第8話 有沢カナ

 そうして、あっさりと飛び去っていく藤崎の信頼と安心のスパッツを見送っていると。


「じゃあ、行きましょっか」


 言って、有沢は僕の前を歩きだした。


「なあ有沢。バスがあるってことは、みんながみんな飛べるってわけじゃないんだよね?」


 ちらりと横目で僕をみた有沢は、にっこり陽だまりみたいに笑って見せた。


「カナでいいですよ? 同じ小隊ですし、先輩ですし」

「……あ、うん。そうか……」


 今、何て言った?


「ふふっ。そうですねぇ、自分を飛ばすのはコツとスタミナが要りますからね。でも、先輩くらい魔力があればぁ、ちょっとイメージを掴めばすぐだと思いますよ」


 やや見上げるような彼女の笑みに、僕の思考は立ち遅れる。ええっと、何て? 同じ小隊?


「ちょっと待って……ええと、僕は藤崎や、有沢と同じ小隊に入るの?」

「そうですよぉ。あれ、昨日言いませんでしたっけ? ……もしかしてぇ、霧島局長からも言われてませんか?」


 言われてない。


「ええっと、藤崎マドカの小隊ってことは……つまりその、最前線で、戦うってことだよね?」

「はい、勿論。……でも良かったぁ。ウチの隊って戦闘要員はあたしとマドカさんだけだったんで、助かりますよぉ」


「は? 二人だけ?」


 ちらほらと買い物客の姿が見える商店街の中で、僕は素っ頓狂な声をあげた。


「二人だけで、戦ってるのか?」


 あの、ファージと?


「ああ、いえ、別にうちの小隊が二人って言うだけでぇ……ええと、そっかぁ……小田島先輩、本当に何も知らないんですもんね。ええっと……何かわかんないことあったら聞いてください。私も訓練まで暇ですから」


 ほとんど何の音も立てずに近づいて来たバスに乗り込んだ有沢カナは一番後ろの席を目指す。


「ラッキー、全然人乗ってないですよぉ、先輩」


 わざとらしく座席を叩いて笑う彼女の横に、少しの遠慮の気持ちを開けて僕も座る。足の長い有沢は、座ると背が小さく見えた。


「……ええと、じゃあ、僕はこれから何をすればいいのかな?」

「ああ、えぇっと……そうですよねぇ、本土って本当に平和なんですねぇ」


 一瞬驚いたような表情を浮かべた有沢は、長い睫を重ね合わせてしんみりと感想を述べた。

 僕はただ黙って彼女が口を開くのを待っていた。

 極めて静かに、揺れることも一切無く午前の街を西から東へと抜けるバスの中。有沢カナは眉毛を寄せて、一生懸命にこの島の――僕らの現在を教えてくれた。



 数十年前に現れた魔の海域からやってくるファージと、それに対抗するために作られたこの魔法使いの島『フロンティア』。島に集めた魔力で奴らをおびき寄せ、殲滅する処刑場。

 この戦いに大きく貢献した科学者が「今宮ユウト」であること。そしてその彼が表舞台から立ち去る原因となった論文「魔海とファージに関する考察」――通称「今宮理論」のこと。発表当時大きな批判を受けたこの理論は彼の死後に脚光を浴びることとなる。なぜなら、この論文の中で予想されていた未来が次々と現実になっていったのだから。中でも大きな転機となったのが、彼の予測した『上位種』の出現だった。


「――で、十年以上前かなぁ。それまでのファージに比べて明らかに大きくて異質な奴らが現れたんですね、それでぇ、これがなんと!」


 ぱっと両手を広げて彼女は驚きを表現する。


「食べるんですよぉ、他のファージを!」

「共食いってこと?」

「あ、いえ、ファージって言っても、全然違う種類なんですね。それまでの小型のやつも種類はバラバラなんですけどぉ……あれですね、でっかい蜂やら蝶々と戦ってたら、カエルやカメレオンが出てきた! みたいな感じです。わかりますぅ?」

「……なんとなく」


 彼女がこくこくと頷く度に、耳たぶの下の毛先が揺れた。


「それまでの奴は、真っすぐこっちに向かってくるのをおびき寄せて迎撃してたんですけどぉ……この上位種は、逃げちゃうんですよ。周りの雑魚を食べちゃう分、食欲より恐怖が勝つらしくてぇ、ウチや東側の攻撃を迂回して本土に向かおうとするんですね。で、そこで投入されたのが、今宮ユウトが遺した最後の魔導兵器マギア『カンテラ』なんです」

「カンテラ?」

「はい。ファージが特に好む波形の魔力を発する結晶体でぇ……アクセサリーみたいなものです。結構綺麗なんですよぉ。訓練の時に見せてあげますね。で、上位種に対してはこのカンテラを身につけて奴らが逃げないように囮になりつつ、発生直後に空中接近して殺しちゃうんですよ。それで、それができるだけの実力を持つ人材を島中から集めたのがぁ、特別徴兵制度なんです」


 藤崎マドカや、君のことか。


「はい。それが我々西側対捕食者殲滅軍ウエストアンチバイラス の特殊大隊でありまして、その中で私たちが所属するのが最前線を務める第三小隊、通称『今宮小隊』であります!」


「え? 今宮ってのは、今宮ユウト?」


 渾身の敬礼ポーズを無視された女子は、肩を竦めて鼻白む。


「まさかぁ。今宮ユウトはもう十年程前に研究所の事故で亡くなってますよ。結構な騒ぎになったんですから。それ以来西側こっちの魔導科学はダメダメでぇ、東側には『失われた十年』って笑われてる位なんです。ウチの今宮はその息子で、今宮ナガセ隊長です。かっこいいですよぉ。……正に失われたダメ人間ですけど」


 そう呟いてため息をついた有沢カナは、スピードを落とし始めたバスの中で一度大きく伸びをした。運賃等という概念が存在しないバスを降り、食堂へと案内してくれる彼女の背中に僕は尋ねる。


「あのさ、ウチのクラスもそうだったんだけど、この島って女性が随分多くない?」

「あ、はい。別に人口比は本土とそんなに変わらないらしいんですけどぉ、『空を飛ぶ』って言うイメージを現実化出来る人には女性が多いんですね。ですから最近は男の人は司令官や研究局員が多いんですよぉ。それであの学校は養成機関みたいな色が強いですからぁ、今時の男の子は大体、隣の男子校――局員側にいくんです」

「成程ね」

「ただ、男性に比べて女性は魔力が不安定なので……ウチとしても小田島先輩の加入は願ったりかなったりなんですよぉ」

「あ、うん……ええと、その……不安定ってのは?」


 とても最前線で戦える実力を持たない僕の苦しい話のすり替えに、最強の魔女の相棒を務める少女は「……えっと……」と口ごもり恥ずかしそうにチラチラと僕の顔を窺う。


「あの、先輩は……魔力が血液と関係が深いってのは知ってますか?」

「ああ、血縁関係が大切だって奴だろ? それなら霧島局長に聞いたよ」

「はい。それで、魔力自体血液に蓄積あるいは運搬されているのではないかと考えられているんですね。ですからそのぉ、私達は戦闘中の出血は避けるように戦うんですけど……血を流すと魔力が落ちちゃうんで……えぇっと、だからそのぉ……恐らくその関係で、女性の魔力は不安定なんですよ、その……月に一度位……わかりますよね?」


 女性、月に一度、血を流す。

 心当たりは、ある。


「ああ、わかった。ありがとう。ええと、それは結構落ちるもんなの?」

「うーん、減退率は個人差が大きいですし、体調なんかも関係するみたいでぇ、その時までわからないっていうのが実際のところですけどぉ……」


 ショートカットから覗く耳を触りながら気まずそうに話す少女の顔を見て、僕は適当に次の話題を選んだ。


「ええと、で、有沢、ファージってのはよく現れるの?」


 瞬間、ほんの一瞬冷たくなった有沢の気配に僕は面食らう。


「んー。イレギュラーはありますけどぉ……大体二十~三十日の間隔で、一週間くらいに渡って出現するっていうのが定説ですねぇ」


 その周期で魔海の中の穴が開いたり閉じたりするらしいんですよぉ、と言いながら有沢は手をひらひらさせて閉じたり開いたりを表現してくれた。


「ですから、実戦は近いと思いますよ。頑張って下さいねっ!」


 僕の顔を覗きこんでにっこり微笑んだ彼女は、踊るような足取りで食堂の扉に手を掛けた。


「……おお」

 目の前には、海に面したガラス張りの明るく広いレストラン。学食とは比べ物にならないくらい綺麗な食堂に感動する僕の背に、ふいに有沢カナの冷えた声が響いた。


「それと、できれば私の事は名字で呼ばないでもらえますか、小田島先輩」


 押し殺された感情の不穏さにぞっとして振り向くと、彼女はいつもの甘い仮面の様な微笑みで。


「……わかった、気を付けるよ」

 僕は神妙に頷いた。

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