第四話 『この復讐の雨に、名前を付けるのならば……。』 その9
笑顔を見せるアプリズ3世は、妻をその背に庇いながら、女エルフの前に歩いていく。
「……さあ。私を、殺すといい。そうでなければ、君の気はすまないだろう」
「そうよ。そのために、ここまで手の込んだことをした。アンタが疲れ果てるように、色々と手の込んだ工作をしたわ」
「それほど、兄上を愛しておられたんだろう」
「……ええ。尊敬していた。愛していた。兄さんは、色んな病気の治療薬を見つけて来たんだから……」
「そうだな。すまない。だが、君の苦しみも、私を殺せば少しは癒やされるだろう」
「……そうね。そうさせてもらう!!……兄さんの命と!兄さんの人生と!!兄さんの魔力を奪った!!……この呪われた剣で、死になさい!!」
復讐者は正当なる怒りのために、『呪刀・イナシャウワ』を手にしてアプリズ3世目掛けて走っていた。
アプリズ3世には避ける気など毛頭ない。このまま、裁きを受けることを選んでいた。彼は、彼女の復讐の正しさを認識している。
罪を償うために、彼は命を差し出そうとしていた。自分が復讐者の刃に倒されるべき悪人だと自覚している。
拒むことはない。
彼は自分の生存が、妻と妻がこれから産むであろう子供たちを常に危険に導くことを理解しているのだ。
魔術師たちに、彼の存在がバレてしまった。『産科医エルネスト・フィーガロ』の名は広まり過ぎていたのだ。これからも、他の多くの魔術師たちが、彼の正体に気がつくだろう。
多くの刺客が、彼を殺すために『ヒューバード』にやって来ることとなる。そうなれば?そうなれば、いつか家族にも危険が及ぶだろう。
愛する者たちが、自分の罪過のせいで死ぬかもしれない。
今夜みたいな夜は、もう、まっぴらだった。
……自分の死で、家族を守れるのならば、十分だった。それでいいのだ。それが最良の道だった……。
刃が振り下ろされるのを、彼はやさしげな瞳で見ていた。
鋼の斬撃を抱きしめるために、腕を広げた。
だが。
鋼は、彼を斬り裂くことはなかったのである。
「先生!!」
メリッサは、衝動的に動いていた。愛する者を守ろうとしていた。彼女の体は、ただただ発作的に動き、アプリズ3世を守ろうとした。
メリッサが、アプリズ3世を背中か突き飛ばす。力を緩めていた彼は、メリッサの突然の動きに抵抗することが出来ず、教会の床へと倒れ込み―――メリッサは、『呪刀・イナシャウワ』の斬撃を……その身重の体に浴びていた。
女エルフが、苦悶する。
「……バカな、女が……ッ」
アプリズ3世は、崩れ落ちて倒れた、妻に、なりふり構わず駆け寄った。
「メリッサ!!メリッサ!!メリッサ!!めりっさああああああああああああああああああああああああッッッ!!!」
悲痛な声で愛する者の名を叫ぶ。仰向けに崩れ落ちたメリッサは、首から胸……そして、子供のいる腹さえも斬撃を浴びていた。大きく裂けた、彼女の体の傷は、誰が見ても致命傷に見えたし、事実そうであった。
……彼女は、助からない。やはり、神などこの世にはいなかった。そんなことなど知ってはいたが、それでも、この結末は残酷すぎるな……。
出血が激しい。
アプリズ3世の指が、その傷を押さえている。必死に止血をはかろうとするが、どうにもこうにも傷が大きすぎるし、深すぎもするのだ。どうにもならない深手だ。アプリズ3世は、泣きながら、愛する者の名を呼ぶ。死に行く者の名を呼んだ。
「めりっさ、めりっさ、めりっさああああ……ッ」
「……せんせい…………ごめん…………あ、赤ちゃん…………赤ちゃんを―――――――――」
その言葉を最期に、メリッサの人生は終わっていた。アプリズ3世は、慟哭しなかった。メリッサの意思を、彼女の夫であるこの男は理解することが出来た。
彼にしか、出来ないことがある。
彼ならば、出来るかもしれないことがある。
絶望的な状況だ。
それでも。
あきらめてはならないことがあった。可能性があるのであれば、それにしがみつかなければならない。方法を知り、手段を持ち、そうしなければならないという決意があるのであれば。
絶望に歪む貌のなかで、アプリズ3世の瞳は強い意志の輝きを持っていた。
彼には、やらねばならぬことが出来ていた。
彼は立ち上がる。
その動きに、女エルフが反応していた。アプリズ3世が、反撃に出ると考えていたようだ。ああ、そうだ。さすがは女でエルフ。よく分かっているな。
彼は攻撃するために立ち上がった。怒りのために?……いいや、そうじゃない。そうじゃないが、殺意は十分だった。
憎しみでもなく。
怒りでもなく。
自分のためなどもちろんないが……。
今しばらくは生きて、この魔術師どもを追い払わなければならない。守らねばならない、メリッサの祈りを。メリッサの願いを。メリッサの遺言を。
それだけが、あの哀れなメリッサのために、この男が出来る、残された唯一のことだった……。
女エルフは刺突を選ぶ。斬撃よりも、技巧を使う。戦場向きではない攻撃だが、一対一での殺傷性能は斬撃よりも上だった。それに、先ほどは大振りの斬撃を放ち、彼女の望まぬことが起きたばかりだからな。
彼女もまた、妊婦を斬り殺す気なんて、一欠片も無かったのだろう。
「死ねえええええええええええええええええええッッッ!!!」
避けられるような動きではない。鍛え上げられた体と技巧を宿した動き。だからこそ、アプリズ3世は避けなかった。『呪刀・イナシャウワ』が、彼の腹を貫いていた。
殺気を放ちながらも、戦う気を見せながらも、致命傷を避けなかった。その事実に、女エルフは警戒心を強めていた。どうして?その疑問を、深めることは出来なかった。
アプリズ3世の指が、彼女の細い首に絡みつき、強力な『雷』を注ぎ込んでいた。一瞬だった。人間族においては、間違いなく最強の魔術師の一人である、アプリズ3世の魔力があれば、エルフの女の首を焼き壊すことなど一瞬で足りた。
復讐者が、その命を落とす。
「く、くそ!!」
「こ、殺せえええええええええええ!!」
「『魔術師殺し』を、殺すんだあああああああああ!!」
エルフの魔術師たちが攻撃を企てる。それぞれが呪文を唱えて、魔力を練り上げるが、アプリズ3世と『呪刀・イナシャウワ』を相手に、それは無謀な選択だった。
『呪刀・イナシャウワ』を使いこなす、彼にとって―――自分の身に降り注ぐ強力な魔力の奔流は、脅威ではない。エルフたちは殺傷能力の高い『炎』と『雷』を放ち、彼の体を攻撃した。
骨が砕け、肉が爆ぜるほどの威力をアプリズ3世は受け止めるが、体を焼き払おうと暴れる魔力の流れを、『呪刀・イナシャウワ』が呑み込んでいく。この刀は、魔力を喰らうことを好む呪刀だ。
使いこなせば、攻撃魔術を構成する魔力だって喰らう。攻撃魔術を防ぐための、盾としても使えるのだ。もちろん、この強大な呪術の装置である、『イナシャウワ』を完全に使いこなす者でなければ、不可能な防御手段ではあるが。
アプリズ3世は、エルフの魔術師たちが同時に放って来た攻撃魔術に耐えてみせた。死ぬほどの苦しみであろうが―――彼は耐えた。そして、そのまま反撃へと移る。
己の体を壊しながらも、奪い集めたエルフの魔力だ。それを、『雷』に変えて、エルフの魔術師たちを目掛けて、解き放っていた!!
暗む教会の本堂を、雷光の輝きがまっ白に埋め尽くしていた。
強大な『雷』が牙を剥いて、彼を取り囲むエルフの魔術師どもを、斬り裂いていく!!その一撃で、4人の魔術師が身を裂かれていた。自分たちの魔力をも上乗せされたカウンター攻撃だ。魔力に優れたエルフ族だとしても、その攻撃を耐えることは難しい。
生き残った魔術師たちも、体に大きな裂傷と火傷を負っている。致命傷ではないが、重傷だ。とても戦闘を継続する勇気は湧かない。彼らは戦士ではないからな、力量のある魔術師ではあるが、研究が主な仕事で戦いは本職ではない。
それに、攻撃魔術は魔力と体力の消費が大きすぎる。よほどの天才で、その上に十分に特殊な鍛錬を積んだ者でもない限り、短時間で連発することなど出来ない。戦場で、ほとんど魔術が使われない理由は、あまりにも疲弊が大きすぎるからだよ。
アプリズ3世の反撃を生き残った彼らに、これ以上、戦闘を続けられるほどの余力はなかったということさ。
……彼らは、怯えていたよ。自分たちと異なり、魔術師としての戦いに慣れた『魔術師狩り』には、まだ余力があるように見えたから。アプリズ3世は、重傷を負った体でありながらも、魔術師たちを睨みつけ、呪文を唱える素振りを見せている……。
……オレには、ハッタリだと分かるが、場慣れしていない魔術師たちは自分の命を守ろうと必死で、観察能力を失っていた。魔術師との戦いに、魔術だけで挑む必要はない。魔術は相克の法則で相殺されることもあるが、鋼を叩き込めばヒトは殺せるのだから。
「て、撤退だ!!」
「こ、殺される……っ!!」
「に、逃げろおおおッ!!」
魔術師たちは、大慌てで、この戦場から逃げ去っていく。彼らを睨むアプリズ3世の眼光も、持ち上げられていた腕も、全てハッタリだった。だが、『魔術師殺し』は、魔術師との戦い方を理解していたようだ。相手の心理も、相手の未熟さも、把握していた。
「……どうにか、助かったよ……」
そうは言うが、彼もまた致命傷だ。『呪刀・イナシャウワ』の突きを腹で受け止めたし、『イナシャウワ』に相殺させたとはいえ、エルフ族の攻撃魔術をその身に受けているのだから。
血を吐きながらも、足下に倒れたエルフの娘に、悲しげな瞳を向ける。
「……本当に、すまないな。君を、殺したくは、なかった…………私も、もうすぐ死ぬから……それで、勘弁してくれよ…………私は、もうちょっと、生きている必要があるんだ。そうだろ、メリッサ……私の、アプリズたちの、『最後の仕事』を果たさなくっちゃ……」
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