序章 『雨の降る町で……。』 その12


「へっへへー!!……魔力の消失確認!!……仕留めた!!」


 そう言いながらも、大蟹の甲羅の上にいるククリは、もう一度だけ『馬喰いの大蟹/ホース・イーター』の甲羅を長剣で貫いていた。貫いて、そして、『雷』を刃から解き放つ。


 蟹の中身を電流で焼き払っているのだ。


「……ククリ、お前も『雷』の攻撃術を使えるようになったんだな」


「うん!!ククルが『悪堕ち』してたとき、『魔女の尖兵/アルテマ・コルン』になったときにね……使い方を、マスターしたの。私たち、そういうコトが出来るんだ」


「どちらかが覚えた技巧を、共有できるのか?」


「んー。アルテマの『叡智』から、『雷』の使い方を奪い取っただけ、かな」


「……難しそうだな」


 オレは、あまり深くそれについて考えないようにする。魔眼に力を入れて……周辺を捜索する。敵影は、無い。この蟹は……孤独だったのか?


 そちらの方が好都合ではある。つがいがいた方が、危険ではあるからな。


 だが、心配性なのかね?


 それとも苦労性なのか。


 想像していたよりも、戦場がイージーというのは……それはそれで居心地が悪いものだ。コイツのつがいは……いないのか?……コイツだけ、馬を食いにやって来たのか?分からないな。


 いや……モンスターの心配よりも、今は―――。


「―――ソルジェ兄さーん!!ククリ!!無事ですか!!」


 もう一人の妹分の声が響いた。置き去りにしてきてチームの片割れが合流したのさ。


「もちろん!!楽勝!!息も上がっていないし!!」


「たかが蟹相手、ケガはしていないさ」


「そうですか……良かったです。もう、二入して、先に行っちゃうなんて……っ」


 ククリは置いていかれたことが不満らしい。ほほを膨らませているな。あとで謝っておいた方がいいか……。


「さすがだなあ、兄ちゃん。いい腕してる。初見で、こんな不気味な生物の動きを、ほとんど読み取るとはな」


 ガントリーも追いついた、我々のクライアントである、ジャック・シモンズも彼のとなりにいたよ。シモンズは沼地を走り疲れてのか、膝に手を当てて息をしている。


「……アンタにも出来るだろ?」


「まあなあ。ベテランだから。オレは、蟹さんを殺したことは、何度かある……兄ちゃんと同じく、急所を読むことはしなかった。とにかく、ぶっ壊す。それが最善のときもあるわな」


「……し、仕留めてくれたんだな!?」


「ああ。アンタも、オレたちが戦っている光景は、見ていただろう?」


 この死骸が、『抜け殻』だとかの言いがかりはつけさせるつもりはない。オレたちは、仕事を達成した。彼の馬を喰らったモンスターを殺した。コイツが、呪術の源だ。


 この沼地から呪われた水を流したのか……あるいは、直接、西にある川に向かって、その水を呪ったのかは分からない。だが、『呪い追い/トラッカー』の赤い『糸』は、この『ホース・イーター』につながっていた……それだけは確かだ。


「コイツが、アンタの馬を食い殺した個体だ。だよな、ガントリー?」


「ああ、間違いねえよ。オレの目玉でも保証してやる。コイツだぞ、シモンズちゃんよ」


「……そうか」


 息を切らしていた中年男が、膝を手のひらで押して立ち上がった。せっかく育て上げた今年最高の馬。その愛しい家畜を食い散らかされた恨みは強いようだな。


 荒い息のまま、すぐに『馬喰いの大蟹/ホース・イーター』へと近づいていく。


 憎しみと怒りを込めた貌で、その死骸を睨みつけながら、馬飼い農夫はブーツの底を使い、大蟹の死体を蹴りつけていた。何度もね。


「コイツめ!!コイツめ!!よくも、私の、馬を!!く、食い殺しやがてえええ!!」


 シモンズは泣きながら、口惜しさと怒りを込めて死骸を蹴りつづけている。彼の気が済むまでさせてやるべきか……。


 よほど腹が立っているのだろうからな。


 ……もう一度、魔眼を使う。周囲には、敵影はなし。大きく、そして活発な魔力の持ち主は、この周辺にはいないようだ。


 ―――その事実が、オレを不安にもさせる。あの岩場……あそこに、『狭間』の浮浪児たちはいるというのか……?魔力を感じないのは、疲れているからか?……それとも……。


「……ガントリー、クライアントのお守りを頼む」


「ん。ああ……行って来い」


「ありがとう」


「嬢ちゃんたちも、ついていってやれ。兄ちゃんみたいな人相の蛮族が来ても、怖がって隠れちまうかもしれんぞ、沼地のガキどもが」


「そうですね。ソルジェ兄さんが怖いとかではなく、女の子がいたほうが……子供たちも安心してくれるかも?」


 ……オレは、そんなに怖い顔をしているのかね?……まあ、巨大な剣を背負った、眼帯をした蛮族―――町の子供たちが、寄ってくるような気さくで愉快なお兄さんではないかもしれん。


 とにかく……行こう。


 雨の中、オレはその岩がつまれたような丘とも、沼地に浮かぶ島ともいいがたい場所へと向かう。沼の泥が脚に絡みついて来るようだ。


 一歩一歩が、重たく感じられる。


 雨だし、沼地だし……それに、悪い予感がしちまっているし。


 オレは間に合ったのだろうか?


 あの『狭間』の浮浪児たちが隠れ住んでいるだろうと、地元民のジャック・シモンズが予想している場所へと向かう。


 沼地を蹴るような足取りで、オレと双子の妹分たちはその岩だらけの場所にたどり着いていた。岩が積み重なって、洞窟が出来ている。子供の頃のオレならば、確実に、ここを秘密基地にしてしまうだろう……。


 そういった魅力と、闇にあふれた洞窟があった。『馬喰いの大蟹/ホース・イーター』でも、そこに侵入することは難しくはなさそうなほどに、広い入り口だ。


 大昔は……あの蟹よりも巨大なモンスターの巣穴だったのかもしれない。バシュー山脈から、何か大型のモンスターが降りて来ていたのか?……その可能性はあるだろうな。


 魔眼は……金色に光っているから、怖がられるだろうか。眼帯をちゃんとしておくか?でも、眼帯も怖いと言われることもある……。


 オレは……その入り口で止まる。


 見たくないものが、転がっていそうな予感がするからな。怖いんだよ。オレは、子供の死体なんて見たくない。あの大蟹のハサミで刻まれていたり、強酸で融かされていたり、あるいは……飢えて死んでいたりする子も、見たくはない。


 乱世だからな。


 珍しくもないさ。


 戦災孤児など、そこら中にあふれているし……その子供たちが不幸な目に遭わされていることだって、知っているよ。


 ……まして、『狭間』の孤児か。捨て子かもしれんが……そんな子供たちに、幸福が訪れるわけがない。


 世界ってのは残酷なんだ。


 悪意で出来ていやがる……。


「ソルジェ兄さん……」


「……入らないの?」


 立ち止まっているオレの背中に、双子の妹分たちの手が置かれる。強い雨に打たれて、沼地を駆け回った。我々はずぶ濡れで、少しだけ寒いんだがね……双子たちの手のひらは、温かい。


 勇気を貰える気がしたな。やはり、オレはシスコンなんだろう。


 眼帯を取るよ。


 魔法の目玉の力を全開にする……世界がどれだけ残酷だろうとも、オレは見つけてやるべきだろう。この目玉なら……たとえ、焼け落ちた竜教会の下にある、小さな骨の欠片が……愛しい妹の遺骨だってことすら分かるんだから。


 死を見るつもりだった。


 魔眼の力を使うまでは、この場所から魔力を感じることはなかったから。それは、死の徴候でもある……魔眼で、この場所を探る。どんなに小さな魔力でも、見つけ出してやるつもりで……だが、魔力の反応はなかった。


 この洞窟の中には、誰もいない。


 生きている者は、誰もな……。


 昏い洞窟へと進んでいく。死体を探すつもりだった。オレは、あきらめが早い方ではないと思うが―――リアリストだ。あんな巨大なモンスターがうろつく場所に、体力の弱った浮浪児どもがいる……。


 殺されていても……別に不思議なことではない……しかし。


 その暗い場所には、人骨の欠片もなかったよ。あのモンスターが、からくりみたいなフクザツで硬そうな口で、バリバリと丸呑みしてしまったのだろうか……?


 可能性はありそうだ。


「誰もいない……よね?」


「ああ」


「……でも、まだ奥がありますよ」


「そうだな。行ってみよう」


 オレたちは、洞窟の最も深い場所へと進んでいったよ。すぐに、たどり着いてしまう。もったいぶるほどの距離はない……その場所には、沼地の浮浪児たちの寝床らしきものがあった。


 寝床といっても、シンプルなものだ。平たい岩がいくつかあり、そのあいだに、枝を落とした木の枝が並んで置かれていた。地面に寝るよりは、いくらかマシなのかもしれないが……。


 サイアクの寝心地だろうよ。こんなものは、鳥の巣みたいなもんだ。それでも、沼地の浮浪児たちには……この臭くて不潔で……枝のベッドみたいなものが、5人分ぐらいある場所が…………こんなところしか、『いていい場所』なんて、なかったのか。


 無言になる。


 オレは……無力感に苛まれる。


 ヒトさまよりは、暴力に優れているんだよね。ちょっとやそっとの荒事で、死ぬような男じゃない。強いはずだ。何百人も斬り殺してきたよ。


 ベリウス陛下に……近づいているはずだったんだがな。


 陛下なら……もっと、多くを救えるのだろうか?なんだか、そんな気がするよ……それとも、それは、オレが勝手に理想化しただけの、夢物語なのだろうか……。


 オレはね、オレがなりたいはずの者に、近づけている気がする日だってあるんだが。今は……まったく、そんな気持ちにはなれなかったんだ。


「ん。これ……ねえ、見てよ、ククル」


 ククリが何かを見つけていた。洞窟の中にまで侵入している、沼地……その浅い泥の中から、ククリの手が小さなぬいぐるみを拾い上げていた。


「……ウサギの、ぬいぐるみだね」


 そのぬいぐるみは……たくさん愛されて来たようだ。抱き潰されたように、中の綿がクシャクシャになっているし、その表面は泥だらけである以上に……ズタボロだったよ。


 何世代かで、ひとつのぬいぐるみを使い続けるってハナシも聞いたことがある。布を継ぎ足して、中の綿を取りかけて……家族の物語として、そいつは受け継がれていく。


 もしかして。


 このぬいぐるみも……そういうアイテムだったのだろうか。


「……ここの子供たちの中には、女の子もいたのかな……」


「そう、かもしれないわね……」


 落ち込んじまうよ。オレは……そのボロボロのウサギを見つめながら…………?


「おい、そのぬいぐるみ?」


「え?」


「どうかしたの?」


「……赤い『糸』が……飛び出てるんだが……?」

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