〈4〉勧誘
翌日の放課後。武道場へやってきた柳沼は、三枚の入部届けと、それを渡してきた少女たちに頬を引きつらせた。人形のように淡い表情の小柄な少女と、人の良さそうな、ふわふわとした微笑みを湛える少女。そして、ふわふわ少女にひしと抱きついている快活そうな少女だ。
「……まさか、本当に部員が来るとはな」
「どうですか先生。えっへん」
ほめてほめてと目を輝かせる李桃に、柳沼の肩がさらに落ちていく。
「それでは、自己紹介をどーぞっ」
エアマイクを握った李桃が促すと、一際小柄な少女が「ん」と短く頷いた。
「……
それだけ言って列に戻ってしまう。リボンのラインは赤。彼女だけが二年生だ。
彼女の細い声と、頭の横でちょこんと結ってある髪を見て、李桃の首が傾いていく。
「あれっ? もしかして、昨日あたしがぶつかりそうになっちゃった方ですか?」
「ん。昨日ぶり」
「そっ、その節はどうもすみませんでしたぁ!」
胸の前で作ったピースサインの指を二度曲げられ、李桃は滑り込むように頭を下げた。そこでふと、視線の先――咲の足下に置かれた学生鞄からはみ出ているガラス瓶の首が目に入る。
「ええと、川添先輩……これは?」
「スミノフ。最強」
「おいおい、学生が酒持って歩くとか勘弁しろよ」
「問題ない。中は水」
「いや、そういう問題じゃなくてな?」
「仕方ない。おっきくなるには、喉が渇く」
柳沼の呆れ声に平然と答えた咲は、鞄からウォッカの瓶と、何やら緑色の袋を取り出した。
「……何だそれは」
また訳の解らないものが出てきたと若干引き気味に訊ねられ、彼女は頬をほのかに赤くした。
「ミルクケーキ。今日は抹茶味。抹茶なのにコーヒーに合わせても美味しい。最強」
正式名称は『おしどりミルクケーキ』。日本で初めて粉ミルクの製造に成功した日本製乳株式会社が、粉ミルク製造過程の副産物から偶然開発した山形発祥の銘菓だ。
瓦せんべいのように固いのが特徴で、歯ごたえや軽快な咀嚼音に続いて口の中にまったりと広がるミルクの優しさと、それぞれの味ごとに異なる後味の余韻が楽しい。味の種類も多岐に渡り、定番のチョコやイチゴ、名産のさくらんぼやラ・フランス、そして変わり種のカマンベールチーズまで揃っている。
「それなら確かに喉は乾くわな。けどな、川添。別にカルシウム摂っても大きくは――」
「最強」
咲は言葉を切って、ずい、と勢いよく身を乗り出した。ビスクドールのようだった端麗な顔立ちも、どこか恍惚にとろけている。
苦い表情を浮かべていた柳沼が、これ以上の言及はすまいと嘆息する。
「……村山。次に回せ、次」
「合点承知です。むふふ、次はあたしのクラスメイトなのですよ。かもん、
再び掲げたエアマイクに呼ばれ、ぽやぽや少女が微笑んだ。この場に集まっている面子の中で――無論、柳沼も含めて――一番、胸元が豊かなのが特徴的だろうか。髪の長さは李桃と同じくらいに見えるが、さっぱりとしたザ・スポーツ少女と比較すれば、ふわりと膨らんだ髪は品位さえ感じる。青い髪留めのワンポイントもよく似合っていた。
「ええと、
おしとやかな見た目から発された声は、緊張に震えていた。
「……おい、今なんつった。エスクリマ? スティックとナイフの、あれか」
しかし、柳沼の意識に引っかかったのは瑠璃の引っ込み思案な一面ではなく、彼女の言葉に含まれていた武術の名称だった。怪訝な顔で聞き返され、瑠璃は気恥ずかしそうにはにかむ。
「はい。とはいっても、道場に通っていたのは小学生の半ばまでです。当時わたしたちは茨城に住んでいたんですけど、父の仕事の都合でこっちに越してきてからは、ほとんど我流ですね」
ぺろっと舌を出してから、はたと、思い出したように言葉を続ける。
「あ、あの、わたしたちっていうのは、この子もなんです」
腰元に纏わりつく猫のような頭を撫でると、小動物少女が無邪気に飛び跳ねた。
「はいはーい、ウチは興梠
人懐っこそうな笑顔となだらかな胸は、とても瑠璃と双子には思えないが、言われてみれば、目元や笑った時の雰囲気が似ている。また、翡翠は前髪を緑色の髪留めで上げているのだが、それは瑠璃が着けているものとは色違いのペアルックだった。
「お前もエスクリマを?」
「んーん、違いますよ。ウチがやってたのはムエタイ! 肘でバチコーン、膝でズガァーン、拳でドグシャァッ! って敵を倒す、最強の格闘技でっす!」
茶目っ気たっぷりに擬音つきの解説をした翡翠に、意外なところから待ったがかかった。
「む。聞き捨てならない、最強はシステマ」
「えー、ムエタイですって。古式の方なんか、死人が出るから禁止になったくらいですよ?」
「ちょっと翡翠ちゃん。お姉ちゃんだって譲れませんよ」
「け、剣道だって! サムライ・イズ・ベリー・ストロン……ストロベリ……サイキョウ!」
李桃まで輪に加わり、やいのやいのとしっちゃかめっちゃかな意地の張り合いだった。
「やるかー?」
「ん、上等」
「負けません!」
「竹刀なくても強いんだから!」
やがて臨戦態勢にまで発展した光景を前に、柳沼は心底面倒くさそうに髪を掻きむしると、一人一人の首根っこを掴んでは投げ、掴んでは投げで引き剥がしていく。
「お前ら、少しは落ち着け。そんな風にすぐカッとなる程度で最強を語っても滑稽なだけだぞ」
「「「「すみませんでした……」」」」
素直に反省の色を見せた四人に表情を緩ませた柳沼は、しかし、すぐに険しいものへと戻り、
「瑠璃がエスクリマ、翡翠がムエタイ、川添……めんどくせぇ、全員名前で呼ぶか。咲はシステマ、と。さて、おあつらえ向きに武術経験者が集まるのは妙だな、李桃?」
鋭い視線に射抜かれ、李桃は所在無げに首を竦める。
「ええと、あはは……」
彼女は追従笑いを浮かべながら、制服のポケットから一枚の紙を取り出した。
チラシの裏面を使って作られた、部員勧誘のポスター。そこには黒ペンででかでかと『剣道三倍段! これで君も三倍強くなる! 目指せ達人!』と書かれていた。
カラクリを把握した柳沼は、盛大なため息で一蹴する。
「あのな。『剣道三倍段』ってのは、どういう意味だと思う」
「それは、剣道は他の武道や武術より三倍強いってことですよね!」
直後、呻くような声を出され、「ひえぇ、違うんですか?」と素っ頓狂な悲鳴を上げる。
「でもでも、昨日お婆ちゃんが教えてくれたんですよ、『剣道三倍段』!」
「……あの方がそんな指導をするはずがないだろうが」
「お婆ちゃんを知ってるんですか?」
「ったり前だ。村山ナツ先生と言えば、オレが現役だった頃に伝説と言われていた剣士だよ」
ぶっきらぼうにポスターを突き返してから、柳沼はすこしだけ唇を噛みしめて、遠くを見つめた。しかしそれは一瞬のことで。彼女はすぐに「いいか、李桃」と口を酸っぱくした。
「三倍段はそもそも強さの度合いじゃあないんだよ。言葉は悪いが、相手を殴ったり投げたりさえすれば一本となる他の武術とは違って、剣道には『有効打突』という明確な基準がある」
これくらいは言えるよなと視線で問われ、李桃は幾度も言い聞かせられたことを諳んじる。
「『充実した気勢、適正な姿勢を以て、竹刀の打突部で打突部位を刃筋正しく打突し、残心あるものとする』ですよね」
「正解だ。これがまた難しくてな。考えてもみろ、打突部位ってのは面・小手・胴。高校からは突きが入る。
それでも四つしかないんだ。そこしか打たれないと分かっていて、かつ試合時間はたったの四分。三本勝負と言われて、技が決まると思うか?」
問いへの回答はなかった。それは剣道の経験がない咲や瑠璃や翡翠が答えられないからでもあり、李桃に至っても、実際に決まっているのだから仕方ないという戸惑いがあった。
そんな彼女たちに、柳沼はそっと目を細くする。
「簡単に言えば、技術修得の難易度の話なんだよ。例えば、かの極真空手総帥・大山倍達師は、正拳突きを鍛える一環として木刀の素振りを推奨している。合気道なんかでは、手の内や体捌きの稽古として取り入れていることもある。
そんな風に、他の武術では『これがあったらもっと強くなる』という稽古が、剣道ではがっつり中心に据えられているんだ。
だから、剣道で一段を修めるには他の武術の三段に匹敵する修練が必要という意味で『剣道三倍段』なんだよ」
「あうぅ、そう言えばお婆ちゃんも『剣道は難しいがらなぇ』って言ってましたぁ……」
自分の早合点だったと悟った李桃は、小さく頭を抱えてた。
「まあ三倍段は大袈裟としても、オレは剣道が強いというのもあながち間違いではないと考えている。お前たちも剣を通じて得るものに気づけば、今よりもっともっと強くなれるかもな」
最後に新入部員たちの肩を叩くと、柳沼は武道場の玄関へと引き返していく。
「さて、オレはそろそろ職員会議だから戻ることにするよ。剣道の団体戦は三人いれば出場可能だが、部の設立は学校規定だ。五人に足りない以上、顧問としての指導はしないからな」
肩越しに手を振ってみせた彼女は、ふと、扉を開けたところで足を止め、
「取り急ぎの竹刀や防具類は、更衣室に卒業生の使い古しがある。使いたいなら好きに使え」
手入れしてから使えよ、と事務的に告げて、今度こそ道場を後にしていった。
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