第六話 『青の終焉』 その25


 ククルが弓を構える。霊泉に浸かっているオレならば、動きが落ちているとでも思っているのか……?


「オレには、矢は通じないぞ。さっき証明してやっただろう?」


「あはは!……それは、どうかなあ!?」


「何!?」


 狂気に歪んだククルの視線は、オレではない者を睨んでいた。彼女は矢を放っていた。オレを狙ったわけじゃない……シャムロックの右脚に矢が刺さっていた。


「ぐおおッ!?」


「くそ!……ククル、何のつもりだ!?」


「そいつを守るんだろ、お前は!?……守ってみろよ!?守らなければ、そいつを射殺してやるぞ!!」


「バカな!そんなことをして、何になる!?」


「『コルン』らしいことをするんだよ!!残酷で、無慈悲で、敵に容赦がない!!アルテマさまに、そう造られた通りのことをして、私は、『コルン』で在り続けるんだ!!」


「ムチャクチャな理屈だぞ!?」


 ……だが、そうすることで本当に『コルン/魔女の尖兵』であることを強められるのか?そうだとすれば、ククルのためにも、シャムロックのためにも、させるわけにはいかないぜ―――!?


「―――おじさまあああああああああああああああああああああああああッッッ!!!」


 戦場に、また厄介な子が突撃してきてしまう。『ハーフ・コルン』の俊敏さは、武器も防具も持たない彼女のことを戦場の誰よりも速く走らせていたよ。


 アルカード騎士どもと『千年樹霊/ベルカ・ガーディアン』は激しい決戦を繰り広げているせいで、『シンシア/ゾーイ』の乱入を見過ごしてくれたが―――ククルの心を支配する『魔女の尖兵』としての残虐さは、あの子を見逃してはくれないようだ。


「アハハハハッ!!いい獲物が来たじゃないかッ!!ぶっ殺してやるぞ!!断罪と粛正の矢で、貴様を浄化してやるのだッ!!血を穢した、偽りの『コルン』がッッ!!」


「やれるもんなら、やってみやがれえええええええええええええええええッッッ!!!」


 今は、ゾーイのようだが……オレの想定していた状況とは異なり、これはこれで悪い状況だ!!まったく、躾のなっていない犬みたいに、飛び出して来やがって!!


「燃えろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ!!!」


 ゾーイが右腕を振り抜いて、その腕にため込んでいた『炎』の魔力を解放した。爆炎が地面を焼き尽くすようにして走りながら、ククル目掛けて襲いかかる。


「ククル!!避けろ!!」


「お前に、言われなくても避けてやるッ!!」


「ちょっと、ソルジェ・ストラウス!!アンタ、どっちの、味方よッ!!」


「―――どっちもに決まっているだろう!!」


 バシュウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウッッッ!!!


 霊泉の水が蒸発する音と共に、爆炎がオレの視界を走り抜けていたよ。とんでもない魔力だよ。だが、いかんせん隙が大きい。


 炎の壁が過ぎ去ったあとには、霊泉のなかから浮上してきてククルが、矢を構えていた。残酷な狩人の気配と共に、狙いをつけている。あの美しさまでを感じる射撃体勢から理解する。


 ……どうにもこうにも、完璧な狙いだ。放てば、間違いなく当たるぞ!!


「やめろ、ククル!!……避けるんだ、ゾーイ!!」


「えッ!?」


「アハハハッ!!戦場舐めんな、ブチ切れクソ女!!死ねよ、ニセモノッ!!」


 ククルが殺意と共に、矢を放とうとするが―――オレの放つ『風』の刃が、彼女の弓の弦を切断するほうがわずかに早かったよ。ギリギリだ、ホント、ギリギリだったぞ!!


「く、くそ!?」


「あははは!!残念でした、死ぬのは、アンタよ、ククルちゃーんッッッ!!!」


 ゾーイは左腕にまだ『炎』の魔力をため込んでいた。巨大な『炎』の球体を、ククルに向けてぶっ放していたよ。ああ、兄貴分って、大変だぜ……霊泉にしゃがみ込み、必殺の射撃体勢を作っていたククルは回避運動が遅れていた。


 だから?


 だから、シスコンで名高いソルジェ兄さんは、ククルに飛びつきながら霊泉のなかに押し倒していたよ。腕と体を使いで、ククルの華奢な体を泉のなかに沈めながら……背中に『炎』が走り抜けていくのを感じるなあ……ッ。


 『竜鱗の鎧』じゃなければ、一瞬で焼け焦げてしまっていたかもしれない。ストラウス家が、『竜の炎にも耐えられるような鎧』を作ろうとしてくれていて、ありがたい……。


「そ、ソルジェ・ストラウスッ!?」


 慌てた声が響いて、ゾーイは術を明後日の方向へと向けてくれたよ。おかげで、どうにか『竜鱗の鎧』に包まれたまま、エビみたい焼けてしまわずに済んだよ。『炎』が止んだと分かったオレは、熱を帯びてしまった鎧を冷ますために、霊泉に沈む。


 ジュジュウ!という水が沸騰する音を感じるよ。この霊泉の水が、火傷にも効いてくれたら幸いだな……。


「だ、だいじょうぶ!?ソルジェ・ストラウス!?」


「あ、ああ。オレは大丈夫だ―――」


 次の瞬間、ククルの細い腕と脚がオレの体に絡んで来たよ。関節技だな、オレの左腕を手で取りながら、脚を絡めて来やがった……ッ。いい動きだ。一瞬の隙を突いて、動きやがったが……慌てすぎだな。


 濡れた『竜鱗の鎧』はよく滑るぞ、指はとてもじゃないが絡めない。オレは素早く反応し、やや乱暴に腕を抜く。ククルの指先を、鎧の鋼で傷つけてしまったかもしれん。シスコンとして、それは失格だが、緊急事態だ。


 本気で殺しにかかって来る戦士を相手に、油断は出来ない。シスコンとして、大いに乱暴なハナシだが……ククルの胸ぐらを右手で掴み、そのまま霊泉のなかに彼女の顔を沈めてしまう。


「がぼがぼごぼごほ!!」


 ククルが水を飲む音が聞こえる。このままじゃ溺れる。ククルは軽いパニック状態になったのか、本能的に体を激しく動かしていた。オレは水中から突き出て、もがくように暴れ回るククルの腕と脚と格闘しながら、頃合いを計算する。


 溺死はさせないが、水を飲み、呼吸が破綻するタイミング……ククルの体から力が弱まった瞬間、彼女の顔を霊泉から持ち上げてやる。


「がは、がはあ……ッ!!」


 計算通りに水を吐くククルがいた。いい子だ、本能が呼吸を求めている。戦士ではなく、ヒトとしての本能が勝っているのさ。口から、唾液の混じった水を吐き、軽い酸欠状態に陥って、思考が崩れているククルの背後へとオレは回ったよ。


「……っ!?」


 戦士としての勘が、ククルに敗北を悟らせていた。背後を取られる。戦場では、死を意味する失態だな。


 オレは、彼女の利き腕である左腕を、脇から通した腕で絡め取りながら、右腕で彼女を閉じ込めるようにして、首と左腕を確保していた。


「く、くそ……っ」


「動くな。いくら『コルン』の力でも、竜騎士の筋力には敵わない。抵抗しても、無意味に体が痛いだけだぞ。いい子だから、落ち着けククル。オレとお前は、そもそも敵じゃないだろ?」


「……そ、ソルジェ兄さん……っ」


 ときおり、ククルが戻って来るカンジだな。あるいは……この霊泉の水を飲んだおかげか?……視線の先では、『彼女』とアルカード騎士どもの戦いが続いているが、こちらに危険が及びそうにはない。


 少し、安心する。今のククルからは、『メルカ』の花蜜の香りがするような気になれるんだ。


「そ、ソルジェ・ストラウス……な、何してんの?」


 目の前にゾーイがいた。攻撃してくるそぶりはないが、目を細めている。あと、熱でもあるみたいに顔が赤い。


「どうした?ゾーイ?」


「なんか、エッチなことしてるし……?」


「ただの関節技だ。首と腕を固定しているだけだ。もし、暴れたら、即座に窒息させて拘束できるだろ、これなら?」


「そ、そう?……なんか、卑猥なカンジ……男女が絡み合うなんて、不潔よ」


 23才にもなって、貞操観念がしっかりしているな。


「そ、ソルジェ兄さんと、か、絡み合うとか……そ、そんな……っ」


「イヤかもしれんが、離せば暴れるかもしれんからな。ガマンしろ、ククル」


「そ、その……っ」


「……あんまりイヤそうじゃなさげだけど?」


「……か、からわないで、シンシアさん!?……い、いや……今は……違うんですか」


「……そうよ。私は、ゾーイ……ゴメンね。アンタの姉さんのお腹の中に、リザードマンの卵を仕込んだの、私よ」


 ククルの体に力が込められる。オレは、ゾーイが余計なコトを口走ってしまったなと心配するが……ククルは、冷静だった。


「……っ」


 息を噛むような音が聞こえた。怒りと、悲しみを、彼女は封じようとしている。ここは戦場だからな……。


 ゾーイは、ククルの態度を見て、鼻を鳴らしていた。


「ふん。その『痛み』が、『アンタを定義づけるわ』。だから、私を憎しみなさい、ククル。アンタの憎しみは、アンタがアルテマの手先だからじゃない。アンタの姉を侮辱して苦しめた、この私への怒り。『コルン』じゃない、『ククル』としての痛みよ」


 ……荒療治だな。


 ゾーイは、ククルの怒りや憎悪までもを使うことで、ククルの人格を確立させようとしているのだろうな。賢いやり方なんだろう。少し、ゾーイ・アレンビーがかわいそうにも思えるが……あの子なりの自罰なのかもしれない。


 あの子には、償うべき罪があるのは確かだ。死にゆくジュナ・ストレガの腹に、『リザードマン』の『卵』を埋め込んだのだから。


「……ゾーイ……姉さんの体に、あんなことをした、あなたのことは、許せないわッ」


「そうね。ヒドいことをした。まだ、彼女は生きているのに、あそこの連中への『罠』として使おうとしたわ。痛そうだったし、実際、そうだったとも思う。私は、本当に残酷に、アンタの姉さんを苦しめたのよ」


「……ひどいわ。そんなことするヤツなのに……ッ。そ、それなのに……ゾーイ、なんで、あなたは、私のことを『魔女の尖兵』から、守ってくれるの……っ!?」


 ククルも賢い子だから、分かってしまうようだ。ゾーイの行動の意味を、分かっているのだろう。強い感情で、『ククル・ストレガ』を形作る。それが、『魔女の尖兵』としての人格を出さないためのコツさ。


 『魔女の尖兵』では抱けない、『ククル・ストレガだけの痛み』が、ククルをこの肉体に留めてくれているようだ。


 ゾーイ・アレンビーは、ククルを見下ろしながら、静かに語る。


「……私、アルテマのことが大嫌いなのよ。私の身にも、『アルテマの呪い』がかかっている。私はね、私を消そうとするヤツのことが、大嫌い。アンタが、私のことを嫌うぐらいに、大嫌いなのよ」


「……ゾーイ…………」


 ククルは言葉が見つからないらしい。大きな憎しみと、怒りと……そして、戸惑い。それらが、ククルを苦悩させ、『魔女の尖兵』を駆逐しているように見えた。


 ゾーイは、オレに捕らえられたククルの目前に座り、懐から何かの粉薬を取り出した。


「そいつは何だ、ゾーイ?」


「……『アレ/私』を抑えるための薬よ。即効性が高くて、一番強力なヤツよ。ちょっとは、役に立ってたみたいだから、使ってあげるのよ、この子に」


「ど、どうして?」


「アンタに意地悪したいからよ。アンタは、大嫌いな私が恵んであげる薬で、アルテマと戦うのよ。ねえ、口惜しいでしょう?口惜しがるアンタを見て、笑いたいの」


「……っ」


 なんというか、ゾーイよ。スマンな。ありがとうと、心のなかだけで言っておく。そうしておくことで、ククルが助かるし、お前の犠牲が意味を成すならな。


「そうよ。いい顔になってるわよ、ククルちゃん?……『憎しみ』を強く持ちなさい。アンタが憎いのは、姉を苦しめたゾーイで。アンタが『好き』なのは―――」


「―――い、言っちゃダメ!!」


「あら、そう。面白い子ね」


「……誰が、好きなのかぐらい、自分でも分かってるから」


「そうね。憎いヤツと、好きなヤツ……そいつらのことを考えなさい。アンタはね、その強い感情があれば……アルテマの下僕なんかに、ならないわ」


「……うん……ッ」


 ふむ。ククルも年頃だな。あの環境で好きなヒトか……オレは、レズビアンとか嫌いじゃないぜ。


「さあ、ソルジェ・ストラウス。アンタがこの粉薬を口に含んで、口移しでもしてこの子に無理やり―――」


「―――そ、そんなことしなくても、自分で飲めますから!!」


 そう言いながら、ククルは右腕を伸ばし、粉薬の包みをゾーイの手から奪い取った。そして、そのまま粉薬を口に含む。小さな声で、むーっ!という悲鳴が聞こえた。ムチャクチャ苦そうだ。


「いい子ね。残さず飲むのよ?……それ、アホみたいに苦いの。どっかの錬金術師が、効能だけしか考えずに作るから……ソルジェ・ストラウス。その子が薬を吐いたりしないか、見張ってなさい。口から吐かなければ、唾液と混ざって飲み込むから」


「ああ、分かったよ」


「さてと……どっかのバカが刺した矢を、おじさまの脚から抜きに行こうかしらね」


「んんっ!?」


 ククルが落ち込みの呻きを上げていたよ。ゾーイめ、ククルのことを恨んでいるな。いや、シンシアの感情が、漏れ出しているのだろうか?……ゾーイは、自分が消えそうだと語っていたが……どうなのかな。


 難しい。


 オレには、予想が出来ないことだ。人格が……心が消えるとは?……それは、まるで死のようにしか思えないんだ。そして、それは、とてもさみしいことだぜ、ゾーイ。

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