第二話 『囚われの狐たち』 その5


 その酒場は大いに賑わっていたよ。六つもある巨大なテーブルは、酔っ払った男どもがわんさかいる。その内装も港町テイストで楽しくなる。


 やっぱり、港町の酒場と言えば操舵輪だよな?……いや、船にまつわるものがあると楽しいもんね?……ああ、ワインレッドの古い壁に操舵輪が飾られている。そして、天井には網もな?


 魚を捕る時に使う漁師の網さ。永らく放置されていたものか、ランプの灯りに照らされて、フジツボが付着している様子が見えた。そいつが天井にロープでまとめられて吊されていたな。


 インテリアとして使っているんだろうね。漁師にはウケるかもしれない。網を調度品に使うなんて発想は、そこらの漁師には出来んだろう……自宅で真似ても悲惨なことになる。遊び心とアーティストな才能が無いと、素敵な感じには収まらないさ。


 網の下には階段があって、その階段をのぼると小さな二階席があるようだ。そのテーブルから反対側に延びる廊下には『宿屋』として使うための貸部屋につづくドアが四つほどあった。


 二階席からは、酔っ払いどもが酒を片手に乗り出して、芸術に熱狂しているな。


「いいぞー!!」


「はははは!!」


「美人だぜ!!」


 アイリスの用意する美味い酒と料理と、ピアノの旦那の情熱的な音楽―――それに、『彼女』がいれば、それは盛り上がるというものさ……。


 男どもで賑わう一階席。六つのテーブルの向こう側に、ピアノの鍵盤を無心で叩きまくっている痩せた巨人族の男がいた。ピアノの旦那。そのヒトさ。間違いなく元気だな、相変わらず痩せている。巨人族の浅黒い肌のせいで、スリムさが目立ちもするが……。


 あの大きなクモの脚のように長い指を素早く操るには、あのスリムさが適しているのかもしれない。


 少なくとも、太っちょなドワーフがピアノを弾くよりは、カッコいい気がする。太っちょで短躯なドワーフでも、名音楽家はいるだろうがね。


 ミアとキュレネイが、我々の最前列ににょきりと現れる。二人は、盛り上がる客の向こうに『彼女』を探す。カニクリーム・コロッケの名人を探しているわけじゃない。


 カニクリーム・コロッケの名人の方は、オレたちに気がつき、ニコニコしながら近づいて来ている。髪の毛の色が……黒くなっているな。変装しているのさ。新たな土地に入るから、姿を変えているわけだ……。


 オレは久しぶりのアイリス・パナージュお姉さんに、左手を挙げながら挨拶する。だが、客の盛り上がりの声と、ミアとキュレネイの歓声に顔は動かされてしまう。


「おおおおおおおおおおおおおおおおお!!」


「いいぞおおおおおおおおおおおおおお!!」


「あはははは!!カッコいい!!」


「イエス。さすが、レイチェル・ミルラであります」


 褐色の肌の踊り子が、反り返る月のように宙で輝いていた。フワフワしたゆるやかな衣装は、肌の露出もセクシーだったよ。見目麗しい美女。くびれた腰に、しなやかな肢体。美の女神が、彼女に対しては大甘で、色々なものを授けている。


 ヘソの形まで美しいが……。


 空中高くに跳ねなが舞う、その流麗な姿には……心を鷲づかみにされる。長い滞空時間に、捻られる美しいからだに、なびくセクシーな衣装。キラキラとしている装身具たちに、笑顔にあふれる未亡人の顔。


 男はこの数秒間が忙しい。宙にいる銀色の髪をした女神さまを、色々なところを見ないといけないから。


 『人魚』の彼女ならば、地上でもイルカになれるらしい。海上で遊ぶ、悪戯家なイルカの飛翔を真似た踊り子は、音を荒げることも地上に戻る。


 動きを止めて、うずくまり。拍手と喝采をねだっているのが、レイチェル・ミルラの『リング・マスター』であるオレには分かる―――こうやって、金稼いでいた時期があるもん。


「おおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」


「ぶらぼおおおおおおおおおおおおおおおお!!」


「レイチェル、かっこいいいいいいいいいい!!」


「いいカンジでありますな。ぱちぱちぱち」


 拍手と活性を浴びて、天才アーティストは満足げな貌を浮かべる。貪欲さをカンジさせる美貌だな。男はアレに圧倒されるよ。


 満たされた歓喜に輝く美女は、気分良さげにその身を躍らせる。ピアノの旦那は激しいリズムで曲を奏でて、彼女は……きっと、即興的にリズムを読み取り、ダンスを創る。


 彼女の血には芸術の才が流れて、彼女に魂には亡き夫への愛があふれている。誰にも気づかれることはないだろうが、今夜も彼女は死者と踊るのさ。


 真の『リング・マスター』であった、彼女の亡き夫に捧げるために……美しく妖艶に、恋する貌で、圧倒的な美を表現する。


 ……たまらんね。恋する美女の激しい踊りを見ていると。とんだ罪作りな男だよ。『人魚』の愛されたサーカス団の『団長/リング・マスター』さんよ。アンタは、もっと長生きしなくちゃならなかったね。


「レイチェルさああああああああああああん!!」


「好きだああああああああああああああああ!!」


「レイチェル、告られてる!!」


「魔性の女でありますな」


 ……知っているさ。でも、彼女は誰のモノにもならないよ。彼女の本気は、いつだって死んだ恋人のだけにだけあるんだからな……。


 激しく踊り、舞い、跳びはねて。


 しなやかであり、強くある。


 エネルギーにあふれた躍動と、その歓喜に満ちた瞳。


 ……美麗なる『人魚』は、今日も海辺に住む男たちの心を魅了してやまなかった。拍手喝采はつづく……彼女はオレに気づいているよ。猟兵だからな。オレたちが気づいた時には、もう気づいている。


 激しい踊りが一度終わり、汗ばみ上気する彼女は……『リング・マスター』に対して、投げキスを放ってくれる。スケベな男だから、色んな裏側を知っていても笑顔になってしまう。


 魔性の投げキス。彼女が創る空気には、大きな魔法がかかっている。『リング・マスター』として……彼女の死んだ夫の『代役』として、オレは拍手と喝采を求められているんだよ。


 拍手する。おひねりの銀貨は投げない。道ばたじゃないからね。彼女は、あのしなやか長身で、流麗なるお辞儀をする。そして、足下に置いてあったマウンテン・ダルシマーを持ち上げていた。


 ……彼女は当然のように音楽の神サマあたりからも溺愛されている。ピアノの旦那が、彼女のためにイスを持って来てくれていた。なんか、連携が取れているな……。


 彼女はそのイスに座り、長い脚を組み、マウンテン・ダルシマーの長い胴体を脚に乗せていた。お行儀が悪い?……セクシーだからいいのさ。


 あの彼女が汗ばむほどだから、とんでも長く踊っていたのだろう。彼女は疲れているわけじゃなく……サーカス芸人だから、経営のことも考えている。歓声を上げさせるだけが芸術家の仕事じゃない。


 酒場の踊り子は、酒場のために尽くすのだ。


 それがプロフェッショナルなアーティストってことだよ。彼女は満足している。酒場の客たちの口に、喝采の歌を強いる時間は終わり。今これからは……客の口は、アイリス・パナージュお姉さんの用意した、酒と料理の時間となる。そうさ、サーカス芸人は『団』のために尽くすものだ。


 彼女の踊りだけを見せて、魅了するだけじゃいけない。彼女の『団』は……『音楽酒場スタンチク』は、美味しい料理と酒を客に提供して、銀貨に変えなきゃならないからね。


 真なるサーカス芸人は、色気だけじゃつとまらない。我欲だけではなく、忠誠も要るんだよ。


 ダルシマーの技巧が始まるよ。


 やさしげな音楽が、酒場に満ちていく。


 ピアノの旦那の仕事を、ちょっと奪うことになるかもしれない。でも、そんな夜があってもいいだろう。


 ……彼女のアメジスト色の瞳が、オレたちを見ている。彼女の『団員』たちがやって来たのだから。


 歓迎するために、彼女は楽器でやさしげな空間を作る。酒を呑み、料理を楽しみ、美しい踊り子に捧げる情熱よりも、食事と酒と友人たちの語らいの時間に、酒場を戻すのさ。


 彼らは叫び、熱狂し、腹を空かせて、ノドが渇いているからね。


 いつも以上に、酒も料理の味が舌に染みる。


 マウンテン・ダルシマーを、彼女のうつくしい指たちが撫でるように鳴かせていく。まるで、故郷に戻ったような気持ちにさせる……旅人の心と、故郷を愛する心を持つ者には、たまらなく響く、やさしげな音。


「……『お帰りなさい』と、言われておるな」


 長いこと故郷に戻っていない、森のエルフの弓姫は、その音楽の本質を理解する。そうだよ、オレたちの『人魚』、レイチェル・ミルラは告げている。酒場の客たちに癒やしを与えながらも……オレたちのために、『お帰りなさい』と語りかけてくれている。


 まったくもって。


 相変わらず、カッコいい『人魚』さまだな―――。


「―――さて。妖艶な踊り子さんに比べると、ちょっとだけ格が下がるかもしれないけれど。サー・ストラウス、お久しぶり」


「ああ。元気そうで何よりだ、アイリス・パナージュ」


「さあ……どうせ、お腹を空かせているんでしょう?……カウンター席に来て。踊り子さんの近くに行きたいっていう男どもが多すぎて、あっちならガラガラだから」


「ねー。アイリス……」


「カニクリーム・コロッケなら、用意しているわよ、ミアちゃん」


「やったー!!」


 さてと。芸人さんの仕事を邪魔するのは、『リング・マスター』のすべき行いではない。オレたちは、彼女の『お帰りなさい』を聞きながら、敏腕スパイの作ってくれていた、カニクリーム・コロッケさんを楽しむとしようか。



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