第3話 魔法

 ウォルラインは、ずっと昔から存在する魔法使いの街である。住人の九割が魔法使いとされ、歴史に名が残る魔法使いを幾人も輩出してきた。

大きな煉瓦造りの時計塔を中心に栄え、街を囲うように聳え立つ円形の壁が特徴的だ。近くには鉱山があり、反対方向には獣が多く生息する森が存在する。恵まれた物資を様々な魔法で採掘、加工できることもあり、ウォルラインには様々な名産品が存在する。その一つが、アンドロイドだ。

 きっかけは、ウォルラインの近くにある鉱山から、『魔法石』が発掘されたことであった。

 魔力を蓄積し、その分を倍にして放出する。そういった性質を持った魔法石は、様々な物質の動力源に活用され、魔法使いの世界に大きな革命を齎すことになった。

 火の魔法を必要としないオーブンやコンロ、光の魔法を必要としない街灯。魔法石を活用した道具、通称『魔道具』たちは、数多の魔法使いによって次々と開発されていった。そして、それらの末に生み出されたのが、生命を持たない労働者であるアンドロイドだ。

 ウォルラインは、アンドロイド発祥の地である。故に、アンドロイドの普及率が最も高く、その分だけ彼等による犯罪も多い。ここは、アンドロイド取締部隊として働くには最適な場所なのだ。

 相変わらず、街の隅に当たる道は人気がない。魔法薬やアンドロイド販売店などの店が立ち並ぶ中央通りとは程遠い。だからこそ、悪事を働く者が拠点にし易い状況だと言えるだろう。他の予測地点も、似た様な状況が揃っている。

 無人の煉瓦道を、ハルメリオと隊員の少年はマントを靡かせながら走る。左右は街と外を分離する高い壁と、人が住むことを想定されて造られたであろう空き家がある。最も栄えている場所から遠いせいか、年中日陰なせいか、ここに好んで住み着く魔法使いはそういないらしい。


「副隊長、こんな時に言うことではないかもしれませんが、宜しいですか?」


 二人分の足跡だけが響く空間で、少年が控えめに口を開く。一瞥すれば、少年はその顔に何処か緊張の色を浮かべていた。しかし、顔色が悪いという訳でもなく、寧ろ赤い。妙な雰囲気を不審に思った矢先、少年は僅かに裏返った声で言葉を続けた。


「自分は、一代目第一部隊隊長に憧れて部隊に入隊したんです。最近、漸く第一部隊に就任できて……一代目のご子息であるレイ様、ハルメリオ様と一緒に仕事ができることを、非常に光栄に思います!」


 一代目第一部隊隊長――即ち、ハルメリオの父親のことである。震えた少年の声は、周囲が静寂であったこともあり、随分とその場に響いたように感じられた。ハルメリオが数拍無言を貫いたせいか、赤かったその顔は見る見るうちに蒼くなっていく。自分が失態を侵したかのような絶望の顔を浮かべる少年を見て、ハルメリオは小さく口角を上げた。


「有難う。そんな風に言ってもらえて、きっと父上も喜ぶだろう」

「ほ、本当ですか! レイ様も、ハルメリオ様も、ブライトネス家で最も優秀な魔法使いだとお聞きしています。間近でそんな素晴らしい方の魔法を見ることができて、本当に光栄です!」

「俺はともかく、確かに兄上はすさまじい才能の持ち主だな。かつては偉大な父上が、そして今は天才の兄上が指揮を執る第一部隊だ。君もその隊員になったんだ、その誉に恥じぬ働きを俺と共にしよう」

「はい! 有難うございます!」

「ああ。この先、何があってもアンドロイドを排除していこう。これ以上被害を広げないためにも」


 その堂々たる言葉に、少年の無垢な返答が飛ぶ。それに頷いたハルメリオは、周囲を見渡して、そろそろ自分が指示に合った場所に辿りつくことを悟る。

 それまで絶え間なく動かしていた足を止め、少年を静止させるように左腕を横に突きだす。それに合わせて立ち止まった少年もまた、己の居場所を自覚したようだった。

 仮にここが本当に本拠地だったとして、例のアンドロイド本体と鉢合わせれば、そのまま戦闘が始まるだろう。実力者の魔法使いを何人も殺害、戦闘不能に追い込んだ手練れである。どれだけ周囲に天才だと持ち上げられた魔法使いだとしても、油断はできない。

 アンドロイドがいなくとも、それを操る人間はいるかもしれない。もしも不在だとしても、現状以上の情報を得ることができるはずだ。

 ハルメリオと少年は、指示にあった建物に、足音を殺して近付いた。煉瓦造りの壁に、鉄の扉。左右に並ぶ建物の外観とは何の差異もない、質素で平凡な家である。強いて違いをあげるならば、左右が二階なのに対して、この建物は一階建てである。カーテンが閉め切られているため、窓から中の様子を確認することはできない。しかし、窓の縁には埃が溜まっており、長らく開けられていないことが察せる。扉に耳を近づけても、建物内から物音は一切しなかった。


「副隊長、偵察は自分にお任せください」

「頼んだ」


 少年は、真剣な眼差しで鉄の扉を見つめる。そして、次の瞬間、自分の右胸に手を当てて、聞きとれない速度と音量で何かの言語を呟き始めた。どうやら、彼の魔法は詠唱を媒体とするらしい。邪魔しないように、と、ハルメリオは息を潜める。

 言葉の羅列が続くと共に、少年の周囲を仄かな光が包む。目を伏せた少年が詠唱を終えた、次の瞬間。少年のマントの首元から、ひょこりと小さな影が顔を出す。

 チュウ、と。甲高い鳴き声が零れる。その小さな影の正体は、ネズミだった。


「使い魔、か?」

「はい」

「ネズミと契約しているのか。今時珍しいな」


 ハルメリオの言葉に、少年が苦笑する。少年の指で顎の下を撫でられたネズミは、鼻先をひくひくさせながら、その手に軽快な動きで飛び乗った。

 アンドロイドの登場により、使い魔を駆使する魔法使いは殆ど姿を見なくなった。アンドロイドの方が魔力の消費を抑えられる上に、動物の使い魔よりもできることの幅が広がる。都合の良い労働者、という名は伊達ではなく、利便性を求める魔法使い達は、こぞってアンドロイドの購入に移行したのである。

 顕現中、常に魔力を吸い取られてしまう使い魔は、どうしても敬遠されやすい。それを好んで使う魔法使いは、昔ながらのスタイルにある種の拘りを持っているか、使い魔を使用することによって、自分の魔力量を周囲に誇示しているかのどちらかである。しかし、少年はそのどちらのタイプでもないように感じられた。

 で、あれば、答えは一つだ。


「ブライトネス家のあの件があって以降、どうしてもアンドロイドを購入する気になれなくて」


 少年は、まだ何処か幼さの残る顔に影を落とす。ハルメリオの予測通り、彼はブライトネス家を襲った悲劇の事件によって、アンドロイドを忌避しているのである。

 使い魔のネズミは、少年の手から地面へと放たれる。そうして、建物と扉の僅かな隙間に、その小さな身体を潜り込ませた。


「これから、使い魔と自分の五感をリンクします。中の状況をお伝え致しますので、ここが本拠だと分かり次第、突入しましょう」

「承知した」

「……中は無人ですね。テーブル、椅子、キッチン。生活に必要な最低限のものが揃えられていますが、使われた形跡は殆どありません。観葉植物は枯れており、土は乾燥しています」

「他に気になることは?」

「床は埃塗れ、なのですが。一部だけ埃のない場所があります。道になっているようです」

「辿ってくれ」

「はい」


 魔力の消費が厳しいのだろう。目を閉じた少年の眉間には深く皺が寄っており、額には汗が浮かんでいる。


「――地下が、あります」

「地下? 下りてくれ」

「はい。……こちらは埃が積もっておりませんので、最近使用されたように感じます。どうやら、ここはアンドロイドを製造するアトリエのようですね。様々な部品が散乱しています。一階よりも遥かに広く、左右の建物の下も地下室になっているようです」


 少年の声は、酷い緊張感を帯びていた。背筋が伸びるような雰囲気に、ハルメリオは思わず剣の柄に指先で触れる。

 不自然な使用感がある上、地下にアンドロイドのアトリエを持っている。それらの情報から、一階の部屋は、丸ごと一般人を装うための偽装工作だと考えられた。


「人はいるか?」

「一人。髪の長い少女のようですが、顔立ちまでは見えません。……呼吸音がしないのと、全く身動きをしないことから、スリープモードになっているアンドロイドと思われます」

「……例のアンドロイドが現れたのは、今からどのくらい前だ?」

「凡そ二十五分前。確認されている最高速度での移動を以てしても、ここから二十分ほどかかる場所に姿を現しています」


 淡々と説明した後、少年はふと鼻をひくつかせた。すん、と鼻を鳴らした後、少年の瞳が開く。次の瞬間、少年は突然その場で激しく咳き込み始めた。

 どうやら、魔力が切れたらしい。激しく肩を上下させながら、少年は途切れ途切れに呼吸をする。魔法使いの要である魔力を失えば、その人物は想像を絶する苦痛に見舞われることになるのだ。

 何かを伝えようと口を動かす姿を見て、ハルメリオは懐から魔法石の原石を素早く取り出した。

 黒く縁取られた岩の中に、水色の淡い鉱石が光っている。魔力を溜めた魔法石は、砕かれた際に備蓄した魔力を周囲に解放するのだ。

 剣を鞘から取り出して、魔法石を宙に放る。淡く輝きながら落下する魔法石に鋭い突きを喰らわせれば、その原石は容易く剣に貫かれ、砕けた。

 周囲に破片が散乱すると共に、それまで備蓄していた魔力の光が空気中に飛び散る。無事に魔力を受け取ったらしく、少年は、そこでようやく正常な呼吸を取り戻した。


「も、申し訳ありません、副隊長。お手数をおかけしました。自分が未熟なばかりに、魔法使いの命綱である魔法石を砕かせてしまって」

「気にするな、頭を上げてくれ。まだ持ってる。それに隊員を気遣うのも副隊長の仕事だ。それで、何に気が付いた?」

「ええと、一瞬ですが、血の香りがしました。自分に集められた情報は、これだけで……」

「そうか。十分だ、有難う」


 申し訳なさそうに肩を落とす少年に、ハルメリオは微笑みながら答えた。それだけの情報が揃えば、突入を躊躇うことはない。もし本拠地ではないにせよ、血の香りを漂わせているアンドロイドというのは、それだけで取締対象である。破壊には至らずとも、アンドロイドのメモリーを確認して状況確認をしなくてはならないはずだ。

 どんな人物が所有するアンドロイドだとしても、それは等しく設けられた規則である。取締部隊は、アンドロイドのことに関しては最高権力を振るうことができる団体だ。

 右手に握った剣を、鉄の扉に向かって構える。それだけで全てを悟ったらしい少年は、扉の前から飛び退くようにして、ハルメリオから距離をとった。


「副隊長。よ、宜しいのですか」

「構わん。何か問題があれば俺が責任をとる。気にしないでくれ」

「しかし、あの、鉄の扉ですが」


 遠慮がちにそんな言葉が囁かれた。少年の不安を取り除くため、ハルメリオは口端を持ち上げて堂々と宣言した。


「俺の魔法は、光さえあればどんなものも切り捨てることができる。鉄の扉なんて、躊躇う理由にはならない」


 ハルメリオの剣先に、目を眩ますような強い光が宿る。黄金に光り輝く剣は、少年の「存じておりますが」という言葉を遮って、眼前に聳える鉄の扉に振るわれた。

 激しい物音と共に、鉄の扉が真っ二つに割れる。内側に倒れこんだ扉は、周囲に積もっていたであろう埃を多量に巻き上げた。


「……物音が激しく立つので、相手方に警戒されないか、という意味でした」

「そうか。アンドロイドはスリープモードなんだろう? 気にするな」

「いえ、物音を察知して起動する設定かもしれませんので」

「どっちにしろすることは変わらん。気にするな」


 少年は、「はあ」と困惑したように返答する。それを聞き流しながら、ハルメリオは今しがた切り捨てたばかりの扉を踏みしめて、室内へと入り込んだ。

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