第六話 『青の終焉』 その2


 飢えた猟犬のように走り出していたよ。錬金術の煙を追いかけて、躾のなっていないガキみたいに、衝動的に走り始めていたのさ。泥を手で突いて起き上がり、無邪気な笑顔を浮かべていたよ。


 あのテントに開けられた穴を抜けると、『ベルカ』の廃墟の壁の裏側に抜けられた。いい場所だ。


 くくく、この古びた壁は、いい遮蔽物になるぞ。敵の視線から、若い女の体ぐらいは隠してくれるさ!


 シンシアが敵に確保されていない可能性に、オレは賭けてみることにした。自分の直感も信じよう。錬金術師が、『薬品』を求めているんだぜ?


 それも大量に……何かを作るためか?あるいは……錬金釜とか、何かしらの機材を暴発でもさせて、敵の目を誘導するとか。


 出来ないことは、ないはずだ。


 それなりに知性が高い者が、意味のないリスクを冒すことは少ないだろう。少なくとも、この穴を開けた人物は、小柄で機転が利き、小さな足跡の持ち主だってことが分かるな。日陰の湿った土に、靴底の形が浮かんでいる。オレの足跡に比べて、かなり浅いぞ。


 小柄で、足が小さく、体重が軽い……いかにも『女』の特徴がそろっている。


 つまり、低くない確率で、この足跡の主は、シンシア・アレンビーじゃないのか?


 ん?都合が良すぎる?……そう思いたいから、そう思っているだけか?


 ……かもしれないな。女並みに小柄な、他の錬金術師かもしれん。戦場は想定外に満ちているものさ。確証は持てないが、それでもオレは走ったよ。足跡は、たしかにあの黒煙を放つ、錬金術の現場へと向かっているようにしか見えなかったからね。


 『敵』を警戒しながらも、オレは加速した。


 『青の派閥』の拠点を走り抜け……錬金釜が放つ黒煙の出所へとたどり着いた。そこには、死体があった。錬金術師の分厚いローブは切り裂かれている。これは、中年だな……ロビン・コナーズかな?


 あの不幸な結婚をしてしまった、哀れむべき錬金術師の。


 そう思いながら、そのうつ伏せになっていた死体を脚で仰向けにした。知らない男の顔が、白目をむいていた……。


「……別の不幸な男か」


 ロビン・コナーズではなかった。だから、オレは安心した?……どうだろうな。あの不幸なロビン・コナーズも、オレが殺すべき対象ではあるんだよ。


 『戦士の薬』。兵士を不眠不休で働かせる薬か。その資料は引き裂いて煮込んでやったが……ヤツを殺さない限り、不屈の根性で、そのうち完成させるかもしれない。生かしてやるべき理由は、ヤツにはないのだ。


 コナーズが死んでいたら、あの哀れな野郎をこの手にかける手間が省けて、良かったんだがな……。


 まあいい。肝心なのは、シンシア・アレンビーだよ。


 オレはそのテントの中に入っていく。魔力も気配も感じない。生きている者は誰もいない。だから……死体を探す。『檻』があったよ。あの人体実験の被験者である、ガントリー・ヴァントを閉じ込めているはずの檻が。


 魔法の目玉組合の会長サン。不思議な瞳術の使い手である、ノーベイ・ドワーフ族の最後の生き残り―――。


「……いないな」


 そこに、ガントリーの死体は無かった。それに、この檻が、開いていることにも気がついたよ……。


 彼は逃げ出せたようだな。敵襲の際に、ガントリーは不幸なロビン・コナーズを庇うために、脱出したのかもしれんな。


 では。その後、彼はどうするのだろうか……?


 彼は、自分に同情的だった、シンシア・アレンビーを気にかけていたぞ。自分が自由になるチャンスすら、棒に振るほどに。


 ならば、コナーズをどこかに隠して、シンシアを確保しに動いた?……ガントリーは、『自分の命』というものに対して、それほど未練が無さそうな男だからな。


 シンシアやコナーズのために、死んでやる気になるかもしれん。彼には、帰るべき故郷なんて、とっくの昔に無かったんだ。


「……ムチャはするなよ、ガントリー。たしかに、いい死に場所かもしれないがな」


 乙女を守って死ぬか。


 あの中年ドワーフの戦士には、勿体ないぐらい、いい死に方ではある……。


 だが、犬死には見たくない。オレたちと連携してくれるのなら、ゼファーの到着を前にしても、『襲撃者』どもへの攻撃を開始出来る。


 敵の数は、せいぜい50人といったトコロだ。


 この夕焼けが終わり、闇の時間が始まれば、そんな数を仕留めるのは、魔法の目玉チームなら容易いんだぜ?……だから、時間を稼ぐために、ガントリーはどこかに潜伏しているかもしれないな。


 いいように考えよう。


 オレは……あの『消毒薬』を探すため、鼻を利かす。さまざまな薬品の混じった臭いだ。この場所では、愛するアルコールちゃんの香りを、嗅ぎ分けるのも難しい―――。


「あの窯か……」


 昨夜、ロビン・コナーズの資料を引き千切って煮込んでやった窯だろうか?それとも、別の窯なのか。オレには区別がつかないが、今、そいつは火にかけられて、怪しげな中身がグツグツと沸騰していやがる。


 紫という、見るだけで毒々しい色に染まったそれから、不快な臭いが立ちのぼっていた。錬金術の調合はよく分からんのだが、どうにも、沸騰しすぎな気がするね。


 それに……足下に、見つけたぞ。無数の薬瓶と……。


 あの『救護所』で見かけた、大容量の『消毒薬』の大瓶だ。真のアル中なら、他に呑む酒が見つからなければ、コイツをあおりたくもなっちまうだろうな。酒瓶にもよく似た、罪作りな形状をしてやがるぜ。


 酒を愛するオレが、これを見間違うことなんて、ありえない。鼻に近づけ、さっき嗅いだモノと同じ刺激を鼻に受けた。オレの追跡は正しかったようだ。


「……シンシア・アレンビーらしき女は、ここに来た。そして、何か、大量の薬を、この窯に入れちまったらしい……」


 ふむ。コレには近寄らない方が賢明そうだな。大爆発でも起こして、敵の群れをここに誘導するつもりかもしれないし―――しかし、シンシア・アレンビーが、ここに来たというのなら、ガントリーとは合流出来たのか?


「彼が、合流してくれていたのなら……シンシアが敵の手に渡る可能性は大きく減るんだがな……魔法の目玉があれば、敵の追跡を見切ることも可能なはずだ」


 ……なんだか、いい材料がそろって来た気がするぞ。


 オレはカードゲームが苦手なんだがね……賢いガンダラや、ニコニコし過ぎていて表情が読めないシャーロン・ドーチェ、そして単純にカードの引きまで強いオットー・ノーランあたりに、いつもボロボロにされちまうんだが……。


 それでも、いいカードが回ってきた日には、賢い人々にも勝てるものさ。


 いい兆しの気がする……。


 カードが、そろってきている。シンシアは逃げているかもしれない、ガントリー・ヴァントも生きているかもしれない……その二人が合流していてくれるなら、オレの仕事はとても楽じゃないか……?


 ……ホント。


 ……いい兆しが…………。


 そのとき、オレは黒い髪を見つけていた。長い黒髪の女性―――シンシア・アレンビー?いいや、そうじゃない。彼女とは、かなり顔が違うし、長身の彼女と比べれば、体格も一回り以上、小柄だ……。


 それは、死体だった。


 この錬金術の実験場である、大きなテントの奥には暗がりがあって、『彼女』は、そこにあるベッドと呼ぶには、あまりにも色気のないモノの上に寝かされていた。


 マットレスはおろか、シーツにさえ覆われることもない、その木で組まれた、無機質な寝台。そこに、『彼女』は仰向けに寝かされていた。一糸まとわぬ姿でな。


 死体なのは、魔力が動いていないからということでも分かるし……。


 なによりも、全身が切り刻まれていることでも証明出来るだろう。


 腹を裂かれている。


 ああ、殺人鬼の所業ではなく、ちゃんとした解剖学的な手法だな―――腹を丁寧に切り裂いて、臓器を取り出している作業の最中だったんだろう。『彼女』の臓器が、黄色い薬液の入った瓶に詰められている。


 ……黄色い薬液には、血の黒が混ざっていた。その中に浮かぶ、オレの握り拳よりは小さな腎臓。それが、『彼女』の腎臓だった。


 他にも、色々と抜き出されていた……『彼女』は……『青の派閥』のクソ錬金術師どもに、『標本』にされている作業の最中だったらしい。


 そうだ。


 奥歯を、怒りで噛みしめる。


 錬金術が、科学が、どんなに偉かろうとも―――こんな行いを、ヒトがしていいのだろうか。


 見開かれた『彼女』の目が、オレをじっと見つめている……。


 ―――ソルジェ兄さん。


 その幻聴が聞こえたとき、オレは怒りのあまりに、理性を失いそうになる。


 ああ。


 大丈夫。


 わかっている。


 わかっているさ。


 この子は、ククル・ストレガなんかじゃない。もう腐敗が始まっている。30分では、殺されることは出来ても、腐敗はできない。


 彼女は、ククルによく似ているんだ。あまりにも、よく似ているだけの『メルカ・コルン』だよ!……『黒羊の旅団』に捕まり、陵辱を受け……『アルテマの呪い』で死んだ娘だ!!


 名前は知らないが、分かるさ。


 君たちは、とてもよく似ているからね。


 だからこそ、オレは、激怒を覚えて、その心臓が動悸してしまうのだろう―――ああ、とんでもない殺意がわいてくる。これをしたヤツらの皮を剥いで、炎の中にでも突っ込んでやりたいッッ!!


「クソどもが……ッ!!」


 ……彼女を埋葬してやりたい気持ちに駆られたよ。いいや、というか、『メルカ』に連れ戻してやるべきだ。ここは、『ベルカ』の土地。『メルカ・コルン』への恨みが渦巻くような土地だ。君が眠るには、相応しい場所じゃない。


 『メルカ』に戻してやるべきだ。ジュナ・ストレガのように、家族のもとに彼女を戻してやりたい。そうすべきだ。そうしなくては、オレは、あまりに悲しい気持ちになって、狂ってしまいそうだ。


 オレは目を開けたまま死んでいる、『メルカ・コルン』のまぶたを指で押して、瞳を閉じさせた。


「約束する。必ず……君も運んでやるぞ」


 しかし。


 しかし、今は……。


「……だが。すまない。必ず、後で、回収しに戻る」


 謝罪の言葉と共に、彼女のことをそこらにあった布でくるむ。寝台から、臓器を抜かれたせいで、軽くなってしまった彼女を抱き上げた。


 ―――その子が、ここに飛び込んできたのは、そんなときだったよ。


「た、助けてッッ!!だ、誰かああああああッッ!?」

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