第五話 『悪鬼たちの夜』 その15


 飢えた生物のすることというのは、実にシンプルなものだ。生物というものには本能が刻みつけられている。


 そして、その本能というモノが生み出す衝動は、呪いよりも苛烈に生物を支配する。理性も歯が立たない。本能には、どんな生物も抗うことは出来ないものさ。


 オレの持論を証明するためには―――そうだなあ、とりあえず、オレの目の前で起きている事件を見ればいいんじゃないのか?


 小さな丘みたいに巨大な獣が、今、腹でも下しているヤツみたいに、じっとうずくまっている。まるでお座りしている犬っころみたいだ。震えて、唸り……苦しそうに全身を歪ませている。


 目の前にまで伸ばしてきた巨大な獣の顔が、痛みにあえぎ、その大きく開いた口からは、ドロドロとした紅い唾液が漏れていく。こいつは、きっと『ゴルー・ベスティア』の血液みたいなもんだろう。


 軋み、すり切れて、『蟲の涙』を流すのか?だとすれば、それは共生関係の破綻を示す。ギー・ウェルガー自身が教えてくれたもんな?……共存を拒絶された蟲が、その宿主を食い殺しながら、悲しみの涙を流すのだと。


 分かるぞ、蟲どもよ。お前らと宿主の蜜月は、残念ながらオレが終わらせてしまったんだ。泣くといい。悲しいときはそうするべきだ。


『が、ああ、あああ……ッ!?な、なんだ……こ、これは……ッ!?』


 崩れて軋む体を無理やりに動かして、ギー・ウェルガーは驚愕を表現している。動かなくなった脚を見つめ、ボロボロと蟲の部品が崩れ落ちていく、前脚を恐怖に震えた瞳で、じっと見つめていたよ。


『どうなっている……『僕』の……体が……あの程度の『風』に、破壊されるわけがないだろうッ!?』


「……いいか。よく聞け、ギー。オレはな、さっきの『風』で、お前らの『栄養源』を吹き飛ばしていたのさ」


『え、『栄養源』……!?』


「そうだ。彼らさ。お前は、腰と胸に……溜めていた。そこから、血管を模造した『何か』で全身に『血』を送り込んでいたよな?」


 魔眼では、見えたんだ。『虎』から生えた無数の『管』が、全身を巡るようにして配置されていた。あれは、血管にも見えたが……もしかしたら、胃腸みたいな消化管なのかもしれない。


 どうあれ、吸うなり溶かしたりした『虎』たちを、全身の蟲どもに分配するための装置だということに、違いはないはずだよ。


『……ちくしょう。お前は、『虎』たちの『死体』を、吹き飛ばしていたのか……ッ』


「そうだ。お前、この形態だと、あまりに魔力の消費も大きくて、制御も難しいんだろう?自分自身の魔力では、とても足りないってわけだ」


『……ああ』


 くくく。素直に認めやがって。


 まあ、それだけ全身を震わせて、蟲どもが悲鳴を合唱させている、この状況を見れば。否定することは愚かしい。破綻しているよ、ギーという男は……とっくの昔に壊れているんだ。


「だと思ったぜ。デカすぎるし、オレの脚が『風』を使おうとしていたことにも気づけなかった。自分のコントロールに精一杯で、戦っている相手の魔力さえも見失っていた」


『あれで、気づいたって言うのか?『僕』が……君の『風』を見えなかっただけで……』


「それだけでじゃないが、大きな情報だったよ。君は、戦闘中であるのに、目の前のオレに、完全な集中力を維持出来ていなかっただろう?……それは、理由が無ければ、ありえない現象じゃないか」


『……そう、か……うぐ……ッッ』


 オレは両目を細める……『ゴルー・ベスティア』の体が痛ましいほどに揺れて、歪み、蟲どもが一際大きく悲鳴を上げたよ。ギイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイッ!!……ってね?


 なあ、ギー。蟲どもが、お前の名前を呼ばれているぞ?喰わせろ、魔力をくれ、そう訴えているんだろう?


「……その『変身』を、解かないのか?」


『フフフ……制御を失った今では……それは、叶わないんだ』


「なるほど。そうか、残念だよ」


『その眼か?……その眼で、『僕』を……『ゴルー・ベスティア』の『構造』を、見抜いたんだな?』


「ああ。爆炎を防ぐために、薄くなるというのは……あまり、いい策じゃあなかったぞ。結果的には見透かしやすかった」


 『ディープ・シーカー』で、オレは見抜いたんだよ。薄まっていたお前の体のドコに、『虎』どもの死体があるのかをな……。


 場所さえ分かれば?


 『風』の砲弾をぶつけて、それをお前の体から弾き出せばいいだけのことだった。


「魔力とは、『血』に宿り、『肉』に溜まる存在だ。これだけの魔力を消費する巨体だからな……『虎』どもの『死体』を魔力のタンクにしていた」


 それを失った。


 どうなるのかな?


 ギー、お前の名を呼ぶそいつらは、きっと、お前との『共生』をまだ望んでいるんだろう?そいつらは呪術に縛られることを嫌っちゃいない。だが、お前に力と……健康を与える代わりに、魔力をせびる。フェアなトレードだよ。


 だが。


 代金を支払えなくなったら?


 魔力を渡しきれなくなれば?


 あまりにも空腹に陥ってしまえば……?


 飢えたそいつらは、君から独り立ちし。自力で『エサ』を求めていくと、オレは思う。残念だ。君は、その術から自身を解放できないのか?ああ、そういえば、体の過半数を、蟲で構成してしまっているんだったな。だからか?


 蟲を解放すれば、君の命も維持できないのかい―――?


 だとすれば、見事なまでの共生関係だね。君と彼らは、お互いにどこまでも依存し合いながら、お互いを助けている。美しい絆を持っているようだ。


 だからこそ、その破綻がもたらす終わりは、悲惨なことになるとオレは予想してるよ。猟兵の勘が告げる悪い予感ってのは……外れたことがない。だから、オレは苦虫を噛みつぶすような顔をしている。


 君のことを、哀れにも思うからだよ。ヒトの死に方として、今の君が晒そうとしているそれが、うつくしい死に様だとは、個人的にはどうしたって思えなくてね。


『が、あ、ああああああああああああああああああああああああああッッ!?』


 ギイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイッッ!!


 魔力が枯渇したせいで、飢えた蟲どもの暴走が始まる。ギーの名を、切なさを込めつつも怒りを訴えながら呼んでいた。蟲とギー・ウェルガーの素敵な共同生活は終焉したのさ。


 蟲は、体が小さすぎる。そんな生物は、常に栄養を求めるのが習性だ。『ゴルゴホ』たちが創り出した、この呪われて狂った生物たちも……生物としての本能まで、失っていたわけではない。


 空腹がつづけば?


 どんなものでも喰らうだろう。


 それが、長年を共に過ごした、最愛の君の血肉でさえも―――。


『く、喰われるうううううううううううううッ!?ぼ、『僕』が、く、喰われていくううううううううッッ!?』


「……ふむ。やはり、そうなるのか。まあ、所詮は、蟲。魔力が枯渇し、呪術の制御から外れれば、本能を実行するだけの下等生物だ」


『あああああああああああああああああああああああッ!!ぎゃああああああああああああああああッ!?』


 『ゴルー・ベスティア』の形が歪み、融けるように崩れていく。そろそろ30%ぐらいしか残っていないかもしれない、ギーの体が、容赦なく無数の蟲に搾取され、食まれ、消化液を浴びて滅びていく。


 『脊髄回し』に増設された神経系のせいで、痛みは残っているのか?『蟲の涙』は、蟲と共生が長過ぎる君には、効かないのかもしれない。恋が終わり冷え切った男女のあいだでは、かつて恋した女の涙も、必殺の切れ味を失うもんな。


 ……ああ。


 そんな顔をするなよ、ギー・ウェルガー?


 安心するといい。


 オレはヒトとしての道を、見失うことを良しとはしない男だよ。


 騎士道を歩む者として、君と男らしく『タイマン/一対一』を果たした相手として。オレは誠意を尽くすつもりさ。利己的なだけでは満足できない、古風な男なんだよ。気に入った敵には、笑顔か悔しさに歪んだ顔で死んでほしい。


 外道のお前には、きっと女神イースさまの祈りは通じない。彼女はきっと、君の悪行を見続けてきただろう?蟲に喰われると確信しておきながら、大勢に、蟲を移植した。


 君は……やはり、好奇心もあったし、孤独を癒やす同類が欲しかったのだろうな。怪物は、怪物の連れを求める。怪物でなければ、怪物の心を理解しちゃくれないからね。


 ヒトを救おうという医者の心をも持ちながらも、お前の犯した罪過は、あまりにも深くて多い。それを目の当たりにしてきた女神イースさまは、お前に苦しみを科すことが、救いにつながると考えておられるのかもしれない。


 お前は、きっと……女神イースさまに、自分の良心を偽り過ぎたのさ。医者として生きようと必死になれば、良かったんだよ。


 麻薬などを造らずにね?その麻薬でマフィアと結託し、自分の人体実験を可能とする『狩り場』を、この国境の地に造ったこと。大胆過ぎる。それは、『ゴルゴホ』から移植されてしまった文化だ。


 小心者である君本来の祈りは……自分以外の命が死に絶えた、君の故郷の村で知ったはずの、生きることの価値。健康の価値のはずだ。それだけを目指して、やさしい存在であれたなら、きっと、君は女神さまにも愛された。


 だが。間違いを犯しすぎた君には、女神さまの赦しは与えられなかったようだ。オレの魔眼が事実を伝えてくる。


 蟲に喰われて壊されながらも、君の血肉を喰らったわずかな蟲たちが、君を修復させていく。君は壊されながら同時に修復され、また喰われて壊されている。


 エンドレスで食い千切られつづけているよ。まるで、地獄の仕組みそのものだな。終わらない苦しみの螺旋。復活と惨殺の連鎖……あまりにも無慈悲だよ。


 お前の信じる女神イースさまは、お前を罰することを選んだのだろう。


 自業自得ではあるが……オレはガルーナの竜騎士さんなんだよね。さっきも言っただろう?古風な騎士道の体現者なんだよ、このソルジェ・ストラウスはな。


 竜と共に戦場で踊り、そこで散る定めを背負った赤髪の剣鬼として……オレは一騎討ちした相手には、敬意を尽くす―――そいつが、どんなに外道であってもな。


 だから?


 この『魔王』が、彼女に代わって君を救ってやろう。


 アーレスも……そのつもりさ。だって、見てみろよ?もう、オレの指が握る竜太刀の刃には、逆巻く黄金色の火焔が走っている。螺旋を描き、刀身はアーレスの翼と同じように漆黒へと変貌していく―――。


 解き放ってやろう。


 君を、あまりにも苦しめる、その『究極の健康』とやらからね。


『あ、ああ……熱い……黄金色と、真紅の……光が……『僕』を……ッ』


「……そうだ。これが悪を焼く煉獄の焔さ……お前の罪を、オレの竜が、焼き払ってやろう―――そうすれば、お前は星となった家族の元にも、届く」


『……だ、だめだ……『僕』は……まだ、死にたくない……たすけ、て……たすけてよ、ベルーゼ室長……ッ』


「ここにいない上司の名前を呼ぶな。きっと、届くことはない」


 さて。救済してやろう。肉を喰らう無限の痛みの果てに消滅するよりは、よっぽどいいだろう?


 オレはアーレスの竜太刀を天に掲げ、両手持ちにする。大上段の構えさ。煉獄の属性に燃えさかる、竜の劫火とヒトの業火の混ざった逆巻く黄金の炎は……天をも焦がすように夜空を照らす。


 空気を焦がした。周囲の乾燥した物体が、帯びすぎた熱の果てに発火し、炎が世界を包んでいくよ……この金色と真紅に彩られた世界は、君にどう見える?


 地獄か?


 天国かな?


 お前がどちらに逝けるのかは、知ったことじゃない。だが、現世で蟲の群れに喰われ続ける残酷からは、解き放ってやろう。さてと。行こうか、アーレス?


 問いかけに、竜の火焔は更に火力を増すことで応じてくれた。オレは唇を歪ませて、猟兵の貌へと至る。攻撃性と共に、慈悲を与える、それが、オレたち戦場の獣の定めだ。


「魔剣ッ!!『バースト・ザッパー』ぁあああああああああああああああッッッ!!!」


 天地を焼き払う火焔の牙は、絶大な火力のままに―――大地を穿ち、全てを爆裂に呑み込むのさッ!!


 ドガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアンンンンンッッッ!!!


 地面が破裂し、竜の歌が世界に解き放たれる!!灼熱を帯びた爆風が、『ゴルゴホの蟲』を焼き払っていくのさ。『ゴルー・ベスティア』の輪郭が消滅していく空に邪悪な命が散らばって、炎に焼き潰されていったよ―――。


 ギー・ウェルガーの肉体も、囚われになっていた『虎』たちの残骸も……全てが空の中で焼き尽くされて、灰と炭の雪へと代わるんだ。


 邪悪な蟲と、それに寄生された者たちの肉体は、こうして炎に清められたのさ。オレは別れを告げるよ。空に舞い散る、かつて命だったモノの欠片を見上げながら。


「……じゃあな、ギー・ウェルガー。星空で、眠れ」



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