第27話 黒髪の少女
クリシュナはまず、王妃の寵を受けていた十官のうちの四人を謹慎とし、その全ての財産を没収すると宣言し、配下に命じて実行に移した。
そのうちの一人、税務官ウアラの屋敷の一つを調べようとした時に騒ぎが起こった。ウアラの娘が何人かの子どもたちと一緒に屋敷の入口をふさいで、兵たちの邪魔をしたのである。たまたまその部隊の指揮にあたっていたのはロナーだった。
若い娘と幼い子どもの必死な様子を見て、それでも命令通りに無理強いするような真似は、ロナーという男にはできなかった。ロナーは先に、他の受け持ち場所を全て捜索し、小さじ一杯の粟も残さずに回収してから、ウアラの娘のことをクリシュナに直接報告し、指示を仰いだ。
「陛下は子どもが好きですから」
「そういうわけではないが、この件に関してはよく報告してくれた。何か事情があるんだろう。私が聞いてみることにする」
クリシュナはロナーの案内で問題の屋敷に向かった。
そこでは、ロナーの言った通り、若い娘と幼い子どもが、屋敷の入口で立ちふさがっていた。必死の形相で、全員が仁王立ちになっている。その先頭にウアラの娘がいた。肩に届くか届かないかというほどよい長さの黒髪が風に揺れていた。
私はロナーがクリシュナにわざわざ報告した理由がすぐに分かった。
漆黒の黒髪、黒瞳、少し陽に焼けた健康そうな肌、柔らかそうな頬。背は少し低いが、この少女ははっとするほど美しかった。しかも、見るからに聡明そうな印象を受ける。歳は私と同じくらいか。
クリシュナがいつか妻を娶るとすれば、この少女のような女性だろう。そう考えた私と、同じ見解をロナーはもっていた。だからクリシュナに報告したのだと思う。ただ、クリシュナにとってこの娘の父親は逆臣だった。
「この屋敷は、王命によって没収となったのだが、そなたたちは何故、そこにいる?」
「この屋敷は、父の物ではありません。私が父から譲り受けた物です。だから、王命によって没収されるというのはおかしなことです」
「そなたは、ウアラの娘なのだな。なら、やはりこの屋敷も王命によって没収されなければならない。王家に仕える身として、また、王妃の寵を受け、傍近く仕えたにもかかわらず、その政道を正さず、寵を利して私腹を肥やすことに専心し、国を支えようとしなかった罪で、全ての財産を没収することになった。未婚の娘の物ならば、その父の財産という範囲に含まれている」
「そんな。父の罪が、私と何の関係があるのですか」
「理屈を戦わせるつもりはない。それに、王命を変える気もない」
「それなら、王に直接会わせてください。新しい国王陛下が評判どおりのお方なら、きっと分かって下さいますから」
「今、その国王と話しているじゃないか」
クリシュナは微笑んだ。
逆臣ウアラの娘は、何かを言おうとして、不意に止まった。そしてクリシュナを上から下まで見つめて、もう一度何かを言おうとしたが、また口を閉じた。目がどこかに動いては、またクリシュナに戻り、クリシュナに見つめられると、また目を反らした。そして、目を反らしたまま、ようやく口を開いた。
「あなたが、国王陛下、ですか?」
「そうだ」
クリシュナは微笑みながら、私とロナーを少し振り返った。どうやら、国王だと信じてもらえていないことを楽しんでいるらしい。クリシュナには、少し性格に歪んだところがあるのかもしれない。思えば、ウルハの町を落とした時も、今のように楽しそうだった。ああ、そういえば今もあの時と同じ人間がそろっている。
クリシュナは間違いなくアイステリア王である。しかし、よく考えれば、今までのクリシュナの戦いをこの目で見てきていなかったら、私もこの少女のように、クリシュナが国王だと言っても信用しなかっただろう。
「本当です」
「この方が国王陛下です」
クリシュナに促されて、私とロナーがそう保証した。
少女は、そう言われてますます困惑した。必死の形相だった幼い子どもたちが不安そうに少女の背中を見つめている。
「もう一度言う。王命の変更はない。私が言うのだから、それは間違いない」
クリシュナははっきりと、しかしどこか優しさを含んだ声で言った。「ただ、何か事情があるようだと部下が知らせてくれたので、話を聞こうと思って直接見にきたのだ」
いつも、クリシュナは弱者の立場を振り返ろうと努力している。それを体験して受け入れるわけではないが、理解しようと努力している。この時も、その考え方の現れだった。本来なら強引に没収してそれで終りになるはずだ。これはかなりの温情だと考えられる。ウアラの娘もそのことをよく理解しているようだった。
「その、これは…」
黒髪の少女は少し大きく呼吸し、緊張を隠すように言葉を続けた。「陛下は、その、王都を占領し、王都に住む貧しい民たちに、その生活を助けようと、食べ物を分け与えて下さいましたね」
「そうだ」
「それなのに、この家を取り上げるというのは、陛下ご自身の行いに反すること、です」
「ふむ。いや、まだ説明が足りてないから、よく分からないな。何故、民への食糧の配給と、逆臣への刑の執行が同列に論じられるのか」
娘の物言いは遠回しな言い方でのクリシュナへの批判だったが、その言い方がクリシュナは気に入ったらしい。微笑みがいっそう優しいものになった。
ウアラの娘はきっとクリシュナを睨んだ。おそらく、全身の勇気を振り絞ったのだろう。クリシュナの優しさに乗じたとも考えられる。
「この子たちは、これまでの戦で親を亡くした孤児です。私は父からこの家を譲り受け、この子たちを養ってきました。ここを没収するということは、この子たちの生活を奪い、死を与えるに等しいことではありませんか」
「ああ、そういうことか」
クリシュナは娘の言いたいことをすぐに理解した。「税務官の娘は、その父の罪を償うに値する慈しみの心をもっているらしいな」
「では、ここの立ち退きを取り止めて下さいますか」
「いや、それはできないと、初めから言っている」
クリシュナは平然と拒絶した。「罪は罪、罰は罰。それを変更する気はない。これまでの報告から、国内の状況を考えて、今回罰する四人の蓄財は明らかに多過ぎる。不正でないという証は何一つないが、不正の証拠はいくつもある。だから、残念だが、そなたの願いは聞き入れられない」
「そんな…」
少女は青ざめた。
「ロナー。この屋敷からの没収を即座に続行せよ。ただし、この幼子たちは王宮へ連れ帰り、他の子どもたちと同じ扱いをする」
クリシュナはロナーを振り返って、そう命じた。うなずいたロナーは兵たちに指示し、てきぱきと命令を実行に移した。その結果、四人の子どもたちは二人の兵の両脇に抱えられ、連れて行かれた。泣き声と悲鳴が響いた。
「待って! その子たちに何をするんですか!」
子どもを連れ去る兵に向かって飛びつこうとした少女をクリシュナが片腕で押さえた。強引だったが、手ひどくはなかった。その腕を少女は振りほどこうとしているが、それは無理なことだった。クリシュナがいくら細身とはいえ、クリシュナと少女では体格が違う。
この少女は知らないが、王宮にはラテから連れ帰った子どもがたくさん養われているのだ。その生活環境は万全で、それと同じというのなら、決して悪い扱いではない。
「陛下、私は新しい国王陛下なら分かって下さると思ったのに!」
「あの子たちが心配なのか」
「当然です!」
「なら、そなたも王宮に来るがよい」
「あっ」
少女が小さく叫んだ。振り返るとクリシュナが少女を抱きかかえている。抱きかかえられた少女の顔が、クリシュナの頬のすぐ近くにあった。少女の頬が朱に染まっていく。一連の流れから当然、怒りという感情があったかもしれないが、それよりも恥ずかしさが前に出たようだ。若い男に抱き上げられることなど普通はないのだから。手を握ることさえ、まず、ない。
その強引な様子を見ていた私は、さて、どうするつもりだろうかとクリシュナの目を見つめた。そんな私と目を合わせて、クリシュナは笑った。
「タルカ、一つ仕事を頼みたい」
「何でしょうか」
「謹慎中のウアラのところへ伝言だ」
「はい」
「そなたの娘が気に入ったから、妻にもらうと伝えてくれ」
クリシュナに抱き上げられている少女が一瞬唖然とし、次の瞬間、頬の朱色はその顔全てを覆う血のような真っ赤に入れ替わった。
私はもう驚かないと決めていたのに、またしてもクリシュナの行動に驚かされた。それでも平然とした様子をできるだけ装ってすぐに気を取り直し、クリシュナに一礼して、その場を離れた。そして、いつものように、絵を描きたいという衝動にかられた右手を押さえた。
最後にクリシュナの言葉が小さく耳に届いた。
「ところで、そなたの名はなんだ?」
名前を聞くよりも先に結婚する気になったのだ。相変わらず、予想できない行動をする人だ、と私は思った。
クリシュナは一人目の后をこうして娶ったのである。一人目の。
謹慎中の税務官の屋敷は三人の兵が監視していたが、私が王命で来たことを告げると、扉を開いてくれた。
私がクリシュナからの伝言を告げると、今度は税務官が呆然とした。しかし、しばらくするとあれこれと色々なことを思案しだしたらしく、表情が忙しく変化した。おそらく、突然のことに戸惑いながらも、娘が后となることで自分の立場がどう変化するのかを計算しているのだろう。
クリシュナの意向に逆らえるはずがない。ならば、それをどう利用するかがこの人にとっては大切なのだろう。娘の気持ちなどは無関係に。
結局、税務官はクリシュナの意向に従うと私に伝言を頼んだのである。
クリシュナの後宮にはこの後多くの娘が入ることになる。これまでのアイステリア王の中で、もっとも多く後宮に女性を囲い、もっとも多く王子を生ませたのがクリシュナである。後の批評家がこの賢王を批判するところがあるとすれば、この点だけかもしれない。
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