『ロード・オブ・ウィザード――魔王』と呼ばれた少年

たけむらちひろ

Ⅰ 産声

第1話 魔法が生まれた日

 透明に見える程澄んだ高く青い空の下。

 初めは遠く、胡椒の粒の様に見えた『それ』は、ゆっくりと彼女の元へと飛来する。

 空中に佇む彼女は、ただ静かにそれらを待ち受けていた。

 猫背気味の背中に銀色の髪をなびかせるその姿は、まるで見当違いの時間に顔を出した月の様で。

 奴らは誘蛾灯に集まる虫の様に、その月の輝きに誘われる。

 巨大な羽と横合わせの顎をぎちぎちと気持ち悪く鳴らしながら、今にもおいしい餌にありつけるような素振りで、待ち受ける死へと向かって来る。

 『醜く、巨大な虫ファージ』。

 僕の目に焼き付いている、あの日の虫。

 

 ――さあ、死ね。

 

 コンビニの入り口でバチンと音を立てる虫の様に。

 殺してくれ、藤崎マドカ。

 圧倒的な君の力で、その吐き気がするほど最悪な虫共を一瞬でこの世から消してくれ。

 できるだけ残酷に、思いっきりぐちゃぐちゃに、可能な限り綺麗に消し去ってくれ。

 

 僕の願いに応える様に、空中に浮かぶ彼女はその身をぐっと縮めてうずくまった。

 銀色の髪が、空の青にふわりと広がる。

 それが合図だったかのように、一塊になって黒い雲と化していたファージの群れが、ぶわっと急速に拡散した。

 

 空に浮かぶ少女を捕まえる巨大な手の形になった奴らの群れが、その牙が、今にも彼女を包み込もうと眼前に迫った瞬間、小さく縮こまっていた銀髪の少女――藤崎マドカがその四肢を一気に弾けさせた。

 羽織っていたガウンを脱ぎ捨てる格闘家の様に、激しく、力強く。

 たったそれだけで、常識も理論も吹き飛ばした爆発が巻き起こる。

 ファージの命の一つ一つが火種となって、南国の太陽にも負けない真昼の花火がいくつもいくつも空一帯に広がっていく。

 そうして、今の今まで虫の身体だった物体がバラバラに吹き飛んで画面の中のいたるところに奴らの体液の雨が降り注いだ。

 びっと左手を薙ぎ払い、その雨すらも弾き飛ばした彼女が小さく一つ息を吐いてこちらを振り向く。

 じとりとこちらを見つめるその目は赤く、溜息が出る程綺麗だった。

 

 食い入るように画面を見つめていた僕は、咥えていた麦茶のパックが底を突くズズズッと言う音で我に返った。

 高校一年目の修了式を目前に控えた、三月の中盤の日曜日。

 父親の書斎にこもり、いつもの様に暇つぶしに動画サイトを巡回していた僕は、今日もまたその動画に見入ってしまっていた。

 

『赤眼の魔女』『銀色の弾丸』『最前線にして最終線第ゼロライン

 

 それらの全てが彼女を示し、その一つ一つが彼女の強さを物語る。

 

 遥か南東にあるフロンティアと言う島で、人類を守るために活躍する対捕食者殲滅軍アンチバイラスの魔法使い達。その中でも特別に優秀で圧倒的に強いと言われる彼女の映像を、僕はこの半年でいくつも見ていた。

 ある時は吐き気をもよおすほどの悪意を伝えるニュース、いつだって馬鹿と恥じらいの無い奴の声ばかりが目立つ世間、それを目にする事で自分が賢いと勘違いした人達。何を見ても何を聞いても胸の裏側でじゅくじゅくと腐っていく部分を治めるために、僕は何度も何度も繰り返し、遠いどこかで戦う可憐な戦士の闘いを焼き付けてきた。

 全てを捻じ伏せる圧倒的で絶対的な力、純粋で真っ直ぐな赤い瞳――問答無用で特別な存在。

 そんな僕のヒーローの姿を映し出していた無駄にハイスペックなパソコンの脇、カーテンをずらして外を見れば、相変わらず暇なマスコミの車が目に入る。

 見覚えのある灰色のちょっと汚れた古いバン。

 週刊白瀬という社会派の週刊誌を名乗った彼らは、ほとぼりの冷めた気配のする今でも僕を追いかけてくれているのだ。


『亡くなったお父様に言いたいことは?』

 ――まだ、心の整理がつきません。

 

『どうしてあなただけが生き残ったのだと思われますか?』 

 ――これからの人生で、その答えを見つけて行きたいと思います。

 

 そんな風に『奇跡の生還者』として望まれた回答を繰り返していればいい他社とは違って、まどろっこしくてしつこい彼らの事が僕は少し苦手だった。 

 溜息と共に手を下ろし、カーテンを窓辺に躍らせた。そして再び画面に目を戻し、カーソルをするする滑らせ始める。

 すると、一分もたたない内に、下から上へと流れて行くタイトルを追っていた僕の視線がその動画に吸い込まれた。 

『魔法の生まれた日』 

 それは、今だに度々ネットで話題になる恐怖の映像だった。 

 

 ――かつて、この国のあらゆる家庭に「お茶の間」と呼ばれる空間があった頃、モノクロのテレビの中に一人の男が現れた。「魔法使い」と呼ばれた彼は様々な番組で不思議な力を披露し、あっというまに全国の子供達を魅了した。しかし、一時のブームが過ぎ去ると、それまで彼を祭り上げていたマスコミは手のひらを返したように彼を非難するようになる。

 彼の「魔法」は唯の手品、稀代の詐欺師、彼の魔法を検証する、真実を暴く、等という見出しとともにマスコミは「ペテン師」を雑巾のように絞って金と数字を稼いだ。

 

 それは、彼を信じていた子供達にとってはあまりにも残酷な真実だったに違いない。

 

 だから、久しぶりに公の場に姿を現したペテン師の「最後の挨拶」と題されたその生番組が放送された日、たくさんの子供達がお茶の間に集まって彼の言葉を待っていた。

 そして彼は、テレビの前の子供達に向かってスプーンを持ってくるように優しく告げて、自らの胸元からも一本の小さなスプーンを取り出した。

 

 ――それは、あまりにも有名な彼の「魔法」だった。

 

 茶の間に座り、テレビの中の彼と同じようにスプーンを握った子供達は、優しく微笑みながら拙い日本語で指示する彼と一緒になって必死に念じた。

 間もなく彼の指先で真っ二つに折れるスプーンが映し出され、画面の中では大騒ぎが始まる。大げさに騒ぎ立てるタレント、インチキだと言い張る学者、台本通りに曲がった自分のスプーンを差し出し冗談を飛ばす司会者……そういった連中を背景にして、異様に暗い目を見開いて何かを呟きながら画面のこちら側を覗きこむ「魔法使い」の姿は確かにとても怖かった。

 この日テレビ局の電話は鳴りっぱなしで、次の日から国中でスプーンが売り切れたらしい。

 

 今となっては誰もが言う。

 ――この夜、魔法が生まれたのだと。

  

 寒気を覚えて肩を抱いた僕は、ダウンロードしたそのファイルを保存しようと画面をクリック。削除されやすい映像なので取って置こうと思ったのだ。

 かつて魔法の研究で世界に名を馳せた科学者『今宮ユウト』の名を借りて、そのファイルに『IMAMIYA』と名前を付ける。すると、保存のボタンを押した僕の意思を拒否するようにパソコンがピコンと音を発した。

 

 ――同名のファイルが存在します。上書きしますか。

 

 おそらく父の遺した物だろうと考えて、ファイルを開いた僕は苦笑した。

 なぜならそこには、僕が見ていた物と同じ映像が入っていたから。常々自分の名前に不満を持っていた僕も、結局父親と同じネーミングセンスの持ち主だったというわけだ。

 元の番組から『魔法使い』の言葉以外の音声が排除され、それによって余計に異様さが増したその映像を、僕はしばらく眺めていた。 

 やがて画面の中の魔法使いが暗い瞳でこちらを覗き、ぶつぶつと呪文を唱え終え―― 


「はあ……」 


 溜息を洩らした僕は、パソコンの電源を落として立ち上がり、大きく一つ伸びをした。翌日が学校の身体測定だったこともあって、ついでに独り言も漏らした気がする。 


「こんなんで魔法が出来るかよ……」 


 その翌日、僕は心底驚いた。

 魔力なんてものをほとんど、あるいは全く持たないはずの一般人である僕の魔力検査結果が異常値を示したのだから。

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