大切な人を守る為に、私は私を捨てることにします

ランドルフ家にて・Ⅲ

　急遽連絡を受けて帰ったきたサイラスは、怒った顔で学院まで送ると言って譲らなかった。

　ブライドン魔術学院までは馬車で一週間程かかる。

　旅に慣れていない私は恐らくそれ以上の日数を要するだろう。

　最初は迷惑をかけるわけにいかないと固辞したが、「ソフィは黙って言うこと聞いてりゃいいの」と乱暴な手つきで頭を撫でられたら、それ以上は強く言えなかった。

　あれからオーウェンは部屋から出てこないようで、食事にも顔を出さない。

　一人欠けた食卓と、それを見て心配そうに溜息をつくオフィーリアを目にする度に、胸がギリギリと締め付けられた。

　出発当日、朝早くからネイサンとオフィーリアは見送りに出て来てくれた。

「ソフィ、本当に行っちゃうの？」

　オフィーリアが心配で仕方がないといった風に手を握ってくる。

「こんな幼気な女の子が、隣国で一人暮らしなんて……」

　オフィーリアは何故私を引き留めなかったのか、ネイサンと喧嘩をしてしまったらしい。

　そのたおやかで優しい手を、そっと握りかえした。

「これは私の我儘なんです。オフィーリア、許してください。私はどうしてもブライドルへ行きたい。……反対するネイサンに無理を通したのは、私なんです」

　深く頭を下げると、オフィーリアはとうとうほろほろと涙を零してしまった。

「ソフィ、君は家族なんだからね。何かあれば遠慮なくいつでも戻ってきていいんだよ。それから次の休みには必ず帰省すること。約束だからね」

　ネイサンは何度もこう言い聞かせてくる。

　曖昧に微笑んで誤魔化す私に、彼は痛ましいような顔をする。

「私、もう行きます」

　あんまり長居しても余計に離れ難くなりそうだ。

　ペコリとお辞儀して身を翻した時だった。

「待ってよ！」

　玄関から息を切らしたオーウェンが駆け出してきた。

　いつもキラキラ輝いていた目は、真っ赤に腫れている。

　彼は涙声で叫んだ。

「ずっと……ずっと待ってたのに！　ソフィが行かないって、ごめんねって言ってくれるの待ってたのに！　何で黙って行っちゃうの！」

　オーウェンの晴れた空のような綺麗な目から涙が溢れている。

　会わずに済むならと思っていた筈なのに、その顔を見るとやっぱり嬉しくて、心臓が煩く音を立てた。

「オーウェン……ごめんなさい」

「君のごめんなんて聞きたくないよ！」

　オーウェンはまるで子供みたいにゴシゴシと目を擦る。

「家族じゃないって言った事、訂正して！　僕たち何があっても家族だろ？　君はずっと、僕の妹だろ！」

　その言葉に一瞬、言葉が出なかった。

　最後の気力を何とか振り絞り、歪な笑顔を貼り付けて、私は振り返ることなく馬車へと乗り込んだ。

「出してください」

　大声でオーウェンが何かを喚きなから、馬車へと縋ってこようとする。

「いいのか？」

　ちらりと御者台からサイラスが覗き込んでくるが、それに頷きだけで返した。

　早く……早く、出して欲しい。

　これ以上オーウェンを見ていられない。

　馬の嘶きと共にゆっくりと馬車が進み始める。

「ソフィ！」

　聞いていられないほどの悲痛な叫び。

　走り出した馬車の中で、痛む胸にひたすら耐える。

　……オーウェン自身に最後通牒を突き付けられてしまった。

　ずるずると背もたれに体を預けて手で顔を覆う。

　サイラスは珍しく黙々と馬車を走らせた。

　それから十日程して、ブライドン魔術学院のある街、ティリハ国領エルオーラに到着した。

　サイラスにはここまでで帰って貰おうとしたが、彼は頑なに学院まで着いていくと言って聞かなかった。

　サイラスも一騎士として王城勤めの身だ。

　彼の仕事を心配すれば、今まで溜めに溜めた有給を全部使っているから大丈夫だと言う。

　彼はきっちり私の編入日までエルオーラに滞在した。

「それじゃあ俺はもう行くけど、困ったことがあったら必ず連絡しろよ、な？」

　無骨な手がガシガシと頭を撫でる。

　反対の手で布袋を押し付けられた。

「これ……」

　ずっしりとした布袋。

　手触りからして硬貨が沢山入っているのが分かる。

「サイラス、これは……」

「子供が一人で虚勢張りなさんな。ソフィは今からここで頑張らないといけないだろ？　難しいことは考えんでいい。ここはお兄ちゃんに甘えときなさい」

　ニカッと笑われて、思わず目が潤む。

「サイラス、ありがとうございます」

「いいってことよ。大事な妹のためだもんな」

　耐えきれなくて、がっしりした体躯の兄に抱き着いた。

「お兄ちゃんはソフィのこと、応援してるからな！　頑張れよ！」

　馬車を引いて遠ざかる兄の姿が見えなくなるまで、立ち尽くす。

　私にはもったいないくらいの家族。

　私は家族のためにも、オーウェンのためにも、そして自分の為にも決して挫けるわけにはいかない。

　サイラスにもらった布袋を抱き締めて、決意の一歩を踏み出した。