を破壊して、皇帝ユアンダートの首を取る」
「……帝国軍の正規の将軍たちならば。アンタの言葉を笑って無視するだろう。だが、オレたちは違う。可能性は……低いが、あると見積もっている。アンタは、帝国が築く人間族の栄華に、終焉をもたらす存在になるかもしれないとな」
「……そうか。評価してもらって嬉しいよ。いずれ、そうなる」
「人間族にとっては、絶望の日々のスタートだな」
「皆が生きていてもいい世界を創る。今より、多くの可能性にあふれている世界だ」
「……欺瞞だな。ヒトは、残酷だ。支配する種族が変われば、搾取される種族が変わるだけのこと。アンタが野心を果たした後は、人間族に待ち構えているのは衰退の日々だけさ」
「……貴様こそ、自分に嘘をついているんじゃないのか?……ただの人間族じゃない。血を調べれば、人間族として分類されるだろうが……実際はそうじゃないな」
「『カール・メアー』の異端審問官が使う、聖なる杯の試験でも、オレは人間族と分類された。亜人種の血と、オレの血を混ぜても素早い凝固反応は起きない!!……オレは、人間族さ……ただし、アンタの言う通り、ちょっとだけ……ユニークだがな』
……ヤツは生き残るつもりらしい。
オレと会話をしてくれたのも、時間稼ぎをするためだ。全力疾走で逃げるために使った体力を、少しでも回復させたい。
そして。
全力で走ることで、汗から毒薬を少しでも抜こうとしているんだろう。オレたちの毒の種類に見当をつけたか。スパイとしての知識も豊富らしい。これは、厄介な敵だった。ジャン・レッドウッドを知らなければ、取り逃していたな。
そうなれば……コイツに『自由同盟』側の仲間たちが、何人も、何十人も殺されることになっていただろう。
今夜、殺せて良かったよ。
『おいおい……ソルジェ・ストラウスよ?』
「なんだ?」
『余裕だなぁ、笑っている。オレを見ても、オレを前にしても、余裕ぶっているのかぁ?』
「そうじゃない。強い敵だな。力、速さ、体力……それらの強さの全てで、オレよりも遙かに上だろう?」
そうだ。『狼男』ではないが―――それとよく似た存在であるようだ。ヤツの体は膨れあがっている。歪みながら、肉体が巨大化していく。さっきまでとは、全く異なる何かへと至ろうとしているのさ……。
「それで、貴様は一体、何なんだ?……オレが知っているヤツとは違う。貴様は……」
『……バルモアの地ではな、オレたちのような呪われ人を、『熊神の落胤』と呼んでいるのだ。かつて、熊神に呪い酒を呑ませて、その種を盗んだ穢れし巫女たちの系譜に連なる者とな……』
「……なるほど。『狼男』じゃなく、『熊男』というわけか」
『俗っぽく、そして、分かりやすく言えば……そうだろうなぁ。しかしね、ソルジェ・ストラウス殿よ?』
「なんだ、バルモア人」
『……『熊男』……オレはよ、そう言われることが、死ぬほど嫌いなんだあああああああああああああああああああッッッ!!!』
「ククク!……奇遇だな。オレも、バルモア人は大嫌いなんだ。かかってこいよ、『熊男』。魔王サマの力を、バルモア生まれの貴様に、思い知らせてやろう」
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