第9話 シナリオよ、お前本当にそれでいいのか…?
婚約を破棄する!
と叫ぶ王子の言葉から始まるテンプレ断罪劇。
それは私の記憶にある乙女ゲームの内容に酷似していた。シナリオは今、私の目の前で生身の人間によって再現されている。
煌びやかなパーティ会場。人々が快談するその中央で、王子の青い礼服を着た金髪の美青年が声を張り上げた。
「カリーナ・ビシュワド! お前の心根の醜さにはほとほと愛想がつきた。今日をもって私とお前の婚約を破棄する!」
我が国の第一王子の発言に会場はしんと静まりかえり、皆が彼に視線を向けた。
そこにいたのは青い瞳に金の髪を持つ麗しの第一王子とその側近たち。そして高位貴族のパーティでは見かけぬ愛らしい顔をした少女だった。
少女を背にかばい、王子が鋭い眼差しで睨みすえるのは王子の婚約者カリーナ侯爵令嬢。本来は彼女をこそ背にかばうべきであるというのに、逆の構図とはどういうことか。
「なにをおっしゃるのでしょう、殿下。そのようなことを言われるようなことをした覚えはございませんわ」
「しらばっくれても無駄だ! お前が私の可愛いソフィにした悪行は全て知っている!」
「心当たりがございませんわ」
つややかに長い黒髪、ちょっとつりめの青い瞳を持つ美貌の侯爵令嬢は、さすが月夜の薔薇と呼ばれる令嬢なだけあり動揺ひとつ見せはしない。
そんな彼女をさらに追い詰めんと前へ出てきたのは、王子の側近、次期宰相と噂される現宰相子息のクリスト・ベートだった。彼もまた王子に負けず劣らず麗しい容姿をしている。
彼は王子の背にかばわれる庇護欲をそそる愛らしい顔をした令嬢に一瞬だけ視線を向けて、安心させるように微笑みかける。それからいつもの静かな眼差しにもどってカリーナを見据えた。
滅多に見ることの出来ない彼の微笑みに、周囲で見守るご令嬢方が「はう」と胸を押さえた。
「往生際が悪いですね。証拠はあがっているのです」
やれ侯爵令嬢がいつも身につけているリボンが落ちていた、やれ目撃者がいた、やれ髪が落ちていた、やれ共犯者の令嬢方が自白した。
ねつ造も簡単そうな証拠が次々あがっていく。
であるにも関わらず、カリーナ侯爵令嬢の顔色は悪くなっていった。
「こんなの嘘ですわ。私がそのような野蛮なことをするわけがないではございませんか。私は侯爵家の娘ですわよ」
それでも声はしゃんとしているところはさすがと言うべきか。
フッとクリスト・ベートが疲れたように肩をすくめてあざ笑う。
彼がさらに言いつのる前に、その横から声が上がった。
「い、いいかげんにしろっ」
噛んでいるが精一杯怒鳴りつつ前に出てきたのは、これまた王子のとりまきの一人である騎士団長子息である。整った顔が今は赤い。
自身も剣技に秀で、次代の団長も夢ではなかろうといわれている青年だ。
青みがかった短い銀髪に、獣のような鋭い眼差し。
そのくせ穏やかな性質で、彼は問題が起きても困ったように笑いつつ、優秀さを発揮しててきぱきと処理していく。剣を握ったならば笑みは消え失せ、相手の動きを冷静に観察する格好いいところがまた、乙女のハートをがっちりキャッチしてしまうのだとか。
そのオレンジ色の瞳が、今は緊張しきってゆれていた。
「お、お前の本性は! もう、皆が、知っている、のだ! かんねん、して、おとなしく、したら、どうだ!」
棒読みである。
声は最後まで消え入らずにはっきりと怒鳴りきれたので褒めてあげて欲しい。
真っ赤な顔で、とぎれとぎれになんとか言いきった彼は役目を終えたとばかりにホッと息をつき、王子の後ろにさっと戻った。
分かりやすく表情もゆるみ、恥ずかしそうに赤くしていた顔色も普通になっていく。ちょっとはにかんでいるが。
茶番はまだ続いているというのに気を抜くのが早すぎるぞ。
大根役者もいいところだが、周囲で見守るご令嬢方は常には無い彼の姿にきゅんとした顔をしていた。
心の声は皆一緒。
騎士団長子息さま、がんばれっ。
ちなみに彼の名前はダルクである。
「なんで……どうしてっどうして私だけが悪とされなくてはならないのです」
とりつくろっていた侯爵令嬢の仮面がはがれた。
ぶわっと憎悪があふれ出したように、表情には険がまじり、眼差しは暗くよどむ。
そんな彼女を見て王子が顔をゆがめた。
「お前がそれだけのことをしたからだ」
「その女は何もしていないとおっしゃるのですか? 私の婚約者をたぶらかし、私の心を傷つけた。それは罪ではないのですか⁉」
「彼女を責めるのはお門違いだろう。私とお前はそもそも以前から仲が悪かった。こうなるべくしてなったのだ」
「そんなの、そんなの私は認めない! そんなことないもの。私、がんばりますから、だから、どうか、私を見てください。殿下」
「無理だ。もう何度も伝えたが、無理なんだ」
「そんな……」
はらりと涙を流した侯爵令嬢の味方はここにいないのか?
と思われた人もいることだろう。例えば親とか、親戚の子だとか、とりまき令嬢だとか。
この茶番パーティ会場には彼女の両親もちゃっかり参加している。さらには国王夫妻もおられるし、そのお隣に侯爵夫妻が椅子に座って、あらあら、ふふふ、と声には出さずに見守っているのである。
彼らを守るように立つのは騎士団長で、息子の大根役者っぷりに彼はハァとため息をついていた。
でもその気配に咎めるものはないし、まして止めようともしていない。
きっと自分でもああなる気がして、責める気にもならないのだろう。心中お察しする。たぶん『あそこにいるのが俺じゃなくてよかった』とか本当は思っている、きっと。
ごく自然と役目を終えた宰相子息の親である宰相もその場に立っているが、彼もこの茶番を止める気配は無く、いつもの落ち着いた顔をしていた。
でも息子に対して「よくやった」と褒めていることだろうと私は勝手に思って勝手にほっこりした。想像は自由なのだ。
そんなご両親方を見守り観察している私は女官だ。
実はこの茶番の責任者である。
会場設営、パーティ参加者の招集などなど。今日までの苦労が今やっと形になっているただいま、棒読みなんて関係ない、感無量である。感動もひとしおだ。
リハーサルでは恥ずかしくてうずくまってしまった騎士団長子息もよくがんばった。あとで褒めてあげよう。
私が彼らの役をやるとなったら、たぶん団長子息に一番近い状態になるので、私も彼のことは責められない。
うん。
はずかしいよね!
これははずかしいよね!
平気な顔をしている王子たちがすごいんだよ。さすが、王子と高位のお貴族様方。あなたたち日本に生まれ変わっても役者で今と同じ生活レベルをゲットできるよ。
騎士団長子息も伯爵家だから高位貴族といえるのだけれども、そこはそっと置いておこう。
パーティ会場では、私がかつて日本人であったときにプレイしていた乙女ゲームの最後のシーンが進行している。
「お前との婚約は破棄だ。さらに時期王子妃への危害を加える危険を考慮し、北の修道院に入ることとする」
「そんな! どうして! ひどい! そんなに私がお嫌いですか!」
「……最後だから言わせてもらうが。ずっと嫌いだったよ」
青い瞳の侯爵令嬢は、心臓を刺し貫かれたかのように胸に手をあてて、ふらりと床に崩れ落ちた。
「うすうす、思ってはいました。でも認めたくは無かった……私は、私はずっと、好きで、好きで、好きで好きで好きで好きで好きで……愛していました」
「……」
ご令嬢の長い黒髪が、赤い絨毯のうえにひろがっている。彼女を無視して、王子はソフィ嬢の腰を抱いてその場を離れた。
そしてすれ違うとき、ソフィ嬢が立ち止まった。
「ソフィ?」
甘やかな桃色の髪をした少女は、優しげに侯爵令嬢を見下ろして。
「ごめんなさい……でも私にはあなたの気持ち、分かります」
ハッと顔を上げてカリーナ令嬢がソフィを見る。うるりと涙をにじませ、またうつむいた。
「……ありがとう」
ソフィはまるで聖女のような慈愛の眼差しをカリーナに向けた。カリーナは騎士たちに立ち上がらされると、静かに連れられて行った。
「君は優しいな」
と王子。
「そんなことないですよ」
といちゃいちゃな茶番がつづいていく。
まったく茶番すぎる。
うふふ、あはは、な乙女ゲームのエンディングシーンを見ながらちょっとムカついてきた。
泥棒猫にごめんなさいとか言われても普通はキレると思うの。逆上してぶん殴るのが普通だと思うの。さすが乙女ゲームのシナリオ。ヒロインが正義。
え、そんな文句言いつつなんでシナリオ暗記するほどプレイしていたかって?
恋愛ゲームなんてそんなもんだよね、って思っていたから気にしていなかったのよ。はは!
そんな私の思考放棄が今こうして役に立っているんだから気にしない気にしない。
「愛してる、ソフィ。これからずっと側にいてくれ」
「うん。私もずっと一緒にいたい」
がっしと抱き合う金髪と桃色の髪の美男美女。
ちゃーらーと明るいメロディをパーティの楽団が奏でて、くそつまらんエンディングシーンがやっと、ついに、ついに、終わった!
興奮して立ち上がった私の椅子がガタリとたてた音は会場内でも目立つことは無かった。
なぜなら国王陛下ならびに侯爵夫妻も立ち上がったからだ。
「あ」
と最初に言ったのはソフィ嬢だった。
がっしりとハグしていた王子の腕の中から光の速さで脱出し、会場のど真ん中で意味も無く足踏みをして、細い両腕を天へと突き出す。
「動ける! やったー!」
ガッツポーズで満面の笑顔にした彼女は、背後を振り返った。
「シス! なおったよー!」
会場の背景と化していた灰色の髪をした凡人顔の青年に駆け寄って、ぽーんと飛びつく。うわっとか言いながら受け止めた青年も嬉しそうに笑んでいた。
「よかったなぁ。へへ。でもきっと俺が一番喜んでるよ」
「ふふふ。もう、シスったら」
甘い。
本物恋人のやりとりは甘くて砂糖はきそう。爆発しろ。
腕の中の愛しい人を失ったはずの王子は、特に表情を変えずクールに片手を見つめている。
「もう変な影響は感じないな」
「そうですね」
宰相子息クリスト・ベートは、今度こそ本当に疲れたように肩をすくめてフッと息を吐いた。
「おお」
「ああ、やっと自由に動けます。よかった」
ダルクが腕をまげ伸ばしし、侯爵令嬢が軽やかにくるりと回転した。そんな彼女に王子が近寄り、そっと抱き寄せる。
「これでやっと君に触れられる」
「はい。私も、あなたに触れたかった」
あつーい視線で見つめ合う正式な婚約者二人。しかも美男美女だからすごい絵になるわー、こんなところでよくそんないちゃつけんなって元日本人的には思うけど絵になるからいいや。眼福眼福。
さて、もうお分かりだろうか。
そうこの世界は乙女ゲームのシナリオで動いている世界。ではあるのだが、中の人が正しく乙女ゲームそのままの中身をしているということはなく、ヒロインは幼なじみで凡顔の子爵令息とラブラブだし、王子と婚約者の令嬢もラブラブだし、宰相子息は設定のヒロインよりもっと賢いお嬢さんが好みらしい。騎士団長子息は、まぁヒロインに口説かれたら落ちそうではあるけど、子爵令息とラブラブなヒロインに興味はない。
なのにシナリオがはじまる日になるやいなや、登場人物達は体が勝手にシナリオにそって動くという怪事件が発生した。王子の体の自由がきかないなど、他国からの干渉を疑い大変なことになっていたのだが、私だけはその問題の、ある可能性に気がついた。
これ乙女ゲームが進行してるんじゃない?
乙女ゲームは乙女ゲームなので要所要所の会話シーンがあるだけで二十四時間リアルタイムプレイではない。シナリオを離れて王子達が自由に動ける時間はあったので、シナリオ時の行動が彼らの意に沿わない物である、ということは早々に明らかとなった。
私はこの世に生を受けて早十八年。
王子たちとは年齢差があるので乙女ゲームに関わることはなさそうだなぁ、でも婚約破棄とか国家の問題になってくるから意見くらい出来る立場になれたらいいなぁ、ついでに仕事くれ、という理由で女官をやっていたのだけれど、ついに役に立つときが来た!
ありえない、と切り捨てられるかもしれないが、一番聞く耳をもってくれる上司に私の考えを話した。これは乙女ゲームのシナリオの呪い? 的な物ではないかと。
上司は有能だった。
あれよあれよと事実を検証し、私の説が正しい可能性が高い、として上に報告。王は賭けにでることを決断された。
シナリオによって体の自由がうばわれるならば、シナリオを完遂させればいいのではないか。
そしてはじまる、リアル人物によるシナリオに沿った行動という演劇の舞台!
シナリオ書き出しと監修と演技指導はわたくしマニュエラが取り仕切りました。これは呪いを解くための儀式である、と言って他の貴族達にも協力という名の野次馬的観客を募集し、学園ストーリーをサクサク進めて、今ついに王子ルートのエンディングである卒業パーティ(偽)までたどりついたのです!
体が勝手に動くのなら演技力関係ないんじゃない? と私も最初思いましたけど、勝手に動く体や心の反応を素直に受け入れてしまえば、あとはもう心からの行為になるのでしょうけど、殿下たちのこれはそうではないみたいなんですよ。
ん? ん? と思っている意識があり、それが表情などに影響するのです。
でも勝手に体は動く話す。しかもすごくこっぱずかしいセリフを。ということで恥ずかしいという気持ちにのまれたら地獄ですね、ええ。分かります。
殿下達の順応性の高さすごいです。
シナリオ完遂で王子達が自由になるか、これは賭けではありましたが、幸運なことに私たちはこれに勝利を収めることが出来ました!
やったね!
ねぇでもさぁ……私が率先してやっておいてなんだけど、シナリオよ、お前本当にそれで満足なのか?
満足してくれないと困るけど、満足されてもなんかやるせない気持ちになるですけど。
私がときめいていた乙女ゲームとは一体なんだったのか……。しょせんは作り物だったということか。かなし。
「マニーさん」
ふっと喜びつつ黄昏れていると、どきりとする声がしました。
「ダルク様」
騎士団長子息は疲れたように笑っています。
「お疲れ様でした。ちゃんと全部言えましたね。よくがんばりましたね」
リハーサルでは何度も途中で言いよどんでしまったダルク様、よくがんばった! よくがんばったわ! 可能なら抱きしめて褒めてあげたい。
「ありがとう、マニーさんが応援してくれたからがんばれた。それに君がいなかったらどうなっていたか。改めて礼を言わせてくれ」
「そんな。女官としてできるだけのことをしただけですわ。でもお気持ち嬉しいです。ありがとうございます」
「うん。あの、その、それでさ」
「はい」
ダルク様の顔が素敵にへたれて顔が真っ赤です。ここはもうパーティ会場のど真ん中ではなく人垣の裏側のすみっこだから、他に見ている人がいなくて私一人がときめき係だわ。かわいい。
「解放された祝いに、俺と、デート、してくれない、か?」
「……え」
今なんと?
「いや、いやならいいんだ、いやなら断ってくれて。あの、俺が、誘いたかっただけで、迷惑なら」
「いやだなんてそんな、あの、驚いただけで、あの、嬉しくて私」
ダルク様のことへたれなんて言えない。私もへたれだこれ。恥ずかしい。顔あつい。
実を言うと私がこのゲームを暗記するほどやりこんだのは、ヘタレなのにやるときはやる男な騎士団長子息ダルクが好みど真ん中だったからだった。
現実にこういう人がいればいいのになぁとか夢想していた。
でも今この世界は現実で、現実に彼は存在していて、私も存在していて。デートにいけるかもしれなくて? え、ええええ。
頭が真っ白になりました。
「い、うん、い、いいよ、イキマショウ」
精一杯の私の返事を聞いて、ダルク様がにぱっと笑った。あああ、もう笑顔がかわいい、かわいい。素敵。胸がきゅんしすぎて何も言えない。
「かわいい」
私の心の声をダルク様が代弁してくれた。私を愛しげに見ながら。
「はう……」
なにその優しい顔。ときめく。もう無理。胸を押さえて背を向ける。
私の何かが爆発しそうだよ。
「じゃあ、連絡する」
その嬉しそうな声に思わず振り返れば、幸せそうに微笑むダルク様の顔。
胸が幸せでいっぱいになった。
悪役令嬢は断罪され、ヒロインは王子と結ばれ、乙女ゲームはエンディングを迎えて、シナリオにない物語が動き出した。
王子と悪役令嬢は婚約を継続してラブラブしているし、ヒロインは幼なじみとほのぼのカップルしているし、宰相子息は頭のいい婚約者ができて、騎士団長子息は私に、あの、好き……とか言ってくれた。
シナリオを越えたハッピーエンド。
でもひとつだけ聞きたい。
シナリオよ……お前はそれで満足なのか?
いいの? ねぇいいの? あんな茶番な演劇で満足しちゃうの? そんなものなのシナリオのパワーという物は!
これ以上強くても困ることしかないからいいけどね! あとシナリオよ、私とダルク様の恋のキューピットありがとうございます!
シナリオで一番得したの私だわ……あれ、これ私のせいじゃないよね?
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