異世界ユスティティア
あずさゆみ
《ユスティティア》
『…法秩序を揺らがせかねないため、裁判所に救済を求めたうえで権利の保護を実現するとし、自力救済は原則禁止とする。しかし、盗まれた物をその場で取り戻さなければ、犯人の逃走等の事由により再度見つけることは難しいといえ、裁判所の救済を求めたのではむしろ盗まれた物の占有回復の実現が著しく困難になると言わざるを得ない。したがって、法律の定める手続きによったのでは、権利に対する違法な侵害に対抗して現状を維持することが不可能又は著しく困難であると認められる緊急やむを得ない特別な事情が存する場合においてのみ、その必要の限度を超えない範囲内で、例外的に許されるものと解することを妨げない。
本件についてみると、原告は頭陀袋を引ったくられかけたところを、遅滞なき実力行使により盗難を阻止している。行使された実力の程度は、被告の鳩尾を一発殴打したにすぎず、被告のそれ以上の行動を一時的に阻止する程度と認められるものである。
蓋し、本件自力救済行為は例外的に許されるものと解し、原告の本件行為は適法であると判断する。』
「…以上、我、《ユスティティア》がここに判決を記す。っと。んああああああやっと終わったあああ!」
鬼の形相で羽ペンを動かしていた少女は、丁寧にペンをインク壺に戻してから乱暴に首をゴキゴキ慣らしながらぐぐっと伸びをした。
――《ユスティティア》。
それはこの王国にただ一人存在する、法の執筆者であり、法の守護者である者のみが名乗ることを許される称号。
ここルシア王国の宮廷には法律に関わる役人 《オルディニス》が数多仕官しており、王国内で適切に法が運用されているかを監視したり国民の要望を吸い上げた法案を組み立てたりと、王国内の秩序を維持するため多忙な毎日を送っている。
その《オルディニス》たちが練り上げた新しい法案や既存の法の改正案を、実際に運用される法に書き上げることは《ユスティティア》のみに許された業である。
既存の上位法に抵触しないか否か、他の法律と矛盾していないかどうかを鑑みつつ、新たなる法秩序を形成していくことが、法の執筆者であり、守護者たる《ユスティティア》に与えられた任務なのだ。
《オルディニス》では判断しきれない事項についての判決文を書くこともまた、《ユスティティア》の仕事。
少女の向かう机には書類の山がまだいくつも残っている。
「たしかに、『来世でも法律に関わらせてください』ってお祈りしたけれど……」
彼女以外誰もいない部屋を見回し、一人ごちる。
「……まさか法律の書類に圧死しそうになる人生になるとは思わなかったなぁ」
弱気な発言とは裏腹に、彼女の眼は愉しげに爛々と輝いている。
「法律に魂を吸われた者」と影で囁かれるまだ若き当代の《ユスティティア》は再び羽ペンを手に取り、獰猛な笑みを浮かべながら次なる判決文に取りかかった。
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