第三話 『ヒューバードの戦い』 その8


 揚げたてのドーナツを買ったよ。朝陽を左の顔に浴びつつ、オレは足早に急いだ。傭兵や衛兵を気にしてのことじゃなく、ただただ、この揚げたてのドーナツを皆に食べさせてやりたくなっていたからな……。


 行き交う人混みをすり抜けて、祈りのために『エルイシャルト寺院』に向かう人々の悲壮な表情を流すように見ながら、オレは教会の地下へと戻り……埋葬された先祖に酒を捧げる老人たちの祈る小さく丸まった背中を見た。


 エールの樽が並ぶ酒蔵へと密かに侵入して、あの岩戸をコツコツと叩いた。岩戸はすぐに開いたよ。そして、ロロカ・シャーネルのやさしげな微笑みに出逢うのさ。


「おかえりなさい、ソルジェさん」


 その言葉が、オレの心に響いていたよ。やさしさと愛を帯びた言葉が、とても嬉しくてね……。


「ただいま」


 短くて、それでも気持ちの込めた挨拶をする。こういうときには、野蛮人なりにも色気が出ているのかな。ロロカ先生が、何だか赤くなっていたよ。


 オレは隠し岩戸の中へと戻った。


「お兄ちゃん、おかえりー!!」


 我が妹、ミア・マルー・ストラウスの声が聞こえたよ。


「うむ。おつかれ、ソルジェよ」


 リエルの声もな。


「ククク!さすがに、行動が早いな!もう爆弾を仕掛けて来たか!」


 帝国軍の幹部がいる施設の足下に、魔術で強化されたギンドウ・アーヴィングの火薬がタップリと配置された。明日の夜には、ドカン!ってことさ。


 そう考えて表情をほころばすオレに対して、オットーはうなずいてくれた。


「ええ。あちらの配置は、終わりましたよ。後は、ギンドウくん待ちです」


「オレが遅いわけじゃねえっすよ。皆が、早いだけっすわ……そもそも、職人の仕事ってのは、じっくりと時間がかかるもんなんすよ?」


 いつもみたいにギンドウが文句を言っている。何だか、オレたち『パンジャール猟兵団』らしい『日常』に触れることが出来て、とても嬉しい。


「まあ、時間には余裕はあるんだ。焦るほどには急ぐ必要もない……とりあえず、差し入れにドーナツを買ってきた。冷めちまうとマズいから、温かい内に皆で食おう」


「賛成っすわ!……ちょーっと休まないと、効率が悪い!!火薬を練るのは、集中力をドカ食いしちまう行為なんすよ!!休まないと、ドジって全部台無しになりそうっすもーん!!」


 そうなってしまうと大変だから、ちょっと休憩するとしよう。朝メシは、ホットケーキだけで軽いモノだったから、スケルトンを仕留めたり、壁によじ登って爆薬を仕掛けたりしてる内に、消化しちまったんじゃないかね。


「とにかく、休憩しよう」


「賛成!!ドーナツ、いいにおいがするー!!」


 我が妹ミア・マルー・ストラウスがそう言いながら、オレに飛びついて来た。首でミアの小さな体が持っている、体重を感じ取る。なんだか、この軽い体重が、とても尊く今のオレには感じられた。


 さみしい気持ちになっているからね。


 とにかく。


 ドーナツ・タイムと行こうじゃないか。


 隠し岩戸をきちんと閉じて、オレたちは円陣を組む。タイミングが良いことに、リエルがコーヒーを入れてくれていたらしい。


「そ、ソルジェに隠れてティータイムをしたかったわけじゃなく……我々も、一仕事を終えて緊張を取りたかっただけだからな……っ?」


「ああ、分かってるよ。タイミングが良くて、うれしいってだけさ。オレのリエル」


「う、うむ。夫婦ともなれば、あえて計画しなくとも、行動が一致したりするものなのだからな!」


 愛の力は偉大だってことさ。とにかく、好都合。美味しいドーナツに、コーヒーもある。ミアとリエルはミルク多目のカフェオーレだな。大人猟兵たちは、ブラックで行くらしい。ロロカ先生も、ちょっと眠たいんだろうな……。


「やったああ!!チョコが、たっぷりなモードだー!!」


 ミアがチョコレートがたっぷりとかかったドーナツを天に掲げながら、瞳をキラキラとさせている。


 ああ、きっと……オレはこれを見たかったんだと思う。なんだか、ミアがたまらなく愛おしい気持ちになってしまう。いつも、たまらなく愛おしいけど、今は通常よりも、ずっと愛おしいな!


 ……さてと。オレもドーナツさんを楽しもうとしよう。さっきも食べたが、美味かったよ。それに今回はチョコレートもたっぷりだし……『家族』と一緒に食べるんだ。何倍も美味いに決まっているな。


 まだ温かい。足早に戻った甲斐があるというものだ。オレは、ミアとタイミングを合わせて、そいつを一口食べる!


 油で揚げられた小麦粉の、やわらかな甘さを帯びた風味が愉快な気持ちをくれた。ちょっと堅めに仕上げられたドーナツ生地が、歯に心地よい食感となる。内に秘められた熱が、表面にかけられたチョコレートをとろけさせながら、その甘味を舌に絡ませる。


「もぐもぐ……ボリューム、風味、食感、甘さ……っ。全てが、いい感じに、仕上がってるッ!!……これは、出来るドーナツさんだ……っ、もぐもぐするのが、とっても、幸せだー!!」


 そう言いながら、ミアはあの小さな口でドーナツさんに再び噛みついていく。ああ、チョコレートが、口の端についちゃう……けど。それもまた、ワンパクでいい!!子供は元気な方がいいってものさ!!


 オレも、童心に帰ろう。


 ドーナツさんってのは、ガキのハートで楽しむ食べ物さ!それに、ホント、焼き立ては美味いからなあ……っ。


 もぐもぐしながら、皆の顔を見る。ああ、猟兵たちの緊張感が解けているな。いいことだ。休息ってのもね、全力で行うべきだよ。力ってのは、使いドコロが肝心なのさ。抜く時は徹底的に縫いて、休む。そうじゃないと、いざという時に全力を出せないからね。


「……うむ。美味しいな、このドーナツ」


「ええ。最近は、お茶のときは、クッキーが多かったですから。あのクッキーも美味しいですけれど、こういう温かいモノもいいですよね」


「チョコレートが美味いっすわ。繊細な作業していると、甘味が欲しくなるんすよねえ、頭が。オットーさんも、好きっしょ?揚げたてだから」


「ええ。温かいですからね」


 ……うむ。相変わらず、オットーの舌にとって、温かいかどうかってのは大きなテーマらしいなあ……まあ、冷たい料理よりは、温かい料理の方が美味しい気もする。冷たくて美味い料理ってのもあるけどさ。


「それに、高い栄養価を持っていますから。ダンジョン探索や、壁をよじ登るような強度のある作業をした後には、丁度よいオヤツですよ」


「へへへ。探険家サンらしい価値観っすねー」


「皆、コーヒーもあるから、飲んでくれ。ミアは、カフェオーレだぞ」


「やったー!チョコと、カフェオーレも合う!甘いし、コクが合う!!」


 チョコレートとコーヒーって合うもんな。ビターな苦味と、コク。そして甘味も合う。


「今日は、ホットケーキにドーナツで、何だかスイーツ・ラッシュでミアは幸せ!!お兄ちゃん、ありがとー」


「ああ。オレも、ミアの笑顔が見れて、本当に楽しい」


「じゃあ、甘えてあげるー!お兄ちゃんの膝の上に座って、カフェオーレ飲むね!」


 シスコンのオレのハートを鷲づかみにするような提案だったな、オレに異存などなく、ミアはカフェオーレがたっぷりと入った自前のマグカップを持つと、足を組んでスタンバイした脚に座ってくれる。


 ミアから放たれる妹成分を、吸収することが可能な体勢だ。妹成分とは、何か?オレにも具体的にも分からないが、きっと実在している何かよく分からないパワーだ。オレの心をどこまでも癒やしてくれる何かなのさ……っ。


「あちち……でも、それが、美味しい……っ」


 グルメな猫舌を、火傷させないように注意しつつ、ミア・マルー・ストラウスはカフェオーレを飲んでいく。それを見守るのだって、何だか嬉しい……。


「ソルジェよ。何かあったのか?」


「そうですよね、ソルジェさん、いつもよりミアにデレデレですね?」


 ヨメさんたちには、オレの心理なんてバレバレだったようだな。まあ、ミアもオレが何だかさみしそうだからこそ、こんなに甘えてくれているんだろう。空気を読める、賢いケットシーさんだからな……。


「……ああ。これから戦火に焼かれる『ヒューバード』の街並みを見てしまったから、少し心が暗くなっていたのさ」


「ふむ。そうだな……野原での会戦ではなく、街の中への籠城戦ともなれば、市民への被害も出やすいだろう」


「市民や街に、被害が少なければ良いのですが……」


「……ああ。だが、手加減はしないさ。もちろん、最優先するのは、『自由同盟』側の勝利。我々にとっての切り札である、ハイランド王国軍……彼らの戦力を維持しつつ、多くの戦に勝ってもらわなければならない」


 そこは譲ることの出来ない部分だ。


 オレたちは勝利しなければならない。そのために、多くの工作を、帝国に仕掛けて来たのだからな。今だって、こんな穴蔵のなかでコソコソしているのは、全てファリス帝国を打倒し、皇帝ユアンダートを殺し……オレたちの求める『未来』を勝ち取るためだ。


 容赦することはしないよ。


 持てる全て全ての力を使い、敵を討つ……それが、『パンジャール猟兵団』の方針であることには違いない。


 このドーナツ・タイムが終わったら、ギンドウの火薬の完成を待ち……『柱』の方にも仕掛けてしまおうじゃないか。


 ……この戦も勝つ。しかも、ハイランド王国軍に最小のダメージしか負わせずに。そうすることこそが、帝国打倒と、ユアンダートの首を取ることにつながる、唯一の道なのだから。



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