特別番外編第三弾 Act.7章完結記念SS

巨大駅迷宮の怪異と鬼斬達の戦い

<三人称全知視点>


『ぎゃぁぁぁー!!!』


 ――静まりかえった丑満時のホームに少女の絶叫が響き渡った。


 駅はとっくの昔に業務を終了し、駅員によってしっかりと施錠されていた。見回りを終えた後に施錠された筈なので、少女が駅の中にいるというのは本来あり得ないことである。

 では、駅員の見回りに運がいいのか悪いのか見つからずに駅に閉じ込められたのか、と思われるかもしれないが、残念ながらそうではない。


 隅から隅まで駅員が見回ったとなれば、この少女は間違いなく施錠された後にこの駅に侵入したということになる。

 だが、ここで新たな疑問が浮上する。何故、こんな時間に中学生くらいの少女が駅に侵入しているのかという問いだ。

 昔よりもよく分からない犯罪が増え、警察のメールマガジンは「どこどこの駅で露出者が現れました」やら「痴漢が発生しました」やら、そういった情報が珍しく感じないほど送られてくるこのご時世に、未成年の少女が単独で夜に行動しているというのは、鴨が葱と一緒に鍋まで背負ってトコトコ歩いているというくらい、無防備で考えなしな行動である。


 不良少女なのだろうか? 家出少女なのだろうか? いずれにしても、施錠された駅に侵入するという思考には至らないだろう。


 いや、それ以前に少女には不自然な点があった。


 身体が透き通るように薄く、その周囲には青白い炎が揺れている。白いワンピースを纏った少女は僅かに浮遊している。


 つまり、少女の正体は幽霊だったのだ。なるほど、それならば帰る家などある筈もなく、痴漢に遭う心配もない(そもそも、幽霊にどうやって痴漢を行うのか甚だ疑問である)。

 何故、駅に幽霊の少女が居て、鬼火の明かりを頼りにしながら全力疾走をして涙目で走っているのか今の段階では不明だが、幽霊ならば夜に出歩いていても問題はないだろう。というより、幽霊にとって夜というのは化けて出るゴールデンタイムである。


『だしゅけでぇ! ももがみしゃぁんッ!!』


 さて、それを踏まえてこの幽霊の少女を見てみよう……この少女は一体何なのだろうか?

 人間の前に化けて出て、怯えさせる側の筈の幽霊が一心不乱に逃げている。「百上」という人物に助けを求めるような絶叫を上げながら、涙を垂れ流しにしている。これが、果たして正しい幽霊の姿なのだろうか?


 無論、この幽霊の少女が駅に現れる怪異……などである訳がない。暗所恐怖症に怪談恐怖症、更にはスプラッター恐怖症を拗らせた幽霊の少女のどこに一体恐怖があるというのだ。

 こんな幽霊を怖がる存在がいるとすれば、この幽霊に匹敵するほどの怖がりくらいである。


 この少女の名は朽葉くちば灯里あかり、享年十四歳。

 大のホラー嫌いな性格で、中学生に入ってもお化け屋敷が大っ嫌い。入って三秒で絶叫を上げながら飛び出したという最高記録を持ち、現在でも怖いことに対する耐性が全くない。


 そんな彼女は中学校から帰宅途中の通学路で血走った男の餌食になってしまい、陵辱の末に殺されてしまった。

 初めて自分が幽霊になってしまったことを知った際には、自分で自分に恐怖を感じて絶叫してしまったほどだ。生前恐れていたものになってしまったのだから、影に恐怖を感じてしまった人間のように常に恐怖を覚え続けることになる。


 謎の惨殺事件によって殺されてしまった灯里の未練も晴らされることなく迷宮入り……そうなるかに思えたこの事件は、裁判官の父と検事の母を持つ「犯罪心理学」の本を愛読する全く言葉を交わしたことのない同級生の少女と、朽葉が今助けを求めている男――百上ももがみ宗一郎そういちろうによって解決された。この痛ましい事件の犯人の男は現在法廷で判決が下るのを待っているという。


 灯里はそれ以来百上と共に行動している。

 曰く、朽葉は何らかの理由で幽霊として現世に留まってしまっており、そのことを知られると大変面倒なことになる連中がいるそうだ。古の時代から鬼や妖怪、幽霊などと敵対し、その悉くを葬り去ってきた護国の影の立役者達――彼らは大変に融通が効かず、強制成仏という強硬手段を取り得ない。

 そして、百上はそれを良しとしなかった。できるならば、自分の手で未練を見つけ、その未練を絶って成仏して欲しい――それが、百上の仕事に対するポリシーであり、向き合い方なのだそうだ。



 百上の仕事は「怪異に関わる事件を専門とする探偵」だった。当然のように灯里は彼の助手として生前から苦手な怪異の関わるホラーな事件に関わっていくことになる。

 今回の事件もその一つだった。


 依頼者は高校生の少女。警察に捜索願を出しても結果は芳しくなく、いくつもの探偵事務所を訪ねても成果が上がらず、最後に藁にも縋る思いで訪ねたのがこの探偵事務所だったのだ。


『どうぞ、紅茶です』


「あっ……ありがとうございます」


 ポルターガイストで紅茶を運んだ灯里に、依頼者の少女は驚きと恐怖の入り混じった視線を向けた。


「あの……この子ってもしかして」


「無論、幽霊だ。安心しろ、悪霊ではない。今は私の助手をしてもらっている」


「……はぁ」


「ちなみに、ホラーの類が苦手で、スプラッターはその系統の映画を見ると気絶するくらい苦手、暗所恐怖症でもあるそうだ」


「それ、本当に大丈夫なのですか……その、幽霊なのですよね?」


『や、やめてください! わ、私が幽霊だって思い出してしまうじゃないですか!! 私は人間の女の子、私は人間の女の子、私は可愛い可愛い人間の女の子……』


「意外と余裕がありそうだな。さて、今回のご依頼を聞かせてもらおうか?」


「はい……私の親友が駅に行ったっきり帰ってこないのです」


 少女の親友が失踪したその日、親友は終電の電車に乗ったそうだ。少女の家は近くだったため、駅で親友と分かれてそのまま自宅に帰ったそうだ。

 しかし、翌日少女の親友は学校に来ることはなく――。


「……そして、全く手掛かりを掴めず捜査が打ち切られたということだな。場所は……例のダンジョンか」


 かの梅田の地下迷宮を超える複雑な駅が、近年百上達の地元で急速に構築されていった。

 通称ダンジョン駅、正式名称那古野ダンジョン駅と呼ばれる駅は熟練者であっても迷うほどの広大で複雑な構造をしており、毎日どこかで工事が行われているそうだ。


『わ、私嫌ですよ! もう幽霊とか嫌です! それに深夜の駅って真っ暗じゃないですか! 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!!』


「しかし、な。私が朽葉の依頼を引き受けたのも、丁度助手君が欲しかったからだった。だが、君が助手を引き受けてくれないのであれば……」


『わ、分かりました! やればいいんでしょっ! やれば!! 依頼人さん! 助けてください、百上さんがいじめてきます!!』


「依頼者君、君は一体どちらの味方なのだ?」


「あの……私には黒島くろしま玲美れいみという名前があるのですが、最初に名乗りましたよね? わ、私は別に親友を救ってくれるのならどっちでもいいです」


『酷いですよ! こんなにも私が幽霊嫌いなのに、私を毎度毎度危険なところに連れて行くんですよ。しかも、今回は暗所……もうやだ』


「確かに今回は過去最高難度だな。この地には、かつて陰陽師、土御門有宣が強大な悪霊を封印したと記憶していたが……あの駅からは負のエネルギーを度々感じていた」


『……ますます行きたくなくなりました。私お留守番しています。玲美さんと一緒に暮らしますから』


「わ、私!? 何で灯里さんが私の家に一緒に住むことになるのよ!?」


「どちらでもいいが、ついてこないというのならこれ以降は守ってやれんぞ? あの忌まわしい鬼斬共に切り裂かれ、魂を砕かれても知らんからな」


『大変申し訳ございませんでしたどうか私も連れていってくださいお願いします百上しゃん!』


「良かろう」


「……この人達、本当に大丈夫かな?」


 玲美は凹凸コンビな二人に不安を感じたが、依頼料の三万円を支払い去っていった。


 依頼の内容からして相場の報酬は三万円どころの騒ぎではない。

 が、様々な探偵事務所に足を運んで協力を願い出るほどの諦めない気持ちと親友を助けるためにバイトのシフトを増やし、青春を費やした――それほどの親友を助けたいという気持ちを百上は無下にすることはできなかった。

 百上は三万円で依頼を引き受けたのではなく、玲美の気持ちを買って依頼を引き受けたのだろう。そういう百上が節々に滲ませる優しさを朽葉は好いていた。



 そして時は再び現在に戻る。草木も眠る丑満時に百上と朽葉の二人は駅長から借り受けた鍵を使い、深夜の駅に侵入していた。

 駅長の男もこの駅で起きている失踪事件の存在は知っており、百上が事件の捜査に乗り出したと知ると、鍵と初期の拡張工事に関する資料を百上に貸し、事件の解決を希った。事件を解決した暁には駅からも報酬を出すつもりらしい。


 そのまま二人で捜査する筈だったのだが、暗さと不気味な雰囲気に半狂乱に陥った朽葉が衝動に身を任せて走った結果、二人は離れ離れになってしまった。

 そして、訳も分からず走り回った結果――件の怪異と遭遇してしまった、ということである。


 ――その怪異は醜悪な見た目をしていた。身体から生える八本の足。全身は星幽アストラル色で無数の顔と半身を無理矢理混ぜて捏ねたような非対称な姿形をしていた。

 その巨大な幽霊の集合体を構成する幽霊達の眼は空洞と化し、『ヴァァァ』、『ヒュゥゥ』、『シュァァァ』と人ならざる声を上げている。


 八本の足を台所の黒い悪魔の如くシャカシャカ高速で動かしながら、怪異は朽葉を飲み込まんと迫った。


 朽葉は、「あれに呑み込まれてはならない」と本能から来る恐怖に従って全力で空中を滑りながら怪異から逃げた。幽霊特有の物理から切り離された身体で階段を使わず浮遊して上階を目指すが、霊の集合体は階段を猛烈な勢いで駆け上がり、朽葉に迫ってくる。


『なんでよ! なんでよ! 来ないでよ!! 嫌だ嫌だ嫌だ!』


 ダンジョン駅は複雑怪奇な構造をしており、その階段の行き着く先は地上ではなく別のホームだった。


『ももがみしゃん!!』


「朽葉か。……どうやら、それが怪異のようだな」


 百上は怪異と対峙する……素振りすら見せずに朽葉をお姫様抱っこすると、そのまま全力疾走で逃避に走った。

 高い霊力を持つ朽葉は彼女自身が望めば実体化することもできる。朽葉は百上の腕の中で安心したのか眠ってしまった。「やれやれ、これでは剣を握ることもできないな」と帯刀していた刀を一瞥しつつ、階段を駆け上がる。


 百上はこの怪異の正体を掴んでいた。かつて陰陽師によって封印された大悪霊……それが、核となっているのは間違いなかった。が、大悪霊は様々な魂を飲み込み、最早自我のない化け物と化していた。ただ、人を、霊を、全てを飲み込み、食らう存在――そこに、目的などはなく、本能の赴くままに行動する。


 そもそもの始まりは那古野駅の拡張工事の際に土地の老人達の忠告を無視して、工事を強行し、封印の要石を一部破壊してしまったことにある。

 結果として、封印の一部が解除され、封印されていた幽霊が封印の弱まる特定の時間にだけ――つまり深夜にだけ出現するようになった。


 悪霊は封印を完全に解いてしまうために力を求めた。そこで、その膨大な霊力を使って駅の空間そのものを歪曲させ、迷い込んだ者達を喰らった。喰らい、食らい、貪り食らい……そうして食らい尽くす中で、遂に悪霊は飲み込んだ無数の自我に逆に取り込まれ、封印の解除という目的すらも忘れた霊災と化した。


 玲美の親友もその被害者の一人だったのだろう。玲美と分かれた彼女はなんらかの理由で終電に乗れず、怪異の空間歪曲に巻き込まれ……そして。


「……空間歪曲か」


 階段を上っても上っても上っても、いつまでも次のホームに辿りつかない。そのカラクリが膨大な霊力による空間歪曲だと気付いた百上は目を瞑りながら左手で白刃を抜き払い、右手で朽葉を抱えながら斬撃を放った。

 空間きガラスを割ったようなヒビが入り、砕け散ると同時に二人は次のホームに辿り着いた。


 『シュゥゥゥ』、『ゴゴゴゴ』、『ヒュゥゥ』、『ドロドロドロドロ』、怪異は不気味な音を立てながら階段を駆け上がり、ホームに辿り着く。残り二つ……そこまで辿り着いた時、百上は目を開け――。

 剣の切っ先を見た瞬間に恐怖心を抱き、鼓動が早まり、慌てて刀を鞘に戻した。

 百上は実は先端恐怖症なのだ。刃物を目を開けて使うことができず、包丁を握ることもできないために、料理は朽葉に一任している。払屋の仕事にはあまりにも相性の悪い性質だが、百上には家業を継ぐ以外に道はなく、結局母から受け継いだ分流の鬼斬の技(怪異と戦うための力)を継承した。


 百上家は、桃上と呼ばれていたほどの力を有していない。その霊力は様々な血と混ざり合う中で薄まり、最早強大な悪霊を成仏させるほどの力は有していなかった。

 あの怪異と戦ったとしても勝てる可能性は万に一つもない。

 その事実な百上も重々承知していた。彼が今回依頼を受けたのは真相を確かめるためであり、最初から怪異を倒せるなどとは思ってもいなかった。


 これまで討伐できたのは全て低級の悪霊だったからだ。だが、今回は違う――逃げる以外の選択肢はない。逃げずに戦えばあの悪霊を取り巻く呑み込まれた者達と同じ末路を辿ることになるだろう。


「……あれは、玲美か?」


 ――真っ暗なホームに夕方に見たあの少女の姿があった。



「…………愛華あいかちゃん? 愛華ちゃんなの?」


 怪異を見た玲美は、怪異を愛華と呼んだ。それは、失踪した親友の名前だった。


「今、そっちに行くからね……」


「玲美、止まれ」


「離してよッ! 愛華がいるの! すぐそこにいるのよ!!」


 百上は今更ながら自分の失態に気づき、内心悪態を吐いた。

 万が一の時に逃げられるように開けておいた鍵――それが裏目に出てしまった。結果として、玲美を駅の内部に入れてしまい、そして今玲美は怪異の目の前に来てしまっている。


『ヒュゥヒュゥゥ……』


「今行くね……今行くからね」


「待ちたまえ!」


 百上の利き手ではない左手では玲美を留めておくことはできなかった。

 手を振り払った玲美は怪異へと近づいていく。その目は焦点が定まっておらず、不気味な恍惚に表情は支配されていた。


 玲美の最期は呆気なかった。百上の目の前で怪異は呑み込まれて消えた。肉体が蒸発し、魂が融合し、新たな貌が生まれた。

 その一瞬の隙を突いて、再び逃走劇が始まった。玲美を呑み込んだ怪異から逃げ続け、遂に百上と朽葉は駅からの脱出を果たす。


 ――翌日、黒島玲美の親族から捜索願が出されたが、彼女の行方は今も分かっていない。



「なるほどねぇ。事情は大体分かったよ」


 遠江国の国にある「Eine kleine Nachtmusik」という喫茶店で、白いワンピース姿の清楚な少女・・は、百上と朽葉から事情を聞き、黒髪の清楚な店員の美少女が運んできたコーヒーを口に含み、潤わせた。

 小さな舌が可愛らしく唇に触れる姿はどこか艶やかで、どことなく背徳感を見るものに感じさせる。


 百上は一連の逃走劇で、自分ではあの怪異を討伐できないことを深く実感した。

 しかし、あの怪異を放置する訳にはいかない。


 百上はディープウェブにある「yuLily」という掲示板サイトに書き込みをした。

 この「yuLily」というサイトに願いを書けば、どんな願いも叶うという噂があった。その願いを叶えるためには対価を求められるという噂もあったが、知り合いに幽霊の討伐をできるような友人はいない。


 ダメで元々という気持ちで「yuLily」という掲示板に願いを書いたのは三日前。その日のうちに書いてもいない自分のメールアドレスに待ち合わせの日時と場所が示されており、百上は帯刀した上で朽葉と共にこの喫茶店を訪れたのである。

 もしも危険な場合は相手を斬ればいい。剣が効かないなら逃げるしかない。呼び出した悪魔に怯える召喚者のような心持ちで喫茶店にやってきたのだが、現れたのは白いワンピースの清楚な少女――気を張っていた百上と朽葉がちょっと脱力してしまったのも致し方ないことだろう。


「しかし、よく見つけたねぇ。「村雨神社」の願いを叶えてくれる掲示板と一緒でそれとなく噂を流してみたんだけど、あんまり訪れる人がいなくてねぇ。どんな願いも叶うというと怪しいし、対価のところでも躊躇しちゃうか。まあ、どんな願いっていっても実はなんでも叶えられる訳じゃないから、前宣伝に偽りありだったりするんだけどねぇ。世界征服とか、地球を壊したいとか、そういったのは無理かな? それと、対価に関しては魂とか取らないから安心してねぇ。ってか、悪魔も魂なんて取らないよ。ねぇ、ヴィーネットちゃん?」


『はい、圓さんの仰るとおりです。悪魔は魂を奪ったりしませんよ。……本当に誰なんでしょうか? そんな眉唾な伝承を広めたのは。魂は神界のシステムによって輪廻を巡ります。そのシステムに悪魔は決して干渉しません。昔から天使と悪魔は戦いを繰り広げてきましたが、それは魂をめぐる戦いではなく、ただ単純に仲が悪かったからです。……話し合えば理解し合えるし、天使とも友達になれる。私はそう信じています』


 喫茶店の制服のスカートからちょこんと黒い尻尾を見せたヴィーネットという店員の少女が阿呆な戦いを繰り広げる上司達を思い出したのか、小さく溜息を吐いた。


「……本物の悪魔、という訳か?」


『え、嘘、本物の悪魔!! まさか、私殺されちゃうの!!』


「幽霊は殺せない、消滅させるしかないって。ってか、凄いねぇ……平将門や菅原道真にも匹敵する霊力。……ビビリな性格とアンバランス過ぎないかな? ……改めまして、百合薗圓と申します。本職は投資家兼ゲームクリエイターですが、副業で鬼斬もやっているので、今回の依頼には協力できると思いますよ?」


 鬼斬という単語を聞き、百上は咄嗟に朽葉を庇って白刃を引き抜いた。一般人であるマスターの梅田は、青い顔になってガクガク震え、ヴィーネットは梅田を守るように立つと、鋭い視線を百上に向けた。


「百上宗一郎……いや、桃上宗一郎と呼ぶべきかな? 君のことは調べさせてもらった。桃上家は桃郷家の分家筋だったが、「鬼や妖怪の中にもいい奴がいる。訳も聞かずにとりあえず倒すという考えには共感できない」と随分昔に、鬼斬達の組織鬼部を離反し、フリーの払屋として生計を立ててきたそうだねぇ。通りで情報が古い訳だ。今の《鬼部》……いや、《鬼斬機関》は無闇に幽霊や鬼、妖怪を攻撃することはないよ。ここ数年で《鬼斬機関》は随分と変わったからねぇ」


『圓さんが変えたんですよ! 鬼斬機関のトップで鬼斬の棟梁だった渡辺満剣さんを含む鬼斬を返り討ちにして、《鬼斬機関》と同盟を結び、幽霊や鬼、妖怪との共存も視野に入れた新しい鬼斬の在り方を提示したのです。それに、桃郷家も赤鬼小豆蔲さんと関わった先先代の時代から考えを改めたそうです。決して朽葉さんを見ても攻撃しようとは思わないと思います』


「ヴィーネットさんが全部説明した通りだよ。……まあ、それは一旦置いといて、依頼の話だけど……お断りするよ」


「……何故だ?」


「君達が見た仮称、怪異那由多の融怨は極めて危険だ。人に害なす話の通じない幽霊には消滅して頂かなければならない。この方針は《鬼斬機関》も桃郷家も変わっていない。もし、君達が黒島玲美の依頼を受けなかったのなら、ボクは無条件で力を貸すつもりだった。でも、君は黒島玲美の依頼を受け、三万円を事前に受け取ってしまっている。その上、黒島玲美の駅への侵入を許し、死なせてしまった。このままで済むと思っているのかい? このまま、事件から背を向け、仕事を丸投げして知らぬ存ぜぬを決め込んでもいいと思っているのかい? もし、そうなら君を幻滅するよ、百上宗一郎。……対価は、君と朽葉さんの協力。こちらからは最強の戦力を出す。願いは怪異那由多の融怨の討伐、これなら引き受ける」


『……ももがみしゃぁん』


「……分かった。それで構わない」


「了解。それじゃあ、準備が整い次第こちらから連絡をさせてもらうよ」



 深夜の那古野ダンジョン駅付近で待つこと二十分。

 百上と朽葉の待つ真っ暗な改札に、七つの人影が現れた。


 黒スーツに帯刀したがたいのいい男と、着流しにこちらもがたいのいい帯刀した男、レディーススーツを着た美しい濡れ羽色の長い髪を持つ帯刀した女性、レディーススーツを着た赤縁眼鏡の清明桔梗が描かれた黒い扇を携帯している女性、燃えるような赤髪を持ち、二本の小さな角を持つ少女、禿頭の作務衣姿の見た目三十代くらいの男、そこにあの圓という男(あの後に本人から事実を知らされ、朽葉は「こんな可愛い子が男の子のはずがない!」とテンプレセリフを叫んだ)を加えた七人である。


「あの日以来だねぇ、二人とも。紹介するよ。大倭秋津洲帝国連邦で強大な力を持つ財閥の一つ桃郷財閥の創業者一族の当主で桃上家と同じ桃郷太郎を祖先に持つ桃郷清之丞さん。鬼斬機関のトップで鬼斬の棟梁の渡辺満剣。「剣姫」や「冷血の鬼斬姫」の異名で知られている千羽雪風さん。安倍氏流土御門家の祖、安倍晴明の直系の子孫で陰陽寮を統括している土御門遥さん。世界中の紛争地域を巡っては調停のために尽力する調停者として活動する満剣さんのゲテモノ愛好仲間の赤鬼小豆蔲さん。そして、武蔵国府中にある密教系の寺、照慈寺の住職の迦陵大蔵さん。いやぁ、我ながらよくこれだけのメンバーを集められたねぇ」


「まあ、満剣や雪風さんとは一緒に仕事をすることも増えたし、遥さんや小豆蔲さんも協力して討伐に向かうってことは何度かあるからあんまり珍しくないけどな。……迦陵大蔵さんは初めましてだよな?」


「皆様のことは存じ上げていたよ。僕達忍びは諜報が命だからね」


「……なかなか、面白い身体の構造をしているね。……崑崙山で出会った仙人に似ている。解脱して羽化登仙したのかな?」


「それは仙道の話。修験道は神境、天眼、天耳、他心、宿命、漏尽の六つの法力を獲得していくものだよ。まあ、神境は神境智證通、天眼は天眼智證通、天耳は天耳智證通、多心は他心智證通と重なるところも多いけどね。まあ、厳しい環境で鍛えることには違いないし、漏尽の段階は仙道における羽化登仙だから、差はあってないようなものだけど」


「修験者……山伏で、僧侶で、忍……つまり、どういうことだ?」


「満剣さん、私達のように鬼斬という一つの技を継承してきた訳ではなく、法力、忍術……様々な技術を受け継いでこられたのではないでしょうか?」


「雪風さんの見解は正しいよ。迦陵さんは修験道の法力と僧兵が辿り着いた忍術を現代に継承し、現在は静寂流の継承者として武蔵国府中にある密教系の寺、照慈寺で道場も営んでいる。法力と忍びの技と、静寂十九芸……まさに、彼は歴史ある古式の伝承者と言えるね」


「修験道というと、開祖は役小角――役行者ですから、飛鳥時代辺りですか。歴史的には陰陽寮よりも古いですね。大倭秋津洲では邪馬家の鬼道――東洋呪術に次ぐ古さでしょうか?」


「遥さんの認識で合っているよ。……さて、時間も決まっていることだし、そろそろ行こうか? 百上さんと話したいことがある清之丞さんは道中話せばいいと思うし」


「そうだな。とりあえず行こうぜ?」


 清之丞が今回の依頼に参加した目的は、分家筋の桃上家の今を知りたかったかららしい。

 話を聞く中で、桃上家の鬼斬の技が幸いなことに何一つ欠けることなく継承されてきたことが分かった。

 大蔵が「どこぞの十四芸が二芸になるようなことが怒らなくて良かったですね」と皮肉を言っていたけど、全くその通り。散逸したなら諦めればいいものを、娘の巴が神童だったからこれを機に十四芸の再興をなんて欲を出すなんてねぇ。まあ、依頼されて手伝う方も手伝う方なんだけどさ。


「ただ、問題は時代の経過による適性の低下か。霊力が人並みにまで落ちている……これじゃあ、鬼斬として戦うのは厳しいなぁ」


 清之丞の視線が朽葉に向いた。『ひぃ!』と色気のない恐怖心の篭った声を出す朽葉に申し訳そうな表情をしながら――。


「朽葉さん。既に自分でも知っているだろうが、朽葉さんは大悪霊にも匹敵する力を持っている。その霊力は霊災級と言っても過言ではない。……勿論、だから討伐するとは言わねぇよ。朽葉さんは絶対に悪霊にはならないタイプだかはな……余程絶望しなければ、負の感情に支配されなければ、そんなことにはならない。……一つだけ、百上を強くできる方法があるのなら、この鍵が朽葉さんにあるのなら、どうする?」


『……私が、百上の力になれる? そんな方法が?』


「ああ、鬼斬の中ではタブーとされてきた技がある。膨大な霊力を持つ霊的存在から霊力を借り受ける霊術式っていうな」


「元々は霊ではなく人間から霊力を借り受ける技だったものが、より膨大な霊力を持つ幽霊を対象にシフトしていったみたいだねぇ。過去に崇徳上帝にも匹敵する大怨霊から霊力を借り受けようとして、逆に取り込まれて現世に受肉して暴れたということがあってから禁忌の術となったみたいだけど、君と百上さんなら問題はないと思うよ。……いや、別の問題が生じるか。その膨大な霊力に百上さんが耐えられるか。いずれにしても、二人で怪異那由多の融怨の討伐を討伐するためには霊術式を使うしかないんじゃないかな? ……さて、敵さんも来たみたいだねぇ」


 身体から生える八本の足。全身は星幽アストラル色で無数の顔と半身を無理矢理混ぜて捏ねたような非対称な姿形をした幽霊の集合体が、その姿を現した。



「木剋土、土剋水、水剋火、火剋金、金剋木……陰陽五行の力を束ね、一線を引け! 陰陽境界」


 陰陽五行エネルギーを束ねて左の人差し指に溜めて一線を引く。遥によって引かれた結界は妖や魑魅魍魎などといった存在を突破できなくする効果がある。


「――ッ! やはり簡単には抑えられないようです。みなさん、私が抑えている間に削ってください!」


「……痺れてもらうよ。……やっぱり、こっちもあまり効かないみたいだねぇ。流石は霊災級。ここは、正攻法で削っていくしかないか」


 霊体にも効果を及ぼす「麻痺」の性質が付与された紫の妖気を放出した小豆蔲だったが、こちらも《那由多の融怨》の動きを完全に止めるほどの効果は無かった。


「それじゃあ、僕から仕掛けさせてもらうよ。神境」


 法力の一つ、神境を使って《那由多の融怨》に肉薄した大蔵が、遥に「刀禁呪」を施してもらった白刃を抜き払い、「静寂流十九芸 剣術十一ノ型 八華閃」を放つ。

 唐竹、逆風、袈裟斬り、右切り上げ、逆袈裟斬り、左斬り上げ、左薙ぎ、右薙ぎの順に高速で斬撃を放たれるが、《那由多の融怨》の八個の魂が切り裂かれて消滅する程度のダメージを負っただけで、那由多と称されるほどの膨大な霊の集合体である《那由多の融怨》には大した痛手にはならない。


 《那由多の融怨》が霊を固め、如意棒のように勢いよく伸ばしてきた。

 結界がその猛烈な霊の塊によって一時的に破られ、大蔵に殺到する。「大霊の一撃スピリット・ハンマー」と呼ぶべきその一撃をその身に受けた大蔵の姿が歪み、消え去った。


「纏幻の秘儀――この世ならざるものの目をごまかす秘儀なのだそうだよ。人間相手に使われることがほとんどのこの術を本来の用途で使える日が来ようとはね。やっぱり参加して良かったかな? 鬼火灼天」


 照慈寺派忍術の本体とそっくり同じ色と形と音と熱を本体からずれた位置に映し出す幻術で攻撃対象を見誤らせた大蔵が、自然エネルギーを練り上げ、青い鬼火を無数に発生させた。

 無数の鬼火が輪舞ロンドを踊るように回転しながら《那由多の融怨》に殺到――その身を焼き尽くす。


 叫び声のようなものをあげた《那由多の融怨》は、鬼火に狙われた猛烈な霊の塊を切り離し、燃え上がる霊は満剣の「渡辺流奥義・颶風鬼砕」によって浄化された。


「なかなか厄介な相手だな。これだけの霊を蜥蜴の尻尾切りできるって普通じゃねえな。流石は霊災」


「これを倒せば終わりという核が存在しないのは本当に厄介ね。『千羽鬼殺流奥義・北辰』もまるで意味がないし……素体となった大怨霊も飲み込まれているようだし、地道に削るしかないというのは本当に面倒ね」


 「千羽鬼殺流・九星」のようなとにかく手数が多い技で霊を切り裂いていく雪風と「渡辺流奥義・颶風鬼砕」のような面の攻撃で大きく削っていく満剣――そこに大蔵と全身に神速闘気に迫るほどの迅速闘気を纏わせることで速度を上げ、妖怪の持つ妖気によって実体のない霊にもダメージを与えられるようになった小豆蔲の容赦ない攻撃が加わり、四方から《那由多の融怨》は猛威に晒される。

 しかし、それでも《那由多の融怨》はその原型を保っていた。


 「大霊の一撃スピリット・ハンマー」を四方に次々と放ち、結界を破壊せんとする《那由多の融怨》。その力が削られた様子は全くない。


「圓さん、手数ならお前が圧倒的だよな? ちょこちょこっと圓式で千羽鬼殺流を放ってくれれば大分削れるんじゃないか?」


「清之丞さん、ちょっと無理があり過ぎない? ボクって霊力も大したレベルじゃないし、技量も雪風さんに遠く及ばない。……こんな下っ端の鬼斬じゃあ、なんの役にも立たないと思うけどねぇ」


「あらあら、私を一撃で倒して、炯々と瞳を輝かせて、凄惨な笑みを浮かべ、愉悦に顔を歪めながら満剣さんと死闘を演じていた圓さんが何を言っているのかしら? ……確かに霊力はそこまで高くない……でも、強いわよ、貴方は」


「まあ、できる範囲で頑張ってみるけど……」


 浄化の性質が付与された霊力を纏わせた武器で斬撃を放つ「桃郷一刀流奥義・浄土桃斬」によって《那由多の融怨》に神聖な桃の樹木を生えさせ、次々と《那由多の融怨》の霊を浄化させていく清之丞と霊力を樹木のように見立て、樹木が岩を大地を削り断つように強引に標的を斬るおおぐま座γ星の名を冠する鬼斬の技「千羽鬼殺流・禄存-樹斬-」を一切の加速が存在しないゼロから百への緩急を誇る最速の剣で、自身の愛刀「打刀・叢時雨」と「打刀・宵時雨」で放つ圓が戦線に加わり、六人による攻撃が始まった。


『…………百上さん』


「大丈夫だ、朽葉。……力を貸してくれ」


『でも、百上さんが耐えきれなかったら』


「……俺を信じてくれ。玲美の依頼、必ず完遂しないといけないからな」


 暗がりや霊に対する恐怖とは違う、大切な人が消えてしまうんじゃないか……そんな恐怖に苛まれていた朽葉に百上は優しく笑いかけた。


『うん……絶対だよ。絶対、私の前から居なくならないでよ』


「ああ、勿論だ」


 朽葉と手を繋いだ瞬間――膨大な霊力が百上に雪崩れ込む。

 身体が軋み、顔を顰めながら、百上はその膨大な霊力により生じる痛みを耐え抜いた。


 かつてないほど膨大な霊力をその身に宿し、勝利の確信のようなものを感じた百上は「行ってくる」と言い残し、剣を構えた。


「桃上一刀流・桃李成蹊」


 猛烈な踏み込みと同時に、裂帛の声と共に百上は《那由多の融怨》に肉薄した。

 爆発的な踏み込みにより一瞬でトップスピードに達し、相手の間合いに入る「千羽鬼殺流・貪狼」に似た技だが、その身に浄化の霊力を纏わせることで自分そのものが霊を浄化する弾丸と化し、更に霊力による身体強化によって剣のみに霊力を纏わせる「千羽鬼殺流・貪狼」よりも総合的に速くなる。ただし、霊力の消費が剣に纏わせるよりも遥かに多いため、どちらが優れているかは判断が難しいところだろう。


「桃上一刀流・桃花爛漫」


 霊力を纏った剣から流れるような斬撃が繰り出される。

 その度に桃色の霊力による斬痕が《那由多の融怨》に刻まれ、散った霊力が桃の花弁のような形を作っては消えていく。


 その後、七人は《那由多の融怨》と死闘を繰り広げた。

 朽葉と遥が祈るように見つめる中、《那由多の融怨》は遂に消滅する。


 こうして、那古野ダンジョン駅に潜む脅威は打ち砕かれたのであった。



「しかし、良かったの? 二人を鬼斬に誘わなくて。凄い逸材だったのに」


 駅で百上と朽葉と分かれ、集まったメンバーも帰路につく中、清之丞と共に歩いていた圓がふとそんな質問を口にした。


「……そういう意地悪な質問はやめてくれよ。……そもそも、先端恐怖症の鬼斬と幽霊が怖い大怨霊級の幽霊のペアとか、どんなコメディだよ。……アイツ、刀を抜いてからずっと目を瞑っていたぜ。目を瞑ってあれほどの悪霊相手に戦えるってそれはそれで凄いけどな」


 ずっと目を瞑って戦っていた百上の姿を思い出し、しばらく笑っていた清之丞だが、突如真顔に戻った。


「……百上と朽葉……あの二人は表の世界の人間だ。俺達のいる裏の世界に引き摺り込んで、悲しい思いはさせたくないだろ? もう、昔とは違う……随分と複雑な世界になっちまったしな。俺は随分前に袂を分かった、親戚のその後が知れて良かったぜ」


「やっぱり、清之丞さんを呼んで良かったよ」


 可憐な少女のように無垢な笑顔を向ける圓を見ながら、「こいつはどこまで考えてこの依頼を引き受けて、この人選をしたのか……底が知れねぇぜ」と思いつつ、その優しい友人に「ありがとな」と笑いかけた。

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