勇者召喚──勇者の俺よりじいちゃん無双な漫遊記
黒須
第1話 テンプレ展開
その日はいつもと変わらない日だった。
そしてその日──今まで信じてた世界がひっくり返った。
信じられないこと、思いもしなかったこと、自分が全く知らなかったこと──それをいくつも突き付けられた日。
想像や夢想した幻想が叶った日。
だが、その想像がどれだけ甘かったか、想像も幻想も叶ったならそれは現実なんだと思い知らされた日。
現実の重さを思い知らされた──そんな日。
「ただいまー」
玄関の引き戸を開けて中に入ると、大きな声で帰宅を知らせる。 都心から離れた郊外の古い家で、豪邸というわけでもないが広さはそこそこにある。 そのせいか、高校生にもなって少し恥ずかしいと思いながらも祖父の躾通りに、こうしてしっかりと挨拶をしているというのに返事がないこともざらだ。
靴はあるから外出しているわけではないだろう。 いつも通り裏庭にいるに違いない。 脱いだ靴を揃えると彼──草尾 孝志は裏庭に面した和室に向かう。
都会ではそうは見ない、床の間のある16畳ほどの広い和室。 掃き出し窓を開けた向こうの裏庭では、老人が上半身裸になって木刀で素振りをしていた。
「ただいま、じいちゃん」
孝志が声をかけると、老人は素振りをやめて振り向く。
「おぉ、おかえり。 学校は終わりか。 お疲れさん」
老人はにかっと笑うと、縁側に置いてあった手拭いを手に取り汗を拭く。 孝志の祖父、義昭だ。
すでに70近い年なのに子供の頃から曾祖父に剣術を仕込まれたらしく、今もこうして素振りを日課としてる体は筋肉質で年による衰えを感じさせない。 引ったくりを捕まえたのは去年のことだったか。 自転車で逃げる相手を100mも走って追いかけ、引き離され始めるや否や拾った石を投げて30mも離れた相手に命中させて捕まえたのだから下手すれば鍛えてる40代並みの体力があるのではないだろうか。
背もこの年代にしては175cmと高めで、孝志の185cmの長身はこの祖父譲りだろう。
「今日はどっか遊びに行くのか?」
「ああ。 明日は休みだし夜に友達と出かけてくるよ。 徹夜でカラオケでもしようかなって」
「まあもうそこまでガキじゃねぇからいいけどあんまヤンチャすんなよ?」
躾は厳しかったけどこうした面では義昭は理解のある祖父だ。 守るべきところを守れば夜更かしやそういったことに苦言を呈された記憶は孝志にはない。 小学生の頃に同級生の女子を泣かせた時は最近の虐待だなんだとうるさい風潮なんか気にもせずに殴り飛ばされたものだったが。
汗を拭いてシャツを着ると、義昭は和室に上がり床の間に向かう。 床の間には曾祖父から受け継いだという日本刀が飾られている。 刃引きもされていない本物で子供の頃に触ろうとしたらこっぴどく叱られて以来、孝志は近寄ることを避けていた。
その脇に置かれた碁盤と碁石を和室の真ん中に持ってくると、義昭は孝志に向かいに座るように促す。 いつものことなので孝志も上着を脱ぐと碁盤の前に座布団を敷いて座り黒石を置く。
これは義昭が決めた草尾家の二人のルールだ。 ゲームとかするのも構わないけどこうやって手指を使いながら頭を使うのは脳にいいからと、学校から帰ったら囲碁を打ちながらその日の学校であったことを話す。 子供の時は五目並べだったし時間がない時は13路でやったりするけど、こうやって碁盤に向き合いながら家族の会話の時間を作るのが決まりになっている。
「で、今日も学校は楽しかったか?」
あまり考えた風もなく白石を置きながら義昭が尋ねる。
「いつも通りだよ。 友達とも上手くやってるし。 だから今夜も遊びに行くんだしね」
毎日毎日そう変わったことがあるわけでもなく、いつものように返しながら少し考えて孝志も黒石を置く。
別に孝志は義昭に嫌々付き合ってるわけではない。 ゲームや漫画や遊びに行ったりが好きな普通の今時の高校生だけど、日課としてこうして碁を打つのをそれなりに楽しんでいたりする。 とは言え囲碁部に入るほどはまってるわけでもなく、帰宅部でのんびり学生生活を謳歌しているわけだけど。
「まあな。 とは言え心配にもなるさ。 小学生の頃にゃちょっとばかしあっただろ?」
義昭が目線を向けた先に何があるか、見るまでもなく分かっているけど孝志もそこに目を向ける。
仏壇に置かれた三つの遺影──義昭の妻と息子夫婦、孝志の両親と祖母の遺影が揃って柔らかい笑みをこちらに向けていた。
孝志が5才の時だった。 両親と車で旅行に行った帰り道──大型トラックが対抗車線から大きくはみ出して正面衝突事故を起こした。 超過勤務で居眠り運転をしていたドライバーの過失による、一昔前はよくあった事故だ。
運転席にいた父と後部座席で孝志をかばった母は即死だった。 かばわれた孝志もひどい怪我をして2ヶ月もの間、生死の境をさ迷い何とか生還することができたが事故のことは幼かったこともありよく覚えていない。
目が覚めた時には葬儀も何もかもが終わっていて両親の亡骸を見ることもできなかったが、事故で無惨な有り様のそれはいずれにせよ子供に見せられることはなかっただろう。
目が覚めた時に義昭と祖母が泣きながら抱き締めてきたことは何となく覚えている。 何でお父さんお母さんはいないんだろうと思ったこともだ。 それを聞いても今は会えないと言われ、怪我のひどかった孝志は詳しく聞くことはなかった。
入院生活がさらに2ヶ月過ぎ、その間も全く両親は姿を見せず、祖父母に連れられて退院して自分の家ではない田舎の家に着いて、そこで初めて両親の死を告げられた。
5才の子供にはすぐに理解できず、お父さんお母さんは?と何度も聞いて泣き、お父さんお母さんと家に帰りたいと駄々をこねた。 その時にはすでに、孝志が両親と住んでいたマンションは引き払われ大半の遺品は処分されていたけど、お父さんお母さん、家に帰りたい、友達に会いたいと、何も知らずに泣き暴れた。
結局、孝志は泣き疲れてそのまま眠ってしまったが翌朝目覚めると一緒の布団で添い寝をする祖母と枕元で難しい顔をして孝志を見守っている義昭がいた。
翌朝もまだぐずりはしたものの、子供ながらに事態を少しは理解して騒ぐことはなくなった。 その代わりというように、孝志は一人泣いてふさぎ込むようになった。
そんな孝志に義昭と祖母は優しく接してくれて、孝志の情緒も少しずつ落ち着いていった。 祖母は本当に優しくて、義昭も躾は厳しいけど優しかった。 義昭はその頃すでに定年を迎えていたけど両親の生命保険と賠償金で金銭的に不自由なこともなかった。 とは言え贅沢放題に甘やかされるようなこともなかったわけだけど。
小学生の頃に両親がいないことでいじめられたことがある。 義昭が心配するのはその時のことが理由だ。 5年前に祖母が病気で亡くなりただ一人の家族としての責任を感じてるのもあるだろう。
「昔の話だしじいちゃんに鍛えられていじめにも負けなくなったんだからさ。 そんな心配しなくたって大丈夫だよ」
いじめられていた孝志は心が強くなればいじめにも負けないと義昭に剣術の手解きを受けた。 実際、相手は義昭だけだったから強くなっていたのか孝志には感じられなかったけど、義昭に鍛えられていく内に周りから言われる心ない言葉もあまり気にならないようになりいじめも自然となくなった。 所詮は小学生のそこまで陰湿でないいじめだったから、というのもあるだろう。
中学一年までは義昭との鍛練は続いた。 しかしある事件がきっかけで義昭に剣を取り上げられ、以降は運動に打ち込むことはなくなった。 軽く筋トレをするくらいだ。
孝志の言葉に義昭は頭を掻きながら苦笑する。
「ま、そうなんだろうな。 もう心配はいらねぇだろうとは思うんだが……年寄りはダメだ。 色々見ちまってるし可愛い孫は心配でたまらん」
両親の死、小学校でのいじめ、中学の事件──色々とあった。 それを保護者として見てきた義昭の気持ちを、孝志は心配しないでと口では言いながら内心嬉しく思っていた。
「まあ色々あったけどさ、俺は幸せだと思うよ。 学校も楽しいしじいちゃんもいるし」
「後は彼女でもできれば最高だ、ってか?」
義昭に茶化され孝志は言葉に詰まる。 17才の今まで、孝志は彼女ができたことはない。
実のところ、孝志に興味を持っている女生徒はいないわけではない。 身長は高いし鍛えてるから細身でそれなりに筋肉質だし顔もとびきりとは言わないまでもそこそこ整っている。 だけど外見だけで女性にもてるなんて話はそれこそマンガや小説の中だけの話だ。 それなりに上手くコミュニケーションが取れなければ寄ってくるのは外見に釣られただけの軽い女くらいで、それこそコミュニケーション能力なしに長続きはしない。
そして孝志は異性とのコミュニケーションがあまり得意ではなかった。 話しかけられたり遊びに誘われたりはあるけどあまりおもしろくないとの評価を下されるのが常だ。 露骨につまらないと言われたこともある。
「それは──んっ?」
「何だっ!?」
誤魔化そうと口を開きかけた孝志が不意の異変に周りを見渡す。 和室の床一面に奇妙な紋様が浮かび上がり光を放っていた。
事態をつかめない中、義昭は床の間に向かい日本刀を手に取ると孝志の腕をつかんで立たせ部屋を出ようとする。
「くそっ! 何だってんだ!?」
部屋を出ようとして見えない壁に阻まれ、鞘に納めたままの日本刀をその壁に叩き付けながら義昭が毒づく。 だが、孝志はこの現象に何となく心当たりがあった。 心当たりと言うか小説なんかでお馴染みのあれだと。
確証があるはずもない。 だけどファンタジーの世界にしかあるはずもないようなこの現象にいかにもな魔法陣──他のことなんてあるはずもない。
「孝志っ!」
光が強さを増し、何も見えないくらいの光の洪水に包まれながら義昭が孝志をかばうように抱き締める。 そして、光が収まった後、和室から二人の姿は消えていた。
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