第6話 キラフレンド

33歳にして初めて彼女ができた。


珠洲からの帰りの道中にレイさんに告白して、正式にお付き合いすることになった。

レイさんからは「もう付き合っているみたいな感じだったけどね」と言われたが、僕的にはちゃんとレイさんが了承してくれて、一区切りついたとほっとしている。

そう感想をレイさんに述べると、相変わらず堅いのね、と笑われた。

それからも休日はクロスバイクで待ち合わせて、ポケモンGOを目的にサイクリングしたり、デートも兼ねてお隣の福井県や富山県まで車で遠征したりするようになった。


福井県では僕が前から行ってみたかった、福井県立恐竜博物館まで足を運んだ。

恐竜博物館は恐竜の骨や化石の展示だけではなく、ハイテクな仕掛けもある。

前後に大きな壁があり、前の壁に恐竜の映像が投影されたかと思うと、後ろの壁に恐竜が飛び移る、といった趣向を凝らした迫力ある映像に驚かされた。

お昼は恐竜博物館内の食堂で、恐竜の足跡を模したハンバーガーを二人で食べた。

そのあとに福井駅前まで足を延ばすと、駅前には大きな恐竜たちが出迎えてくれる。

福井は県をあげて恐竜で盛り上がっているのだ。

夜は福井の定番B級グルメであるヨーロッパ軒の「ソースカツ丼」を味わった。


富山県では富山市科学博物館に行ってみた。

入り口には入場者を出迎えるように、大きなマンモスの展示されていた。

ここにも恐竜の展示もあるが、富山に住むの動物たちのはく製があったり、昔の富山の人の暮らしが再現されていたりと、幅広い展示となっている。

科学博物館で特に楽しかったのは、極寒地での雪の結晶を体験できるなどの科学的なアトラクションの数々だ。

僕とレイさんは予定していた2時間をオーバーして、半日以上を科学博物館で楽しんだ。

コンパクトシティを掲げる富山の街中には、沢山の路面電車が走っている。

せっかくだからとLRT(ライトレール・路面電車)にも初めて乗って、富山の街中を観光した。

富岩運河環水公園という富山市民の憩いの場でポケモンGOをプレイし、少し疲れた頃にガラス張りが美しい「スターバックスカフェ」でコーヒーを飲んだ。

夕食は「富山ブラックラーメン」で有名な大喜というお店で、真っ黒なスープのラーメンに初チャレンジ。

見た目ほど味は濃くなく、スパイシーな胡椒が効いた美味しいラーメンだ。

わざわざ関東や関西の都会まで足を運ばなくても、金沢の近隣の範囲だけでも十分一日楽しめることを知った。


二人とも飲みに行くのも好きなので、レイさんの行きつけのお店や、僕の設計したお店にも待ち合わせてよく行った。

レイさんの行きつけの店に僕も少しづつ馴染んできて、個性的な常連さんたちの会話に加われるようになり、いろんな人たちと仲良くなった。

今までより充実した時間を過ごしている。


平日金曜日のお昼休み、設計事務所で母の作ってくれたお弁当を食べていると、所長から声をかけられた。

「ナオ、日曜日の午前中、空いていないか?」

日曜日はレイさんとどこかに行こうとは話していたが、明確な予定はない。

「さっき町家研究会に行ったら金沢港近くの大野の町に、町家を手放そうとしている老夫婦がいるとの情報があってな。

よかったら行って話を聞いてみてくれないか」

「いいですよ」

「例の彼女とのデートとか大丈夫か」

「ええ、会う約束はしていましたが、特に時間とか目的地とか決めてないので、時間は調整できます」

「なんだったら、彼女と一緒に行ってもいいぞ。

観光エリアからも外れているようなんで、あまり商売の話にはならなさそうな案件なんだ。

先ずは気軽に話を聞くだけでいいんで」

「はい、わかりました」

「お年寄りなので朝が早くて8時ぐらいに来て欲しい、と言われているんだ。休日に早くて悪いけど頼むわ」

「はい」


所長から町家の詳しい住所を教えて貰った。

家に帰ってレイさんにLINEすると、仕事の邪魔じゃなければいいよ、と一緒に行くことになった。

僕の家から大野の町まで行くには、金沢の山から海までを横断する形になる。

少し遠いけど、クロスバイクで犀川のサイクリングロードを下って行くことに決めた。

残暑が厳しくまだまだ日差しも強いので、打ち合わせの時間が朝早いのはありがたい。


日曜日の早朝、レイさんとクロスバイクで合流し、先ずは犀川のサイクリングロードを目指した。

サイクリングロードは正式には「犀川自転車道」という。

犀川沿いの犀川神社を起点として、地元では健民プールで有名な健民海浜公園を終点とする全長約8㎞だ。

基本的に犀川神社より上流にも、川沿いに自転車が走れる道は続いているのだが、デコボ道でクロスバイクの様な空気圧の高くて細いタイヤでは走り辛い。

ロードバイクで走っている人は皆無で、すれ違う自転車はほとどんがママチャリなど普通の自転車だ。

僕とレイさんはスピードを落とし、ゆっくりと犀川沿いを下った。


犀川にかかる幾つかの橋の下を通る度に川幅は広まっていき、犀川と日本海が合流する金石港(かないわこう)に近づくと川というより海の気配が強くなった。

犀川自転車道から別れ、昔ながらの狭く入り組んだ金石の町の中を抜けて、大野の町に向かう。

海風に微かに醤油の香りが混ざった。


昔金石や大野には、多くの醤油の蔵元があった。

同じ大豆の加工製品である味噌の製造も盛んだったらしい。

今もその名残で僅かだが醤油の製造会社が残っており、金石には「味噌屋町」という町名が残っていたりして、当時の面影が至る所に感じられた。

大野では使われなくなった醤油蔵を観光施設として活用し、醤油を使った町おこしをしている。

「醤油ソフトクリーム」と書かれた看板も見かけた。

今回連絡のあった町家に住んでいる「銭谷さん」の家はそんな大野の町の一角にあった。


「ココみたいです」

Googleマップで場所を確認して、僕とレイさんはクロスバイクを古びた町家の軒先に停めた。

思ったより大きい町家で、昔は店舗として使っていた「職住併用」の町家のようだ。

町家も大きく分けると、商人系、武士系、足軽系、比較的近代和風系などに分類される。

今回依頼があった町家は、商人がお店兼住宅として使っていた町家のようだ。

年季の入った表札を目を凝らして読むと、所長から教えて貰った「銭谷」の名前が毛筆で書かれていた。


お互いヘルメットを脱ぎ、タオルで汗を拭いた。

「おはようございます。連絡した川井です」

玄関の扉を開け、大きめの声で挨拶した。

玄関は「土間」と言ってコンクリートを打ちっぱなしの床に、木の立派なカウンターが聳え立っている。

ここで商売をしていたのだろう。

木のカウンターの上は吹き抜けになっており、重厚な太い木の柱が縦横重なって天井まで続いている。

ぱっと見た感じ、壁などは老朽化しているのは間違いないが、柱は今の住宅よりも太く強固に組み立てられているのが一見してわかった。


「はーい」

しばらく間が空いたが、奥から老婦人が出迎えてくれた。

「川井です。今日はよろしくお願いします」

「銭谷です。こちらこそ」


老婦人は土間の奥へと僕らを案内してくれた。

下足場横の部屋の襖を開けると、大きな茶の間が見えた。

16畳ほどだろうか、真ん中には囲炉裏がある。

「お邪魔します」

僕とレイさんは、囲炉裏の横に置かれた大きなテーブルの椅子を引いて座った。


「すみません、主人の足が不自由なので椅子に座ったままで失礼しています」

畳の部屋には不釣り合いのテーブルと椅子は、足が不自由になってから置かれたものであろうことは容易に想像できた。

「銭谷です。今回はわざわざお越しいただいてありがとう」

背筋を伸ばし、毅然とした態度で椅子に腰かけた白髪の老人が僕たちに軽く会釈した。

「川井です。よろしくお願いします」

「三月です。」

レイさんも併せて頭を下げた。


奥さんが僕たちにお茶菓子とお茶を出してくれる。

「立派な町家ですね。昔はご商売をされていたんですか?」

「10年ほど前までは味噌と醤油と塩を細々と売っていましたが、今ではこの通り足も不自由になってしまいまして店はたたみました」

銭谷さんの傍らには杖が置かれている。

「今はまだ体が動くうちにと、家を整理しているところなんですわ」

「次のお住まいも探しているのですか?」

「隣の白山市に住む娘夫婦が一緒に暮らそうと言ってくれてまして、来月そこに引っ越す予定です」

奥さんが答えてくれた。

「なるほど。最近は町家をバリアフリーに改修して住む方もいらっしゃいますが、このおうちはどうされるつもりですか」

「改修も考えましたが、今の私たちではこの家は広すぎますので手放すことに決めました」


見回すと確かに高齢のご夫婦が二人で住むには広すぎる家だ。

土間からこの部屋へ上がる段差も高く、今でも大変な思いをして暮らされているのだろう。

全体的に今のような暑い時期は過ごしやすそうな家の造りだが、隙間も多く、冬の寒さはかなり厳しいと思われる。


「もし宜しければ、少しお部屋を拝見させていただいてよいでしょうか。勿論差支えのない範囲で構いません」

「もう物は最低限しかない状態ですので、どの部屋でも自由に見ていただいて結構ですよ」

夫人が優しく言ってくれ、案内してくれた。


土間は奥まで通路として続いており、途中に台所、その奥にトイレとお風呂があった。

毎回スリッパに履き替えて、冬は底冷えする土間を通るのは大変なの、と奥さんは言われた。

お風呂場の前を過ぎると、縁側が見える。

小さいが整えられた中庭には、大きな松が聳えだっていた。

海が近く風も強いので、防風林の役割も果たしているのだろう。

縁側を渡ると奥に正方形の小さな部屋があり、昔は茶室だったらしいが今では夫婦の寝室となっている。


昔の町家では二階に上がる階段は、狭くて急勾配だ。

二階は子供たちが巣立って行ってからは、主に物置として使っていたとのことだが、今ではその荷物もほとんど処分され、ここ数年はほとんど使われいない。

細い渡り廊下を挟んでぐるりと中庭を囲むように二階は作られており、どの部屋からも中庭の松が見える。

統一された障子の上部に嵌められている「すりガラス」が、昭和レトロな柄で可愛らしい。

いや昭和ではなく、明治か大正の時代のガラスかもしれない。

どちらにせよ今ではお目にかかれない、丁寧な仕事の建具の数々に囲まれている。


一通りおうちの中を見せて貰って、囲炉裏の横のテーブル席に戻った。

「いやぁ、素晴らしいおうちですね。凄く良い町家です」

僕は興奮気味に言った。

「一回では中庭と縁側、そして中庭を囲むような二階がよかったです」

「ありがとうございます」

銭谷さんは静かに笑みを称えた。


「このうちはいつ頃お売りになる予定なのですか?」

僕が尋ねると、夫人が答えてくれた。

「具体的な時期はまだ決めてはいなくて。本当は近所の人に譲りたかったの。

ただ差し上げても改善費用がかかるので、近所の人や役所の方にも要らないと言われ、それで取り壊そうと考えているの」


この規模の町家だと、改修を最低限に抑えても、新築の建売住宅に近い費用は最低限かかるだろう。

特に設計費用はピンキリだが、うちのような良心的な価格の設計事務所でもそれなりに必要となる。

量産的に作られる建売住宅とは異なり、ハンドメイドの町家の改修作業はどうしても専門知識を持った熟練した設計士が設計に携わねばならない。

そうでないと、ただ見た目が町家風のとんでもない住宅となってしまう。


「子供や孫のためにも私たちの代で憂いをなくしたいと考えて、更地にしようかと悩んでいたところ、町会長さんが金澤町家研究会さんに相談してくれたんですよ」

「そうでしたか。確かに取り壊すには勿体ない町家です」

僕は少し考えた。

観光用の店舗に改築するのが建屋の構造的にはベストだが、付近の感じでは、新しく商売を始める場所としては少々厳しい。

住居としては静かでいいところではあるが、周りには生活するためのお店も少なそう。

車で行動する若いファミリーなら問題ないが、金沢の街中よりも少し離れたこの場所で、改修をしても住んでみたいと思ってくれるオーナーを探すのは一苦労だ。

そういったオーナーに巡り合うには、何年もかかるかもしれない。


こうやって消えて行った金澤町家を僕は何件も知っている。

事情はそれぞれ千差万別だが、今回のように事前に情報をキャッチできるのは稀なこと。

ほとんどの場合は空き家で数年間放置され、貴重な町家が安全のため人知れず取り壊されるケースが大半だ。

そう考えて所長も、せめて僕に話だけでも聞いてこい、と言ったのだろう。

僅かな可能性にかけて。

だが、残念ながらこの件で僕でお役に立てることはないかもしれない。


「なんならあなた達夫婦で、住んで貰えんかな」

なんて言おうか逡巡している僕に、銭谷さんが唐突に言った。

僕はあっけに取られ、横にいるレイさんを見ると、さすがにレイさんも驚いた表情を浮かべている。


「やーねぇ、あなた。先ほどのこの人たちの挨拶を聞いていなかったの?ご夫婦じゃないのよね、あなた達」

「はい」

僕は頷いた。

「そうやったか、失礼した」

銭谷さんは軽く頭を下げた。

「ただ、この家を壊すぐらいなら誰かに住んで欲しいと思っておる」

お茶を一口飲み、銭谷さんは続けた。

「この周りにもたくさんの家があったが、ほとんどが更地になった」

一瞬銭谷さんが目を閉じた。

昔、家が沢山あって、活気があった時代を思い出しているのだろう。

「生まれ育った家が無くなるのは本当に忍びない。

誰でもいい、ワシらが生きている間だけでも若い人がこの家に住んでいてくれたらこんな嬉しいことはない」

「けど更地にして売れれば幾らかのお金が、、、」

「この辺の土地の価格なんぞたかがしれとる」

「幸い、この人が若い頃から一生懸命働いてくれたおかげで、贅沢しなければ暮らしていけるだけの貯えはあるの」

「では壊さずにしばらくこのまま残しておくというのはどうですか?」

「この人が今でも台風の度に、瓦が飛んで近所に迷惑をかけないか気にしているの。

もう本当は瓦も新しくした方がよいと、大工さんに言われていて」

「そうなのですね」

「まぁ、ここであったのも何かの縁じゃ。来月までは住んでおるんで、あんたらが住みたければそれまでに言ってくれ」

「、、、わかりました。」


銭谷さん夫妻に茶の間で挨拶して、玄関先で夫人に見送られ、僕たちは深々と頭を下げた。

クロスバイクに跨り町家を後にする。

銭谷夫人の前から見えなくなった路地でクロスバイクを停めた。

「最後は凄い話になったね」

「はい、驚きました」

「いい話だったんじゃないの?」

「そりゃあ、なかなかお目にかかれない貴重な町家でしたけど、、、」

「ナオ君のポケットマネーでポーンと買ったら?」


自宅暮らし、かつ普段も本ぐらいにしかお金を使わない生活だったので、設計士になってから毎年100万円近くは貯金している。

それを頭金にして、あとは親に借金できれば、と思わず費用の算段を計画する。

設計は自分でやるので費用はかからないし、施工は馴染みの工務店で安くして貰って、柱や建具はできるだけ今あるものを残して。。。

「やだ冗談よ、じょーだん」

本気で思索を始めた僕は、レイさんの一言で現実世界に戻った。


「レイさん、所長に報告するために、もうちょっとだけこの近辺を散策してていいですか」

「いいよ。じゃ私は邪魔しちゃ悪いからそこのベンチで座って待ってる」

「10分ほどで戻りますので」

「ごゆっくり」


僕はスマホを取り出し、銭谷家の外観や近隣の風景を写真に収めた。

近所の道路幅も目分量で測り、おおよその寸法をメモに残す。

付近の道路から銭谷さんの家までに至る導線を想定する。

強くなってきた夏の終わりの日差しを浴びつつ、汗をかきながら15分ほど歩き回った。


「お待たせしました」

「はーい」

日陰のベンチに座っていたレイさんがスマホから目線を上げた。

「いろいろ確認できた?」

「おかげさまで」

「ほら見て」


レイさんがスマホに表示されたポケモンGOの画面を僕に見せる。

「銭谷さんの家、ポケストップになっているわよ」

「本当だ」

昔のお店だった名残の「味噌」と大きく書かれた看板が、ポケストップに設定されていた。

「さらに家の奥の部屋からなら、ジムにも何とか届きそう」

町家の裏手にある公園がポケモンGOのジムにも設定されている。

「『ポケモンGOに最適な金澤町家』って売り出してみたら。なーんてね」

意外といいかもしれない。


せっかくなので銭谷家の裏側にある小山にもクロスバイクで登ってみた。

「へー、海がこんなに近いのね」

小山の頂上に登ると、松林の間から海沿いの太い道路と、砂浜を隔てて日本海が見える。

海は珠洲で見た浅瀬がある穏やかな内浦の海とは異なり、いきなり水深がズドンと深くなっているようで、黒く荒い波がうねっていた。

「同じ海でも、やっぱり違うわね」

レイさんは目の前に広がる海と、故郷の珠洲の海と比べて言った。


帰りはサイクリングロードには戻らずに、クロスバイクでしばらく海沿いを走った。

金沢港を経由して「ミューツーレイド」の際にも立ち寄った、石川県庁の18階の展望台に登る。

展望台から今来たばかり大野の町を眺めると、昔ながらの大野の狭い道が、複雑に入り組んでいるのがよく見えた。

車が通るにはあまり適していないかもしれないが、その分、飛ばす車がいない点は落ち着いて暮らすにはよいかもしれない。

その光景も何枚かスマホのカメラに収めた。


クロスバイクで石川県庁から金沢市民芸術村の方に向かい、再びサイクリングロードに合流し、犀川の上流に向かう。

ペダルを漕ぎながら、銭谷さんの町家の改修イメージが途切れることなく頭の中に浮かんだ。


翌日の月曜日、陽が落ちてから汗だぐで帰ってきた所長に銭谷家の報告を伝えようとすると、

「ビールのみてぇ。ナオ、焼き鳥でも行くか?」

と行きつけの焼き鳥屋に所長と二人で出かけた。


まだまだ昼間の蒸し暑い空気が、塊のようにどっぷり残っている金沢駅前を所長と歩く。

お店についた頃には僕もじっとり汗だぐになった。

「お疲れさん!」

渇いた喉に生ビールが染みわたる。

「かー、うまい」

あっという間に一杯目のビールを飲み干し、お替りを頼む所長に続いて、僕もビールをお代わりした。

所長は好物の砂肝とレバーと軟骨を頼み、僕に銭谷さんの町家の話を促した。

スマホで撮った写真を織り交ぜながら、所長に昨日のことを話す。

所長は焼き鳥を頬張りつつ、僕の長い話を熱心に聞いてくれた。


「うーん、やっぱり商売的な話に繋げるのは難しそうだな」

「そうですね。場所柄若いファミリー向けというより、年配者の方がフィットするかもしれませんが、クライアントを見つけるのは難儀しそうです」

「ただ話を聞く限り町家としては面白そうな物件だな。取り壊すのは勿体ない」

「はい。僕もそう思います」

「そうなると後は本当にお前が譲って貰うのもありだな。家主の希望を叶えるためには」

「実は、、、少し本気で考えていたりもしてます」

「まぁさすがにタダで貰うわけにはいかないが、それに準ずる価格では譲ってくれそうだしな」

「ええ。設計も自分で思う存分できますし、休みの日に僕が設計すればその分の費用は安く抑えれます」

「俺も自分の家がなければ、手を上げたいぐらいだよ」

所長の東山近くにある住居は町家を改修したもので、所長と造園師でもある奥さんのセンスの良さが随所に感じられる素敵な家だ。

その住宅を見て、僕もいつかは自分で設計した町家に住んでみたいと願っている。


運ばれてきた焼き鳥を食べながら、どう設計したいかを、所長と僕とで好き勝手に話していたらあっという間に2時間近くが経っていた。

所長は途中からチューハイに切り替えたが、僕は生ビールで通す。

お互いちょっと酔いも回ってきた。

なんら制約のない楽しい設計話もひと段落した頃、所長が締めのお茶漬けを食べながら僕に言った。

「設計はお前の好きなようにすればいいが、その前に大きなハードルがあるな」

「ふぁーどるですか?」

僕は締めに頼んだアツアツの焼きおにぎりを口に頬張りながら答えた。


「三月さんだっけ?にちゃんとプロポーズしないとな」

「ぶほぉ!?」

思わず口に含んだおにぎりでムセてしまった。

「当たり前だろ。町家を改修してお前ひとりで住むつもりなのか?」

「た、確かにそうです」

町家を譲って貰える話を聞いて浮かれてしまい、肝心なことを忘れていた。

このままでは恐らく初の「おひとり様用金澤町家」になってしまう。。。


「家なんて楽しく暮らしたい未来があってこそのものだろう?

未来が描けないと、最適な設計なんてできるはずがない。」

「はい」

自分がテクニカル的に試してみたい町家の改修を全部試したとしても、モデルルームの様な町家ができるだけだろう。

住んでみてから居心地の悪さに、後から気づくことになるかもしれない。

どんなライフスタイルとなるのか、お客の立場になってよく聞いて、よく考えろ、所長は常にそう言っている。

その言葉が自分のこととしてリンクするのは初めての経験だ。

どんな暮らしがしたいか、僕一人だけの意見でではなく、レイさんにも聞いてみたい。

レイさんはそんな未来を思い描いていないかもしれなけど。

「まぁこうなったら男も度胸。ガツン!とぶつかってみな」

考え込む僕に所長はそう言ってくれた。

「はい」

「じゃ、前祝いで今夜はおごっちゃる。ナオ、頑張れよ!」

「ありがとうございます!」


所長とお店の前で別れ、金沢駅前のバスターミナルに行くと、ちょうど自宅行きのバスが到着した。

冷房の効いたバスの座席に座って冷静に考えてみると、もしかしたら所長はこうなることを見越して僕にあの町家を紹介してくれたのかもしれない。

そうだとしたら所長の手のひらで踊らされている気もしたが、僕のことを気にかけてくれることに素直に感謝した。

家に帰り素早くシャワーを浴びてベッドに入る。

昨晩はどう設計しようか考えてなかなか寝付けなかったが、今晩はそれに加えレイさんになんて伝えようかと逡巡し続け、再び寝付けない夜になった。

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