第四章 汝、燃え尽きるまで
熱風 1
……そこまで語ったローサシアは、急に静かになって森の中を進む動きを止めたので、トウマも足を止めざるを得なくなった。
デラールフが中にいるピートルの酒場の目の前で話をするわけにはいかず、ふたりは近くの森を歩きながら話をしていた。
わずかに背後が透ける薄さになってきているローサシアの姿は、ますます儚げで、トウマは少し不安になる。
彼女は死者なのだ。
どう頑張ったってその事実は変わらない。
しかし、語られる十六歳のローサシアの印象が強烈すぎて、目の前の存在が死者だと忘れてしまうところだった。
「……わぉ、なんと言っていいのか……」
トウマはそこで言葉に詰まった。
へー、ソウナンダと流してしまうには、デラールフとローサシアの物語は深すぎた。かといって下手に意見を述べられる種類のものでもない。
言葉を失う、という表現そのものの世界が、そこにはあった。
『おかしいでしょう、あんなに小さい頃からずっと彼を好きでいたなんて』
ローサシアははにかんで微笑んだが、その「好き」な思いを恥じてはいない。それが凛とした口調から伝わってきた。
「いや……おかしくはないさ。羨ましいと思うよ。そんなふうにひとを好きになれる君も、そんなふうに誰かに思われたデラールフも」
『あ……』
トウマの言葉をゆっくり咀嚼するように、ローサシアはしばらく黙った。
ローサシアの口から紡がれる物語は、当然ローサシアの想いが前面に出る。しかし、男であるトウマには、デラールフの心の叫びの方がずっと強く端々に聞こえた。
あの薄暗い酒場で、絶望に倒れていた男の、声。
トウマが呼ぶ「ローサ」という名前の響きだけで、死の淵から蘇るように立ち上がった男の、魂の叫び。
自分を焼こうとした──そしておそらく再び焼くことを躊躇しない──はずの相手に、トウマは感情移入してしまった。
すべてはこの死者のために。
『ありがとう……ございます。なんだか、笑われるかと思っていたから、嬉しいです』
「笑うって、そんな。僕、そんな最低野郎の印象だった?」
『ま、まさか! だって、大抵のひとは茶化したり笑ったりするんですよ。だからトウマさんもそう言うかと思いました。兄妹同然に育ったから、不健全だって言うひともいたんです。ただの刷り込みだろうって』
「当ててあげようか。それは……デラールフ本人も含めて、だろ」
『トウマさんは……やっぱりまた、鋭いですね』
鋭い。
多分、だからこそトウマは森の奥でひとりひっそり暮らすような羽目になったのだろう。
あまり誇れることだと思ってはいないのだが、ローサシアに言われるとなぜか悪くない気分になった。
特殊な《能力》のせいで家族にさえ疎まれていた奇妙な白髪の大男もきっと、ローサシアのひと言ひと言に、こんなふうに心を躍らせていたに違いない。
乾いた心の隙間を癒されて。
その声を聞きたくて、手を伸ばす。触れてはいけないのに。
トウマはごほんと咳払いをした。
「それで、デラールフはそのまま戦場に行ったの? 違うよね、その前に恋人同士になったって言ってたもんね。ここまでの話では、君の片想いのままだよね」
──正確には、デラールフの片想いだと思うけど。
というツッコミはなんとか呑み込んだ。
ローサシアの慕情を軽視しているわけではないが、デラールフの想いが強大すぎて、そちらに焦点を持っていかれそうになる。溺れそうになる。
もちろんローサシアが彼を好きでなかったという意味でもない、が……デラールフの渇望の前では、ローサシアの恋など少女の憧れにすぎないように感じてしまうのだ。
『ええ……話はここからなんです』
「ここまでだけでも、十分濃かったけど」
『そうかもしれませんね』ローサシアは小さく笑った。『やめておきますか?』
「いいや、やめないでくれ」
トウマは即答した。
知りたい。知らなければならない。
トウマの中にあった、彼らに関わりあいたくないという気持ちはもう霧散していた。ピートルの酒場で死人のように倒れていたあの男に、トウマはもう取り憑かれている。
名前と伝説しか知らなかった男……デラールフ・センティーノに、今やトウマは心の底から共感していた。
他の人間から語られたら、こうはならなかっただろう。
仮にもしデラールフ本人から聞いたとしても、結果は違った気がする。
しかし、ローサシアの口から紡がれるデラールフの物語は、トウマの心を揺さぶった。魂を。
『そのあと、デラールフが帰ってきたのは一週間後でした。彼の雰囲気が変わったのはすぐわかりました。なんというか……垢抜けたというか……急に大人びてしまったような……もちろん、もう大人でしたけど』
「ちょっと待って」
ローサシアのはじめた説明を、トウマはさえぎった。
「僕は小心者だからさ、少しだけ先に結果を教えてくれる? 僕、とりあえず最後を確認してから小説を読みはじめるクチなんだよね」
……と、言ってしまってから、ローサシアが困った顔をしたので、トウマは我に返った。
ローサシアは死者だ。
死んでしまっているのだ。
デラとローサの恋にハッピーエンドはない……。だからこそトウマはローサシアに出会ったのだから。
「その、つまり……君たちはそれから、すんなり恋人同士になれたの? それとも結構な波乱万丈だったとか?」
慌てて、失言をとりつくろうようにトウマがした質問に、ローサシアはしかし嫌な顔ひとつせずにうなずいた。
『たぶん……後者ですね』
「はは……。変なこと言ってごめん。いや、なんか聞く前に心の準備とかしたかったからさ……つい」
『いえ、いいんです。ここまで聞いてくださってありがとうございます。続けますか? それとも途中は飛ばした方がいいですか?』
途中を飛ばす?
冗談じゃない。トウマはすべてを知りたかった。
すべてを知って……できるなら、未来を変えたかった。
「いや、話してくれ。君の覚えていることを全部。僕は知らなくちゃいけない気がする。彼を、救うためにも」
トウマが告げると、ローサシアは驚いた顔をした。そしてじっとトウマを見つめ、やがて決心を固めるように口元を引き締めると、こくりとうなずいた。
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