〈5〉邂逅

「んっんぐっんっぐんっぐ……ぷはぁっ! あんな言い方は酷いよね!?」



 ロビーで腰に手を当てて風呂上りのコーヒー牛乳を一気に飲み干し、酔ってもいないのに据わった目で叫んだ李桃は、そのままぐでーん椅子にもたれ、上体をテーブルに投げ出した。

 浴衣姿であることも鑑みれば、完璧に中年オヤジが自棄酒を飲んでいるようだ。



「ああもう、だからすぐに上がろうって言ったのよ……」



 牛乳瓶を回収しながら、姫芽香が頭を抱える。脱衣所で出くわすのが嫌だからと駄々をこねた李桃によって十分近くも無駄に入浴を強いられたのだ。彼女の目が据わっているのものぼせたせい。自業自得である。

 やっとの思いで李桃を温泉から引きずり出した時には、ロビーにも榊原たちの姿はなかった。



「気持ちを切り替えて行きましょう? ね?」


「うん……ごめんねヒメちゃん」



 腕の中に顔を埋めながら、李桃はうわ言のように返事をする。


 他のメンバーはというと、ホテル内にあるお土産処にいた。地元に住んでいてお土産も何もないとは思うが、そこは女子の性だろう。見ているのはもっぱら、ストラップの類だ。

 有名なマスコットがさくらんぼやだだちゃ豆の被り物をしているものをはじめ、大河ドラマに合わせて作られた米沢市の『かねたん』など、狭いスペースにひしめき合っている。


 カラフルなミルクケーキが好きだからだろうか。その中から咲が手に取ったのは、赤・黄・緑・ピンクの戦士たちに分かれた、ご当地ヒーローのストラップだった。



「……大鍋宣隊、イモニレンジャー?」


「だ、ダメです咲先輩、それに触れてはいけなーいっ!」



 割って入った翡翠がそれらを取り上げ、棚へと戻す。横目で瑠璃を一瞥し、彼女がこちらに気づいていないことを確認すると、ほう、と胸を撫で下ろした。



「何か、問題……?」


「ええっとー、そのー、あはは……」



 笑ってごまかす彼女に、咲の首が緩やかに傾いていく。


 巨大な大鍋をショベルカーが豪快にかき回す光景が圧巻の、山形が全国に誇る『日本一の芋煮会』。イモニレンジャーとは、その祭りを盛り上げるために企画されたご当地ヒーローだ。

 彼らには罪はない。いや、翡翠自身は罪はないと感じているというのが正しいだろうか。ただし、瑠璃と一緒にいる場合には話は別。目ざとく彼女を監視せねばならなかった。


 しかし、咲をマークしている間に、李桃の介抱が一区切りついたらしい新手がやってきてしまった。平和を守るヒロイン・翡翠、絶体絶命のピンチである。



「何を見ているの? あら、御当地ヒーローなのね」


「ひひひ、ヒメっち!?」


「イモニ……へえ、こんなのもいるのね」



 そう呟いてしまった姫芽香の口を慌てて塞ぐも、時すでに遅し。



「…………そうなんですよ」



 事情を知らずに憚らなかった姫芽香の声量では、ばっちりと瑠璃の耳に届いていた。



「由々しき事態なんですよ!」



 身を翻した彼女は、強く拳を握りしめ、目に闘争の炎を湛えて絶叫した。



「馬見ヶ崎での芋煮会は、とうとうギネスに認定されたんです! 前年の盛況を加味して増量しても品切れするほどなんです! 全国からお客様が来るんです、芋煮に対する姿勢がクレイジーと言われる山形県でのイベントなのにですよ!?

 なのに、肝心の大鍋宣隊は知られてないんです。『未来〇隊』風の初期デザインから、今ではお土産のクッキーなんかにもプリントされている『爆竜〇隊』風新デザインに変わったことをご存知ですか! アルティメイトフォームなんて強化形態があることは!? イエローが銃使いなのにピンクの武器がスリングってどういうことですかっ、弓以前の投石武器を銃と並べるって正気ですか! あまつさえグリーンは状況に合わせて武器を使い分けるとかいうんですよ、もういっそ全員これでいいじゃないですか! 全員って言いましたけどぶっちゃけこの宣隊は、『芋煮マン』という一人のゆるキャラから分裂変身してるんですよ! お腹に『1』って書いてあるのに四人になるんですよ!? そんなツッコミどころ満載で逆に愛らしいローカルらしい設定を知らないんですかっ! 確かに御当地ヒーローの知名度が低めであることは事実ですが、ソウルフードのイベントに出演する戦士さえ知られていないって! ああ、なんてっ! 嘆かわしいことです、由々しき事態なんですっ!」


「…………はい?」


「ごめんヒメっち。瑠璃姉はヒーローが絡むとキャラ変わるんだー……あはは」



 完全に体を引いている姫芽香たちをよそに、瑠璃の熱弁は止まらない。ヒーロー愛という名の炎でトリップした瞳は、先ほどの李桃以上かもしれない。



「『ガ・サーン』だって消えてしまったんです! 御当地ヒーロー黎明期の立役者『超人ネイガー』のスタッフが企画してくれて、東北六県を合わせた『ミライガー』に採用までされた『ガ・サーン』でさえ! だいたいですね、今一番力の入っている米沢の『アズマンジャー』でさえ、県民の何人が知っていますか! 南陽の青年団が企画する『アルカディオン』は! そもそも詩人イザベラ・バードによって南陽がアルカディアと評された起源も知らないでしょう! 大江町の『シェイガー』もそう、ヤマガタダイカイギュウという歴史的な化石のことを知らない人ばかりっ! そんなだから『日本ローカルヒーロー大決戦』でハブられるんですよ! ヒーロー以前に地元愛も無い状態で何がソウルフードですか、うわあああん!」


「ええと……あなたたちって、三年前に山形に来たのよね……?」


「言いたいことは分かるよヒメっち……でも瑠璃姉、特撮の映画とかには試写会から行っちゃうよーな人だから……」


「オタク……」



 苦笑しか漏れない、残酷な温度差だった。一方の瑠璃は、まるで敵幹部との初戦闘回で敗北を喫して挫折するヒーローのように、床へ愕然と手をついて喘いでいる。



「このままじゃ……どこまで行っても他県の後追い、東映の超劣化……くぅっ!」


「ほう? 面白い意見だね」


「――くっ、誰っ!?」



 役に浸りきっていた彼女は、不意にかけられた声へとブレスたっぷりのセリフ回して振り返り……コンマ数秒の間を経て、ぼんっと顔を沸騰させた。



「あ、あの……あのあのあの……」



 他人の目に晒されていると自覚することで、ようやく自分の醜態に気づいたのだろう。

 お土産の銘菓が並んだ棚の反対側から、すらっと背の高い男装の麗人――とは言い過ぎだろうか、ボーイッシュな少女が回り込んできた。その後ろから、背丈は彼女よりずいぶんと低い、気取ったようにフリルたっぷりの衣装を纏ったお嬢様風の少女がついてきている。



「それなら君は、どうすればいいと思う?」


「あの、その……山形の魅力を合体させる……んです」


「山形の、魅力を?」



 狼狽えながらも、しっかりと目を見つめ返した瑠璃に、ボーイッシュ少女が感心を示した。



「自治体だけの運営ではなく、県を挙げて、様々な御当地ヒーローを作るんです。は、それぞれの土地の名産品とか、名所の力で変身させて、YouTubeなどに映像を上げれば、他県の方にも興味を持ってもらえる機会が生まれます」


「なるほどね。して、何を守る?」


「……えっ?」



 今度はボーイッシュ少女が見据え返す番だった。心の内側まで探り、試してくるような厳しい瞳に、瑠璃は二の句を失って硬直してしまう。



「お姉様、そんな小娘は放っておきましょうよ。麗緒奈れおなお腹減った……」



 フリル少女のふくれたような小言を頭を撫でて宥め、ボーイッシュ少女は再び向き直る。 



「ヒーローである以上、地元とのリンク性だけではいけない。何を守る?」


「ええと……」



 それでも言葉を返せずにいると、途端に興味を失ったように嘆息されてしまった。



「足りないな。今のままでは結局、目先の知名度獲得に奔走し、経費のペイに疲れ果てて潰れてしまうよ。観光事業への貢献も素晴らしいけれど、ヒーローが希望を与えるべき一番の存在は、子供たちじゃあないのかい?」


「子供、たち……」


「そう。山形に住む子供たちの知育にもなれば理想だろうね。私たちがニチアサから勇気と正義を学んだように。忘れられつつある伝統を守り、子どもたちが山形に抱く夢を守る、それこそが御当地ヒーローの在るべき姿ではないかな?」


「ううぅ……」


「そんなムズかしーことはいいよ。ヒーローがカッコよくて、みんなに笑顔があれば!」



 翡翠が噛みついた。オタク性には呆れながらも、姉は姉。目の前で瑠璃が容赦なく責め立てられているところを見ては、黙っていられなかったのだろう。

 しかし、不機嫌そうに鼻を鳴らして返したのは、相手側の妹・フリル少女だった。



「あんた、笑顔を何だと思ってるのよ。ロコドルを見て御覧なさい、見れたものがある? 量産されたキャラ付け、詰めの甘い歌とダンス。笑顔もおぼろげで、誰に何を伝えるというの? 安い笑顔を伝播させたところで誰の心も震えない。だから世の中に鬱が増えるの、だから後続のアイドルも腐るの! あんたみたいな人間を見ていると虫唾が走るわ!」


「ぐぬぬう……」


「麗緒奈、言いすぎだ。人格否定までする子に育てた覚えはないよ?」


「うっ。ごめんなさい、お姉様」



 一転して力なく萎縮したフリル少女。強固な信頼があるのだろう。彼女は翡翠にこそまだ何か吐き捨てたさそうな視線を向けながらも、姉の言葉に対しては素直に従っているようだ。


 俯いたフリル少女のポケットから着信音が響く。彼女はじゃらじゃらと可愛らしいストラップをつけたスマートホンを取り出すと、上目遣いに姉を見た。



「お姉様。聖たちが『水車そば』で先にランチしてるって」


「まったく、あの二人には困ったね。せめてここを発つ前に一声かけてほしいよ」



 頭を掻いたボーイッシュ少女は、もう一度だけこちらに振り返ると、端麗な顔で微笑んだ。



「君の名前を聞いてもいいかな?」


「興梠……瑠璃です」


「そうか、瑠璃さん。私は宮崎茉莉奈まりな、大江実業体育学部のスーツアクター志望だ。けれど一つだけ宣言する。『守るために戦う』という大切な事が抜けている、今の君が作ったシナリオのスーツならば、私は着ないよ」



 冷たく、挑発的な言葉だが、それは瑠璃への檄にも聞こえた。

 スカートを翻して翡翠の前に出たフリル少女も、慎ましやかな胸を高飛車に反らしてみせる。



「麗緒奈は麗緒奈☆ お姉様のキュートな妹にして音学部のアイドルよ。いずれ、山形出身のスーパーアイドルとして名を轟かせるから、テレビの前で待ってなさいっ☆」



 高圧的な目線で物申すだけあって、その笑顔に一片の欠点もなかった。いや、笑顔と言い表すことすらおこがましいのかもしれない。細すぎることもなく、必要な分だけの筋肉によって輝く腕。瑞々しさと柔らかさとの黄金比が追究された滑らかな脚。愛らしくしなを作った腰に合わせて揺れる髪は、透過光による神々しいフォーカスに彩られている。


 まさに、全身で描き出された芸術だった。



「宮崎姉妹……っ」



 執事とお嬢様のように仲睦まじく去っていく背中に、姫芽香が声を震わせた。



「『生ける伝説』の存在で優勝こそ逃しているものの、常に姉妹でトップ争いをするほどの重鎮よ。面を外したところを見たことはなかったけれど、まさかこんなところで会うなんて……」



 浴室で榊原・栄花といった顔ぶれに遭遇しながらも、彼女たちが去った以上、さらなる大江実業の主力メンバーに出くわすとはにわかに信じられなかったのだろう。

力なく首を振っていた姫芽香の隣から、決意に燃える静かな声が上がった。



「……いーじゃん、上等だよ。あっちも剣道部なんでしょ、強いんでしょ。だったら、ウチらが大会で勝ち上がれば、必ずどっかで当たるってことじゃん」


「そう、ですね。わたしも……悔しいです」


「……ババ臭いメガネ、嫌い」



 次々に伝播する、勝負に飢えた戦士の眼。そんな仲間たちの真剣な顔つきに、自分も榊原に対する胸の内を吐き出そうとした姫芽香は、しかし。



「……モモちゃん」



 視界の片隅に捉え続けていた部長を想って押し黙る。未だテーブルに顔を伏せている彼女だが、既にのぼせたことによるダメージはほとんど回復していることを姫芽香は知っていた。


 生ける伝説・千葉直刃率いる大江実業の精鋭部隊。そして、彼女たちに勝つのは至難の業であるなどという当たり前の言葉すら許されないほどに、打ち伏せられてきた剣士たち。


 王の座を奪う未来を映せなかった瞳が、悔し涙に揺れた。

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