第六話 『ヴァルガロフの魔窟と裏切りの猟兵』 その17
戦場は混乱に沈んでいく。強い雨、夜空から訪れた、異形の肉塊ども襲撃、そして……竜の劫火による爆撃まで重ねられた。
「ろ、ロザングリード卿を、お守りしろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ!!!」
「閣下は、閣下は、無事なのかあああああああああああああああああああああああああああああッッッ!!!」
「集まれ!!集まるんだ!!バケモノの、盾になるぞおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ!!!」
兵士が動き、『空飛ぶ異形の肉塊/シェルティナ・ゾンビ』も興奮したように暴れていた。何十人かが、あっという間にヤツらの邪悪で赤黒い肉のムチに打ち殺されて、兵士の死体が量産される。
しかし、主君を守ろうという強い意志は、鋼を振り回す腕に血潮をたぎらせていた。槍を投げつけ、浮遊するバケモノを落としていく。2匹目、3匹目、4匹目が撃墜される。地上に落ちても、『空飛ぶ異形の肉塊/シェルティナ・ゾンビ』は暴れた。
黄色い酸性の液を噴射していた。見るからに臭そうだったが、臭い以上にそれを浴びれば鉄の鎧と、ヒトの肌までもが、熱されたフライパンに水を垂らした時のような歌を放つ。
「ぎゃああああああああああああああああああッッッ!!!」
「あ、あついい、目が、目がああああああああッッッ!!?」
「クソ、何なんだ、コイツらはあああああああッッッ!!?」
悲鳴と怒号が渦を巻き、混沌は戦場から規律を奪う。兵士たちは、何をすべきかを見失っていく。
北東を守備していた重武装の強兵たちは、陣地の危機にも反応が出来なかった。北東から『シェルティナ』の突撃が行われる可能性があるからだ。持ち場を守る必要がある。
指揮官の命令が必要だ。
この混沌を払拭し、規律を取り戻すためには。
しかし、そのロザングリードも負傷したのだろうし、彼のテントに詰めていただろう、辺境伯軍の幹部たちの何人かは、ゼファーの爆撃で焼け死んでいたろうさ。
誰も強烈な指揮を振るうことは、出来なかった。金色の鎧を身につけた、ロザングリードも、兵士たちに囲まれて、荒い息をしているな……それでも、ヤツは立ち上がろうとしている。部下に支えられて、金色の鎧の指揮官は、立ち上がっていた。
顔を見てやろうとしたが……真っ赤だったな。火傷と、頭部からの出血がある。顔面の全てが赤い。ダメージは大きく、立ち上がったところで、言葉を叫ぶことは出来ないのだろう。
それでも、儀式用の過剰な装飾が施された長剣を掲げて、兵士に合図を送る。攻めよ。その合図なのだろう。兵士やヤツの周囲にいた騎士が、剣を掲げている。全体は落ち着いてはいないが……ヤツの周囲は、動き出す。
手練れの護衛だけが金色の鎧を身につけたロザングリードの周りに集まり、他の兵士たちは『空飛ぶ異形の肉塊/シェルティナ・ゾンビ』への攻撃に参加していく。チャンスだった。
そのチャンスをキュレネイ・ザトーは逃しはしない。
騎兵が混乱する陣地に侵入する。まるで勇ましい騎士が、仲間の窮地に現れたかのように偽装して。兵士たちは、騎士の登場に恐怖も警戒もしない。勇敢な仲間だと考えていたのだろうから。
「キュレネイです!!」
「分かっている!!ゼファー、彼女を後ろから追いかけるぞ!!」
『らじゃー!!』
オレは縄を用意しているよ。ガルーナの野蛮人は、投げ縄みたいなモンも得意だからね。竜の背から、コイツを投げて、彼女を釣り上げようと考えている。ミアはルクレツィア・クライスの作ってくれた『毒弾』の準備を完了させている。
麻痺させて、投げ縄でかっさらうのさ。
「お兄ちゃん、タイミングは!?」
「キュレネイの特攻が、成功した直後……あるいは、未遂に終わった直後だ!!」
「わかった!!」
騎兵は走る。敵だらけの場所を、ただ一人勇ましく。でも、ひとりぼっちではないぞ、キュレネイ。お前が何を考えていようとも、お前が自分を信じられなかったとしても、オレたちはお前を信じている。
取り戻すぞ。
お前のことを、オレの手に、取り戻すぞ、キュレネイ・ザトー!!
キュレネイが辺境伯に近づく―――近づき過ぎたか。兵士たちが怪しむ。その止まることない突撃の先に、主君がいると気がついた。兵士が集まる。
「そいつは、敵だ!!」
「辺境伯を、お守りしろおおおおおッッ!!」
馬上にいるキュレネイが、『戦鎌』を振った。馬上でありながらも、美しさまで帯びる軌跡を描き、死神の鎌による斬撃は、数名の兵士を血祭りに上げた。刈られた首が、雨に濡れた夜空に浮かぶ……。
しかし、精強な軍団の兵士というものは、危機的な状況に底力を見せるものだ。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ!!!」
勇猛な兵士が、槍を構えたまま突撃した。キュレネイの乗る、馬に対しての突きだ。馬の首もとを槍が穿ち、重傷を負った軍馬は脚を動かすことを拒否していた。
しかし、猟兵の突撃はそれで終わるはずがない。
キュレネイ・ザトーは身軽さを発揮する。馬の背を蹴り、彼女は宙を舞う。馬が作っていた突撃のスピードを全く失うことはない。いや、むしろ、それに己の跳躍を加えて、より速さを上げているほどだ。
迷いがない。
命の危険を顧みることも、躊躇うことも、振り返ることも。武術の達人でさえも消すことの出来ない、思考のよどみ。それらを全て排除するキュレネイ・ザトーにのみ出来る、心理的な先制攻撃―――『無拍子の攻撃』。
それが、再び体現される。肉体が産み出す神速を、純粋無垢なまでの攻撃性しかない精神は、研ぎ澄まし、無類の鋭さを帯びさせていた。
敵はなまじっか有能なだけに、構えや呼吸から動きを読もうとする……それは間違いになる。キュレネイは、読めないのだ。達人ほど、彼女に先制攻撃を許してしまう。彼女に備えることそのものが、自殺行為なのである。
「喰らえ――――」
「止めるぞ――――」
「よし、隙有り――――」
手練れの騎士たちが、宙から降り立ったキュレネイに迫っていた。キュレネイの動きから、彼女を予測しようとしてしまい、一瞬よりも短い刹那の時間。それを彼女に与えてしまった。
その機会を、逃すはずがない。
キュレネイ・ザトーは『戦鎌』を振り終わっていた。刹那の時間に、彼女は踊り。鎌の刃は敵を斬り裂いていた。バラバラになる護衛を見ながら、辺境伯ロザングリードは、怯むことはなかった。
血まみれの顔のまま、剣を構え、負傷し、動きの悪い体でも構うことなくキュレネイ・ザトーに挑んでいたよ。
「来るがいい!!邪教徒め!!」
逃げることを考えなかった。逃げれば、追いつかれ、背後から確実に殺されることを、武術の達人の一人でもあるヤツは理解していた。
万に一つもない勝率だとしても、ゼロに賭けるよりはマシだった。何よりも騎士として、その判断は正しいと言える。逃げる背中を斬られて死ぬなど、騎士の位を持つ男のすべき行為ではないのだ。
キュレネイは、いつものようにオレの読みよりも、わずかに速いタイミングで攻撃を放っていた。感情を帯びない、無垢なる動作で―――殺人は実行される。『戦鎌』の刃が、辺境伯ロザングリードの胸部を貫いていた。
あの位置だ。確実に心臓を貫いていたはずだが、キュレネイは首を傾げる―――。
「―――お兄ちゃん、ミッション・スタートッッ!!」
ミアが『毒弾』をキュレネイに向けて放つ。しかし、キュレネイは、その身を器用に躍らせて、ミアの放った『毒弾』を『戦鎌』の刃で受け止めていた。
「うう、さすがはキュレネイっっ!!」
この角度から、ミアの狙撃でも当たらないか。想定していなかったわけじゃない。あり得ることだが……厄介なことだ。キュレネイは、走る。オレたちから逃げるためでもあり、辺境伯の兵士から逃れるためでもある。
「あ、あんまり、今のタイミングで、攻撃しちゃうと、回収どころか、敵に捕まってしまいますッッ!!」
「もっともだ……ッ」
キュレネイは素早い。素早いが、敵の陣地の中央だ。『空飛ぶ異形の肉塊/シェルティナ・ゾンビ』もかなり駆逐されてしまったらしい。
今は、侵入者であるキュレネイに対して、敵が集中してしまっている。オレとシアンは、ほとんど同時に『こけおどし爆弾』を、そこら中に投げ捨てていた。
ギンドウとシャーロンという、悪友どもが作ってくれた、その『新作』は、いつにも増して光と音が強いものである。
シュババババババアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアンンンンンッッッ!!!
闇が深い分、その光は返って強まっていたようだ。兵士たちは、その爆音と閃光に意識を奪われていた。戦場に、瞬間的な意識の空白が生まれる。キュレネイがその隙に、どんどん加速して、離脱をはかる。
辺境伯の陣地を、彼女は突破する。柵の前にいた巨漢の兵士の頭を踏み台にして、連続させた大がつくほどの跳躍は、彼女に柵をも跳び越える高さを与えていた。
空中いる今をチャンスだと考えたミアは、『毒弾』を放つが……再び『戦鎌』の刃に弾かれていた。
「むーっ!!ダメだ、多分、絶対に当たらない……っ」
「……長!弓兵が、キュレネイ・ザトーを狙うぞ!!」
「ああ。彼女の背中を守るぞ!!ゼファー!!歌えええええええええええええええええええええええッッッ!!!」
『GAAHHHOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOHHHHHHHHHHHHHHHHッッッ!!!』
竜の劫火が金色の灼熱を放射する!!キュレネイの背中を狙っていた、辺境伯軍の弓兵を、あの木の柵ごと焼き払っていく!!
「ぎゃあああああああああああああああッッッ!!?」
「りゅ、竜だああああああああああああッッッ!!?」
炎に呑まれていきながらも、兵士たちは反応する。ヤツらがゼファーを見ている。弓を構え、矢を放ってくる!!
知っていたさ。
だからこそ、このタイミングを守るんだよ!!竜騎士は、竜を護るためにいるッ!!
「―――『踊り好きの風の精霊どもよ、両の手の指に刃を絡めて、無尽の舞いで宙を刻め……『ダンシング・シルフ』ッッ!!」
『風』の魔術を解き放つ!!翡翠を帯びた、『風』の刃が、縦横無尽に雨粒ごと放たれた矢の雨を裂いていく!!
切断された矢は勢いを失い、夜と雨に紛れて飛ぶ竜には命中することはない。
「魔術師まで、いるのかあああああああッッ!!」
「もう一度、一斉射撃で、ヤツらを――――」
シャバアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアンンンンッッッ!!!
……シアンが『こけおどし爆弾』を投げてくれていた。夜の闇を、再び白い閃光と爆音が塗りつぶしていく。オレは鉄靴の内側で、ゼファーの鋼よりも固いウロコを叩き、翼で空を叩かせていた。
逃げるのだ。あえて、ゆっくりとな。敵兵にこちらの背を見せる。羽ばたきの音に惹かれて、こちらを狙うさ。狙うが……闇と、更に強まる雨に紛れて、黒竜の姿は空に融けてしまう。
「撃てえええええええええええええええええッッッ!!!」
「射落とすんだあああああああああああああッッッ!!!」
オレたちを狙う矢は当たらない。ヤケクソの方向に放たれる……射抜くのは闇と雨粒ばかりだったさ。
それでいい。攻撃を、こちらに誘導出来たら、それでいいのだ。キュレネイ・ザトーが、北東の森に飛び込むまで、辺境伯軍の攻撃をこちらに引き寄せられたら、問題はなかった。
……それから30秒後。安全な高度を飛ぶ竜の背の上で、オレは……キュレネイの消えた地上を見下ろしている。
「キュレネイ……お前、アスラン・ザルネまで、殺しに行ったか」
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