絵と母

第一の客 三


 絵を奪い長屋から逃げたその日の晩男、与一は頗る《すこぶる》機嫌が悪かった。


 盲目絵師の噂を聞き、どんな下手な絵を描くのか揶揄い《からかい》目的で会いに行った与一は、鋼牙が描いた絵に心奪われてしまったのだ。


 振り返った女の絵。

 子を見守る母のように優しい笑顔、決して妖艶な絵では無いのに、何故か目が離せない。

 だが、この絵には一つだけ欠点がある。


 瞳が描かれていない。


 決して瞳を描かないとは噂で既に知っていた与一だったが、いざ絵を目の前にすると、女がどんな顔をしているのか気になって仕方がない。


一体女はどんな顔をしているのか。

女は正面か、横か、どこを見つめているのか。

吊り上がった目なのか、垂れた目なのか。

与一の疑問はどんどんと膨れ上がっていく。


「くそっ!!片腕使い物にならなくしてでも描かせるんだった!」


 一度魅了されてしまった与一は、鋼牙の元から逃げ出し家に戻った後もずっと女の絵と向き合っていた。


 見たい。知りたい。

あの噂が本当なら、今まで出会ったどの女よりも美しいのか。


「あの野郎に出来たんだ·········· 俺も出来る」


 ついに欲望が抑えきれなくなった与一は、別室から筆と墨を持ってくると、鋼牙が描いた絵の上に筆を滑らせる。


「ははっ。上出来じゃねぇか・・・・・・くぁ・・・・・・ねみぃ」


 満足そうに頷く与一の目の前には、若干歪ながらも、二つの目が描かれ、完成したことに機嫌が良くなった与一は、強い睡魔に引かれ、そのまま眠りに堕ちた。


「んん··········。なんだ」


 それからどれ程眠ったのか、与一は体に圧迫感を感じ目を覚ました。

 薄暗い部屋の中、目を擦り下を見ると、何かがのしかかる影。


「重てぇぞ。一度降りろ」


 大方何処かの女が夜這いに訪れたのだろうと考えた与一は、自由に動く右手で影に触れた瞬間、その顔は恐怖に引き攣る。


 触れた影はあまりにも冷たく、体温を感じさせない。

 人間とは思えぬ、まるで····················。


「くそっ!退け!! 退きやがれ!!」


 与一は力任せに退かそうともがいたり、叩いたりを繰り返すが、影はぴくりとも反応しない。


 そんな時、ある噂が頭をよぎる。


【目を描くと、代償に俺たちの目が抜かれる】


 聞いた時は阿呆らしいと思っていた噂話。だが現に押し倒され、ゆっくりゆっくりと指らしき物が顔目指して這い上がってくる。


「来るんじゃねぇ!!ころっ、殺すぞてめぇ!!」


「殺される側だと言うのに、貴様は死ぬ寸前まで騒がしいのだな」


「その声はあのがぐぅ··········」


 どこからとも無く響く声。

 その聞き覚えがある声に、与一が反応した瞬間、影が与一の喉を押し付ける。

 一瞬で呼吸をとめられ、声も出せず息もできない。


「坊や··········こっちにおいで。私の坊や··········」


「ぐぅぅ・・・・・・ぁ」


「申し訳ないけど、彼を離してくれるかな」


 目の前が暗くなり、意識が遠のき、全てを諦めかけた時、柔らかな声と共に全身の圧迫感が消える。


「げほっげほっ!! あっ··········てめぇは」


「こんばんは」


 消えかけた意識を必死に握りしめて、ボヤけた視界を向けた先には、与一を守るように立つ鋼牙と、鋼牙を支えるように立つ陸奥と皐月の姿。


「お前等助けに··········」


「ちっ。今からこいつには死ぬ寸前までにこの文にサインを貰うつもりだったのだがな」


「鋼牙いい人すぎ」


「流石に充分危なかったからね」


困ったように笑う鋼牙も、不満をありありと表す陸奥も、無表情の皐月も、全員家にでもいるような、のんびりとした空気に、与一は段々苛立ちを募らせる。

陸奥など今からでも間に合うかと、金銭を捧ぐと書かれた紙を与一に押し付ける。


「テメェ等!!何してやがる!!早く俺を助けろ!!」


「助ける? 僕達は貴様が払わなかった金を受け取りに来ただけだ」


「なつぐぅ!?」


 またまた、喋り終わるより早く、与一は陸奥に右に蹴り飛ばされる。

 童子の見た目をしていながら、筋肉質な大人を軽々と蹴り飛ばす脚力。

 蹴り飛ばされた衝撃で舌を噛んだ与一は、痛みに堪えながら陸奥とつい先程まで自分がいた場所を交互に見る。


「坊や··········。泣かないで··········。母はここにいるから」


 先程までいた場所には、いつの間にか影が移動しており、何かを探すように布団を触っている。


「喧しい奴め。食われたくなければ黙っていろ。奴の目的は貴様だ」


「!?」


「援護」


「右に回れ」


 薄々感じてはいたが、改めて自信が標的と言われ体を強ばらせる与一を放置し、陸奥と皐月が、左右で影を挟み込む。

 暗闇の中、灯りは月の光のみ。

 だというのに、二人の瞳は瞳孔が縦に裂け、うっすらと光っている。

 その姿はまるで··········。


「獣のようでしょ」


「自分の餓鬼を獣呼ばわりかよ··········」


 自分が恐れたものを、圧倒的力関係で追い詰めていく双子に釘付けになっていた与一の傍に、いつの間にかやって来ていた鋼牙が、楽しそうに笑うのを、与一は気味悪げに睨む。


「いえ、あの子達は私の子ではありませんよ。もっと分かりやすく言えば、人ですらない」


 そういうと、鋼牙は昔の話ですがね。と話出した。

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