懇願 3
「……わかったよ。君の言い分にも……一理ある」
トウマの敗北のささやきに、ローサシアはピクリと背筋を正した。
『え……?』
「つまり……僕らはみんな、大なり小なりデラールフに恩があるっていうのは……事実だからさ」
ゆっくりと向き直ったローサシアは、まだ涙に濡れたままの頰でじっとトウマを見つめた。
『本当ですか……?』
「繰り返すけど、僕はなにも約束はできないからね。もし君の婚約者が襲ってきたら僕はすぐ逃げるし、もう無理だと思ったら次はないよ。でも一度だけ……やってみよう』
ローサシアはからくり人形のようにカクカクコクコクとうなずいた。
滑稽ではあるが、その姿は確かに可愛らしい。
人懐っこい上に明るいが決してうるさくはなく、その人形のような容姿も相まって、ローサシアは魅力的だった。
悔やむべくは彼女がすでにデラールフ・センティーノの幼なじみ兼婚約者であることと……亡くなっていることだ。
トウマは窓に目を移し、外の様子をうかがった。
「まだ日は高いけど、デラールフはもう酒場にいるのかな?」
『ええ、多分……残念ながら。時々外に放り出されることもありますけど、基本的にはずっと酒場に入り浸っていて、寝泊りしています。酒場の人達も……その……相手がデラールフですから、あんまり強気には出られないらしくて』
「……君は今、結構すごいことをサラッと言ったよね」
『ごめんなさい……。でも、デラールフは罪のない無抵抗な人に《能力》や暴力を振るったりする人じゃないんです。それは信じてください。ただ彼がすごむので、みんな怖がって遠慮しているだけです』
「はあ」
諦めとも、ある種の感心とも取れる、妙なため息が漏れる。しかし泣き笑いの表情で喜んでいるローサシアを見るのは悪い気がしない。
でもそれは……かなり大きな厄介ごとを背負った、犠牲のお陰でもあるけれど。
「じゃあ、日が暮れる前に行こうか」
『もうですか?』
「僕は死者じゃないからさ、夜目とかは利かないんだよ。それに馬も持ってないし、日が落ちたら移動できなくなるから」
『あ、ああ……そうですね』
ローサシアは鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をした。
その時、トウマは彼女がデラールフの恋人で、ずっと彼のそばにいたという言葉を実感した。
なるほどデラールフくらいの《能力》があれば、夜だって難なく移動できるのが日常だったはずだ。ちょっと明かりになる火を灯すくらい、朝飯前なのだろう。
くそ。
これからトウマは、そんな超人を相手にしなければならないのだ。
『じゃあ、行きましょう。ご案内します』
トウマはうなずいた。
うなずくしかなかった。
ふたりは──正確にはひとりと死者は──トウマの工作小屋を後にした。
トウマの緊張や後悔にもかかわらず森は平和で、太陽はのどかに木々を照らしており、小鳥達が求愛の歌を歌っていた。
町の酒場までは数刻歩く必要があった。
* * * *
『デラールフについて……少しだけお話しておきますね。きっと彼に話しかけるのに役立つでしょうから』
必ずしも歩く必要はないはずなのに、ローサシアは律儀にトウマに合わせて徒歩で移動している。小屋から離れて半刻ほど経った頃、ローサシアはポツリポツリと語りはじめた。
『まず、彼について、どのくらい知っていますか?』
「詳しいことはなにも知らないよ。ただ普通に、噂とかをさ、聞きかじっただけだよ」
『それは……具体的には?』
道程は単調で、春の森には危険も少ない。歩く以外特にすることもなかったので、トウマは自分の知識を語った。
──普段は別れて暮らしているはずの、天上の生命と、地上の生命。
もちろん地上はここだ。
天上には大きく分けて天使族、妖精族、悪魔族の三族が暮らしており、時折小さな対立がありながらも均衡を保っていた。
それが、天使と妖精に対し、悪魔が戦争を起こし……。
その混乱に時空の歪みが生じ、大量の悪魔のならず者たちが地上に雪崩れ込みはじめた。
天上の悪魔に、地上の人間が敵うはずがない。
大陸は恐怖に包まれ、悪魔に対抗するために連合軍が結成されたが、当初の戦果は散々だった。人間が勝てる見込みは、万にひとつもないだろうと嘆かれていた。
人間にも天上人のような《能力》を持つ者はいる──。
しかしその多くは、例えばトウマのように、大した役には立たないものがほとんどだった。
そこに現れたのがデラールフだった。
単なる大工の息子だったはずの彼が、驚くべき短期間で戦士として身を立て、悪魔さえ恐れをなすほどの烈しい「火」の《能力》で連合軍を優勢に導いた。
最終的には天使族や妖精族の力添えもあり、連合軍は悪魔族を天上に押し返すのに成功した。
その天使や妖精も、デラールフの《能力》に心酔して人間への援護を決めたという……。
『その通りです。でも、その《能力》ゆえにひどい噂がデラールフについて回っているのも、ご存知ですか?』
ローサシアの口調は奇妙なくらい淡々としていた。
いや……事務的とでもいうべきか。
まるで、トウマが肯定するのをわかっていて、反論するために身構えているような雰囲気だった。トウマは両手をズボンのポケットに入れる。
「だから、僕が知ってるのはすべて噂だからね。僕の個人的な意見じゃないよ。でも、まぁ……デラールフの《能力》が人間としては強大すぎて、もしかしたら彼は人間じゃなくて悪魔なんだろうとか……悪魔の血が混ざっているんだろうとか……そんな感じに言われているのは、知ってる」
堅苦しい表情を浮かべて、ローサシアはうなずいた。
『そもそも、能力者に偏見があるのも、《能力》を持つ者は天上人の血を引いているのではないかとか、生まれた時に悪魔がいたずらをしたんだろうとか……そういう風説があるからです。これは多分……トウマさんに説明する必要はありませんね』
「そうだね」
トウマはあっさりと認めた。
もちろんデラールフほど特別ではなくても、トウマも《能力》があるせいで疎まれたり、いじめられたり、避けられたりすることがあった。
『……若い頃のデラールフは《能力》を持て余していました。隠そうとしていた時期もあります。何度か事故もありましたし、自分の《能力》を呪っていました』
「だろうね」
『本当はずっと《能力》なんか封印して平穏に生きたいと言っていたんです。そこに悪魔との戦争がはじまって……彼は己の《能力》を使って身を立てる道を選びました』
トウマは、隣を歩く死者の横顔に視線を向けた。
可憐さと、凛々しさ。
相反すると思われるふたつの要素が、ローサシアの中では絶妙な均衡を保って共存している。守ってあげたいとも思うし、彼女の優しさに守られたら心地いいだろうと、甘えたい気分にもなる。
不思議な女性だ。
これは想像だが……デラールフはきっと、相当に彼女を愛していただろう。
『どうしてだかわかりますか?』
「……君と関係があるんじゃないかな」
トウマが即答したので、ローサシアは驚いて水色の瞳をしばたたいた。
『どうしてわかったんですか? 死者が見える以外にも《能力》を持っているとか……?』
「いや、ただの勘だよ。そんなに不思議なことじゃないし。推測だけど、君に良い暮らしをさせてあげたくて連合軍に参じたんじゃないかな。功名を立てれば君の立場も良くなるだろうし、もしなにかに取り立てられたら、一攫千金だってあるかもしれないし。違う?」
『違いません。そうなんです……そう、だったんです』
過去形であるのが、切なさを誘った。
デラールフは確かに功名を立てた。功名などという言葉では表せないほどの栄光と称賛を受け、大陸一の戦士と謳われている。
もしかしたら、すべてはトウマの隣にいる死者のためだったのかもしれないのだ。
だから彼は酒場で自暴自棄になっている。
『もしデラールフが乱暴な言葉を使ったり、あなたを脅すようなことを言ったとしても、それは決して本心じゃないってことを知ってください。彼のそういう態度は……盾みたいなものなんです。彼自身の心を守るための』
「ふぅん……」
自分が傷つかないために人を傷つけるのが、正当化されるとは思わない。
だからこそトウマは人前に出るのを避け、森の奥でひっそりとひとりで暮らす道を選んだ。ただ……同調はできなくても、理解はできた。
それが《能力》を持って生まれるということだ。
特別であることの代償だ。
『あともうひとつ……デラールフの容姿ですが、とても長身だし体格がいいんです。だから威圧的に感じるかもしれませんけど、怖がらないでください』
「いや……そのくらいで怖がらないから大丈夫だよ」
『よかった! あと最後に……彼は少し変わった髪の色をしているんですけど、これも驚かないでください。よくない噂の原因のひとつは、彼の髪の色だったので。悪魔に多い「火」の《能力》に加えて、妖精や天使に多い髪の色だということで、彼らの混血ではないかとまで言われていたんです』
トウマは首をかしげてローサシアを見た。
彼女自身も、ちょっと珍しいくらいに綺麗な漆黒の髪を持っている。トウマの髪は薄い茶色で、この辺りではこれが最も一般的な色合いだろう。他にも様々な濃さの赤毛や金髪がいて、ほんの時折、銀髪もいるが、これはかなり稀だ。
「銀髪なのかい? そのくらいでは、別に驚かないよ」
『いいえ』
哀切な微笑を浮かべたローサシアは、静かに答えた。
『白髪なんです。生まれた時からずっとそうだったと聞いています』
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