第27話 真里姉と弟妹だけの夜


 日付を跨いだ、午前1時。


 俺はだだっ広いリビングの、無駄に金がかかってそうな輸入物らしい大きなソファーに座り、習慣となっている真里姉の1日のモニタリング結果を確認していた。


 モニタリングしているのは、体温、血圧、心拍数、酸素飽和度など無数の項目。


 昔はそういったデータを取得するため専用の装置を身に付ける必要があり、装着者には少なからず負担だったと聞いている。


 だが今は装置が進化した結果、ベッドに埋め込まれたセンサーでほとんどのデータを取得できており、送られてくる大量のデータは随時AIが分析し、異常があればスマホや”家中の家電”にアラートが鳴る仕組みになっている。


 なので俺がこうしてモニタリングの結果を確認する意味は、実はない。

 

 意味はないが、しないと落ち着かない。


 だから習慣だ。


 あるだろ? 通知もないのにスマホチェックしたりさ。


 俺の場合、”通知がない”ことを確認するためにチェックしていたのが、違いっちゃ違いか。


 俺がディスプレイを見ていると、一人分の間隔を空けてソファーが沈み込む感触があった。


 この時間、この家でリビングに来るのは俺を除いて1人だけだ。


「真兄、またお姉ちゃんの観察?」


「間違っちゃいねえけど言い方! 他に表現の仕方があるだろうが」


「ふーん、例えば?」


「それは、ほら、あれだ……見守り?」


「さすがシスコンを拗らせた真兄の言葉選びは一味違うね!」


「シスコンじゃねえ!」


「まあ、真兄のシスコンは今に始まったことじゃないから置いといて」


 この生意気な妹は……いつか絶対見返してやる、ただし金銭面以外で。


「お姉ちゃん、眠った?」


 ディスプレイで脳波の項目を見ると、ステータスがノンレム睡眠、つまり熟睡中となっていた。


「ああ、良く眠ってる」


「そっか……ここ半年、お姉ちゃん毎晩うなされていたじゃない? ずっと心配してたんだ」


「AIのアラートが何度も鳴る夜もあったな」

 

「だね。けど、ほんの数日だけど、お姉ちゃんが眠ってからアラート、鳴ってないよね?」


「鳴ってない。さっき過去分含め見返していたが、睡眠中の脳波も安定してる。普通に、寝れてるってことだ」


「それってさ、やっぱりゲームの影響かな?」


 ゲームを真里姉にやるよう勧めたのは俺だが、現実を忘れ、息抜きが必要だと感じ取とり、実際にゲームをするためのお膳立てをしたのは全部真希だ。


 真里姉が苦しんでいるのは知っていたが、そのために何をすればいいのか、俺には分からなかった。


 理学療法士になるための勉強の傍ら、メンタルケアについても齧っていた。


 それでも俺は、何もできなかった。


 だが、妹はできた。


 その手の勉強をしていないにも関わらずだ。

 

 正直、俺にはそれが悔しくて堪らない。


 だがここで嫉妬丸出しの言葉を吐くようじゃ、俺はクソ以下だ。


 情けない心の内は、兄という面の下に隠し、後で俺独りの時にのたうち回ればいい。


「ゲームの影響しかないだろ。他に変化なんてなかったしな。前から思ってたんだが、お前あれ、どうやって手に入れたんだ? 倍率100倍ってどんだけだよ」


「うーん、真兄ならいいかな? 実はMebius World Onlineを制作している会社ってさ、私が一部出資しているんだ」


「へえ、出資……出資!?」


 驚愕の事実に思わず声が上擦った。


「そんなに驚くことじゃないよ。有望な会社にいち早く目をつけて出資するのは基本だよ? 今回はその出資者特典みたいな感じかな。Mebius World Onlineが、元は医療用に研究されていた物をベースにしてるって、真兄知ってる?」


「真里姉がやるもんだから、一応な」


「さすがシスコン真兄」


「おい」


 こいつは俺をシスコン扱いしないと気が済まない病気か何かなのか?

 

 昔のこいつはもっと……いや、あんま変わらんか。


 引き篭もっていた時も俺にだけは容赦なかったしな。


「でさ、出資する際に相談してたんだ。お姉ちゃんの状態を伝えて、せめて前みたいに自由に動ける時間をお姉ちゃんにあげられる方法はないかって」


「そしたら実際にソフトが送られてきたわけか」


「そういうこと」


 なんつう行動力だよまったく。


 どうせ有望な会社だから出資したっていうのは建前で、本当は真里姉のためになりそうだったから、が本音だろう。


「驚き疲れるわ……お前はすげえな」


「そう? わたしはこれしかできないからね。でもお姉ちゃんのために将来決めたも同然な真兄もすごいと思うよ? 重度のシスコンがちょっと気持ち悪いけど」


「おまっ、いい加減に!」


「でもさ、やっぱり1番凄いのはお姉ちゃんだよね」


「……まあな」


 荒げかけた言葉を止めて、頷いてしまう。


 その切り返しは反則だろう。


「わたしさ、いじめにあって引き篭もってた時、死のうかと思ったんだよね。だって、お母さんが死んじゃってから、お姉ちゃんは学校とバイトと私達の面倒で毎日大変そうで……わたしが死ねばその分お姉ちゃんの負担が減るって、当時は本気でそう思てったんだよ」


「真希……」


「でもそんなわたしにさ、お姉ちゃん、扉越しに毎日優しく話しかけてくれてさ。そして最後にこう言うんだ。『聞いてくれてありがとう。真希がいるから頑張れるよ』って。わたし、さ、その言葉だけで……もうっ、ね」


 俺はそっとディスプレイのミュートを解除し、真里姉の心電図音をスピーカーから流した。


 ただの電子音のはずなのに、一定の間隔で流れるそれは、ぽたぽたと落ちる湿った音をどこか暖かく包み隠しているかのようだった。


 ふぅ……ったく、こいつの前ではまだ兄としての面は外せねえな。


「普通できねえよな。自分だけでも辛い時に、誰かに何かできるって、例え家族が相手でもだ。俺は今、そっち方面勉強してるだろ? だからけっこう聞くんだよ。大事な相手でも世話をするのに疲れ切って『こいつさえいなければ』って思うようになっちまった家族が少なくないって。ガキの頃だったら何言ってんだって思ってたけど、実際やってみると、共感はできねえが理解できるところはある」


 言葉を区切り、俺は自分に言い聞かせるように言葉を続けた。


「俺達は真里姉がいてくれたから、支えられて立てるようになった。けど真里姉は、こう言うと否定すんだろうけど、たった独り、しかも俺達を支えながら立っていた。凄えよ、本当」


「ぐすっ……本当だよね」


 一頻り感情を吐き出して落ち着いたのか、俯いていた顔を上げた時には、いつもの少し小憎らしい顔が戻っていた。


「そういえばお姉ちゃん、ゲームの中だとどんな感じなのかな?」


「真里姉のことだからな、”真里姉してる”んじゃねえか?」


「ああ、なんか凄い納得しちゃった。お姉ちゃんだもんね」


 弟妹2人、同時に肯き、少し笑った。


「名前はどんなのにしたの?」


「確かマリアだな。名字の秋月の”あ”を、名前の真里の後ろにくっつけただけって言ってたぞ」


「さすがお姉ちゃんセンス。それならさ、ネットで検索したら出てきたりして」


「ゲーム初心者だぞ? 話題になるようなことあるか?」


「分かってないなあ真兄は。お姉ちゃんの容姿で目立たないわけないじゃん。お姉ちゃんの前では絶対言えないけど、年齢に対する見た目の幼さが規格外だと思うんだ」


「そう言われると納得というか、なんかすっげえ不安になるな」


「でしょう? だから検索してみよう」


 真希がディスプレイの表示を分割し、画面の半分にネットの検索画面を表示させる。


 検索欄に入力した単語は【Mebius World Online】【マリア】【小さい】。


 最後の単語はいいのか、妹よ。


「むー、マリアって名前ではヒットしないか」


「ん? ちょっと待て、なんかこっちに小さいとか、○学生とかそれっぽい単語が並んでるぞ。掲示板か? 『エデンの街の窓辺から』ってあるな」


「ほんとだ。あっ、画像もあるね。ってこれまんまお姉ちゃんじゃん! 髪と眼の色変えてるけどまんまだよ!」


「うわっ、マジか。身バレとか危ないから気を付けろって注意したのに」 


「それより真兄、こいつら何? お姉ちゃんのこと幼女教諭とかキモい呼び方してるんだけど。やっちゃう? やっていいよね? 大丈夫、お金の力で社会的にやっちゃうだけだから」


「お前のそれは洒落にならん! って言ってる傍からハッカーに依頼かけようとするんじゃねえ!! そもそもどこで知り合ったそんな連中!!!」


 結局その夜、荒ぶる真希を止めるのに必死で大きな音を立てた俺は、真里姉の呼び出しを受け”うるさい!”と怒られた。


 ちなみに真希は気配を消していた。


 この妹、覚えてろよ。


 そんな悪党が吐く捨て台詞を胸に、真里姉の説教に堪える俺だった。

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