雨の降る日に
窓拭き係
Still Raining, Still Dreaming - 1
「んでさあ」
豚カツを口に入れたまま、目の前の男は続ける。この男にとっては、喋るのは食べるのよりも大事なのだ。
「俺は決めかねてんだよ。結局、最高のパンク・バンドは誰なのかってさ。お前も分かるだろ? この気持ち」
もぐもぐと咀嚼しながら、いかにもな表情を作ってこっちを見てくる友人と、同じような話を延々と聞かされ、若干飽きている僕。
もはや、返事は適当なものになっている。
「だからさ、僕はパンクにはあんまり興味が無いって、何回言えばわかるんだよ」
そう言って、フォークに巻いたパスタを口に突っ込む。
「……でな?」
しかし、友人に諦める様子は無い。平然と話を続ける。
「俺の考えでは、候補はふたつある。セックス・ピストルズと、クラッシュ、これでふたつ。でさ、マジに
やれやれ、といった様子でまた豚カツを口に放り入れる友人。
こうして見るとただの行儀の悪いヤツにしか見えないが、実際には、ただ一人の例外を除いて女性との交流が親族くらいしかない、自分で言うのもなんだがあまり人好きのしない性格の僕にも嫌な顔ひとつせずに付き合ってくれる気のいいヤツなのだ。
その普段の付き合いのお礼として、僕もひとつ意見を言ってやることにする。
「じゃあ間を取ってグリーン・デイとか?」
まあ、その意見がマトモとは限らないが。
「おい、話をややこしくすんなって……!」
突然入れられた横槍に目を白黒させながら文句を垂れる友人を
トレイを返す時、窓の外を見た。
特に理由のない、何気ない行動だ。
雨が、降っていた。
軽く顔をしかめる。傘はあるが、だからといって安心できるものではない。
しかも結構強い。帰る時にはほぼ確実に足とか靴とかを湿らせることになるだろう。憂鬱である。
言っておくと、雨は嫌いではない。恵みの雨と言うし、止んだ後の爽やかさが好きだからだ。でもやっぱり嫌なものは嫌だ。
さっきまでいた所に戻ると、豚カツ定食はまだ無くなっていなかった。喋りながら食べていた弊害がここに出たわけだ。
「…………」
先程とは打って変わって、無言の時間が続く。今黙るぐらいなら喋らなければいいのに、と思うのだが、こいつはそう考えてはいないらしい。
「……お前、次の
生協を出る時、友人が訊く。その意図を察した僕は、曖昧な態度を取るしかない。
「あー、まあ、うん」
「なんだよ、はっきりしない」
怪訝な顔をされる。しかし、僕の方も断っておきたい理由があるのだ。
「いや、お前、彼女いるだろ。どうせ車で送るっていうんならそっちにしろよ」
そうなのだ。気配りのできるこの男は、自分で車を運転して通学しているから、といって、雨の時に適当な人を家まで送り届ける、というなんとも立派な慈善事業をやっているのだ。彼女がいるのに。
「もちろんアイツも一緒だよ。アイツの家、お前ん家に行くまでの途中にあるから、アイツを送った後にお前を送ってくのはついでみたいなもんだよ」
彼女がいるのに、この言い草である。振られてしまえ、と声を大にして言いたい。
「……お前、振られても知らないからな」
ため息と共に吐き出す。こんなヤツの彼女さんが不憫でならない。
「駅まででいいよ。家、駅から近いし」
妥協案を出す。お互いが得をする案だ。彼女さんはこいつと二人の時間を持てるし、僕はあまり濡れなくて済む。
それに……その、僕の家にはあまり他人には見せられないものもあるのだ。
「そうか? まあ、お前がそう言うなら、それでいいけど」
隣の男はどことなくぼうっとした顔で頷いている。ちょっとは頭を使って欲しい。
広間まで歩いたところで、片手を挙げて別れる。「講義が終わったら、ここに集合」という意味だ。
僕の友人はだんだん小さくなって、人混みに紛れて消えた。
僕は僕で、人の波に呑み込まれた。
相変わらず面白みのない講義を適当に済ませた僕は、広間で彼を待っていた。
彼というのは、もちろん友人のことだ。知り合ったのは大学生になってからだが、今最も親しい相手である。確か、校舎の中で僕が一度イヤホンを付け忘れて、ビートルズを直に流した時に声を掛けられたのが始まりだったと思う。
あの時は焦って敬語なんか使ってたなあ、なんてことをぼけっと考えていると、突然後ろから右肩を叩かれた。
噂をすれば影が差す。僕の友人であった。
「あれ、お前彼女さんは?」
「名前で呼べよ、名前で。あいつ、なんか友達と買い物行くって言ってたぞ」
「振られた訳だ、やったな」
「よかねえよ。てか振られてねえよ」
僕らはそのまま車に乗り込んだ。
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