第5話 どうやら、いろいろ問題発生のようです。 

 我ら西ノ宮高校には屋内プールが併設されている。

 数多くの生徒が利用しており、今日は普段よりも暑いため人がいるかと思ったら、そうでもなかった。

 というか誰もいない。

 そんな更衣室。午前十時。

 俺は一人でいる。

 獅郎の野郎はドタキャンしやがった。

 学校に着いた途端に、『わりぃ、どうしても外せない用事ができた。埋め合わせはピオネロでするから勘弁』と、スマホにメッセージが入った。

 あいつには欲しい素材が出るまで、クエスト周回をしてもらうつもりだ。

 獅郎がいないから帰ろうかと考えたのだが、今日は珍しく暑いし、ここまで来たからな、と思い単独でやってきた。

 どうせ誰もいないし思う存分羽を伸ばせる。

 屋内プールを利用するだけだが、一応学校所有のため、制服で登校しないとならない。制服をロッカーに詰める。替えの服を持ってきてよかった。背中が少し汗ばんでいるから。

 時間をかけず学校指定の競泳水着に着替え、早速プールに向かう。ロッカーのある部屋を抜け、右手に個室のシャワールーム。左手にトイレ。最後に天井にシャワーが張り付いている通りを抜け、いざプールへ。

 やはり誰もいなかった。

 貸し切り状態はどこか浮き足立つものがある。

 大体一時間ぐらい泳いだら帰るか。獅郎がいれば、会話しながらできるから長居出来るけど、いないからな。

 ……。

 誰もいないし。

 俺は思いっきりプールに飛び込んだ……!

 

 「生温い……」


 そうだとしても気持ちがいい。

 とりあえず、50メートル泳ごう。

 25メートルをクロールで泳ぐ。

 こうして泳ぐのは久しぶりな気がする。中学の時は、学校指定の水着を購入したが、結局あまり使わなかった。主に体育館で行う種目を選択していた。

 だけどこう泳いでみると、高校の体育の授業は水泳でもいい気がする。

 残り25メートルは平泳ぎで泳ぎ切る。

 

 「あ……」


 50メートル。つまり、スタート地点である入り口に戻ってきたのだが。

 水中から顔を上げると、花蓮がいた。


 「あ、こんにちは…奏太」


 「あ、ああ」


 花蓮はやや目をそらしながら挨拶をした。

 俺の返事もぎこちなくなった。

 相変わらず今日も聖女様だ。スタイルがとても良いと、女子が話してたのを聞いたことがあったけど、まるでモデルみたいだ。

 競泳水着の影響で身体の線が綺麗に出ており。出るところは出て引っ込むところは引っ込んでいる。肌が白くて周囲がキラキラしている。


 「一人ですか?」


 花蓮が目を泳がせながら訊いてきた。

 若干耳が赤い気がする。

 男子相手に水着を見せる気恥ずかしさがあるのは、当たり前のことだ。見過ぎないようにしよう。

 この状況、山本がいたら大喜びだな。


 「まあな。本当は獅郎も来る予定だったんだが、ドタキャンしやがったんだ」


 「私も同じです。美奈みなと来る予定だったのですが、急に来られなくなっちゃったみたいで。せっかく来たので泳ごうかな、と」


 美奈は、俺の見る限り花蓮と仲がいい女子生徒だ。身長が低く童顔。花蓮が黒髪を肩口で揃えているのに対し、美奈は淡い栗色の長髪だ。見た目が、大人の真似をしているような子供なため、容姿のことを指摘するとめっちゃキレる。

 俺と獅郎が小学生からの仲で、美奈は中学二年の時に知り合った。


 「まったくもって俺と同じだ」


 俺がため息を吐きながら獅郎に呆れていると、花蓮は苦笑した。

 

 「二人揃ってついてないけど、プールは最高だよ。花蓮も入ったら?」


 「そうですね。せっかく来たので、たくさん泳ぎます」


 俺の隣に花蓮が滑り込む。


 「気持ちいいですね。今日は暑かったので、ちょうどいいです」


 「だな。急に暑くなったよな。……花蓮、25メートル勝負しないか?」


 「クロールならいいですよ」


 俺のいきなりの提案に、花蓮は快く承諾してくれる。

 俺はゴーグルを装着しながら、


 「スタートは、あのラップタイマーが60を指したらスタートだ」


 「わかりました」


 秒針は60秒まで残り20秒。

 そこで花蓮は、ある提案をしてきた。


 「もしこれで負けたら、相手の言うことをなんでも一つ聞くって、どうですか?」


 「何でもって…いいのか?軽々しく男にそんなこと言って」


 何でもなんて聞いたら、ほとんどの男子は変に妄想してしまう。しかも、聖女様からの提案となると余計に。

 しかし俺の心配は、花蓮には通用しないようだった。

 花蓮は得意げに笑った。


 「大丈夫ですよ?クロールなら私早いですから」


 「そこまでいうなら……俺も運動が得意だぞ?後悔するなよ」


 ラップタイマーが60秒を指し示し、俺たちは同時にスタートした―――






 ―――負けた。完膚なきまでに負けた。

 最初は並んでっていたものが、彼我の距離はひらき負けた。

 成績優秀なのはもちろん。運動も得意とは聞いていたけど、ここまでとは。

 水泳部に所属すれば、上を目指せるのでは。

 何気負けたことに悔しい俺に対し、花蓮は得意げに笑った。それは聖女様ではなく、歳相応の女の子の笑みだ。


 「ふふーん。どうですか?私、速くないですか?」


 「速い…速すぎ…」


 上がった息を整えながら、花蓮を一瞥する。

 鼻を高くし、意気揚々とする花蓮はすごい嬉しそうだ。


 「それでは、奏太には私の言うことを聞いてもらいますね」


 一体どんな願い事をするのか。

 俺は勝つつもりで泳いだけど、それでも願い事をするつもりはなかった。何も考えず、泳いでいたのだが…こうして女子から頼み事をされると、ドキドキするものがある。


 「あの、私に泳ぎ方を教えてくれませんか?」 


 「泳ぎ方……?」


 俺は怪訝そうに首を傾げると、花蓮は困ったように微笑した。


 「実はですね…クロール以外泳ぐことができなくて」


 「そうだったのか?運動が得意って聞いてたから。てっきり」


 「いいえ。みんなは体育の時の陸上の姿を見て、そう言ってますけど。水泳に関してはそこまで得意ではなくて。クロールは簡単に泳ぐことが出来たので、極めてみたのですが、それ以外はめっきり駄目でして」


 「なるほど。だからあんなにも速いのか」


 「駄目でしょうか?」


 上目遣いで聞いてくる。

 その様子はとても可愛らしく。幼い少女のようだった。

 約束は約束。

 一度した事は破るつもりない。

 のだが、


 「いいが、俺でいいのか?こういったのは、女の子同士のほうがいいのでは?」


 「そんなことはありません。是非お願いしたいです……!」


 花蓮は前のめりになりながら近寄ってきた。

 ぐいっと接近する花蓮と見詰め合い、俺は視線を逸らして頷いた。


 「俺でよければ、教えるよ」


 「やった……!」


 花蓮は実に嬉しそうに微笑んだ。


 この時の花蓮の内心はというと、


 『むしろ、奏太に教わりたいです」


 『やった!大好きです。奏太……!」 


 こんな感じに考えていた。


 俺はプールサイドに寄りながら言った。


 「まずは平泳ぎからでいいよね。花蓮、ここのふちにつかまって」


 「はい。こうでしょうか?」


 花蓮はプールの側面、段差の一番下のふちにつかまり、俺を見つめた。

 この後は?と視線で促してきた。


 「そしたら、下半身の力を抜いて、腰を浮かせることはできるか?」


 俺の指示に通りに、花蓮は動いてくれる。

 ほどなくして、足を伸ばしきった姿勢のまま身体が浮かんできた。


 「そう、そんな感じ。花蓮には感覚を掴んでもらいたい。……足触るぞ」


 「は、はい……」


 「足は俗に言うカエル足をするんだが。足の出し方はこうで……」


 花蓮の足を触る。

 それは細くて柔らかくて、水の中でも女性の肌の質感が感じられ、変に意識してしまう。

 それのせいか、足を握る手に力がこもり、花蓮のふくらはぎを揉む形で足を前方に押し出してしまった。


 「ひゃっ―――!」


 「うわっ、びっくりした。ごめん、変なことしたか?」


 驚きのあまり足から手を放すと、背を向けていた花蓮はこちらをジトーっと見てきた。頬が紅潮している。


 「あの…ふくらはぎが弱いので、優しく触っていただけると…」


 「そうだったのか…出来る限り軽く触れるよ」


 「そうしていただけると、助かります」


 水中なのに変に暑いし、汗かいてる気がする。

 どうにか心を落ち着かせよう。


 「足はこんな感じで……」


 今度は握り締めないよう、優しく足を掴みカエル足を繰り返す。

 花蓮は俺の教えをしっかりと聞いている。

 そう。これは水泳を教えているだけだ。

 だから変なことではない。

 だけど、絵面的にはなんかエロい。

 誰もいなくて本当に良かった。

 こんな状況、しかも聖女様と二人っきりというのは、男子たちが見たら羨む光景。

 背徳感みたいなものはあるけど、もう少し続いてほしい。


 「足の感覚はなんとなくわかりました。なので、少し足を軸に泳ぎたいです。いいですか?」


 「もちろん。だけど少し待って。今、ビート板持ってくるから」


 俺はプールから出ると、倉庫の方へと向かう。

 周囲を見渡す限り、ビート板らしきものはないから、この用具入れの中だろう。

 そう推察して扉に手をかけたが、ガチャリと音が鳴るだけで、開くことはなかった。


 「どうやら開かないみたいだ。ビート板なしでやるしかないけど、いいか?」


 「その場合はどうすれば?」


 「俺の手を握って泳ぐしかないけど…やっぱ嫌だよな」


 「あ、全然ですよ。それで大丈夫です」


 花蓮は微笑みながら了承してくれた。

 これ以上過度な密着は、躊躇われると思ったが、そうでもないらしい。

 ま、男の身である以上、ここで断られても傷つくものがあるけど。花蓮みたいな可愛い人に。特に、好きな人に言われるのは。

 奏太がプールの中央まで向かう中、花蓮は一人緊張していた。


 『さっきはびっくりしちゃったけど、まさか奏太と手をまた握れる日が来るなんて。えへへ。今日、私死んじゃうのかな』


 花蓮はにやけきっていた。

 奏太がこちらを振り向く前に、頬をつねりなんとか平常心を取り戻す。


 俺は中央で振り向き、花蓮を見据え、両手を突き出した。


 「ゆっくりで大丈夫だからな」


 両の手のひらに花蓮は自分の手も重ねて、確かに優しく握ってきた。

 花蓮は何だか嬉しそうだ。


 「顔は水面から出して、足だけやってみて」


 どうやらカエル足は完璧だな。

 次は手の形と手と足を交互に動かすやり方を教えれば完璧かな。

 運動神経がいいから、教えがいもあるしすぐに習得できるかもしれない。


 「結構大変です」


 「その調子だ。いい感じ」


 あの時、花蓮が他校生徒に絡まれているのを助けて良かったと、今は心の底から思える。

 こうして、好きな人の手を握ることが出来るほどに、また仲良くなれたのだから。


 「どうしたのですか?ニヤニヤして」


 「いや何でもない。花蓮が頑張ってて俺も嬉しくなってさ」


 俺は誤魔化すように微笑んだ。








 あれから二時間後の正午。


 「見てください、奏太!平泳ぎが出来ました!」


 思ったよりも時間はかかってしまったが、花蓮が嬉しそうに泳いでいるので、手間をかけた甲斐がある。

 当初は一時間で帰宅予定だったけど、もう少しここに残ろう。花蓮と一緒にいたいと思ったからだ。


 「俺は飲み物飲んでくるから、待っててくれ」

 

 「わかりました……!」


 一人更衣室に戻っていき、ロッカーからお茶を取り出して喉を潤す。

 バッグからスマホを取り出して見た。

 その後、獅郎から連絡はきていない。

 そういえば、美奈がドタキャンするのは珍しいことだ。何かあったのだろうか。

 いや、考えるのはよそう。嫌な予感がする。

 もう戻ろうとロッカーに私物をしまった時だった。


 「あの…奏太?」


 扉の向こう側、奥のシャワーから花蓮が恐る恐るといった感じに、可愛らしく顔を覗かせていた。


 「誰かそこにいますか?」


 「誰もいないが?」


 周囲には誰もいない。

 だけどもし学校関係者に聞かれたらまずい気がするんだが。

 花蓮はちょこちょこ寄ってきた。


 「どうしたんだ?というか、ここ男子更衣室だぞ。誰かきたらまずいと思うんだが」


 「あ、すみません。迂闊でした。プールが開放されてから随分時間が経っているので、気が緩んでました」


 花蓮は反省するように項垂れた。


 「ごめん。別に責めてるわけじゃ…」


 そこで、花蓮が何かを持ってることに気づく。


 「これですか?奏太に作ったんです。受け取ってくれませんか?」


 可愛らしくラッピングされたクッキーだった。


 「…!いいのか?」


 「はい、奏太のために作りましたから。是非受け取ってください」


 愛でたくなるような笑みとドキッとするような台詞とともに、おいしそうなクッキーを貰った。 

 クッキーをロッカーに置きながら、


 「でもどうしてだ?まさか、他校生の件でのお礼か?別にあれぐらい…」


 と、その時だった。


 「何でプールがあることに気づかなかったんだろうな!俺たち」


 「マジでそれな」


 外から男子と思われる大声が耳朶に届いた。

 俺たちは同時にギョッとする。

 人が来た…!


 「か、花蓮戻ろう…!」


 「そそ、そうですね…!」


 急いで出口に向かう。

 のだが、


 「今日は、暑いね~。学校に屋内プールあって、助かったよ」


 出口からはそんな女子生徒の声が響いてきた。

 俺が前に出て、出口を確認すると、数人の女子生徒の影があった。

 これ詰んだぞ。


 「どど、どうしましょ。奏太!」


 「やばいなこれ。早く出ないと男子が来る…!」


 出口の女子はなかなかいなくならないし、それどころか増えてきている。

 今まで寒かったものが突然と気温が上がり、忘れていたプールの存在に気がついて、生徒がたくさん来たとでも言うのか。

 考えてる暇はない。


 「人が退くまで、シャワールームに隠れよう」


 「わかりました。そうしましょう」


 二人で一目散にシャワー室に向かい、個室に入った。

 ギリギリのところで男子更衣室の扉が開き、男子生徒が出てきた。


 「早く行こうぜ」


 「俺、汗ばんでるから。シャワー室で念入りに洗って行く。女子も来てるみたいだし」


 人の気配が近づいてきている。


 狭い個室のシャワー室。花蓮が抱きついてきた。



 どうしてこうなった。


 「もう少し詰めることは可能ですか……!」


 生暖かで艶かしい吐息が、俺の背中を撫でた。


 「いや、無理だ。一人用のシャワールームは流石に無理がある。というか、もう少し下がれないか?」


 花蓮の胸が当たって、もうこっちはいろいろとヤバイんだ!


 「こっちも無理です!」


 花蓮は俺に抱きつきながら、小声でそんなことを言ってきた。


 「そもそも何で同じ所に入ってきたんだ。個室はまだあったろ……!」


 俺の必死な問いかけに、花蓮もまた焦りながら返してきた。


 「別の個室に入って、男子に話しかけられたらどうするのですか?私、この日を境に痴女扱いされてしまいます!」


 「だからって、これもこれでまずいだろ!見つかったら、社会的に死ぬぞ!」


 「現に、隣の個室に人が入りました…!」


 水着姿の男女が抱き合ってる姿なんて見られたら最後、学校中のみんなから白い目で見られる。


 「わ、私だって恥ずかしいんですよ…!」


 「そもそもなぜ、男子更衣室に入ってきた」


 花蓮はギュッと抱きつきながら、


 「先ほども言ったように、お礼を言いたくてですね」


 「お礼はいいと言ったろ!前にも言ったんだし」


 「それはそうですけど。気分の問題といいますか……」


 花蓮は頬を紅くして、目を逸らした。

 俺は俺で、緊張で息苦しくてしょうがない。

 早く離れないと窒息しそう。


 「不毛な争いはよそう。問題はここからどう脱出するかだ。見つからないで出るには至難の業だぞ」


 「私もそう思います。人の気配が増えてきてますから」


 「何かいい案はないか?」


 「そうですね…」


 二人で小声でやりとりをする。

 何か方法はないだろうか。


 「一番いい案としては、外にいる人達がいなくなるまで待つことです」


 「ああ。だけど、長時間ここで待機しなくてはならない。その場合、怪しまれてここの扉を強制的に解錠されてしまう可能性がある」


 「そうですね……」


 できるだけ早く脱出してしまいたい。

 花蓮が外に出る、もしくは女子更衣室に戻る方法を考えないとならないし、簡単にはいかないだろう。


 「一つ案が浮かびました。…私が奏太の服を着るのはどうでしょう?」


 「……」


 俺は口を開けて固まった。


 「何ですか?その顔は」


 「こんな非常時に何を言っているんだ。見かけによらず、スケベなのか…?」


 「違いますよ!」


 奏太の見当外れな回答に、思わず花蓮は大声を出してしまった。


 「なんか今、女子の声が聞こえなかった?」


 「いやー?」


 「気のせいかな?」


 隣の個室からそんな声が聞こえてきた。

 俺は口もとに人差し指を当てる。

 花蓮は説明を始めた。

  

 「私が上手く男装して、更衣室から撤退しようと考えたんです。なので、変態発言したわけじゃないんです」


 なるほど。いい案ではあるかもしれない。長時間待機は最終案だとして、変装というのは上手くカバーすれば、誰かに素性がバレる可能性は大きく下がる。

 俺はある程度の道筋を立てる。

 しかし、


 「服は余分にありますか?」


 「制服と替えの服はある。だけど、どこで着替えるつもりなんだ?更衣室は人がいる。個室の着替え室はあるけど、カーテンだから隙間からバレる可能性を含んでるぞ?」


 俺の指摘に、花蓮が気づいていないはずもない。

 案を考えた本人は、見るからに顔を赤くして、


 「えっと…一緒に着替えるしか方法は……」


 「………」


 またも開いた口が塞がらない。


 「また、なんですか。その顔は…」


 「聖女なんて呼ばれてますけど、まさかど淫乱?」


 「ちち、違いますよ!」


 花蓮はまたも声を上げた。

 怒るたびに抱きつく手に力を込めるのはやめてほしい。胸が当たってるから!


 「なー、やっぱ聞こえるよ」


 「お前、幽霊でも見えるんじゃね?」


 しーっ!静かに、花蓮。

 焦る俺に、花蓮もコクリと頷く。


 「なら俺は更衣室で制服に着替える。その後、俺の替えの服を持ってくるから。花蓮はここで着替えればいい」


 「制服姿でシャワールームをうろつくのは、逆に怪しい気がします。それに個室の前で立っているのは、それも怪しいですし、個室の着替え室に移動するのにもリスクが高いです」


 万事休す、か。

 緊張のせいでいい案が浮かばない。

 視線を彷徨わせ、歯噛みをする思いだった。


 「本当にいいのか?その、個室で異性と裸の状態になるんだぞ?状況が状況でも、嫌だろ。そんなの」


 「奏太が言うように、状況が状況です。こんな姿を誰かに見られるほうが、死に近しいです。それならまだ奏太個人のほうがいいです。それに、奏太を信用してますから」


 花蓮の顔を見なくてもわかる。

 彼女は、輝きに満ちた瞳で微笑みながら俺を見ている。花蓮のぬくもりがしっかりと伝わってきた。

 どうしてここまで信用してくれるんだ。


 「そこまで言うなら。花蓮、ちょっと場所を交換してくれ」


 「わかりました」


 のそのそと、現在の位置から反転して俺が扉側に立つように変わる。


 「俺の影に隠れてくれ。外に誰かいるか確認して、いなかったら、荷物を取りに行ってくる。扉には鍵を閉めておいて」


 花蓮は無言で頷いた。


 「取りに戻ったら、ノックするから。アナ雪みたいな感じに」


 普通のノックでは、別の人が来たときにも開けかねない。

 コクコクと花蓮は頷いた。

 その様子を少しに、俺はゆっくりと扉の外を確認した。

 よし、誰もいない。

 外に滑りぬけるように出る。

 五個ある個室のうち花蓮のを含め、四つ埋まっていた。もし誰か来たとしても時間は稼げるな。

 俺は周囲に怪しまれない程度に、足早にロッカーへ向かい、荷物を全て取り出した。

 続々と人が増えている。やっかいな。

 脇目をふらず、ばれない程度にシャワールームへ。


 ―――トン。トットットン。トン。


 「雪だるま作ろう~」


 隣の個室からそんな声が。

 やかましい!

 恐る恐る開いた扉に、身を滑り込ませる。


 「このタオル使ってくれ。それと、こっちの服も」


 「ありがとうございます…」


 花蓮の声がくぐもっている。

 こんな状況、緊張しないほうがおかしい。

 獅郎との日常の中で心臓は鍛えられていると思っていたけど、どうやらそうでもないらしい。こういったことには、心臓が警鐘を鳴らしている。


 「俺はあっちむいてるから。焦んなくていいからな」


 「はい……」


 制服を下に置く。床が濡れてなくて助かった。


 「んっ…脱げない…」


 花蓮の艶かしい声が背後で聞こえる。

 ここで変に妄想してはいけない。

 花蓮が肩の紐に手をかけて、ゆっくりと身体の一部一部が露わになっている所など、想像してはいけない。

 俺は俺で、壁に接するように着替える。


 「………!」


 「す、すみません。足が滑りました」


 今右手に、ものすごく柔らかいものが当たったのだが。 

 一体どこの部位が接触したのか、知りたいけど、我慢しよう。

 ムンムンとした状態で着替えを進めていく。

 もう今の俺は、物事を顧みることなど出来ないだろう。

 常軌を逸したこの事態から早く抜け出さねばならない。


 「着替え終わったか?」


 「はい、終わりました」


 振り返ると、俺の持ってきた、白のパーカーと黒のスキニーを着用した花蓮が屹立している。

 全体的にぶかぶかしている。

 女子が自分の服を着ているのは、なんとも心がくすぐったい。

 速まる鼓動の音には聞き耳を立てずに、


 「着替え中、身体がぶつかってすみません」


 「俺もぶつかったし、気にするな。…あと、このベルト使ってくれ。それじゃ、動きにくいと思うから」


 制服のベルトを花蓮に渡す。

 着用を見届けると、パーカーのフードに俺は手を伸ばした。


 「深々と被ってくれ。これから出るけど、きっと視線が集まるから下を向いててくれると助かる」


 俺は花蓮の手を握った。


 「しっかりと掴まってくれ」


 「わわ、わかりました……!」


 出遅れると大変だからな。

 扉を少し開け、周囲を窺う。

 誰もいないな。

 更衣室に向かうとまばらに人がいて、それぞれが着替えに集中しており、入り口から出てきた俺たちの存在には見向きもしていない。

 急いで出口に向かう。


 「お、奏太じゃん。お前も来てたのか。もう帰るのか?」


 出口付近のロッカーで、同じクラスの林に声をかけられる。

 俺は咄嗟に花蓮を出口に押しやった。


 「ああ。今日はいとこを連れてきてたんだ。もう充分遊んだから帰るよ。じゃあな」


 「そうか。また明日な」


 林を尻目に頷き、帰路を急いだ。

 もう少しだ。

 下駄箱から靴を取り出し。

 もう少し。もう少しで出口だ。


 「おっ!ひらいっちじゃん。こんにち~」


 「こんにちわ」


 後もう少しだったのに!

 よりにもよって、ちょっとギャルっぽい三上みかみと感情希薄な那戸なとが現われた。

 めんどうな。


 「ああ…」

 

 「ん?どうしたん?顔色悪いけど」


 「いや、全然大丈夫だ」


 「後ろの子はどなたですか?」


 三上と俺が攻防していると、那戸が早速禁忌に触れてきた。

 花蓮は素性がばれまいと、俺の背後に隠れた。


 「きゃー何この子!?可愛い!」


 「友達の方ですか?」


 「俺のいとこだ。人見知りなところがあるから、あまり構わないでくれると助かる」


 「えー。反応がちょー可愛いんですけど」


 「りな。行きましょう。いとこさんも困ってます」


 「仕方ないなぁ。ひらいっち。今度、ぜぇーったい紹介してね」


 「機会があったらな」


 那戸のおかげで、問題の三上と共に引き下がって行った。


 「助かりました…」


 花蓮が安堵する。

 だが学校の敷地内から出るまで油断はならない状態だ。






 

 駅の裏側。南口から出たところにて。


 「今日は本当に疲れたな。いろいろ起きすぎた……」


 「本当にそうですね。いろいろとありました……」


 二人の視線が一度交差する。

 次の瞬間には、お互いの頬が紅潮した。

 一気にシャワールームでの出来事が、自身の脳内を巡る。

 それは花蓮もだったのだろう。耳が真っ赤だ。

 俺は頭を切り替えるように、口を開いた。


 「その服、後で返してもらえればいいからな。花蓮は荷物を取りに学校にもう一度戻らないとならないだろ?」


 「確かにそうですね。そうさせていただきます」


 しばしの沈黙が流れ、花蓮がふと何かに気がついたように話した。


 「そういえばここまで着いてきても大丈夫なのですか?確か電車通だとか…?」


 俺は首を横に振り、自分の住むマンションを指差した。


 「実はあのマンションに引っ越したんだ」


 「え……」


 「どうしたんだ?変な顔して」


 鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしている。

 花蓮は誤魔化すように苦笑すると、


 「あそこのマンションに、私も住んでいるんです」


 「え……」


 今度は俺が面食らう番だった。


 「凄い偶然です。こんな事ってあるんですね……!」


 花蓮は感激するように微笑んだ。

 今日は本当にいろいろな事が起きた。

 今まで経験したことのない内容で、でも、悪い気は全然しない。

 青春ってものをしているような気がする。


 「早く行きましょう……!」


 今日は花蓮に振り回されている気がする。

 花蓮は俺の手を握り自室のあるマンションに駆け出した。

 なぜ花蓮はこうも嬉しそうなのか?

 どうして俺に絶大な信頼を抱いているのか?

 普通、男子と密室で着替えなんてしたら、冷え切った目で、『あんなことはありませんでした。いいですね?』みたいな感じで記憶から削除するものでは?

 

 「……」

 

 確か恋は人を盲目にすると聞く。

 もしかしたら。もしかすると花蓮は……


 「どうしたんですか?ニヤニヤして?」


 「いやなんでもない」



 どうやら、花蓮は俺の隣人さんのようだ。

 

 




 

 

 

 

 


 


 



 


 

 


 


 

 

 

 


 


 

 


 


 


 


 


 

 


 


 

 


 


 


 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る