転装のメディック

なちゅぱ

第1話

「ねぇ。女装とか興味ない?」

「ない」

 眼鏡を拭きながらキッパリと告げる、制服姿の少年。しかし相手はその程度じゃ引かない面倒臭さを持っている。

「いや、やっぱ似合う。女子制服私の貸してあげるからさぁ。一回着てみなぁい?」

 ネットリと顔を寄せてくる少女からそっぽを向き、掛け直した眼鏡のブリッジを押し上げて答える。

「絶対嫌だ!」

「もーっ、ケチくさいなぁ」

 悪態を吐いて後ろに仰反る彼女。巨乳というほどではないが程々にあるその膨らみが強調され、男子の性か、視線が吸い寄せられる。……チッ。一丁前に女の体しやがって。

「あ、もう時間じゃん。ほら斎ちゃん行くよ!」

「うわほんとだ!準備してない!」

 なんて強がっていたら、いつの間にか進んでいた長針に二人して飛び上がる。慌てて立ち上がり、ぶつけた膝の痛みに悶えるのも後回し。教材の入った鞄ごと引っ掴んで教室を出る。次は実験室。マウスを使った魔術実践だ。遅れるとマズい。

「急げ!」

「ちょっと待ってよぉ〜」

 少女が遅れて追いかけてくるが、その手を取ってやれる程余裕はない。廊下に反響する靴音を置き去りにする気持ちで走った。

 そして遅刻した。


 ここは上川高等魔術専門学校。北海道という広大な土地を利用して建設された全寮制の学校であり、国家予算によって運営されている軍事施設だ。

 ここに通うのは、関東、東北、北海道の、十五歳以上の少年少女達だ。彼らは自ら選んで、この学校に入学する。それは親の意志も周囲の声も関係なく、本人が一言、行くと言った瞬間に入学が決まる。

 一見、本人の意思を最大限尊重するという崇高なものに見えるだろう。しかしこれはそんな美しいものではない。守られる子どもではいられなくなる。つまり大人として扱われる、魔術を扱うものとして第一の試練なのだ。

 自らの行動には全て自分で責任を取らなければいけない。そして、与えられた義務は全うしなければならない。そんな残酷な世界への片道切符だ。



「ふぅ……」

 白衣を脱ぎ、その下の施術用下着を脱いで全裸になる。更衣室には彼一人。他の生徒はもうとっくに帰宅の途についている。

 あの後、遅刻を責める時間も惜しいとばかりに始まった授業は一時間半ぶっ通しで行われ、その後、無事解散となった。彼も他の生徒に紛れて帰宅しようとしたが、そこで甘やかしてくれる程この学校の教師は甘くない。大声で呼び出しを受け、まるで真綿で首を絞めるようにじっくりと指導をもらった。辛い。

「俺だって……」

 指導の記憶を掘り返し、悔しさと惨めさで涙が出てくる。

 通常、魔術刻印を身に施すことで、各クラスのどれか一つに該当する能力を得ることができる。クラスというのは魔術の指向性のことを指し、それは刻印の形状で判断される。

 彼の刻印は「聖者」。医療魔術やメンタルケアなど、兵士を治す魔術を扱う筈のクラスだ。

 しかし、彼は刻印を施されてから一度も、魔術が発動出来たことがない。

 そして誰もが、原因は、彼の才能、努力が足りないからだと言う。それ以外に原因を考えられないのだから仕方ないのだろうが、彼は努力をしていないわけではない。むしろ出来ないからこそ、彼は人一倍努力している。ただ、身を結ばないだけで。

「俺、もうダメなのかな……」

 何度目になるかわからない溜息を零しながら、ロッカーの中を探る。そして目当ての下着を取り出したところで、ふとおかしなことに気がついた。

「あれ?」

 取り出した下着は、どこにでもある普通のボクサーブリーフだ。だが何故か、もう一つ出てきた。これは、そう。

「ブラ?」

 いや、嘘だろ。いやいやいや。戸惑い周囲を見渡す彼の視界に、しかし何の変哲もないいつもの更衣室が広がるだけ。

「何コレ。いじめ?」

 いや、いじめというよりコレはプレゼント?いやいやんなわけない。一人であーだこーだ身体をくねらせる少年は、側から見ればそれはもう不審の一言だった。しかし彼はまだ気づいていない。ロッカーに隠されたソレは、ブラジャーなんて生温いものじゃない。

「ま、まぁありがたく貰っとこう。うん」

 最終的に少年の好奇心が勝ったのか、着替えを再開する少年。しかし彼がパンツを履き、服を取り出したところで再度固まった。

「は……?」

 それはいつも着ている男子制服ではなかった。雰囲気は似ている。所々の模様や襟の形は同じだ。だが致命的な違いがある。それは……。

「スカートじゃねぇか!!」

 意味がわからなかった。は?もしかして違う女子が間違えてここ使った?いやいやそんなわけない。だってここ男子更衣室だし。間違えようがないし。

「おいおいおい」

 ロッカーをゴソゴソ探してもスラックスは見つからない。全部中身を出し、空っぽになったロッカー。そして床に置かれた女子制服。ふと、授業前の会話が思い出された。

『ねぇ。女装とか興味ない?』

「あいつかぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 叫ぶ彼は怒りですんごい顔になっていた。それを彼女が見たら、ケラケラと腹を抱えて笑うだろう。だが少年にとっては今かなり冗談ですまないピンチなのだ。ここには予備の制服なんてない。脱いだ施術用の服は頼りにならない。だからってこのまま外に出たらただの変態だ。

「ぐっ、くぅぅぅぅっ」

 着るしかないのか。そんな葛藤で顔を歪ませる彼を、誰も助けてはくれない。やがて時計を見て、ようやく現実と向き合った少年は、床に散らばる服を手に取った。

「もうヤケだ。そうだ帰るまで誰とも会わなけりゃいんだよしいくぞ」

 そして、着慣れない服に悪戦苦闘しながらも制服を身につけ……。

「ぐっ……」

 誰にも聞こえぬ苦悶を漏らしながら、廊下をおずおずと早歩きする少年の姿があった。幸い、スカート丈は一般的な膝丈だったため、パンチラを気にしたりなどはあまりしなくていいものの、それでもズボンとは違う通気性に、むず痒さと不安を同時に覚えた。若干内股気味なのがなんともまぁ可愛らしいが、それには本人気付いていない。

 いつもより音が響いているように感じる廊下を抜け、武者が所属する戦闘科の校舎を横切る。聖者の所属する医療科は敷地の奥まったところにあるため、寮までかなり遠い。

「誰も来るなぁ〜誰も来るな〜……」

 息を潜めるように小声で祈りながら、しかしどうしても慣れない足元に、摺り足がもつれかける。緊張が足まで来ている。だがその祈りも虚しく、校舎横にある旧練兵場から、女子生徒のものだろう大声が聞こえた。

「ーーれか!誰かいませんかー!」

 逼迫した声。

「怪我人、か」

 それが意味するところは瞬時に理解できた。それも、この学校では日常風景だからだ。戦闘科はその名の通り、魔術戦闘を行う科だ。授業だけでも生傷が絶えない毎日を送り、大怪我すれば医療科から三年生以上の魔術師が治療に呼ばれる。

「すまないが、俺じゃあ治してあげれない」

 医療科の学生として、科学的な手当ては出来る。が、それを求められてないことはいくら鈍くてもわかる。胸にチクリとした痛みを感じながらも、通り過ぎようとする。が、

「あっ、ちょっとちょっとー!」

 ドタドタという足音にビクリと肩を跳ねさせる少年。振り向くと、そこには先程の声の主だろう少女が走ってきていた。思わず逃げようと踏み出すものの、流石は戦闘科。瞬く間に追いつかれ、右手首をギュッと掴まれる。

「いつっ!」

 思わず声が漏れるが、そんなこと聞こえてないようで、少女は彼を引っ張っていく。そして旧練兵場にあれよあれよと連れてこられ、強引に肩を押さえつけられた。

「だから痛いって……」

「怪我人がいるの!お願いだから治して!」

 パニックになっているようで、怪我人の状況を話そうとしているのに支離滅裂な懺悔と後悔の言葉が混じり、状況がまるで飲み込めない。

「ちょっ、とにかく落ち着いて!」

 狼狽つつも、上擦った声で制止の言葉を強く投げる。するとようやくハッとした顔をして、こちらに焦点を合わせた。

「まず患者の場所まで案内して。話はそれから」

 諦めた表情の少年。その声はいつもよりも高めだ。先程の上擦った声が丁度、女の子っぽいことに気付いた彼は、何とか女装だとはバレないように振る舞うことにしたのだ。もう掴まっちまったもんはしょうがない、と。

「……こっち」

 旧練兵場は、屋外の区画と屋内の区画がある。外と中で、戦術がまるで変わるからだ。どちらもかなり広い。

 案内されたのは、屋内区画の休憩所。そこにはベンチと自販機が置かれてるだけだが、そのベンチの一つに、二人の少女が座っていた。

 片方は元気そうだが……もう片方は目に見えて苦しそうだ。

「連れてきたよ」

「ありがと。ほら、もう大丈夫だ」

 救いの神が現れたみたいに扱われても、俺に出来るのは応急処置が精々だ。救急箱は今も持ち歩いてるが、それだけ。

「ぐっ……あ、ありがと」

 苦悶の表情が晴れない少女。とにかく診断だけはここで済ませて取り次ごう。そう決めて、懐から使い捨てのゴム手袋を取り出す。制服がゴッソリ消えていたが、こういうものだけはちゃんと入っててよかった。

「診察します。まずはお名前を」

「加藤……リサ」

「学年と血液型は?」

「一年、です。A型です」

「怪我をした時の状況は……」

 問診をしながら、傷口を触診する。太腿に深く突き刺さった金属片。武器が壊れてその破片が、といったところか。

 俺を呼んだ少女と、彼女に付き添っていた少女は同学年で、同じ戦闘科クラス。ここで実戦訓練していたところ、武器同士が噛み合ってしまい、それを無理矢理解こうとしたら、いつの間にか刺さっていたらしい。

「一先ず止血の必要は無さそうですね。ただ、このままだと武器についてる雑菌で傷口が壊死していく。破片を抜くのと同時に傷口の浄化、そして縫合を同時にやらないと……」

 正直、一人ではたとえ魔術が使えたとしても難しい。俺だってまだ二年生だ。実践経験は乏しい。

「私一人じゃ無理です。少なくとも三年生以上がいないと……」

 そう言って振り向くと、泣きそうな表情の少女達。そんな縋るように見ないでくれ。俺だって、俺だって……。

 悔しさで唇を噛むが、感情でどうにもならないが医療というものだ。

「死ぬような怪我じゃない。だから後はベテランに任せれば……」

 待て。ベテランって、今日は三年以上の生徒は校外演習に出てなかったか?しかも医療科の教師はこの後飲み会だって……。

「ねぇ先輩。誰を呼んでこればいいの?」

「急がないと……っ!」

 今この学校に、先輩達以外に頼れる奴なんてーー。

「あ、こんなとこにいた」

 声が聞こえた。おそらくこの学校で一番耳馴染みのある声。

「もー。探したよぉ」

 そいつはいつもと同じトーンで近づいてきた。そして加藤リサを見た途端、懐から同じくゴム手袋を取り出す。そして患者以外の者は邪魔だと、休憩室から少女達を追い出してしまう。彼女は自分が治すと、そう言ってるのだ。

「話が早い」

「いいから。これ、処置はした?」

「手付かずだ。かなり奥まで刺さってる。時間はまだ十分経ってない」

「わかった。手伝って」

 そう言って、傷口に手を翳す。俺は何も出来ず、その様子を見守ろうと一歩下がった。が、それを許す程、彼女は優しくはなかった。

「手伝ってって言ったでしょ。あんたもやるよ。私が抜いて縫合。あんたは浄化と細胞活性。やり方は知ってるでしょ」

「だけど明石。俺は……」

「今出来ないでいつやるの!!」

「っ!」

 その叱咤は、いつものふざけたニヤケ顔とはまるで違う。真摯に医療に向き合う、そんな聖者の姿だ。

「っ……!出来なくても文句言うなよ!」

「言うに決まってる!さっさと動け!」

 施術が始まると、彼女の性格は苛烈そのものになる。何より命に向き合い、そして治すことに全霊をかける彼女だからこそ、その前で甘えは許されない。

「一瞬痛いけど、ガマンして。動いちゃダメ。自分の手で押さえて」

 膝に手を置かせ、無理矢理足を固定させる。まだ人手が足りない。せめて移動させたかった。でもそんな悠長なことしてたら、痛みに喘ぐ少女を何十分も放置することになる。

「ぐっ……」

「いい。抜くわよ」

「あぁ。やってやる!」

 退路はない。そしてここでやれなきゃ男が廃る!

 全身全霊。体内の魔力に手を伸ばす。そして術式を傷口に転写。そして起動させる。今まで出来なかったこと。輝きを放つことがなかったその刻印は……。

「うっ、あぁぁぁ!!」

 悲鳴が聞こえる。そりゃ一度刺さったものとはいえ、鋭利なものが体内を動くのだ。痛いに決まっている。だがそんなことに気を散らしてはダメだ。魔力を動かせ。術式を展開しろ。

 すると、強い光が視界を灼いた。出所は目の前の彼女の刻印だろう。そう思っていたが、光が安定し、傷口を見ると……。

「えっ……」

「ははっ!あはははははっ!」

 施術中に相応しくない大笑いが聞こえる、だがこれは笑ってしまうのも仕方ない。だって、だってーー

「術式が、お、俺がまじゅ、ちゅを!」

 少年の魔術刻印が燦然と輝き、浄化の術式も傷口を覆うように発動している。

「一気に行くよ!細胞活性も忘れないでよ!」

「あぁ……あぁ!」

 間欠泉から噴き出るかの如く出て行こうとする魔力を意志の力でねじ伏せつつ、浄化と同時、新たな細胞活性の術式を転写する。そしてそれが終わると同時、明石が破片を引き抜いた。

「ぎっ……あぁぁぁ!!」

 悲鳴が耳をつんざくが、それに構ってる暇はない。同時展開はこの前習ったものの、実践なんて初めてだ。だが成功させる。じゃないと堰き止められてた血が噴き出し、修復が間に合わず血が溜まる。

「活性速度上げて!血管が繋がんないと意味ない!」

「わぁってるよ!そっちこそ縫合ちゃっちゃとしろ!」

 吹き出す血を吸い出すのも魔法だ。医療器具を使うこともあるが、今それは無いし、あっても使わないだろう。単純に、非効率だ。

 それから十数分に及ぶ格闘の末、傷口はさっぱりと消えた。戦闘科とはいえ一年生。流石に患者も疲れた様子だ。

「やれば出来たじゃん。やっぱ本番あるのみだね」

 そう言って拳を突きつけてくる明石に、斎藤少年はコツンと、ちょっと強めに返した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る