第42話 change the destiny⑦
先程までの花火の喧騒、祭りの熱気が嘘だったかのように、夜の街は暗く、冷たく静まり返っている。
互いの想いを語り、ぶつかり合った俺達二人の間に言葉はない。
夜闇の中に、夏の虫の鳴き声だけが響いていく。
花火が打ち止めになった後、俺は彼女に言った。
彼女が、九条凪という一人の人間が抱える、一人では抱えられるはずがないはずの悩みについて、聞いたのだ。
どうして一人で演技の練習をしているのかと、本気で演技を学ぶ気はないのかと。
本当は、全部知っていた。
彼女がどうしてそうするのか、俺は全部知っていたけれど、彼女は俺が知っているのを知らないから、同じ土俵に立たせるために、俺が、彼女と同じ目線で悩みを共有できるように、聞いたのだ。
彼女ははじめ、話すのを渋った。
いくら、この数週間である程度の信頼を築けていたとしても、脈絡もなく自分の内なる闇に触れられるのは抵抗があったのかもしれない。
いや、そもそも、信頼を築けたと思っているのは俺だけで、彼女にとっては、二回目の俺はそれを話すに値するような人間ではなかったのかもしれない。
それでも俺は、彼女に聞いた。
時間も、余裕もなかった。
今日を逃してしまえば、次の機会がいつ訪れるか分からない。
だから俺は、彼女をこの花火大会に誘った。
誰からの干渉も受けない、邪魔されない二人だけの空間で、長い時間を使って話をできるのは今日しかないと思っていた。
“あの日”までの残り日数を意識し、恐怖し、焦っていた。
だから、強引になってでも、不自然だったとしても、俺は彼女の芯の部分に踏み込むことを決意したのだ。
俺の熱意に負けたのか、それとも、俺のウザさに呆れたのか、少しの時間を置いて、彼女は口を開いた。
父親の事、母親の事、演技の事、自分がやりたい事。
時々泣きそうになりながら、彼女は話してくれた。
知っていた。
全部、知っていた。
彼女の苦しみも、悲しみも。
努力も、我慢も、優しさも、全部知っていた。
知らないふりをして、まるではじめてそれを聞くように振舞うのが大変だった。
彼女の境遇を、不憫さを直接に受けてしまうと、自分まで泣きそうになってしまった。
けれど、俺が泣いたら彼女が不安になってしまうから、必死に、必死に涙を堪えた。
それから、その問題を、その闇をどう振り払うのかを二人で話した。
これも、前回と同じだった。
彼女と俺は真逆の、対極の人間だということ。
彼女は「向き合い」過ぎたということ。
俺は「逃げ出し」過ぎたということ。
だから変わろうと、その間を取ってしまおうと、互いに互いの足りない部分を教え合い、補い合おうと。
“本当に大事な事からは逃げないで、それ以外の事からは逃げてしまう”
過去、いや一度目の彼女と交わした約束を、再び交わした。
一度経験したことだから、彼女の思いを手に取るように分かっていたから、その約束を交わすのは比較的簡単だったように思う。
一度目の自分と、一度目の彼女が積み上げたものが無駄にならず、今、彼女を救うために動く自分の助けになってくれたのがたまらなく嬉しかった。
一度目の自分の思いが、無念が、彼女を失うことへの恐怖が周り回って自分に帰ってきたのが、今の自分に対する自信と、執念と、原動力になっていた。
けれど、まだ、この問題は解決してなどいなかった。
これは、一度目の夏にも触れず、目を背けて、はぐらかしてしまったことだ。
それは彼女の自身の問題だからと、俺が関わるべきではないのだと理由をつけて、俺はこの問題の本質、一番蔑ろにしてはいけない部分を、彼女の中に不安を残したまま看過してしまった。
「でも……お母さんはどう思うかな……」
彼女は、一度目の夏と一言一句も違わない言葉を俺に返した。
この問題の原因。
諸悪の根源とまでは言えないけれど、絶対的に彼女の足枷となっている要因。
それを、彼女は言葉にした。
これを解決しなければ、彼女の夢も未来も救えない。
それほどまでに大きく、重大で、逃げてはいけないことだったと思う。
なのに俺は一度目の夏、それを口から出まかせの冗談で誤魔化そうとしてしまった。
その一番大きな不安を、彼女一人に放り投げてしまった。
だから失敗したんだと、彼女を失ったんだと、心に刻み込んでいた。
「それは……」
一度目の俺なら、何も答えられずに根拠のない励ましで乗り切ろうとしていたと思う。
実際にそうだった。
けれど、今は違う。
この問題に直面するのは、今回で二度目だ。
目を背けて失ったものも、味わった悔しさも、身を襲った悲しみも、全てを心と体に刻み込んでいる。
だから、今度は間違えない。
今度は目を背けない。
「俺に、考えがあります。だから、先輩は安心して演技と家族に向き合ってください」
悩んで、悩んで、悩んで悩んで悩んで考え抜いた最善の策で、根本に、原因に向き合おうと思っていた。
だから、彼女にそう言った俺の目に迷いはなかったと思う。
堂々と、真っすぐと彼女に向けられた自分の意思。
彼女にも、その気概が伝わったのだろう。
ゆっくりと、何かに安心したように、彼女はコクリと頷いた。
× × × × × × × ×
そうして二人その場を後にして、地元の駅の方へと向かった。
カラン、コロン、と小気味よく響く彼女の下駄の音が妙に心地よい。
「どうして、突然演技のことなんて聞いてきたの?」
「えっと……それは……」
不意に、彼女が俺に聞いた。
気を抜いていた分、普段の反応よりも二~三倍多く心臓が跳ねた。
油断していた。
勢いで乗り切って、大丈夫だったと思っていたけれど、やっぱり、彼女も不思議に思っていたようだ。
「前々から気になってたんですよ。あんなに演技が上手いのに、どうして一人でやってるんだろうって……」
「そうなんだ」
控えめに、それらしい理由を返す。
彼女には、弱々しい態度で反応を返すとそれ以上の追及をしてこないという悪癖がある。
優しいから、人の気持ちを汲めるからそうするのだろう。
彼女には悪いけれど、今回は彼女のその清らかな性格を利用させてもらうことにした。
「嫌……でしたか?」
「何が?」
「色々、聞かれるの」
それでも、やっぱり良心が痛んで、ヅカヅカと彼女の内面に入りこんでしまったのを、それが間違いだったのかを彼女に聞いた。
「……ううん」
すると、彼女は少しだけ考えたあと、ふるふると首を小さく横に振った。
良かった……嫌ではなかったんだ……と胸をなで下ろす。
「でも、ちょっとびっくりした」
「びっくりした?」
「うん。君が私にそんなに興味持ってたんだっていうのもそうだし……」
驚いたという言葉に疑問を抱き、聞き返すと、彼女は不思議そうな表情をして言った。
「夏目君が掛けてくれた言葉、全部私が欲しかった言葉だったから……」
下を向いて、控えめにそう言う彼女。
彼女のその言葉に、何も言い返せずにただ前だけを見て歩いた。
「夏目君、本当にすごいよ。何か、今まで悩んでたのバカみたいになっちゃった」
やめてくれと、小さく心の中で叫ぶ。
俺は、全てを知っていたからそう立ち回れただけで、彼女が求める言葉を返せただけで。
すごいだとか、褒めてもらえるような資格は自分には無かったわけで。
彼女の真っすぐで純粋な言葉が、俺にはかえって重荷になりそうだった。
「本当……まるで最初っから全部知ってたみたいな……」
彼女は、真理にたどり着いたような表情でこちらを見た。
「未来から来たみたいな」
ギク!!!
また、心臓が跳ねあがった。
「そ、そんなわけないじゃないですか……」
ダラダラと滝のような汗をかきながら、彼女が言った言葉を否定する。
“未来から来た”
彼女のその言葉は、紛れもない真理だった。
いや、厳密に言えば、未来から来たかどうかは俺自身にもよく分からなかった。
ただ、俺の身の回りの時間が一月分遡行していること、一度経験した夏を再び繰り返していることからして、この現象は“過去への逆戻り”すなわち“未来から来た”のとほぼほぼ同義な訳で、彼女の言い分はほとんど正しいわけになる。
……え、バレた?
え、うそ、バレた?
え? …………え?
恐る恐る、彼女の方に視線を送る。
これ、バレてたらどうなるの……
「あはは、だよね!」
すると、彼女は表情を崩して声高らかに笑った。
どうやら、さっきの発言は彼女なりの冗談のつもりだったらしい。
あ、焦らせやがって……全然冗談になってねぇよ……と心の中で呟きながら、ホッと胸を撫で降ろす。
「でも、おかげで吹っ切れたかも」
額にかいた汗を拭っていると、彼女が“芯”というか、意思の通ったような声で言った。
「今日夏目君と話してなかったら、何もしないであきらめてたかもしれない。そろそろ進路も決めなきゃいけなかったし」
ぐっと握りしめた左手を見つめて、言葉を続ける彼女。
「本当、ありがとね」
二コリと笑って、そう言う彼女。
彼女の笑顔が眩しくて、面と向かってお礼を言われるのが何となく恥ずかしくて、思わず目を反らした。
「いや……俺は別に……いっ!」
「大人ぶっちゃってー!」
謙遜しようとしたけれど、そうさせてもらえずに渾身の平手打ちを右肩に受ける。
不思議と痛みは感じなかったけれど、俺の体は虚弱なもやし体型なので、直接的な暴力はできれば控えて欲しかった。
今度やったら、医者に診断書貰って法廷に駆け込むレベルである。
「ふふ……あ、そうだ夏目君、連絡先交換しよ?」
何やら満足げな彼女が、巾着袋からスマホを取り出してそう言った。
何だか、以前もこんなやり取りがあったなと思った。
一度目の俺なら、動揺して彼女にバカにされていただろうけれど、今回はそうはいかない。
彼女の言葉に無言で頷き、涼しい顔をして、震える手でスマホをズボンのポケットから取り出した。
……いや、やっぱり今回も動揺してるやんけ。
何度経験しても、女の子と連絡先を交換するのは緊張するものである。
「登録は……隼人君でいい?」
「……はい」
ポチポチとスマホを弄りながら、彼女が言った。
あまりにも自然に彼女がそう言ったため、抵抗も、動揺もすることも出来ずに、流れるまま頷いてしまう。
「うん、できた」
彼女がそう言うのと同時にアプリの通知音が鳴り、手のひらの中でスマホが震えた。
(よろしく、隼人君)
スマホの画面に、その文面と可愛らしいのか気持ち悪いのかどっちか分からないような熊のスタンプが映っていた。
すかさず彼女に返信を打つ。
(よろしくお願いします、九条先輩)
(凪でいいよ!)
すると、すぐさま彼女からの返信と、同じ熊のキャラクターの先程とは種類が違うスタンプが返ってきた。
画面を確認して彼女の方に視線を向けると、彼女はスマホを口元に当て、悪戯っ子のようにニタニタしていた。
「……よろしくお願いします、凪先輩」
「ん!」
しばらく悩むような素振りを見せた後、低い声で彼女をそう呼んだ。
すると、彼女は嬉しそうに、白い歯を見せて笑った。
× × × × × × × ×
「じゃあ私、こっちだから」
駅について、少しだけ他愛もない話をした後に彼女が言った。
家の近くまで送って行こうかという旨の言葉を言いかけて、やめた。
以前もそう聞いて、彼女に断られたのを思い出したからだ。
祭りの後で人通りが多いため、まぁ危険は少ないだろうし、今日はまだ“あの日”じゃない。
それに、彼女は意外と“一人の時間”を大切にする人間のようで、わざわざそれを邪魔する必要もないのだろう。
分かりました、じゃあここで。
そう言って彼女に手を振った。
「今日、ありがとね。私、頑張ってみる。何かあったら連絡するから」
別れ際、振り返って彼女が言った。
そう言う彼女の瞳の奥底には、以前と同じ、強い意思が宿っていたと思う。
前回と同じ、何かを決意したような目。
逃げる事と、立ち向かう事を両立させようとしている目。
それが分かったから、それを理解したから、俺は何も言わずに、一度だけ、優しく微笑んで首を縦に振った。
一歩、二歩と遠ざかっていく彼女の背中を見ながら考えていた。
やっとの思いでここまで来た。
彼女が人として生きる未来と、彼女が自分のために生きる未来の両立。
別々の二つの未来の確立を、ぎりぎりのバランスを保って育ててきた。
彼女の信頼を勝ち取る事、彼女の本心を聞き出す事、決して簡単ではなかったと思う。
運もあるのだろうけれど、これまで上手く立ち回れた自分を褒めてあげたいくらいだった。
再び彼女に信じてもらえ、再び彼女と昼休みに演技の練習ができ、再び彼女と他愛もない話で笑いあい、再び、彼女に名前を呼んでもらった。
どれもこれもが奇跡みたいな出来事で、一度彼女を失った自分にとってはたまらなく嬉しくて、それだけで、もう泣いてしまいそうだった。
けれど、まだだ。
まだ、終わっていない。
まだ一つ、俺には向き合わなければならないことが残っていた。
先程も言ったように、この問題には解決すべき根っこがあった。
それは、一度目の夏に彼女に放り投げてしまったことだった。
それは、彼女を迷わせる一番の要因だった。
それから目を背けたから、彼女を迷わせてしまったのかもしれない。
“あの日”、彼女からあんなメッセージが届いた原因なのかもしれない。
だから、今回は、二度目の夏には、逃げずに立ち向かわなければならかった。
それは“彼女の未来を守る”ために大切なことだから。
どうでもいいことからは逃げても、大切なことから逃げないと彼女と約束したのだから。
“あの日”を迎える前に、片を付けたい。
本当は、俺が関わるべきではないのだろうけれど、そうするしかなかった。
再び彼女を失うかもしれない、その可能性が少しでもあるなら、絶対に取り除いておきたかった。
彼女はあまり弱音を吐かない。
どんな時でも、どんな場所でも、おそらく、どんな相手とでも、楽しく、笑顔を忘れず生きている。
辛い時も、悲しい時も、なにがあっても我慢して、強く生きようとしている。
きっと、その生き方が迷いを生むのだろう。
なら、俺が壊してやる。
我慢も、迷いも、全部、俺が壊してやる。
彼女が生きてくれるなら、何だっていい。
彼女が幸せになるのなら、何をしたっていい。
彼女が笑ってくれるなら、何を傷つけたっていい。
だから、俺は……
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