第一一二話 元・《魔王》様と学者神の交錯

 ――たとえばこの世界に、絶対的な強者が居たとする。

 ――彼は森羅万象を超越し、他の存在全てを意のままに出来る。

 ――肉体は当然のこと、その心さえも。

 ――で、あるならば。

 ――そんな強者と弱者の間に友愛など生まれるのだろうか?

 ――芽生えた絆は、果たして本物と言えるのだろうか?


 此度の一件は、そうした問いかけと共に開幕したものだ。


 メフィスト=ユー=フェゴール。

 我が永遠の宿敵にして天敵。最強にして最悪の《邪神》。

 奴は自らの問いを具現化し、この俺へとぶつけてきた。

 メフィストの手によって我が友のことごとくが敵へと変わり……俺は、心を折った。

 奴の言葉に屈して、敗北を受け入れる寸前まで、追い込まれた。

 しかしその寸前、僅かな光明を見出したことで状況が好転する。

『以前、君はボクに言ったよね。私の友人を侮辱するな、と』

『その言葉をそっくり返してやるよ』

『他人が何を言おうと、何をしようと、自分の中に在る友情は本物だろうが』

『そんなこともわかんねぇのかよ、この大馬鹿野郎』

 狂龍王・エルザード。

 かつて敵対し、命を奪い合った存在が、この身を窮地から救い出してくれた。

 彼女だけではない。

『これも、お前にとっては計算通りというわけか。アード・メテオール』

 アルヴァート・エグゼクス。

 精強を極めた《魔王》軍の中に在りて、最強無比を誇った男。

 メフィストによる人格改変を免れた二人を仲間に加え、俺は奴の打倒と皆の奪還を心に誓った。その過程にて、我々は操り人形にされたオリヴィアを救い出し……

 あの悪魔(メフィスト)に証明してみせたのだ。俺達の絆は本物であると。

 どれほど改変しようとも、魂に刻まれし友愛は、決して壊れることはないのだと。

 そして――


 今まさに、俺は二度目の証を立ててみせた。


「ぅ、あ…………アード、君……?」

 ジニー・フィン・ド・サルヴァン。

 彼女もまたメフィストに人格を改変され、刺客として我々のもとへ送り込まれたが、しかし奴の思惑通りにはならなかった。

 俺の言葉と想いに魂が呼応したのだろう。平野の只中にて、彼女は正気を取り戻した。

「わ、私……アード君に、なんてことを……!」

 自らの過ちに大きな罪悪感を抱いたか、ジニーの瞳に涙が浮かぶ。

 俺はそんな彼女の肩に手を置いて、微笑みかけながら、言った。

「全ては敵方の奸計によるもの。己を責めてはなりませんよ、ジニーさん」

「ア、アード君……!」

 友の泣き姿など見たくはない。それが敵の手によるものなら、なおさら。

 そうした意図が伝わったのだろう。ジニーは零れかけた涙を拭い、頷きを返してくれた。

「……一段落、か」

 腕を組みながら、オリヴィアが呟く。表面的にはいつもの仏頂面だが、その内側には強い安堵の思いがあるのだろう。獣人特有の尻尾が穏やかに揺れ動いていた。

「オリヴィア様にも、ご迷惑を……!」

 慌てて謝罪するジニーにオリヴィアは小さく首を横に振るのみだったが……

「ジニーくぅ~ん? ボクへの謝罪はまだかなぁ?」

 彼女の隣で、エルザードが睨みを利かせながら、言葉を重ねていく。

「飛んでるところを撃ち落としやがったことへの謝罪は、ま・だ・か・なぁ~?」

 よほど腹に据えかねているようだ。殺気がダダ漏れになっている。

 そんな彼女にジニーは怪訝と疑念を向けるだけで、一言も返そうとはしない。

「あぁ? なんだよ、その目は。抉り取ってやろうか、この――」

「そこまでにしておけよ、阿呆トカゲ」

 横からジニーに助け船を出しながら、アルヴァートが溜息を吐いた。

「ジニー・サルヴァンからしてみれば、君は依然として敵対者のままだ。そんな相手に謝れと言われて素直にごめんなさいと言えるわけがないだろう。自分がしてきたことを思い返せばそうした結論に辿り着くはずなんだけどな。やはりトカゲの知能などその程度か」

「……あのさ。元はと言えば、お前が指図したことだよね? ジェシカに化けてイリーナを誘拐したりとか、その後の一悶着とか、全部お前がやれって言ったことだよね?」

「あぁ、そうだな。けれど実行したのは君だろ。だったら完全に自業自得じゃないか。それを僕のせいにするだなんて責任転嫁も甚だしい……といったところで理解出来ないか。所詮、トカゲはトカゲだものな。公徳の概念を持たない蛮族はこれだから困る」

「はははははははははははは! ――――ブチ殺す」

 殴りかかるエルザード。これを華麗に回避するアルヴァート。

 そんな二人の様子を見つめながら。

 あの男がポツリと呟いた。

「……睦まじいな、本当に」

 ディザスター・ローグ。

 俺と全く同じ姿をした男を目にして、ジニーは困惑の表情となった。

 無理もない反応ではあるが、さりとて長々と立ち話をするわけにもいかない。

「ジニーさん。我々は先を急ぐ身。ご説明は移動の最中にて」

「え、えぇ。異存はありませんわ」

 彼女の首肯を確認してから、俺はアルヴァート相手に暴れ狂うエルザードへ声を投げた。

「移動を再開しますよ。竜の姿へ戻ってください」

「あぁ!? ボクに指図すんじゃ――」

「イリーナさんとお友達になりたくないのですか?」

「――――」

「貴女の望みが叶うか否かは私の采配次第。そのことをどうかお忘れなきよう」

「――ボクはやっぱり、お前のことが嫌いだ」

 むっすぅ~、と膨れっ面になりながらも、エルザードはこちらの要望に応じた。

 美しい少女が次の瞬間、巨大な白竜へと変わる。

 これぞ狂龍王・エルザードの真なる姿にして……極めて便利な移動手段(のりもの)であった。

「おい。今、失礼なこと考えただろ?」

「いえいえ、決してそのようなことは」

 エルザードの背に乗り込みながら、俺は周囲を見回した。

「……総員、乗車よし、と」

「おい。今、乗車って言ったな? 乗車って言ったな? やっぱりお前、ボクのこと――」

「さ、飛んでください、エルザードさん。お早く」

「――――覚えとけよ、この野郎」

 恨み節を吐きつつも、エルザードは三対の翼を展開し、上空へと飛翔した。

 そうして空の旅を再開してからすぐ。

「ではジニーさん。現状を説明させていただきます」

 俺は今に至るまでの経緯を順々に話し始めた。

 ジニーは無言のまま、こちらの言葉を受け続け、その末に。

「……信じられませんわね。あのエルザードと、協力関係になるだなんて」

 ジニーの瞳には強い猜疑心がある。

 だが一方で、こちらの言葉を信じようという思いもあるのだろう。

 その一端はやはり、

「……さすがの人たらし振り、ですわね。ミス・イリーナ」

 ここには居ない親友への、素直な称賛。

 そう、俺達はイリーナを中心としてここに立っているのだ。

 我々の間にある絆は彼女の存在によるところが大きい。

 だからこそ。

「取り戻しましょう、アード君」

「えぇ、必ずや」

 互いに決意を確かめ合い、そして……ジニーはローグの方へと目をやった。

「アード君が二人居れば、もはや無敵も同然ですわね」

 ローグについて、彼女に伝えた情報は二つ。一つは奴が別世界の俺であるということ。そしてもう一つは、我々を救うために世界を渡ってきたということ。

 いずれも偽りないものだが、ただ一つだけ、あえて伝えなかったことがある。

 それはかつて、ローグが俺達と敵対していたという事実だ。

 以前、夏の修学旅行の最中にて、我々は神を自称する存在と遭遇し、過去へと飛ばされたことがある。そこで俺達はローグを相手に戦ったわけだが……当時、奴は正体を偽っていて、イリーナとジニーはその真実を知らない。

 これを説明したなら、彼女の中に不要な警戒心を生むことになるだろう。

 そう判断したからこそ、あえてその情報を伝えなかったわけだが。

「……俺はディザスター・ローグだ。アードではない。二度とその名で呼ぶな」

「ひっ……!?」

 睨み据え、殺気さえ放ってみせる。

 そのせいでジニーは縮み上がり、俺の背中へと逃げてきた。

「せ、世界が変われば、人格も、違うもの、ですわね……」

 彼女の目にはローグが恐ろしい男として映っているのだろうが……それは違う。

 奴は俺であり、俺は奴なのだ。ゆえにその心理が手に取るようにわかる。

 自分にはもう、友として彼女と接する資格などないと、そう考えているのだろう。

 かつて守れなかった相手と、どうしてそのような関係でいられようか。俺はただ、そのときの失敗を精算するためだけに存在するのだと、ローグはそう考えている。

 だからジニーだけでなく、誰とも関わりを持とうとしない。他者との間に壁を作り、決して交わろうとはしない。本当は、友との再会を喜びたいだろうに。

「……不器用で身勝手な男だな、貴様は」

「……あぁ。それが俺であり、そして貴様だ」

 視線を交わし、言葉を交わし、自己嫌悪に近い情念を味わう。

 そんな我々にオリヴィアが一言。

「愚か者共め」

 姉貴分としても、複雑な情があるのだろう。どのような言葉をかけていいのか、今はわからないといった様子だった。

 一方で。

 アルヴァートはこちらに対し、さしたる興味もなく、それゆえに。

「雑談はそこまでにしておけよ。僕達は遠足をしてるわけじゃあないんだからな」

 実にマイペースに、場の舵を取り始めた。

「今向かっている先は、古都・キングスグレイヴ。その目的は……ヴェーダ・アル・ハザードの身柄だ。僕達には彼女の力が必要不可欠。そうだろう? アード・メテオール」

 俺は首肯を返した。

 イリーナの奪還、引いては世界の救済。そのためにはメフィストを討たねばならない。

 さりとて尋常の手段では、奴に微細なダメージを与えることさえ不可能。

 メフィストを倒すためには二つ、絶対に用意せねばならぬものがあるのだ。

 うち一つは現在、我が手中にある。この腕輪がそれだ。

 名を《破邪吸奪の腕輪》と言う。古代におけるメフィストとの最終決戦において、俺が手ずから創造した《魔王外装》の一つだ。この腕輪の効力により、敵対する相手は秒を刻む毎に弱体化し、逆にこちらは相手が弱くなった分、戦闘能力を高めていく。

 つまり装着者を無敵の存在にする腕輪、ということになるわけだが。

「それだけでは不十分。君とローグが融合を果たすことで、その力は測り知れないほどに高まる。その結果で以て奴を倒す、と。そう言っていたよな」

「えぇ。そして、そのためには」

「ヴェーダ様のお力が必要である、と」

 ジニーの結論に俺は頷きを返した。

「私も魔導学の心得はそれなりのものと自負しておりますが……人の融合など、いかなる手段を以て成すのか。糸口も見えぬというのが正直なところです。ゆえにヴェーダ様のお力を借りるのが確実かと」

 彼女ならばきっと、なんらかの手段を示してくれるだろう。

 とはいえ、問題なのは。

「……おそらく奴も人格の改変を受けているだろうな。先刻までのわたしと同様に」

 滲み出る悔恨の情。さりとて慰めの言葉など欲してはいまい。

 俺はたたオリヴィアに首肯だけを返して、

「問題はありません。彼女も元に戻りますから。貴女と同様に、ね」

 確信と共に紡いだ言葉を、オリヴィアは小さな頷きで以て肯定したが、しかし。

「具体的にどうするというんだ?」

 明確な道筋を示せと、アルヴァートは言う。

 俺は微笑を浮かべながら断言した。

「ありません」

「……は?」

「具体的な策など、一切合切、ありません」

 アルヴァートを含め、誰もが唖然とする中、エルザードだけが笑声を漏らした。

「いい具合の馬鹿さ加減じゃないか。うじうじ悩むよりもずっとマシってもんさ」

 肯定的な意見を出したのは、彼女だけではない。

「……フン。まるでリディアのようだな、馬鹿弟」

「えぇ。私も彼女みたく、無駄な知恵働きなどやめてしまおうかと」

 その結果が、オリヴィアの現状に繋がっているのだ。もし俺が賢しさを保持したままだったなら、この姉貴分を元に戻すことなど叶わなかっただろう。

「少しだけ、変わりましたね。アード君」

「馬鹿になった私は、愚かしく見えるでしょうか?」

「いいえ。むしろ……より一層、素敵になりましたわ!」

 ジニーが笑顔を見せる一方で、そのすぐ横に立つアルヴァートは深々と嘆息し、

「ローグ。君はどう思う?」

「失敗した俺に、事の是非を意見する資格はない。……だが」

 ローグはこちらへと目を向けて、言葉を続けた。

「アード・メテオール。貴様は俺が成せなかったことを成したのだ。であれば、その判断はきっと正しいものだろう」

 満場一致の状況に、アルヴァートは肩を竦めて一言。

「馬鹿の巣窟だな、まったく」

 呆れたような声音だが、その表情に否定の色はない。

 この男とて理解しているのだろう。此度の一件は頭脳よりも心こそが肝要であると。

 こちらの想いを全力で叩き付け、相手との絆を信じ抜く。

 出来ることはそれだけだ。すべきことは、それだけなのだ。

「馬鹿になってぶつかれば、ヴェーダ様の改変とて必ずや――」

 紡ぎ出された希望と、込められた想い。それを次の瞬間。

 相手方本人が、否定した。


『間違ってるよ、根本的に』


 ヴェーダ・アル・ハザード。彼女の声が突如として脳内に響いた、そのとき。

 前方より煌めく光弾が飛来する。

 一つや二つではない。

 視界を埋め尽くすほど膨大なそれらが、凄まじい速度でこちらへと殺到した。

「当たるかよッ!」

 エルザードが躍動する。蒼穹の只中を縦横無尽に飛び回り、迫る熱源のことごとくを回避。されど躱すのが精一杯で前進することは叶わない。

 我々が援護すれば、それも可能であろうが……

「間違っている、とは?」

 先刻の言葉に気を取られ、それどころではなかった。

 そんな俺達に、ヴェーダが再び声を送ってくる。

『そもそもワタシは人格を改変されてない。君達と敵対するのは、ワタシ自身の意思だ』

 こんな硬い声がヴェーダの口から出たことなど、今まで一度さえない。

 その事実は彼女の意思を証するもので……そうだからこそ、困惑が極まった。

「我々を裏切ったと、そうおっしゃるのですか?」

 漏れ出た言葉は半ば無意識的なもので。これに対し、ヴェーダは即座に応答した。

『そうだよ。ワタシは師匠(せんせい)の側に付いた。君達とはもう敵同士だ』

 ありえない。そうした思いを抱いたのは俺だけではなかった。

「いったい何を考えてるんだ? ヴェーダ・アル・ハザード」

 アルヴァートの問いかけはまさに、皆の総意だった。

 なぜ裏切るのか。皆目見当が付かない。

 よもやこれさえも、メフィストによって仕組まれたことではないか?

 我々を困惑させ、その様子を見て、ゲラゲラ笑っているのではないか。

 そんな考えが浮かんだ矢先のことだった。

『……いいよ。事情を話してあげる』

 嵐のような猛攻がピタリと停止した。それからすぐ、ヴェーダが問いを投げてくる。

『アード君。君はこの状況が始まってから今に至るまで、何度か考えたんじゃないかな。師匠(せんせい)があまりにも真面目過ぎる、って』

「……えぇ、そうですね。常に遊び半分で、ふざけた調子を維持してきたあの男が、今回は随分と真剣な言いざまが目立っていた」

『師匠(せんせい)が君に話したことは、全てが本音だよ。たとえば……最終決戦(ラスト・ゲーム)という言葉も。本当の本当に、そのつもりで動いてる。どういう形であれ、師匠(せんせい)は自分の人生に決着を付けるつもりだ。そこに偽りはない』

 彼女の断言に、俺は強い困惑を覚えた。

 メフィストという男はおよそ、混沌(カオス)の代名詞と呼ぶべき存在だ。

 その行動に一貫性などまるでなく、あまりにも気分屋で、そうだからこそ次にどう動くのか読み切ることが出来ない。

 それが偽りなく、真剣に、一つの意思を貫徹せんと動いているとは。

 そこにいかな心算が隠されているのか、まるでわからなかった。

『無理もないよ。ワタシだって、あの話をされるまでは、君と同じように考えてたから。あぁ、またいつもの遊びが始まったんだな、って。今回も適当なところで勝ちを譲って、それで何もかも丸く収まるんだろうな、って。でも……師匠(せんせい)の話を聞いたことで、考えが変わった。師匠(せんせい)が本気だってことが、嫌というほど理解出来た』

 そして、ヴェーダは語る。

 我々を裏切った理由を。此度の一件が発生した、その原因を。


『近い将来、この世界は滅ぶ。筆記者(ドミネーター)という名の、高次元存在によって』


 彼女の言葉に、一堂は沈黙を返した。

 噛み砕けない。飲み込むことが出来ない。

 だが……

「……筆記者(ドミネーター)という単語には、聞き覚えがある」

 呟きながら、俺はローグの顔を見た。それと同時に、奴もまたこちらへと目を向けて。

「あぁ。神を自称する存在。そのうちの一派が筆記者(ドミネーター)だ」

 一人の人物が脳裏に浮かぶ。

 中性的な顔立ちをした幼い子供。かつての時間跳躍はかの存在の手によるものであり……ローグを倒した後、再び姿を現したあの子供は、俺にこう言った。

 二度と見えぬ事を祈る、と。

 もしそのときが来たなら、それは、筆記者(ドミネーター)によって君達が滅ぼされるということだ、と。

「……そうか。そういう、ことだったのか。奴がいつになく真剣だったのは……心を埋め尽くした絶望が、原因だったのだな」

『そう。かの高次元存在は、師匠(せんせい)でさえどうにも出来ないんだ。もしそれが可能だったなら、そもそも師匠(せんせい)やその同胞がこっちの世界にやって来ることもなかった』

《外なる者達(アウター・ワン)》。この時代においては《邪神》と称される存在。

 彼等は総じて、この世界の住人ではなかった。

 次元の狭間を通過し、異なる世界よりやって来た異世界人。それが彼等の実態であった。

 メフィストもそのうちの一人だが……

 そもそもなぜ、彼等はこちらの世界へとやって来たのか。それは。

『滅ぼされてしまったのさ。あの人達の世界は。……以前、師匠(せんせい)はワタシに一度だけ、そのときのことを話してくれたよ。いつになく沈んだ様子でね』

 奴はヴェーダに、こう述べたと言う。

“あの世界には、僕の心を満たしてくれる人が居たんだ”

“彼が居てくれたから、僕は独りじゃなかった”

“だから僕は、彼と世界を守りたかったんだ”

“けれど……手も足も、出なかったよ”

 そして最後に。

『もう二度とあんな思いはしたくない。もし、同じことがこの世界でも起きたなら、そのときは……僕がこの世界を壊す。それなりに気に入っているからこそ、他人には壊させたくないんだ、と。師匠(せんせい)はそう言って、悲しそうに笑ったよ。そこには普段の、ふざけた調子なんて、どこにもなかった』

 これに対し、オリヴィアが一言。

「当時の言葉を今、実行しているというわけか」

 いずれ神の手によって滅ぼされるというのなら、いっそこの手で。

 ……なるほど、筋は通っている。

 だが妙だ。それほどに本気だったなら、なぜ初手で全てを決めなかったのか。なぜ、我々を試すような真似をしているのか。

 ……わからない。

 ならばあえて捨て置こう。今重要なのは、

「ヴェーダ様。先程まで語られた情報と、貴女が裏切ったということ、二つの繋がりがまだ、見えてこないのですが」

 メフィストにとって今回のそれは真の最終遊戯(ラスト・ゲーム)。

 勝利したならこの世界もろとも自分を消し去り、敗北したなら我々の手によって消える。

 その現実を前にして、なぜヴェーダが我々を裏切ったのか。

『……アード君。君も知っての通り、ワタシは元々、師匠(せんせい)の側に付いてたんだ。あの人はワタシにとって大切な存在で。袂を分かっても、そこは変わらなかった』

 悲しげな調子で言葉を紡いでいく。

 だが、それも途中までのこと。

『あの人が死ぬのは、仕方がないことだとは思う。けれど……独りぼっちのまま消えていくのは、可哀想じゃないか』

 彼女の声音に、段々と熱量が篭もり始めた。

『これまで君達の味方をしてきたのはさ、あの人が絶対に死なないと、そう確信してたからだ。ワタシにとっても、あの人にとっても、全ては楽しい遊びでしかなかった。でも、今回は違う。もう、今回は遊びじゃないんだ』

 次の瞬間。遙か彼方より、激烈な戦闘意思が飛んで来た。

 それは我々の目的地にして、ヴェーダの現在地から伝わってきたもので。

『あの人は死ぬ。勝利しようが、敗北しようが、関係なく。少なくともワタシの前から居なくなってしまうことは間違いない。だったらせめて、最後まで傍に居たいんだ』

『あんな人だけれど、それでも――』

『ワタシにとっては、たった一人の師匠(おや)だから』

 そして再び、弾幕が展開される。我々の道はもはや分かたれたのだと、いわんばかりに。

「くッ……! おい、どうするんだよ、アード・メテオールッ!」

 先刻よりも一層激しさを増した攻勢。エルザードは上手く躱しているが、このまま続けたならいずれ被弾するだろう。

 俺は目前の状況に対し、拳を握り締めながら。

「……一時、撤退します」

 この判断に、異を唱える者は居なかった。

 現状はあまりにも想定外。皆の心は揺れに揺れている。

 まずは乱れた精神を立て直さねば。と、そうした意図がエルザードに伝わったのか。

 彼女は弱気とも取れるこちらの判断に、なんら文句を返すことなく後退。

 それから相手方の射程圏外まで退(さ)がり続けた。

「……ここらへんでいいか」

 光弾の到来が絶えたことを確認してから、エルザードは眼下へと目をやる。

 降り立つには丁度良い平坦な土地であった。

 空から陸へ。地面を踏みしめながら、我々は顔を見合わせ――

「一つ、謎が解けた」

 アルヴァートが眉間を揉みながら、先陣を切る。

「メフィストの封印魔法が、なぜ解けたのか。ずっと気になってたんだ」

 そこは俺も同じ思いだった。奴への封印は個人の魔法レベルを超越したもの。生きとし生けるもの全てが力を結集させただけでなく、星の力まで吸い上げて構築した究極の封印魔法である。ゆえにメフィストといえども、封印の解除は不可能。せいぜい外部への間接的な接触が出来るようになるか、といったところだ。

 にもかかわらず、なぜそれが解けてしまったのか。

「神によるものでしょうね。間違いなく」

 おそらくメフィストは、アレと契約したのだろう。

 自分が世界を滅ぼす。代わりにここから出せ、と。

「……将来的に、僕達はそんなモノと戦うことになるわけ、か」

 アルヴァートの声音に宿る諦観を、俺は否定出来なかった。

 勝てるとも負けるとも、言えなかった。

 それゆえに。

「……とりあえず。神の存在と、それがもたらさんとしている未来については、一時捨て置くことにしましょう」

「うむ。結局のところ、メフィストをどうにかせねば、先も何もない」

 反対意見が出なかったため、俺は話を次へと進めていく。

「ヴェーダ様からもたらされた情報により、少々、困惑しておりますが……しかし、我々のすべきことには何も変わりありません」

 メフィストを打ち倒し、皆の人格改変を元に戻す。

 それが引いては、世界の救済に繋がるのだ。

 ……そうした考えは俺を含む古代組にとっての総意であったのだが。

「あの。講和の道を模索するというのは、不可能なのでしょうか?」

 メフィストが居ない時代に生まれ、育ったジニーからすると、我々はあまりにも攻撃的に見えたのだろうか。

「何も、戦うだけが選択肢ではないのでは……? 聞くところによると、メフィストは神の力に絶望して、自棄を起こしているように感じられるのですが」

「えぇ、その解釈でも、間違ってはいないかと」

「でしたら。なんとか説得すれば――」

 ジニーの言葉を遮る形で、アルヴァートが厳しい声を放った。

「ありえない。よしんば成功したとしても、奴と手を組むなんて絶対にごめんだ」

 感情だけを発露したアルヴァート。

 その一方で、オリヴィアは幾分か冷静だったらしい。

 腕を組みながら、ジニーに淡々とした声を投げていく。

「貴様の言う通り、奴の説得に成功したのなら、表面的には極めて大きな利となろう。我々は無駄な消耗をすることなく此度の一件は解決し、最強の《邪神》が味方に付く。筆記者(ドミネーター)とやらを相手にするなら、これほど頼もしい存在もあるまい」

 ただし、と前置いてから、オリヴィアは瞳を鋭く細め、語り続けた。

「奴はまともではない。何をしでかすかわからん。笑顔で握手をした三秒後に、まったく同じ表情で殺しにかかってきてもおかしくはないのだ。かような狂人と手を組むなど百害あって一利なし。むしろ腹の中に毒虫を入れるようなものだろう」

 俺やローグも完全に同意見だった。

 奴の歪みきった人格が、もう少しまともだったなら、説得というのも択の一つだったのだろうが……理屈的にも、そして感情的にも、奴との講和を模索するなどありえない。

「ボクも同意見だ。一目見た瞬間わかったよ。アレは異常だってね。ボクのように過去の出来事が人格を歪めたとか、そういう手合いじゃない。あいつは生まれついてのイカれだ。あぁいう奴とは誰もまっとうな関係を結べやしないんだよ」

 そう、エルザードはかつての敵対者であり、現在のメフィストのように世界を滅ぼさんとしていた。だがその動機は理解も同情も出来るようなもので、そうだからこそ今、彼女と俺は友誼の縁を結んでいる。

 しかしメフィストは駄目だ。誰からも理解されず、同情することも出来ない。

「再三繰り返しますが、メフィストの討伐は大前提。……問題なのは、それを成すためにヴェーダ様のご協力が必要不可欠であるということ」

「で、でも、ヴェーダ様は」

「あぁ。僕達を、裏切った」

 厳然たる事実を前にして、我々は沈黙する。

 ヴェーダの協力なくしては、メフィストの打倒はありえない。

 けれども彼女は相手方に付き、我々と敵対関係にある。

 さて、どうしたものだろうか?

「……やはり一筋縄ではいきませんね」

 状況を打破するための手段を模索しながら。


 俺は、深々と嘆息するのだった――

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