第8話 金澤町家であいましょう
できるだけ早く大野の町家を施工するため、平日自分の作業が終わってから、設計事務所に残って町家の設計作業を行った。
所長を初めとする設計事務所のみんなも手伝ってくれて、レイさんと僕とで話し合ったラフスケッチがどんどん設計図面として具体化していく。
「さすがにクライアントが町家の設計士さんだと、意思疎通が早いな」
と所長が言ってくれるように、気心の知れた事務所のみんなが手伝ってくれるおかげで設計作業は順調に進んだ。
休日は何度か銭谷さんの町家にもお邪魔して、設計した内容に問題ないかをチェックする。
銭谷さんは既に娘さん夫婦のお宅に引っ越され、僕は鍵をいただいて今後は自由にしてよいと言われていた。
僕が町家で細かい確認をしている間、レイさんは町家の近所をクロスバイクで走り回り、普段の買い物ができるお店や、交通手段の使い勝手などを調べてくれた。
晴れの日は二人ともクロスバイクで通勤するが、雨や雪の日はどうするかなど、ワンシーズン通してのライフスタイルを検討する。
検討した結果を元に、図面に幾つか修正を加えた。
ポケモンGOは通勤の移動時の最低限に留めて、空いた時間は町家の改修作業に没頭する日々を送った。
スケジュールは10月下旬に施工開始。
雪が降る前にインフラ周りや外装の改修を終え、年末から内装工事。
2月末に工事を完成。3月頭に竣工&結婚式の計画となった。
かなりタイトな計画で、外装工事と並行して内装の設計も進めることになっている。
新幹線効果が続く金沢ではおかげさまで通常の設計業務も忙しく、まさに目の回るような毎日となった。
レイさんには町家で行う結婚式の準備してもらう。
結婚式は、参列者のみで行う「人前式」とすることにした。
お互い深く信仰する宗教もなく、集まったみんなに祝って、結婚を見届けて貰いたいという方向にまとまった。
招待状の作成や発送、料理の検討など、結婚式にまつわることはすべてレイさんにお任せして、僕は町家の改修に専念させて貰う。
たまに二人の息抜きとして、コミュニティディなどのポケモンGOのイベントに短時間だけ参加した。
前まではたっぷり3時間の間に、最低3匹の色違いのポケモンを取得するノルマを勝手に作ってプレイしたが、それを1体取れたら終了、最大1時間までとした。
自分たちで決めた制限内で遊ぶポケモンGOもそれはそれで面白い。
ゲットできなかった方に後からポケモン交換で融通しあうなど、限られた中でも楽しくプレイした。
10月初めの土曜日の昼間。
木倉街の町家のお店で開催した、両家の初顔合わせはつつがなく終わった。
レイさんのお兄さん家族や、僕の弟家族も参加し、総勢4名の子供たちが騒いで賑やかな時間となった。
いつもは饒舌なレイさんのお父さんは、初めて僕の家に挨拶に来たレイさんのように、最初だけは珍しく緊張していたが、お酒が進むといつもの調子に戻って場を盛り上げていた。
見た目はお母さん似のレイさんだが、意外と性格はお父さんに似ているところもあったりして面白い。
今度の夏は是非、珠洲の家に海水浴やバーベキューに遊びに来てね、とレイさんのお父さんが言うと、富山県の山の麓に住む甥っ子たちも大喜びしていた。
大勢で押しかけて大丈夫ですか?と僕の弟が尋ねると、レイさんのお父さんは「お客さん布団は10人分以上ある」と胸を張った。
あと僕の母と、レイさんのお母さんがやけに意気投合して、LINEを交換し、今でも毎日のようにメッセージをやりとりしているそうだ。
何か今後楽しくなりそうな予感をみんなが感じられた場になって、本当によかった。
休日はそういった挨拶や事務的なイベントもこなしながら、設計に関わる風呂やキッチンなどの展示場をレイさんと回った。
今までもお客さんと一緒に展示場を訪れたことはあったが、自分がお客の立場になると見る視点が違うことに気づく。
設計士の立場ではデザイン的な統一感とか、サイズや機能を気にしてお客様に紹介していた。
勿論今回もそうではあるが、レイさんの直感とか、感覚とか言葉に表しづらい点をより尊重する。
キッチンの展示場は何軒か回っても、レイさんのお気に召すものがなかった。
「私はもっとシンプルなキッチンがいいのよね」
あまり買い物は好きではなく即決型のレイさんも、さすがに一生使うことになる家に関するものは慎重に選んでいる。
一度設置してしまったら、簡単には置き換えられない。
「もっとシンプルなのないかな。珠洲の実家の台所みたいに昔っぽいやつ」
との言葉でイメージが沸き、現物はないけど「業務用」のキッチンカタログをレイさんに見せた。
「そう!こーゆーの!」
とステンレス製の武骨で、余計な装飾がない非常にシンプルなタイプが気に入り、その後はすんなり決まった。
共働きとなるので、食後の後片付け用の食器洗い機も統一されたデザインのものを探すなど、決めたキッチンに合わせて水回りの周辺が色々決まっていく。
お風呂は僕の希望で、窓を開ければ中庭が見える位置に配置した。
休日はお昼からでも読書しながら入浴できるようにと、のんびり長く入れるゆったりとした湯舟を選択。
トイレの色はアイボリーがいいかな、と言うレイさんに、
「白色もいいですよ。毎日トイレで自分の健康状態を確認しやすいですし」
「なるほどね。さすが設計士さん」
と所長からの受け売りだが、設計知識を披露してレイさんに褒められた。
他にも電装関係などの展示場を回る。
大物の水回りと違って、照明器具などの製品種類は格段に多いので迷いやすい。
ただレイさんはキッチン以外はそんなに大きな希望はなかったので、ほとんど僕にお任せで選ばせてくれた。
今までの町家でも使っていた定番の製品や、僕が個人的に使ってみたかった、ちょっと冒険した製品などを部屋に合わせてチョイスする。
そんな感じで僕の実用と趣味も合い混ざった感じで、設計作業は忙しくも楽しく進んでいった。
年末に向かってさらにすごい速さで時間は進んでいき、クリスマスの季節となった。
クリスマスの晩はレイさんのアパートで、レイさんが作ってくれた石川県名物「とり野菜鍋」をつつきながら、人前式の準備をする。
今のところ雪がほとんど降らなかったおかげで、外回りの工事は順調に終わった。
3月の結婚式の日取りも7日に確定し、招待状の準備を行う。
年明け早々には発送する予定だ。
お互い内輪の簡単な式にしようと話していたが、メンバーを選び始めると、どうしても人数が多くなる。
親族でお互い10名づつ、仕事&友人で10名づつの合計40名を目安に招待客を選定する。
それに加えて今回町家を譲ってくれた、銭谷さん夫妻もお呼びすることにした。
他にも呼びたい人は多くいたが、式の翌週に二日間町家の内覧会を開催することとにし、そこに遊びに来て貰う手筈とした。
人前式の後の食事会までは、さすがにそのまま町家ではできないということで、大野の町にある有名な「宝生寿し」さんを会場にすることに決まった。
僕たちの町家から歩いてける距離にあるお寿司屋さんだ。
「ふー、疲れたぁ」
招待客のリストをパソコンに入力し終えて、レイさんが一息ついた。
「おつかれさま」
クリスマスの夜だが、二人とも甘党ではないので、鍋とお酒で簡単に祝った。
「招待状を送ると、もう町家の完成の日取りが遅れらせられないので緊張します」
「間に合うのよね?」
「ええ、今のところは。今年はまだ雪がほとんど降らず、暖冬で助かりました」
「一昨年みたいに大雪だったら、まだ外の工事終わっていなかったでしょうし」
「ただこれからの内装工事も、最近職人さんの奪い合いになっているので、そこだけちょっと心配です」
「どこも人手不足ね」
「町家の改修ができる腕のいい職人さんが高齢化していて。若い職人さんも少なくて」
「なるほど。まぁシステムエンジニアの業界も似たようなものか」
締めのうどんを投入し二人して食べる。
「鍋おいしいかったです」
「ありがと。味噌入れるだけどね」
「子供の頃、父の実家だった七尾に行く途中、かほく市の『まつや』本店に寄って食べるとり野菜なべのうどんが大好きだったんです」
「へー、そうなんだ」
「それがいつの頃か自宅で食べられるようになって、感激した覚えがあります」
「私の家族はテレビの番組で、石川県は『とり野菜みそ』を使った鍋が家庭の味です!って紹介された番組で初めて知って食べたかも」
「あの時はスーパーから一斉に『とり野菜みそ』が無くなりましたね」
「最初は『とり野菜』なんで『鶏肉』を入れていたの。そうしたらとり野菜の『とり』は野菜を『獲る』の意味だとしったりしてね」
「白菜と薄めの豚肉だと、味噌の味が特に染みて僕好きです」
「うん。うちは漁師だしたっぷり魚やカニを入れて食べてた」
「豪華ですね!」
「今思えば贅沢な鍋だったわ」
「そういえば、昔レイさんに貸したマンガの『かくかくしかじか』って覚えています?金沢も舞台だったりする」
「うん。作者が金沢美大時代の話を描かいてたやつね」
「作者の東村アキコさんが、まつやとのコラボでとり野菜みそのエッセイマンガ書いているんですよ」
「え、うそ。読みたい!」
早速パソコンからまつやのホームページにアクセスし、二人でとり野菜みそのマンガのリンクを開いた。
「あはは、『味の奥行きがすごい』って、この味噌の味のことを的確に言い当ててるわ」
「ですよね」
「えっ、まって!?『肉のみやざき』ってあの三口新町にある?」
マンガの中に、東村アキコさんの先輩で肉屋の息子さんが描かれている。
「そうです」
「あそこの焼肉美味しいよね。私は金沢のベスト焼肉屋は、みやざきか中央郵便局の裏の『大昌苑』かどちらかだと思っているの!」
「力説しますね」
「あー、焼肉食べたくなった。今度行こう」
「クリスマスプレゼントを買いに行く暇がなかったので、お疲れ様会を兼ねて食べに行きましょう」
「今年のプレゼントはあれがあるけどね」
レイさんの家の本棚の一角に置かれた小さな箱の中には、二人の指輪が収められている。
婚約指輪は買わず、結婚指輪として先週買ったものだ。
レイさんの好みでシンプルなデザインの指輪になっている。
一応奮発して僕が買わせて貰った。
結婚式の招待状も準備も着々と進んでいる。あとは遅れのないように町家の完成を目指していくのみだ。
大晦日は二人で珠洲に向かい、元旦は三月家で過ごした。
僕にとっては生まれて初めて、家で両親と過ごさない年末年始だ。
今回も三月家では豪華な料理でおもてなしてくれて、レイさんに注意されながらもお父さんたちと沢山お酒を飲んだ。
元旦の夕方に二日酔いでまだ痛む頭のまま、珠洲の春日神社にみんなで初詣に行く。
道路にはうっすらと雪は積もっていたが、北陸に住む人にしてみれば積もった内には入らない程度の積雪量だ。
お正月の静けさに加え、雪が外の音を吸収し、神社は心地よい静寂に包まれている。
お賽銭を投げ、みんなの健康や町家の完成、結婚式の成功をお祈りする。
お参りした後はその足で金沢に戻って、僕の家に行く。
弟家族も富山から帰省して賑やかに僕の家ですき焼きをいただく。
毎年正月は母に、僕の独り身をネタにされ肩身の狭い思いをしていたが、今年は横にレイさんがいて心強い。
甥っ子たちにお年玉をあげ、しばしの間、お正月のゆっくりした時間に身を委ねた。
三日は大野の町家に行き、年末に始まったばかりの内装工事の進み具合を確認した。
どれだけ綿密に設計にしたつもりでも、現場作業が始まると、どうしても微調整が必要になる。
リフォーム、特に古い町家の改修は、実際に床や壁を剥がしてみないとわからないことも多い。
幸い今回は思った以上に基礎や柱はしっかりしており、大きな遅れに繋がる要素は今のところ見つかっていない。
底冷えのする改修中の町家に入り、レイさんと一緒に震えながら写真に収める。
家に帰り四日から再開される工事に向けて、幾つかの修正点を図面に反映した。
内装作業も順調に進み、並行して人前式の準備も行った。
人前式に僕は出席したことは無いのでイメージが沸かなかったのだが、一度だけ出席したことがあるというレイさんか式次第を作ってくれた。
基本自由に自分たちの思い通り、何でもできるらしい。
ただ逆に言えばフリーにできるということは、全部自分達で決める、ということだ。
レイさんが作ってくれた案をベースに、人前式の準備も進んでいった。
慌ただしいまま一月、二月とあっという間に過ぎて、完成予定日の2月末に近づいた。
ところどころ専門家にしかわからないであろう、施工の手直しや調整は残っているが、何とか予定通り工事は完了。
設計事務所のみんなや、施工に関わった皆さんをお呼びして、ささやかながら完成パーティを行った。
それが終わると3月7日の式に向けての準備が中心の日々に切り替わる。
3月7日土曜日の朝。
北陸地方の気温はまだ冬と言ってよい寒さだが、今シーズンは雪はほとんど降らず、暖冬と言ってよい過ごしやすい年になったのは幸いだ。
今朝も春の訪れを予感させる日差しが、弱いながらもふんわりと大地を照らしている。
人前式は11時から開始の運びだが、朝9時に町家を譲ってくれた銭谷さんご夫妻をお招きした。
事前に電話で連絡があった通り、白山市に住む娘さんの運転する車に乗って、銭谷さん夫妻は大野の町家に到着した。
「お久しぶりです」
僕の挨拶も耳に入らないかのように、銭谷さん夫婦と娘さんは、改修された町家に目を奪われている。
「うわー、綺麗になりましたね」
娘さんが感嘆の声をあげる。
商売をされていた町家だったので、道路に面している表側はガラス張りで中がのぞける造りだった。
それを住居用に目隠しとして、縦に何本も細い格子を前面に施した。
通称「木虫籠(きむすこ)」と呼ばれる金沢の町家でよく使われる目隠しだ。
レイさんと僕とでみなさんを案内する。
足の悪い銭谷さんのご主人は、運転してきた娘さんと高校生ぐらいであろうお孫さんに支えられて歩く。
玄関を開けると、打ちっぱなしの土間と、天井まで届く吹き抜けは改修前と同じ造りのままだ。
表側の道路に面した土間には、僕とレイさんのクロスバイクが二台置かれており、簡単なメンテナンスを行うことができるスペースになっている。
昔ながらの味噌の販売店だった、この家の歴史を感じさせる立派な木のカウンターも基本改修前のまま。
カウンターの内側には3脚の椅子を用意し、バーのカウンターの様な感じのフリースペースに仕上がっている。
カウンターの横を通り、土間から上がる下足場は一段高くした場所に設置した。
そこからさらにもう一段上がった小上がりを設け、段差の小さいスペースを上ることにより、家の中に入るように設計した。
スロープとまではできなかったけど、足腰が不自由になっても入りやすいように配慮した。
銭谷さんのご主人もお孫さんの力を借りながら、段差を登ることができた。
小上がりの左手には茶の間がある。
最初にお伺いしたときに、銭谷さんの体を考慮しテーブルと椅子が並べられていた大きな茶の間。
今はこの後行われる人前式の準備のため、座布団が所狭しと並べられている。
表の道路側に視線を向けると、先ほどのカウンターが見える。
カウンターと茶の間は一体感がでるよう、上半分が透明の扉で仕切っており、夏は扉を開けて開放的に使えるようにした。
茶の間からキッチンに向かう寒かった土間は無くして、一段高い通路として施工した。
断熱材が入った通路の下は、収納スペースとなっている。
台所にはレイさんが選んだ業務用のキッチンと食洗器などが、真新しく銀色に輝いてる。
焼き台の上にある換気の装置もキッチンと同じく業務用で揃えた。
トイレの横にあるお風呂は中庭を望むように配置され、中庭の明かりが取り込めるようになっている。
その奥は僕たちの寝室を経て茶の間に通じる通路に、二階に上がる階段を大き目に設けた。
階段の下は収納スペースとして和風の棚を並べ、大きいものから小さいものまでたっぷり収納できる。
二階には僕の小さな部屋と、将来もし子供ができた場合に使えるようフリースペースを作った。
渡り廊下の様な通路には、背の低い本棚を並べ、椅子を置けば本棚の上板をテーブル代わりにも使える空間に。
中庭を望みながら本を読んだり、何か作業したい場合に利用するつもりだ。
二階から中庭を見下ろすと、前からある立派な松を取り囲むように、区画を分けて色々な植物が品よく植えられている。
造園師である所長の奥さんが僕らへのプレゼントして、ギボウシなどの落ち着いた草花をチョイスしてくれた。
銭谷さん家族に一通り改修した町家を案内し、茶の間に一同が戻った。
畳の間だが銭谷さんには椅子を用意し座っていただく。
「私たちの住んでいた家をこんなに綺麗にしてくださって、本当にありがとうございます」
銭谷さんの奥さんが感想を言ってくれた。
「こちらこそ。格安で譲っていただけたおかげで、ここまで改修することができました。ありがとうございました」
僕とレイさんは銭谷さんに頭を下げた。
「立派に直してくれて、本当にありがとう」
銭谷さんの旦那さんは、涙を流しながら頭を下げた。
「主人はずっと今日を楽しみにしていたの。おかげさまで娘夫婦や孫たちのおかげで引っ越しても楽しく暮らせているけど、この人は長年暮らしていたこの家を気にかけていて」
夫人はハンカチを旦那さんに渡し、話を続けた。
「実は何度か娘にお願いして、この家の前まで連れてきてもらって、工事の具合を見させていただいたりもしてました。
家の中もじっくり拝見させていただいて、想像以上の素晴らしさでした。
この人も、この家も喜んでくれていると思います」
奥さんも少し涙ぐんでいる。
僕は奥から風呂敷に包んだ、長方形の包を取り出した。
風呂敷をほどき、僕が作った町家の模型を銭谷さんに見せた。
「これは、改修前の町家を再現したディスプレイ用の模型です」
模型の屋根を取り外して、二階部分を見えるようにして銭谷さんに説明する。
「いつもは改修された後の模型を作成するのですが、今回は銭谷さんに差し上げたくて、改修前の模型を作ってみました」
続けて2階部分も取り外すと、今僕たちが話している1階の間取りが見える。
改修前のキッチンへと続く土間が特徴的な町屋を再現したつもりだ。
「せめてものお礼にと思い、作ってみました。もしよかったら受け取ってください」
「ありがとう。本当にありがとう」
「大切にします」
銭谷さん夫婦はそう言って、改修前の町家の模型を受け取ってくれた。
愛おしそうにその模型の中の一つ一つの部屋を眺めている。
「僕たちもこの町家を大切に、丁寧に使わせていただきます」
引っ越された銭谷さん夫婦にとって長年住み慣れた町家は、ある種アルバムのような「思い出」の品だ。
これから僕とレイさんが住まわせていただくこの町家は、今は未来の「希望」のような存在だと感じている。
いつか僕とレイさんも年を重ね、この町家が思い出と思えるようになる時がくる。
その時にはこの銭谷さん夫婦のように、沢山の思い出をこの町家に刻むことができていたらいいな、と感じた。
銭谷さん達が帰られると入れ替わるように、人前式の出席者が集まり始めた。
新しい参列者が見えるたびに、僕とレイさんは町家の中を案内する。
今までも町家の内覧会として、自分が設計した町家をお客様に案内したことはあったが、これからもこの家に遊びに来てくれるあろう、親しい人に説明するのはまた違った感覚だ。
笑顔の絶えない時間となった。
予定の11時になり、参列の皆さんは茶の間に座っていただいた。
今回はできるだけ普段着っぽい格好で参列してもらった。
茶の間と表側のカウンターを仕切る扉を開け、僕とレイさんと所長はカウンターの前に立った。
僕とレイさんも普通のスーツに身を包んでいる。
少しだけ新郎新婦ぽい感じが欲しいね、と言ってレイさんの友達が用意してくれた生花の飾りを胸に付けていただいた。
司会をお願いした所長はジーンズだ。
「えーでは、定刻になりましたので式を始めさせていただきたいと思います」
「あなた、リラックス!」
「う、うるさいな」
マイクを持ってちょっと緊張気味の所長だったが、所長の奥さんの突込みで場の空気が和んだ。
簡単に僕とレイさんのプロフィールを所長に読み上げて貰う。
「と、お二人のプロフィールをご紹介させていただきました。
では続きまして、先ずは新婦からの皆さんへの御礼です」
レイさんが手にした封筒より手紙を取り出し、読み上げる。
「出席者の皆さん、今日は本当にありがとうございます。
今日を持って川井さんと夫婦になって、これから一緒に暮らしていきます。
これからも皆さんに支えていただくことも多々あるかと思いますが、引き続きみなさんよろしくお願いします」
レイさんは深々と頭を下げた。
「そしてお父さん、お母さん、今まで育ててくれて本当にありがとう」
カウンターから花束を取り出し、レイさんからお父さん、お母さんに手渡した。
参列者から拍手が送られる。
「レイ、ありがとう。これからも二人仲良くね」
レイさんのお母さんがにっこり笑ってレイさんに声をかけると、レイさんも堪えきれず涙を零した。
レイさんのお父さん、そしてお兄さんは揃って号泣しており、言葉にならない。
「やだ、お父さん、そんなに泣かないでよ」
とレイさんは自分の涙を拭ったハンカチをお父さんに渡した。
「お言葉ありがとうございます」
涙もろい所長も貰い泣きしている。
「えー、では次に川井君お願いします」
「はい」
僕も手にした封筒から手紙を出そうと思ったが、用意した手紙ではなく今の自分の気持ちを話すことにした。
「皆さん今日は僕たちのために集まっていただき本当にありがとうございます」
一礼をして、挨拶を続ける。
「あまり取り柄のない僕ですが、お父さんが小さい頃本の面白さを教えてくれて、所長や設計所のみんなが町家の設計する厳しさ、楽しさを教えてくれました。
他の皆様にも本当に多くのことを教えていただきました」
一息入れて、参列者のみんなの顔を見る。
本当にお世話になっている、愛おしい人達ばかりだ。
「運がいいのか周りの人がよい人ばかりで、楽しく暮らすことができています。
そして去年、レイさんに出会いました」
「ポケモンで!」
と、突込みが入ると、みんながどっと笑った。
「はい。あの時に偶然が重なっていなかったら、レイさんに声をかけることもなく、間違いなく今日の日はなかったです」
レイさんの方を見ると、レイさんも感慨深げにあの時の様子を思い出しているようだった。
「レイさんと会ってから、色んな事があり沢山の人にも出会えました。
そして今回、この町家を、銭谷さんから譲っていただけるという幸運なこともありました。
これからもいいことだけではなく、思いもがけないことも経験することもあるかと思います。
今後はレイさんと一緒になって二人で乗り越えていければと思っていますので、これからもよろしくお願いします」
頭を下げると、一同から拍手をいただいた。
その後僕も花束を手にした。
今年定年となるすっかり白髪となった父と、相変わらずパワフルだが少し疲れやすくなった母に花束を手渡した。
こちらは三月家と違って、父が毅然と「頑張れよ」と僕に言ってくれ、母は珍しく涙を流している。
母の涙を見るのは初めてかもしれない。
「お母さん、今まで本当にありがとう」
僕は母に心からのお礼を言い、カウンターに戻った。
「ではお二人の皆様への挨拶が終わりました。
二人の結婚に賛成の方は、暖かい拍手でお願いします!」
所長が言うと、大きな拍手でみんなが応えてくれた。
僕とレイさんは深々と頭を下げる。
拍手が鳴りやむのを待って、所長がマイクを持ち直した。
「皆様ありがとうございます。
二人が夫婦となることを皆様がお認めになったことを確認できました。
それではお二人、指輪の交換をお願いします」
僕もレイさんも気恥ずかしいから、みんなの前での指輪の交換は遠慮しようとしていたが、所長が場が締まらないからと言い張って、式の最後に交換することとなった。
所長から差し出された指輪の箱を開け、僕がレイさんの指に指輪をはめた。
今度はレイさんが同じように僕の指輪をはめてくれた。
「ではこの時、この時から二人が夫婦になりました。ナオ!レイさん!おめでとうございます」
僕たちがもう一度、参列者のみんなに頭を下げると、万雷の拍手が起こった。
その後はだんだん調子に乗ってきた所長が、軽快な口調でみんなから一言づつお祝いの言葉を募った。
友人や同僚たちに祝ってもらった後、最後にレイさんが行きつけのカレー屋のマスターがマイクを握った。
「僕も色んな結婚式に出ているけど、こんなに温かい手作りの結婚式は初めてだなぁ」
マスターは独特なのんびりした口調で話すと、賛同の拍手がおこった。
「ナオ君、レイちゃんおめでとね。結婚してもまたうちに食べに来てねー」
「はい。絶対行くわ。またグリーンカレー作っておいてね」
「はーい」
和やかなまま、僕たちの人前式は無事終わった。
準備が大変だったけど、人前式にしてよかったと思った。
その後は金沢でも有名な宝生寿しさんでお食事会。
二次会は行わず、それぞれの家族に挨拶して別れ、本日の予定はすべて終わった。
来週末は内覧会もあり、明日からは親戚周り等もある。
新婚旅行は落ち着いた頃にと、別の日取りで予定している。
なんだかんだ後片付けを終えると、すっかり夜になっていた。
母が差し入れてくれた「芝寿司」の豪華なお弁当の封を開け、ようやくゆっくりと二人の時間となった。
「疲れたー」
「お疲れさまでした」
「疲れたけど楽しかった」
「本当に」
「美味しそう!」
地元の持ち帰り寿司として有名な芝寿司の、細かく区切られたお弁当。
可愛らしいおにぎりや彩りにとんだおかずが並んでおり、どれも美味しそうでどれから食べようか迷う。
「では、かんぱーい」
「かんぱーい」
二人でコップについたビールで乾杯した。
「それにしても、人前式、いい感じで終わりましたね」
「私もそう思った。本当はもっとあっさりとした感じで終わる計画だったけど、所長さんの司会がうまかったわね」
「最初緊張していましたけど、途中からブーストしてちょっとほろ酔いの調子のいい所長になってました」
「はは」
「カレー屋のマスターも言ってくれましたけど、温かい手作りの式になりました」
「出席者の皆さんもよかったしね」
「はい」
「ナオ君も町家お疲れ様」
「銭谷さんが町家の模型を喜んでくれてよかったです」
「本当に。毎日随分遅くまで作っていたもんね」
「もっと早くから思いつけばよかったのですが、直前だったので」
「そうね、完成直前も色々あったもんね」
「あっ、そういえば今日ポケストップ回していない!」
お弁当もあらかた食べ終えた頃、急にレイさんが言った。
スマホのゲームでは毎日継続的にプレイしてもらうため、連続ログインボーナスという仕組みがよくある。
ポケモンGOでログインボーナスにあたるのは、一日一回最初にポケモンを捕まえたときと、最初にポケストップを回したタイミングだ。
毎日特典は貰えるが、連続して7日目には大きなボーナスが貰え、また1日目に戻る。
それにより途切れることなくポケモンGOを起動させる狙いとなっている。
「こんな時、家にポケストップがあるのいいですよね」
今までの実家だったら、同じように気づいた場合は、歩いて3分の近所の公園まで行かねばならなかった。
レイさんは自分のスマホでポケモンGOを起動する。
僕もレイさんに遅れて、ポケモンGOを起動した。
「あっ、『ラッキー』がいる!」
「本当ですか!?」
見せてくれたレイさんのスマホには、ピンク色の丸々とした可愛らしいポケモンが表示されていた。
「ラッキー」という名前のポケモンで、初期の頃は非常にレアなポケモンだった。
今ではそんなに珍しくはないが、それでも野生で見かけることはあまりない。
レイさんは慎重にスマホの上で指を回し、ラッキーをゲットした。
そしポケストップをグルグル回し、本日のボーナスを受け取った。
僕もそれに続く。
「うーむ、このラッキー、個体値はちょっと残念ね」
捕まえたポケモンにはそれぞれランダムに「攻撃力、防御力、体力」が設定されており、ポケモンを強化する場合はそれぞれの個体値が高いポケモンを選抜して強化する。
「じゃ、交換します?」
二人とも捕まえたポケモンを交換した。
ポケモンを交換することによって、個体値がまたランダムに変化するので、強いポケモンになるかもしれないのだ。
「わっ、キラポケになった!」
お互いのスマホの画面上で、ラッキーがキラキラ輝いている。
プロポーズした日の晩は、お互いがキラフレンドの状態だったので、次のポケモン交換はキラポケモンになることが確定していたが、普通のフレンドの状態でのポケモン交換で、キラポケモンになることは滅多にない。
「今日のご褒美ですね」
「そうかもね」
「とりあえず、このラッキーの名前、記念に変えときます」
「私も」
僕はキラキラ光っているラッキーの名前を「3・7結婚記念日」と変えた。
「あら、ストレートな名前ね」
「レイさんは、なんて名前を付けたのですか?」
「教えなーい」
とレイさんはスマホを隠そうとしたが、一瞬ちらっと「キラッキーちゃん」と見えた。
「ぶっ!?、なんですかその名前は」
思わず飲んでいたビールを吹き出しそうになる。
「いいの!可愛いでしょ?」
「キラ・ラッキーちゃんじゃないですか」
「それだと8文字に収まらないでしょ」
「まぁ、そうですけど」
笑いながら夜が更けていった。
「そうだ、まだレイさんには聴かせてませんでしたけど、この茶の間の音響設備は少し奮発したんです」
「スピーカー大きいもんね」
前にレイさんが、持参しているCDをお店で聴くようないい音でいつか聴いてみたい、という話を聞いていたので、いいアンプとスピーカーを設置してみた。
「CDかけますね」
いつもドライブ中に聴いている、レイさんも僕も大好きな「杉野清隆」さんのCD「メロウ」をプレイヤーにセットした。
祭りばやしが去って 若者は駅へと変える
まだ街には赤い 明かりが残る
帰れない人たちは 残る明かりで夜を明かす
その白く霞んだ 街を歩く
ブルーボーイ、君と世界のことを話したい
ブルーガール、君と世界の果てまで
ブルーボーイ、君と世界のことを話したいんだ
ブルーガール、君と世界の果てまで
『BlueBoy』 杉野清隆/メロウ
「私の家のプレイヤーや車で聴く音と全然違うね。CDにこんなに沢山の音が録音されていたんだ」
「そーなんです。僕もびっくりしました。情報量が多いというか、音の粒が細かいというか」
オレンジ色の列車が ガタゴトと朝を抜けてく
その街にまた赤い 明かりが灯る
静かな大野の夜。
音楽の向こう側まで耳を澄ますと、微かに日本海の波の音が聞こえる。
これからも色んな事があるだけろう。
この金沢の街で、この町家で、レイさんとずっとといっしょに楽しく暮らしていけたらと心の底から願いつつ、スピーカーから流れる優しい歌声に耳を傾けた。
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