第10話 時代のしゃぼん玉とんではじけて神田駅

その果敢(はか)ない開花の浮遊。

時の流れの中で、このぐるりん山手線でおしゃべりしたり、流れでパン工場で一緒にバイトしたり、共に青春の門をばくぐりんしんした彼らもあっさりあたしの元から去っちゃうといふ否定し得ぬこのアクション……。


あたしは屋根無き山手線の頭上に広がりんぐの快晴のお空へと、のん気丸出しで浮かんでゆく緯(よこいと)の「お友達」としゃぼん玉たちに時雨(しぐれ)心地(ごごち)になって、神経matrixのクレーターの、ぼこぼこん隆起してる箇所に、知/情/意のworkの雨がじんめりしとしと降り、その凹下(おうか)/桜花したpassageに溜まって珠ってゆく石鹸水でズコーっと滑り脳内遊走していたのでするるが、傍らにいらした乗客の一人のお婆様が、お空、見上げながら、

「良かったね、しゃぼん玉と跳んでいったあの若い人らとこの空の色……私が幼かった時分はね、とにかく空が怖かったのよ……。母が、まだ幼すぎて疎開できなかった私をおぶって、おみた(神田)様に卵を売りに来ていたらしいの、あの日。そうしたらあの日ね、この空に見たことの無い塊が飛んでいたから、私は見たの、母の背中から。それは、B29だったんだよって後から他の人に聞いたのだけどね、B29に乗った若い操縦士の顔がね、すごく低くこの空を飛んでいたから見えたの、はっきりと。私が、あ、顔、見えたって思って手を振ったらね、私と目が合ったその若い操縦士はね、楽しそうにケラケラ、そう、ケラケラって笑いながら、私をおぶった母と私に銃弾を空から撃ってきたのよ……。笑い顔が空に浮かぶ下で夢中で背中の私を庇って仰向けになっていたらしいの母……。もうだいぶ前だけどもね、あの笑い顔が何十年しても忘れられないの。あの若かった操縦士にもお母さんやお父さんが居るんでしょうね、もしかしたら今はお子さんやお孫さんもいるのじゃないかしらって時折思うのだけどね。どんな小説や映画で見るものよりもとてつもない空の笑顔だったのよ……。でもね、今はあの操縦士が優しく笑えているといいなと思うのよ。……東京大空襲の日は、ここ、空がオレンジだったのよ。火の色だったの……空の色はいつだって空色ではないのよ……」 

と、彼女と彼女のpastをばゆっくりと噛みしめるようにtweetなすりました。


ダカラ ソラガ 普通に 在るダケでも……シャイニング……≒「人間の詩」


あたしは山手線の屋根がぶっ壊れたことや、「お友達」が消えた方にばかり気をとられていた己の精神の掌の感受swingの幅/アンテルヴァルの狭さに本気で恥ずかしくなり、どうしてとほほとほほって思ってばかしで気がつけなかったんだろう、お空が毎日ちゃんと空色ねって約束されているだけでおそらくそれはなににも代えがたくって測れない自覚に応じれなかった誠の感でありますし、「今」は続かなくて関係は壊れてゆくし淡くてだし、「お友達」ともそういう物語(ロマン)のオードでその妙なる楽の音もとても大切だし、きっと風の歌を聴いていますねあたしの緯(よこいと)の「お友達」たち……っとば、時代や先人や偶然や色々の遭遇の無数の機会にgratitudeいたしつつ、しかしまた独りボッチーズかよっあたし、やっぱり寂しい運命じゃねぇか、辛いもんは辛いんだよお、といふ得意の滑稽andお婆様に比べたら軽量極まりない憐憫の情/ネガティーブもせっこく介在させつつ、でもでも、お婆様の言葉から溢れ出した恐怖の体験の見聞より、あたしのに全身回路はここに溢れてきた不明瞭な不条理の圧倒的なもやもやにたじろいで、全ての感覚細胞/サンサシオンでひたすらに涙を流さないで泣きながら、その《痛み/ドゥルール》たちに為すすべもなく、ただお婆様の語りから溢れた蜃気楼の序詩に相槌を脳内でばぽこぽこ打ち申したのでございます。


風・かぜ・ふくなったって、お子さんたちの歌声もその姿も知らぬ間に消え、屋根無し山手線はぐるりん走り続けているわけですし、風は容赦なく山手線の外界世界化界からぴゅ~ぴゅ~と吹いて参ります。『しゃぼん玉』が寄稿された大正の『金の船』と戦後からのお婆様の思い出の回路の「一瞬の長い旅路」との交錯の案内(ガイド)がもたらしたこの交点のrealを受け入れて、あたしは車両内に吹き荒れる風脚で容赦なく乱れてゆく男装ヘアースタイルと、お顔の肉の不安定感をめっちゃ気にしながら、めっちゃ気にしながら、そして気にするのやっぱそこかよっ、と、我のみみっちさも気にしながら、幾重にもぐるりんぐるりん青空山手線巡る東京でございます。お顔のお肉ぶるんぶるん。

 ぶるんブル~ン、ジェットコースターのやうに様変わりした青空見えるん山手線から天海へ立ち昇り娑婆にしゃばだばしていったお友達たちよ、お婆様のお母さんよ……って修飾のない感嘆詞で、複雑な自由になりたがっている感情を言葉へ凝縮させようとあたしの感受器の「地/フォン」が「語」へと昇華させようかなという矢先、青空山手線は神田駅に到着いたしました。


 山手線黄緑の輪/和、google mapで覗き込むみまするると、「緑の大きなぽっかり空洞」、つまり天子様の住むお城の周囲をば巡詩しているわけでございますが、神田駅は千代田、その永劫や遠い未来への言祝(ことと)ぎ/寿(ことほ)ぎの街の象徴でございます。しかしなぜだかあたしの明度感覚/リウシイの通信量はこのSymbolに近づくにつれ次第に薄れ、淡いリズムの波動/フルユクチュアシオンが聴こえにくくなってしまうのです。

 東京の千代のこの場所のリズムもぜひ感応したいので、聴覚の拡がり/エタンデュでもって屋根の消えた山手線にはたらきかけようと試みるのでするるが、可聴限界点にゆこうとしても2010年代の神田駅や山手線の車内では到達することができず……って、男装姿で純に集中をしていたらば、唐突にあたしのお頭さまに物体Xがガゴツン!! ぶつかってきやがったのでございます。

……いたひ。

はぁうー、なんでそう、もう痛いっていうか、痛いなんてもんじゃないですよね、確実に痛いっす、超絶―。お目々がチッカチカするし何が起きたかよく分からない、はっきりしているんは、もう青空山手線が神田駅を発車したことと、猛烈に何かがアタッークー! してきたmyお頭さまー、お頭さまーが痛い、って神経や他の乗客の皆様から観測されるこの現象。

あたし肉体の外部感受機能総動員でパニックになり、痛みにもんどりうって、でも全力でやせ我慢しまふよね、このしちめんどくっさい/七つの面倒な五体の障壁パリエー思考のあたくしですから、ええ、無駄にやせ我慢路線でふよねまた。神経中の興奮刺激繊維に「ぎょー」っと強い電源が走り続けているのでするるが、

「おやおや、何か、頭に当たったかな、どれどれ」

なぁんてやっとのことで見得を切って科白をば嘯きつつも、オオ、アターシ、オ脳とオ顔ダイジョーウブ? スンゲ イタイー オン ヒラヒラ ケンヒラケンノウ ソワカ……と真言の文殊、してして、男装がんばってるんに、今のあたし、き、きもい顔してね? 脳がさらにやられてね? と脳内海洋の潮流上をばふわりんしている透明くらげたちと一人きりでmyself問答しつつ、車窓に映る自分をばちょっと確認したらば、お顔、ダサく硬直していて、嗚呼……(惨)。


(続きまっする)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る