史上最強の大魔王、村人Aに転生する 9

第一〇四話 元・《魔王》様と、奪われた日常


 現代において、《魔王》・ヴァルヴァトスの生き様は常に、華麗を極めた物語として描かれている。

 英雄譚に曰く、かの御方が歩んだ道は常に王者のそれであり、そこに一切の挫折はなく、苦悶もなく、産声を上げてから世を去るまで、無謬の人生を全うせり。

 ……初めてその一文を見た瞬間、俺は無意識のうちに冷笑を零していた。

 何もかもが間違っている。

 俺は英雄譚に記されているような全能者ではない。

 当時の俺は、常に追い詰められていた。

 表面的には常勝不敗の人生。されど本質的には、ただの一度さえ勝利してはいない。

《魔王》・ヴァルヴァトスの生涯にはいつだって、奴の影が付きまとっていた。

 きっと生を受けたと同時に、目を付けられていたのだろう。

 あの悪魔に。

 メフィスト=ユー=フェゴールに。

 ……古代世界において展開されていた、人類の救済を賭けた闘争。その究極は《魔王》と《勇者》、この二人を中心とした《邪神》達との戦であったと伝わっている。

 だが、実際は。

 メフィスト=ユー=フェゴール、ただ一人による独壇場ワンサイドゲームであった。

 奴の目には誰も彼もが道化として映っていたに違いない。

 生きとし生けるもの、全ての存在が掌の上で踊らされていた。

 あらゆる決意。あらゆる憎悪。あらゆる理念。あらゆる闘争。

 何もかもが、奴の手によって仕組まれていた。

 世に蔓延る負の事象は総じて、かの悪魔によるもの。それが知れ渡った瞬間、ようやっと我々は、真に果たすべき目的を見出したのだ。

 諸悪の根源を断ち、安寧への一歩を踏み出す。

 誰もがそのために動いた。

 いがみ合っていた者達は一時、憎悪を忘れ。

 協調していた者達は一層、結び付きを強くし。

 人も魔も。聖も邪も。一切合切の区別なく、奴へ挑み――――

 そして、敗れた。

 完膚なきまでに。

 あの時代を生きた者にとって、メフィストという名の怪物は、悪夢そのものだ。

 俺とて例外ではない。

 だからこそ、目を背けていた。

 向き合うことなど、出来なかった。

 膨大な犠牲を払ってなお殺し切れなかったという現実。

 今なお奴は生存しているという現実。

 あまりにも不都合で、あまりにも不愉快なそれを、俺は意図して忘れ去り……

 そうだからこそ、今。


 ――我が目前にて、悪魔が立つ。

 ――これまでのツケを払えと、言わんばかりに。


 ラーヴィル国立魔法学園。勝手知ったる学び舎の一室で。

 俺は、最悪の状況に陥っていた。

「貴様……! 皆に、何をした……!」

 隠し切れぬ苦悶。我が身のみを対象とした負の事象ならば、いくらでも耐えられる。だが今回、奴の手によって実行されたそれは、俺以外の全てを対象としたものだった。

 教壇の前に立つ悪魔を睨みつつ……視線を僅かに、横へ向ける。

 そこには我が姉貴分、オリヴィア・ヴェル・ヴァインが立っていた。宿敵の存在を視界に入れてなお、現状に一切の疑問を持っていないような、無機質極まる顔で。

 それから俺は、周囲に目を配る。

 皆、誰もが、オリヴィアと同じ状態だった。

 ジニー、シルフィー、エラルド、そしてイリーナ。その他大勢の学友達も。

 一様に、人形の如く無機質で、微動だにしない。

 まるで俺とメフィスト以外の全てが、時を止めているかのような有様。

 そんな中。悪魔が口元に微笑を浮かべながら、言葉を紡ぎ出した。

「何をしたのか。一言で返すなら、改変の魔法ということになる。けれどねハニー、そんなことはどうだっていいのさ。僕が君の友人達を操り人形にしたという、表面的な部分にはなんら意味がない。その奥にある本質に目を向けてもらいたいな。どうして僕がこういった行いをしたのか。僕の意図が、君になら理解出来ると信じているよ」

 親しげな口調だった。見下すわけでなく、嘲るわけでなく。その喋り様はむしろ、友に向けられるそれとまったく同じものだった。

 実際、奴は俺を敵とは認識していない。こちらがどれだけ奴を憎み、どれだけ殺意をぶつけようとも、メフィストは俺のことを無二の友として扱ってくる。

 そんな理解し難い思考回路に吐き気を催しながら、俺は無意識のうちに呟いていた。

「なぜ、こんなことに……!」

 先刻、メフィストが述べたことなど頭にはない。

 ありえぬはずの現実に対する苛立ちと弱音。それらが今、胸の内を占めている。

 ……奴はそんな俺の心理に対しても、にこやかな顔のまま、答えを送りつけてきた。

「順を追って話そう。ちょっと長くなるかもしれないけれど、そこは大目に見てほしいな」

 くるりとターンして、履いているスカートを靡かせながら、こちらに背を向けてくる。

 そして奴は、まるで教鞭でも執るように黒板へ向き合うと、

「数千年前の決戦において、君達は僕を封印し、外部へ干渉出来ない状態へと追い込んだ。これは君達にとって決して解けないはずの魔法であると同時に、僕にとっても突破口が見出せないようなものだった。いや本当に、絶望的だったよ。生まれて初めての感情だった。貴重な経験をさせてくれて本当にありがとう」

 つらつらと語りながら、チョークを黒板に走らせていく。

「数千年前の決戦。解けぬ封印。外部への不干渉。これらは君にとって絶対不変の真実ルールだった。それがなぜ現在、破られているのか? まず第一に――――これだ」

 外部への不干渉。黒板に記されたその文字へ被せる形で、メフィストはバツ印を描いた。

「君も知っての通り、僕は努力家だ。出来ないことを出来るようにする。人生の喜びとは、そこに尽きると僕は考えているよ。だからこそ、封印の解除に乗り出した。そしてだいたい、四〇〇年ぐらいかな。外部への干渉が出来るようになったのは」

 ……こともなげに口にした言葉、だが。俺にとっては忌々しい内容だった。

 身動き一つ取れぬ、どころか、あまりの激痛にまともな思考も出来ないような状態へと追い込んでいたのに。奴にとってそれは、なんの苦でもなかったらしい。

 虫酸が走るような美貌を笑ませながら、メフィストは語り続けた。

「まぁ、とはいってもね。封印を解くまでには至らなかったよ。そこらへんはさすが僕のハニーってところかな。……ところでさっきから無言だけど。ちょいちょいヤジとか飛ばしてくれてもいいんだぜ? いやむしろ飛ばしておくれよ。一人喋りとか寂しいもん」

 断固拒否する。

「はぁ。つれないねぇ。……さておき。めちゃくちゃ頑張ったおかげで外部への干渉が可能となったわけだけど、僕はね、ちっとも嬉しくなかったよ。なんせ君、僕になんの断りもなく転生しちゃうんだもの。君が居ない世界にちょっかいかけてもつまんないよ。…………ま、ホントはちょくちょく仕掛けたけどさ。君の再誕待ちでクソ暇だったから」

 悪戯っぽく微笑んで見せるメフィスト。

 絶世の美貌に浮かぶあどけなさは、見かけ上、実に愛らしいものだが……

 俺にとっては吐き気を催すような顔でしかなかった。

「暇を潰し続けて数千年。やっと君が再誕したわけだけど、どうしても封印は解けなかった。けっこう本気を出したつもりだったのだけど、上手くいかなくてね」

 肩を竦めて見せるメフィスト。その言動に嘘の気配はなかった。

 であればなぜ、封印が解かれてしまったのか。

 その疑問を抱くと同時に。

「封印が解けた第二の理由にして、最大の要素。それはなんと――」

 メフィストは、核心となる情報を――


「――――教えてあ~げないっ☆」


 舌を出して、悪戯っぽく笑うメフィストに、俺は無言のまま拳を握り締めた。

 そんな様子が可笑しかったのか、奴はこちらを指差して、腹を抱えながら笑い出す。

「アハハハハハハ! 言うと思った? 言うと思った? ざ~んねん! 秘密でぇ~す!」

 ひとしきり笑うと、メフィストは目尻に浮かんだ涙を拭い、気を落ち着けるように深呼吸。それから静かに、言葉を紡ぎ出した。

「今それを明かしても面白くはならない。そっちに意識が集中されてもね、僕としてはつまらないんだよ。少なくとも序盤は僕だけに集中してもらいたいな、うん」

 ……言わぬと断じたなら、決してそれを伝えることはない。また、口を割らせることも不可能だ。であれば……なぜ封印が解けたのか、その疑問は捨てよう。

 そもそも、そんなことは重要でもなんでもないのだ。

 俺の目前に、メフィストが立ちはだかっている。この状況にどう対応するのか。そして、これから始まる状況をどう凌ぐのか。大事なのは、それだけだ。

「いいね、ハニー。優先順位を誤らないその思考力、相も変わらず素敵だよ」

 満足げに微笑みながら、奴は次の言葉を投げてきた。

「さて、本題に戻ろうか。現状の本質について、君は考えてくれたかな?」

「……貴様が我が友人達に害を及ぼし、操り人形に仕立てた。それが全てだ」

 本質も何もあるかと、俺は奴を睨む。

 対して、メフィストは首を横に振りながら、

「さっきも言ったよね。それは表面的な要素に過ぎない、って。気付いていないのか、気付かないようにしているのか。多分、後者かな。だったらもう、仕方ないから教えてあげるよ。この状況の本質、それはね――――君達が育んできた絆の、否定だよ」

 生徒一同を観察するように、視線を配る。

 そうして奴は言い続けた。

「見ての通り、僕は彼等を思うがままに出来る。人格改変は当然のこと、外見や性別、果てには種族に至るまで、好きに変えることが出来る。

 ……そんな相手を、果たして自分と同じ知的生命と呼ぶべきだろうか?

 僕はそう思わない。任意のタイミングで、好きなように変えてしまえるような存在は、無機物と変わりがないんだよ。

 だから僕は、君以外の全てを玩具だと捉えてる。

 君だけが僕と同じ、人間という名の生命で、そうだからこそ、僕にとって友情を育むことが出来る相手は君しかいない。

 それはねハニー、君も同じなんだよ。

 君は僕以外の誰とも、友情を育むことは出来ない。

 君にとっては僕だけが、思い通りにならない存在だ。だから――――」

「貴様と友情を育むぐらいなら、死んだ方がマシだ」

 あまりにも不愉快で、あまりにも気持ちが悪く、そしてあまりにも腹立たしい。

 怒りが焦燥と畏怖を灼き尽くし、ただ一つの目的だけを残した。

 この悪魔を斃し、皆を救う。

 可能か否かはどうでもいい。

 もはや一秒たりとて、奴の姿を目に入れたくなかった。

「アハハハハハ! 前にも言ったけどねハニー。君ってさ、図星を突かれると右の頬を引きつらせるんだよね。それからメチャクチャ怒る。そんなわかりやすいところが実に――」

 奴の口を塞ぐべく、攻撃魔法を放つ、直前。

「まぁ落ち着きなって。……さもなきゃ、皆が死んじゃうよ?」

 刹那、学友達が一斉に動いた。

 席を立ち、メフィストのもとへ。

 その姿は、奴を守る肉盾と呼ぶべきもので。

 彼等の中にはイリーナやジニー、シルフィー、そしてオリヴィアまでもが混ざっている。

「貴様ッ……!」

 歯がみし、睨み据える俺の顔を見つめながら、メフィストは肩を竦めた。

「彼等を人として扱う以上、君は決して僕には勝てないよ。思い出してみると良い。過去の記憶を。何も持ち得ていなかった頃の自分を」

 悪魔が両腕を広げながら、笑う。

 まるで、こちらを誘惑するように。

「当時の君は虚無ゼロだったからこそ、出鱈目に強かった。けれど、さまざまなものを得て、人間らしさを確立した結果、君は弱くなった。そこから脱却しない以上、君は決して僕には勝てないよ」

 確信の思いを宿した言葉。

 友愛という概念を幻想に過ぎぬと断じ、その思想をこちらに強要する悪魔を、俺は。

「……やはり貴様は、哀れな男だな。メフィスト=ユー=フェゴール」

 口にした皮肉が、僅かながらも、奴の心を動かしたのか。

 悠然とした微笑に、ほんの小さな亀裂が入った。

「貴様と俺の本質が同じであるということは認めよう。俺達は共に、表面こそ万能だが、内面は空っぽだ。ゆえに誰も付いては来なかった」

 かつての我が軍勢は、まさにそれだ。

 俺の内面を愛し、隣に並んでくれた者など、一人も居なかった。

 配下はれども仲間は皆無。

 そうした現実を、俺は諦観と共に受け入れていた。

 おそらくはメフィストもそうだったのだろう。

 しかし……

リディア親友と出会ったことで、考えが変わったよ。諦観に屈することなく、ひたすら前進するあいつの姿は、まさに俺の理想像だった」

 リディアは確実に、こちら側の存在だ。誰もが表面的な自分しか見てはくれず、他者との関係性は互いを利用し合うだけの、冷え切ったものにしかなりえない。

 けれどあいつは、そんな運命に屈しなかった。

 背負いし孤独を、撥ね除けていた。

“中身なんてな、最初は誰だって空っぽなんだよ”

“確かに、オレ達ゃ外側が豪華過ぎるからな。それ以上の中身ってのを作るのは難しい”

“けどな、色んなことを学んで、色んなことを考えて、色んな奴を愛して”

“そうやって中身を詰め込んでいきゃあ、いずれ外と中の価値は逆転する”

“ウジウジ悩んでねぇで、馬鹿になりゃいいんだよ”

“そうすりゃ、きっと上手くいくさ”

“なんせお前は、オレの親友なんだからな”

 ……不甲斐なくも、前世の俺はリディアの教えを全うできなかった。

 だが、今は。

「転生し、イリーナもう一人の親友と出会い……俺は、多くの学びを得て、多くの思考を重ね、そして、多くを愛した。きっと最初は皆、前世と同じく、俺の表面だけを見ていたのだろう。だが、今や誰もが、外だけでなく中も見たうえで、俺のことを受け入れている。俺のことを友だと、そのように言ってくれる」

 俺の思いが。皆の思いが。

 虚構であるはずがない。

「さまざまなモノを得たがゆえに俺は弱くなったと、貴様はそう言ったな。それは愚かな勘違いだ。俺は多くを得たがゆえに――――」

「そこまで言うのなら、試してみようか」

 淡々とした声音で、奴は、言葉を紡ぎ始めた。

「君の言葉が真実か否か。君が積み重ねてきたモノが真実か否か。――君達の友愛が、真実か否か。それを今から、試してみようじゃないか」

 次の瞬間。

 目の前の光景が、変化した。

 校庭の只中。

 どうやら転移の魔法で移動したようだが……当然、それだけではなかろう。

状況フィールドは整った。あとはもう、始めるだけだ」

 悪魔の口元に浮かぶ笑みが深く、濃厚なものになる。

 ……またもや始まるのか。メフィストを相手にした、不愉快な遊戯ゲームが。

 緊張はある。不安もある。だが、負ける気はしなかった。

 奴との因縁は前世にて千年近く続いたのだ。場慣れもしているし、奴のやり口を俺は誰よりも知り尽くしている。それを活かして、この勝負もまた――

「あぁ、そうだ。事前に告知しておくよ」

 両手を合わせ、微笑したまま、メフィストは言った。

 微塵も予想していなかった、意外な言葉を。

「君と遊ぶのも、今回で最後だ。これ以降はない」

「…………は?」

 今回で、最後。これ以降は、ない。

 奴の口から出た言葉とは、到底思えなかった。

 俺との遊戯を永劫に楽しみたい。そう嘯いていたあの悪魔が……今回で終わりにする、だと?

「もう一つ、事前に告知しておくよ。今回はから、覚悟しておいてね」

 俺の当惑を完全に無視して、奴は口を開く。

 その微笑にどこか、切なさを宿しながら。


「――――さぁ、始めようか。君と僕の、最終決戦ラスト・ゲームを」

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