アンドロイドは魔法に服す

深夜みく

1章

第1話 始まりの記憶


 アンドロイドは、魔法使いにとって最適な労働力である。

 最近読んだ本の一文に、そんなことが書いてあった。呆然と立ち尽くした幼い少年――ハルメリオは、目の前の光景を見ながら、その本の内容を思い出していた。

 アンドロイド――つまり、使い魔よりも魔力消費を抑えられる都合の良い労働力。主に忠実で、彼等が持ち合わせている感情は全てプログラムされたただのデータ。言い換えるのであれば、命無き奴隷。

 それならば、何故あのアンドロイドは自分と家族住む屋敷に火を放っているのだろう?

 ハルメリオの脳内は、そんな疑問で埋め尽くされる。先刻まで平穏な時間が流れていたはずの屋敷は、今や火の海に呑み込まれていた。蛇の舌のように不規則に震える炎の先端が、ハルメリオの黄金の瞳を照らしだす。その眩さに引き戻されるように、ハルメリオは小さく息を吐いた。


「父上! 母上!」


 炎によって、周囲は嫌なほど照らし出されている。床や壁に次々と燃え移る炎の隙間から、床に横たわったままでぴくりとも動かない父と母の姿が時折見えた。衣服には夥しい量の鮮血が滲んでおり、それが二人の末路を物語っている。

 それでも、走り出さずにはいられない。咄嗟に駆けだそうとしたハルメリオを、誰かの手が引き留める。誰かに引っ張られた手首には、そのまま骨が折れてしまいそうなほど強い力が込められた。

 早く二人の元へ行かなくては。そんな焦燥に胸を焼かれ、ハルメリオは自分を引き止めた人物を懇願するように見つめた。その人物、ハルメリオの兄であるレイは、険しい表情をその顔に浮かべていた。


「行くな、ハルメリオ!」


 レイがこれほど声を張るのを、初めて聞いた。炎が弾ける音を背後に、焦げ付く香りと周囲を覆う煙が肺を満たそうとする。状況は極めて劣悪だったが、それでも引けない理由があったのだ。


「兄上、でも、父上と母上が」


 ハルメリオは、兄に縋るように声を絞り出す。

 レイは、勉強も魔法も、なんでも熟せてしまう自慢の兄だった。ハルメリオが頭を下げれば大抵のことを赦し、全てを解決してくれる。だからこそ、ハルメリオはこんな状況でもその兄の手を借りようとした。

 けれど、レイの表情は険しいままだった。今だって痛いほど握られた手首は、さらに強い力で握りしめられる。ハルメリオが痛みに顔を顰めるより先に、それ以上の痛みを訴えるような顔で、レイは声を張り上げた。


「行ったらお前も殺される!」


 直後、レイの手はハルメリオの手首を強く引く。その力に負けてしまう自分の小さな身体が恨めしかった。

 何もかもが焼失していく。家族も、思い出も、住む場所も。

 炎によって全てを奪われていく中で、ハルメリオは必死の思いで父と母に視線を送った。けれど、少年の視線に移ったのは、愛すべき両親の姿ではない。

 二人の亡骸の一歩奥に、一つだけ人影がある。否、それは人ではない。

 「それ」とハルメリオの視線は、確かに交わった。炎によってボディの一部が溶けだして剥き出しになった骨組みの中、透明な眼球だけがそこに鎮座している。炎の光を灯す硝子製の眼球は、無感情を湛えて、ハルメリオを真っ直ぐに見つめていた。

 屋敷に火を放ち、両親を殺したのは、紛うことなきアンドロイドだった。

 底なしの闇を覗き込むような心地がした。その場に縫い付けられるような恐怖が、ハルメリオの心を支配する。それでも足を止めなかったのは、兄が何時までもハルメリオの手首を強く引っ張るからだった。

 何故屋敷は炎に包まれているのだ。何故両親は殺されたのだ。何故自分は何もできないのだ。

 尽きぬ疑問と無力感に苛まれ、ハルメリオの心臓は激しく早鐘を打つ。その間、視線を交わせたままのアンドロイドはどんどん遠ざかっていく。

 猛火の中、骨組みごと融けていくアンドロイドは、その手に持っていた剣をもう一度父親の背中へと突き刺す。決してアンドロイドは持ち合わせぬ感情を見せつけるように、鋼色の剣先は炎の灯りを反射しながら父親の背を抉った。

 血飛沫が舞う。叫び声すら出なかった。

 アンドロイドは、炎の中で己が融解し出しても、最後までハルメリオから目を離さなかった。


「――――」


 炎に包まれた屋敷から脱出する直前、ハルメリオの鼓膜に弱弱しい声が届いた。兄のものでも、自分のものでも、ましてや両親の声ではない。

ノイズ混じりのその声は、酷く機械的な硬い発音で、言った。



 お前達を絶対に殺してやる。



 その一言を最後に、その日の記憶は途切れている。

 それが、ハルメリオ・ブライトネスが八歳の誕生日を迎えた日。彼が両親と屋敷を失った、全ての始まりの日の記憶だった。

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