第7話 ダブルデート

「――ダブル、デート?」


 弁当箱の包みをほどきながら、日高ひだかがそう小首をかしげつつ尋ねる。


 場所は昼の教室。いつものように日高の前方の席を回転させて、そこに但馬たじまが座る。席の主は常に部室で昼食を取っているようで、昼休みが終わる直前までいつも帰ってこない。


「そう。ダブルデート」


 疑問の声を受け、但馬が日高に自身の提案を補足説明する。


「なんかウチの弟が好きな子を遊園地デートに誘いたいらしいんだけど、その下見に行きたいんだって、けど一人だとアレだし、姉弟きょうだいで行くのも変な感じじゃない? だから」

「ダブルデート?」

「うん」


 自分の弁当に手を付けながら、但馬が日高の言葉にうなずく。


 はー。すごいな。

 話の内容がではない。全くのデタラメを何の躊躇ためらいもよどみもなく口に出来る但馬の精神に俺は、本気で今感心をしている。

 ……とてもじゃないが、俺には真似まね出来そうにない。


 昨日、ユイねぇが部屋から去った後、俺はまず但馬に今回の件を電話で相談した。最初こそからかいの言葉を述べていた但馬だったが、最終的には俺の相談に真面目まじめに乗ってくれ、あまつさえ、日高をダブルデートに誘うための筋書きまでも考えてくれたのだった。


 何だかんだ言って、いい奴だよな、こいつも。


「私は別にいいけど……」


 但馬の提案に了承の意を示しつつ、日高が俺の方に視線を向ける。その目はあんに、俺に後は任せると告げているようだった。


「俺は全然構わないよ。智成ともなり君と、別に知らない仲ってわけでもないし」


 智成君とは但馬の弟の事である。


 彼には姉弟でいる所に偶然遭遇して以来、なぜか気に入られているようで、外で顔を見るとよく向こうから声を掛けてきてくれて、そのまま話し込む事も少なくない。年下ながら智成君は知的で俺より大人びており、そんな彼と話す事は俺にとっても有意義な時間となっている。


「じゃあ、決まりね。待ち合わせは――」


 日にちと時間、そして待ち合わせ場所を但馬主導の元、三人で話し合って決める。


 日にちは次の土曜日、時間は朝八時、待ち合わせ場所はこの辺りでは一番大きい駅という事で、前回と同じ三神みかみ駅という事になった。


「いやー、うまく話がまとまって、本当に良かったよ。自分から言い出した事だし、失敗したらどうしようかと……」

「早く、智成君に知らせてあげないとな」


 但馬が何か口走りそうな勢いだったので、早めにくぎを刺す。


「うえ? あー、そうね。伝えなきゃね、早く」


 俺の言葉で我に返ったらしく、言いながら但馬が、苦笑いをその顔に浮かべる。


「遊園地かー。いつ以来だろう……」


 そんな俺達の心配を余所よそに、日高は一人、虚空こくうを眺め、思考を巡らしている様子だった。


「サクラ」

「ん?」

「二人きりになりたい時は言ってね。気をかせてあげるから」

「な――」


 但馬のからかいに、言葉を失う日高。


「な、なんで、私と阿坂あさか君がふ、二人きりに……」

「あれー、私は別に阿坂と二人とは言ってないけどな。ただ単純に、女同士で秘密の話もあるかなと思って提案してみたんだけど」

「あぅ」


 但馬のトラップに引っ掛かり、日高が顔を赤くして顔を下に向ける。


 というか、今のはトラップというより、言い掛かりやいちゃもんに近いものがあった。こうなってくると、さすがに日高が可愛かわいそうになってくる。


「但馬」

「はいはい」


 分かってますよ、と言った感じで、肩をすくめてみせる但馬。


 まぁ、但馬の方が俺よりも日高と長く付き合っているので、その辺りの引き際的なものはよく分かっているとは思うが。


「ところで、よく智成君がオッケーしたな、今回の件」


 日高が落ち込みモードに入っているのを横目で確認しながら、俺はそう但馬に小声で話し掛ける。


「いやー、私も少しはごねるかなと思ったけど、今回は意外とすんなりだったわね。やっぱり、阿坂絡みだからじゃない?」

「帰ったら礼言っといてくれ」


 もちろん、顔を合わせた時に、改めて自分でも礼を述べるつもりではあるが、こういうのはやはり早いに越した事はない。


「はいよ」

「二人で何の話?」


 ようやく気を取り直したらしい日高が、俺達の会話に送れて加わってくる。


「サクラには内緒の話」

「えー。何それ」

「うそうそ。当日の阿坂の服装なんかをちょっとね」


 流れるように嘘を吐き、この場を誤魔化ごまかし切り抜ける但馬。


 さすが但馬。適当な事を言わせたらお手の物、こういう時には本当に頼りになる。……こういう時は。




 そして当日。駅前で合流した俺達は、四人で電車に乗り、目的地周辺に到着した。


〝ウィンド・ア・ウエィ〟

 その名の通り、潮風の香る海沿いに建てられたこの遊園地は、この辺りに住むカップルなら一度は訪れると言われるほど有名なデートスポットである。


 元々はこの土地に別の何かを建てるつもりだったようだが、その計画が色々な理由から頓挫とんざき目にい、とはいえ、ただ土地を遊ばせておくのはもったいないと、こうして遊園地が建てられたと、そういう事らしい。


 今こうしてにぎわいを見せている光景を目の当たりにすると、勝手ながら、前の計画が頓挫して結果的には良かったのではないかとすら思えてしまう。


「うわぁー。凄い人だね」


 遊園地に来るのは小学生の時以来という日高が、遊園地を前にして、早くも興奮した様子で辺りを見渡す。


「まず中に入りましょうか。どこに行くかは、パンフレットでも見ながら決めましょう」


 この中で最も年の若い智成君が、先頭を切って歩き出す。その隣に俺も並ぶ。


 智成君の身長は俺より大分低いため、隣に並ぶと俺の肩の位置に彼の顔が来る。大人びた顔つきとシルバーな眼鏡めがねが非常にマッチしており、それが彼の事を年相応に扱うのをより一層難しくしていた。


「ごめんな、折角の休みに付き合わせちゃって」

「いえ、お兄さんのためですから。それに、感謝の言葉なら僕より姉に掛けてあげて下さい。弟の僕をおとしめてまで今回の計画を立てたんですから」


 そう言って智成君が、背後にちらりと視線をくべる。


「もしかして、根に持ってる?」

「根に? まさか。ただ事前に相談くらいしろよとは思いますけどね。いきなり決定事項みたいな感じで計画を話されても、こちらはただただ困るか呆れる事しか出来ませんから」

「……なんかごめん」


 強引に話を進めたのは但馬の落ち度だが、その発端を作ったのは俺なので、素直に謝る。


「別にお兄さんが謝る事ではありませんよ。全部悪いのは、あの馬鹿ばか姉なんですから」


 智成君に釣られ背後を見ると、そこには楽しげに並んで歩く二人の少女の姿があった。


 俺の視線に気付き、日高がこちらに手を振る。

 それを見て、俺も日高に手を振り返した。


「何?」


 視線を前に戻すと、智成君が俺の事をまるで微笑ほほえましい者でも見るような眼差まなざしで見ていた。


「まぁ正直、お似合いだと思いますよ。お二人は」

「マジか」


 例え根拠のない気休めだとしても、人からそう言われて悪い気はしない。


「えぇ。ただ……」

「ただ?」

「姉の話を聞く限り、日高さんの方に少し問題があるかなと」

「問題?」


 何だろう? ライバルが多いとか?


「日高さんは少し天然な所があるようです」

「ん? あぁ……」


 それはまぁ、否定はしないかな。


「なので、間接的な方法じゃ、お兄さんの気持ちが日高さんに通じない恐れがあります」

「それが問題?」

「いえ、どちらかと言うと、ここからが本題です。仮にお兄さんの気持ちが日高さんに通じ、日高さんもお兄さんの事が好きだと仮定したとして――」

「……」


 これはまた反応しづらい仮定を、意図も簡単に述べてくれるものだ。


「果たして日高さんは、自身の気持ちを正確に理解出来るのでしょうか?」

「それは……」


 さすがに大丈夫だろう、と言い掛けて、途中で口をつぐむ。日高なら、そんな事も有り得るのかもしれないと思ったからだ。


「まぁ、何にせよ、まずは気持ちを伝えてみないと何も始まらないわけですが……。何かプランはお有りで?」

「いや、特には……」


 全くないと言えば嘘になるが、いずれのプランも漠然ばくぜんとしたものばかりで、これといったはっきりとしたヴィションはまだ頭に浮かんでいない。


「そうですか。こちらとしては、程良いタイミングを見計らってお二人と上手い具合にはぐれようとは思ってるんですが――何です?」

「いや、ちゃんと考えてくれてるんだなと思って」


 そう思うとうれしくて、知らず知らずの内に笑みが口元に浮かんでしまっていた。


「お兄さんの事ですよ」


 俺の言葉を聞き、智成君が苦笑をその顔に浮かべる。


「そうだな。ありがとう」

「どういたしまして。けど、お礼は出来れば、全てが上手くいってから惚気のろけ話込みで改めてお願いします」

「……普通、そういうのは嫌がるものじゃないか」


 他人の惚気話なんて、毒にこそなれ薬にはならないだろう。


「いいんですよ。慣れてますし」

「それはクラスメイトの女の子から?」

「えぇ。どうも僕は、その手の話をしやすい性格らしくて、よく聞かされるんですよ」


 智成君は性格がいい上に、容姿も非常に整っているので、女の子受けがいい事は容易に想像出来る。


「智成君こそ、誰かと付き合わないのか?」

「僕ですか? 僕はまだいいです。そういう気持ちにさせてくれる相手とも、まだ巡り合ってないので」

「いやー、モテる男は言う事が違うねぇ」


 そんな台詞せりふを俺が言ったら、似合わな過ぎて笑いすら起きないだろう。


「僕は別にモテませんよ」

「またまた」

「本当ですよ。彼女達にとって僕は、愛玩あいがん対象であって恋愛対象ではないんです。そこを間違えてはいけません」


 そう言った智成君の顔には、うれいや哀愁あいしゅうのようなものが見え、それがいつも以上に彼の顔を大人びて見せた。

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