第401話
宮城。
宮城、宮城。
今日は仙台さんから離れたくて、家から離れた場所に行ったのに、仙台さんの声が聞こえてきて「うるさい」と答える。でも、彼女の声がやけに近くから聞こえてきたような気がして、目を擦る。
眠い。
宮城、とまた聞こえてきて、「うるさい」と返す。
すると、どういうわけか仙台さんの声が大きくなって、目がパチリと開いた。
「もしもーし、宮城。みーやーぎー」
耳に響く声に飛び起きる。
辺りを見れば私の部屋で、枕元に黒猫のぬいぐるみが転がっている。
手にはスマホがあって、仙台さんの声はそこから聞こえてきていた。
「……もしもし」
スマホに話しかけると、私の三倍くらい大きな声で仙台さんに「宮城、起きた?」と問いかけられる。
「……起きてる」
「ちゃんと起きたなら良かった」
寝ぼけた頭に明るい声が飛び込んできて、状況を整理する。
彼女の言葉を考えると、私は半分眠ったまま仙台さんの電話にでて、半分眠ったまま話をしていたということになる。
でも、どうして、大学へ行っているはずの仙台さんが私に電話をかけてきたのだろう。普段の彼女は大学から電話なんてかけてこないし、今日みたいな日にかけてくるわけがない。
何故なら私は朝、一人で大学へ行きたいと言って、一緒に行こうと誘ってきた仙台さんを置いて外へ出た。理由は落ち着かないからで、彼女にもそれを伝えたし、何故落ち着かないのかは伝えるまでもなくわかっているはずだと思う。
「……仙台さん、なんかあった?」
なにかがなければ、朝の私があんな風だったのに大学にいるはずの彼女が電話をかけてくるわけがない。
「宇都宮から電話あった。宮城が電話にでないって心配してたよ」
聞こえてきた声に反射的に「嘘」と答えて、考える。
どうして舞香が仙台さんに電話をかけたのか。
それは仙台さんではなく、私が嘘をついたからだ。
「ほんと。スマホの履歴見ればわかる。あと、宇都宮に連絡してあげて。電話にでられないぐらい宮城の具合が悪いんじゃないのかって私に電話かけてきたからさ」
調子が悪いなんて連絡をして大学をサボったら、舞香は心配するに決まっているし、連絡してくるに決まっている。
それに返事をしなければ、仙台さんに連絡を取るだろうから、こうして今、私が仙台さんと話をしているのは当然の結果と言える。
「……舞香に連絡しとく」
「そうして」
仙台さんが何事もなかったように言って「じゃあ、切るから」と付け加え、私は思わず「仙台さん」と彼女を呼んだ。
「なに?」
「……今のだけ?」
「今のだけって?」
「ほかに言うことって」
「今日、バイトだから遅くなる」
私は今日、大学をサボった。
舞香の話を聞いたら、そんなことはすぐにわかる。
でも、仙台さんは私を責めることなく、「それだけ」と言って電話を切ろうとする。
「……わかった」
「じゃあ、またあとで」
私が家にいることにも、舞香に嘘をついていることにも気がついているはずなのに、彼女はなにも言わずに電話を切り、私は罪悪感とともにベッドに倒れ込む。
仙台さんはいつだって優しい。
けれど、なにも言われないことで痛む胸もある。
非難されてしかるべきことをしたときになにも言われないと、後ろめたさが何倍にもなって押しつぶされそうになる。
サボったことを咎められたほうが良かった。
朝、彼女を置いて家を出たことを責められたほうが良かった。
でも、これは仙台さんに罪の意識の半分を押しつけるような行為でしかなく、私の身勝手な気持ちでしかない。
鬱々とした気分になって、ため息をつく。
黒猫の頭を撫でて、心臓の辺りに押しつける。
深呼吸をすると気持ちが少し落ち着いて、やらなければならないことが頭に浮かぶ。
スマホを手に取る。
時間を確認すると、仙台さんは大学の授業の合間に連絡をしてきたのではなく、授業がすべて終わってから電話をかけてきたのだとわかる。そして、彼女が言っていた通り、舞香からの着信履歴が何件も残っていた。
「連絡しなきゃ」
後悔するより先にしなければならない。
私は黒猫を枕元に置き、舞香にメッセージを送る。
それは嘘を強固にするための嘘で、具合が悪くて電話に出られなかったとか、もう大丈夫だとか、そんな嘘で嘘を塗り固めたやり取りをする。
それでも、最後は嘘にしないつもりの言葉として「明日は大学に行くから」とメッセージを送っておく。
「そうだ、ハンバーグ」
私は立ち上がり、黒猫を本棚に置き、共用スペースへ行く。
材料は買ってきた。
昨日のことも、明日のことも考えず、作ることだけに集中できそうな料理をしているほうがいい。そして、こういう私が仙台さんと一緒にできそうなことなんて、食事くらいだ。
高校生だった頃、共通の話題がない仙台さんとでも食事は一緒にできた。それに、二人で住むようになって、ルールを作ったときに、時間が合う日は一緒にご飯を食べると決めた。
昨日と同じ今日が来ることはないし、明日が来ることもない。
仙台さんの気持ちを聞いてしまった私は、今までと同じ私ではいられない。
でも、だから、せめて食事くらいは今までと同じがいい。
私は冷蔵庫を見る。
買ってきたひき肉が鎮座している。
玉ねぎはテーブルの上で大人しくしている。
でも、冷静に考えると材料が足りない気がする。
そう言えば、前に一度、仙台さんにハンバーグの作り方を話してもらったことがあった。あれは六月の初めで、仙台さんに澪さんをこの家に呼んでもらって、舞香も来て、四人で過ごして、それから――。
仙台さんを私だけのものにした。
あのとき、仙台さんはどんな気持ちで。
考えかけて、やめる。
私はあれからあとに、仙台さんとハンバーグを一緒に作ったことを思い出す。でも、材料の用意も指示も仙台さんがしたから、作り方はぼんやりとしている。
「ひき肉、玉ねぎ、塩、コショウと、あとなんかよくわかんない粉を入れたような。……あれ、なんだっけ」
もやがかかった記憶を探るより、スマホを使ったほうが早そうで、私はハンバーグのレシピを調べる。
「ナツメグだ」
あのときは確か、みじん切りにした玉ねぎをひたすら炒めてから、ひき肉と混ぜた。しかも、玉ねぎの粗熱を取ってから混ぜ合わせたから、完成までに随分と時間がかかった。
私はスマホに表示されたレシピを見る。
記憶が曖昧な部分もあるが、仙台さんの作り方とほぼ同じだ。
彼女と違って、私には美味しく作れそうな気がしない。
そもそも買ってきたひき肉の種類が違う。
レシピは合い挽き肉で、私が買ってきたのは牛ひき肉だ。
私は、簡単にハンバーグを作ることができるレシピを探すことにする。
「これかな」
材料をボウルに全部入れ、混ぜて焼くだけ。
玉ねぎを炒めることも、粗熱をとることも、材料を混ぜる順番を考えることもなくハンバーグができるから、簡単で間違いがない。
ひき肉はなんでも良さそうだし、卵もパン粉もある。
牛乳がないけれど、入れなくても大丈夫だと思う。
ナツメグは最初から必要とされていない。
でも、このレシピは簡単すぎて、今から作ると仙台さんが帰ってくるより早くできあがってしまいそうだ。
私はお米をといで、炊飯器にセットしてから、部屋に戻る。
床に座って黒猫を隣に置く。
なにも考えずにすむようにゲームをして時間を潰す。
一時間半ほどが過ぎ、共用スペースへ行く。
私は玉ねぎをみじん切りにしてボウルに入れる。ひき肉、卵、パン粉も入れて、塩とコショウも振っておく。ボウルの中身を混ぜて、こねる。
難しいことはなに一つないから、つまずくことなく進む。
かわりに余計なことを考えそうになって、できあがったタネを猫の形にする。
丸い顔にちょっと大きめの耳。
上手くひっくり返すことができるのかわからないけれど、ハンバーグの形が整ったところで、共用スペースのドアが開いて「ただいま」と仙台さんの声が響いた。
「おかえり。ご飯は?」
振り返らずに聞く。
「軽く食べたけど」
「そうなんだ。でも、今からハンバーグ焼くから食べて」
「え?」
「仙台さんは鞄置いたら、そこに座って待ってて」
ハンバーグの猫を見ながら言うと、パタパタと音を立てて仙台さんが近寄ってきて耳もとで声が聞こえた。
「宮城。もしかしてハンバーグって、タネから作ったの?」
「そう。だから、座ってて」
「手伝うから、ちょっと待ってて」
「仙台さんはなにもしなくていい。鞄置いたら、ここに戻ってきてそこに座ってて」
近寄ってくる仙台さんの脇腹を肘でつついて、押しのける。
それでも仙台さんが「手伝う」なんてしつこく言ってくるから、「気が散るから、仙台さんはこっちこないで」と告げると、「鞄置いてくるね」と彼女が私から離れた。
私は仙台さんが部屋に戻ったのを確認してから、フライパンを出して、温める。油をひいて、猫型のハンバーグを焼く。途中でひっくり返すと一匹の耳が取れそうになったけれど、見ないことにして蓋をすると、仙台さんが戻ってきて椅子に座った。
ハンバーグが焼き上がり、お皿にのせる。
フライパンでケチャップとソースを混ぜて温め、ハンバーグにかける。
お皿がなんだか寂しくて、サラダのことを思い出す。でも、今さら作るのも面倒で、ハンバーグだけがのったお皿を持って行くと、テーブルの上には猫の箸置きと箸が二人分用意されていた。
「仙台さん、ご飯は?」
耳がちゃんとついているほうを仙台さんの前へ置く。
「茶碗に半分くらいで」
「残したら駄目だから。お腹いっぱいでも全部食べて」
「当然でしょ。宮城が作ったご飯、残すわけないじゃん」
私は仙台さんをちらりと見る。
満面に笑みの彼女と目が合う。
心臓がどくんと鳴って、私はリクエスト通りご飯が半分の茶碗と、ご飯がいつも通りの茶碗を持って行く。
椅子に座り、仙台さんを見ずに「いただきます」と言ったのに、どういうわけか声が揃って、私はハンバーグの取れかけた耳を食べた。
「宮城、美味しい」
弾んだ声が聞こえてくる。
「……美味しくない。仙台さんが作ったハンバーグのほうが美味しい。これ、なんか簡単なヤツだし」
「美味しいじゃん」
「仙台さん、なんでも美味しいって言うでしょ」
ハンバーグではなく仙台さんを見ると、彼女が微笑んだ。
「そんなことないって。すごく美味しい」
「仙台さん、適当じゃん」
「こういうときに嘘は言わないよ」
そう言うと、仙台さんが大きな口でハンバーグを食べて、また「美味しい」と言った。
「宮城。これって猫?」
両耳がなくなったハンバーグを見ながら、仙台さんが言う。
「猫でも犬でも、仙台さんの好きなほうでいい」
「じゃあ、猫かな。犬は作らないの?」
「仙台さん、猫が好きなんでしょ」
ハンバーグが動物の形になったのは、余計なことを考えないためで、深い意味はない。でも、どうせなら、食べる人が好きなものの形のほうがいいとは思う。
「そうだけど。宮城は犬、好き?」
「普通」
「犬、大好きになりなよ」
仙台さんがやけに真面目な声で言って、ハンバーグをぱくりと食べる。
「そうだ。ハンバーグ、作るなら作るって電話したときに言ってくれたら良かったのに。そしたら、ご飯食べなかった」
「材料あったから、なんとなく作っただけだし」
本当のことは言いたくなくて、すぐにバレるつまらない嘘をついてハンバーグを食べる。向かい側では仙台さんもハンバーグを食べている。
ぱくぱくもぐもぐ。
軽くご飯を食べてきたはずの彼女のお皿にのっていた猫は耳がなくなり、丸い顔も半分になっている。
「サラダ、私に作らせてくれたら良かったのに」
半分だったご飯を食べきった仙台さんが、私を見る。
「なくても困らないし」
ぼそりと言って箸置きを見ると、三毛猫が私を見返してくる。
共用スペースが静かになって、仙台さんが思い出したように澪さんの話を始める。でも、すぐに澪さんの話が終わって、この前聞いた三毛猫の話を始めた。
話が途切れて、仙台さんが新しい話を探して、話が途切れる。
そんなことを繰り返しているうちに私のお皿も仙台さんのお皿も空になる。デザートのプリンも食べてしまい、食器を洗いに行こうとすると、仙台さんが「宮城」と私を呼んだ。
「もう少し話そうよ」
「話すことないじゃん」
「あるよ、いっぱい」
「無理に喋らなくていいから」
「無理に喋ってるわけじゃない。宮城と喋りたいから喋ってる。だから座って」
はっきりとした声に、私は椅子に座り直す。
「……いつも通りとか無理だから」
せめてご飯だけでもいつも通りに近くなれば、なんて思ったけれど、今すぐには無理だ。
「今はいつも通りじゃなくていいよ。私もいつも通りじゃないしね」
仙台さんが静かに言って、黒猫の箸置きをつつく。
「……仙台さん。いつまでこのままでいればいいの?」
「宮城が私に慣れるまで」
「無理」
「じゃあ、しばらくはこのままでいいんじゃない? ルームシェア始めたばかりのときもぎこちなかったしさ」
「ずっとぎこちないかもしれないじゃん」
「じゃあ、そうならないように努力して」
「仙台さんがしてよ」
「私はもうしてるから、宮城も頑張って」
「仙台さんのせいなんだし、仙台さんが私の百倍努力してよ」
テーブルの下、足の先を彼女のつま先に軽くぶつけると、笑い声が聞こえてくる。
「いつもっぽいけどね、こういう宮城」
「なんか私が酷い人みたいじゃん」
「私は宮城が酷い人でも好きだけど」
「そういうことは言わなくていい」
足の先をもう一度、仙台さんのつま先にぶつけると、明るい声が聞こえてくる。
「宮城が好きだって言いたいだけなんだから、言わせといてくれたらいいじゃん。それで、あとはただいまのキスさせてくれたら最高なんだけど」
「仙台さん、なんなの。今日、お喋り過ぎるんだけど。少し黙っててよ」
「じゃあ、早くいつも通りになるようにしなよ」
「無理」
「そっかあ。だったら、とりあえず、明日の朝ご飯の話をしよっか。私が作るし、宮城はなに食べたい?」
仙台さんがにこりと笑って、私を見る。
だから、私はにこりと笑わずに彼女を見て、いつもの朝食のメニューを告げる。
「ジャムとバター塗ったトーストと目玉焼き。あと、ウインナー」
「おっけー。宮城は寝坊していいよ」
軽やかな声とともに、仙台さんが微笑んだ。
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