そして百合が始まった

叶あぞ

現実は百合漫画とは違う


「わたし、ずっとあなたのこと見てた。ずっと。あなたは、わたしのことを、尊敬するって言ってくれた……けど、わたしはそんなに立派な人間じゃないの、あなたのことをずっとそういう目で見てた、今だって、ひょっとしたらって思って、期待しちゃってる。ごめんなさい、気持ち悪いよね、そういうの。女同士で――」

「ううん。私、嬉しいです」

 はるかは優しく微笑んで頷いた。

「私、前にも話しましたけど、人を好きになるってのがよくわからないんです。前に付き合ってた彼氏とも、なんだか良く分からないうちに別れちゃって……。でも、もしかしたら、先輩となら、そういう気持ちが分かるかもって、思うんです」

湯小路ゆのこうじさん……」

「遥、って呼んでください。恋人なら、下の名前で呼び合うものですよね――礼奈れいな

 遥は礼奈の手首を掴むと、そのまま彼女のベッドに優しく倒した。背の高い遥が上に覆いかぶさると、礼奈にはもはや抵抗できないし、する意思もなかった。

 遥の唇が礼奈の唇に触れて、それが離れるまでの五秒間、二人はずっと視線を合わせたままだった。

 どろり。礼奈の下着の中で、だらしなく蜜が吐き出されたのが分かった。この先に起きることを想像して、自分の下着が汚れたところを遥に見られるのは、すごく嫌だなと思った。

「すごく……どきどきする」

「初めてのキスの感想ですか?」

 礼奈はうなずく。

「礼奈、可愛い」

 遥が微笑みながら礼奈の耳元でささやく。それだけでぞわりと快感が耳から首筋を通って全身に広がり、思わず礼奈は体を固くした。

「まさか、拒否は、しませんよね。誘ったのは礼奈の方なんですから」

 礼奈の体感高温は灼熱のように熱く、鼻や口から漏れる呼吸は炎のようだった。そしてそれに負けないくらい、礼奈に向けた遥の視線が熱を帯びていた。

「どっちがいいですか?」

「な、何――?」

「自分で脱ぐのと、私に脱がされるのと」

 遥の白い指が、礼奈の体のラインをなぞってセーターの上を


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「それ何描いてるの?」

「ぶわあひゃあっ!」

 いきなり声をかけられて私は文字通り飛び上がった。ノートと筆箱と筆記用具が一緒に飛び上がって床に落ちる。転がっていくシャープペンを慌てて追いかけた。

「――って、驚いたのはこっちの方だし。なんつー声出してんの」

 先生に見つかったのかと思ったけど、私に声をかけたのは牧春まきはるさんだった。牧春さんが話している声は教室でいつも耳にしていたけど、私に対して話しかけてきたのはこれが初めてかもしれない。

 私が筆箱の中身を拾い集めていると、牧春さんが私のそばで屈んだ。手伝ってくれるなんて、見た目はギャルだけど結構良い子なのかもしれない。

 牧春さんからは強い化粧品の匂いがした。肌は白く塗りたくられアイラインは前衛的に強調され茶色に染められた髪は波打っている。

「んで、これ何描いてたの?」

 牧春さんは筆記用具には目もくれずにノートを真っ先に手に取った。

「ちょっと!」

「うわー、何これ漫画? え、自分で描いてるるの? すごくね? 『白百合の手ほどき』」

 牧春さんがタイトルを読み上げたので私は体がねじれて悶絶した。

「返して!」

「何恥ずかしがってんの?」

 牧春さんはさっと背中を向けて私の手を躱した。

 ノートをパラパラとめくる。真面目に読む気はないらしい。まあ、そうだろうね。よかった――と思っていたら、ついさっきまで描き進めていた部分でめくるのを止めた。

 よりによってそれは、二人の気持ちが盛り上がって、これから濡れ場に突入しようというシーンで、

「うわー、これ、エロいやつでしょ? エロいの描いてるん? 学校でエロいやつを?」

「エロエロ言わないで!」

 顔から火が出るならこいつを今ここで焼き殺して口封じをしているところだ。幸いにもここは屋上への踊り階段であり私たち以外にこの会話を聞いている人間はいないのだから。というかそういう人気のない場所で私は隠れて執筆活動に励んでいたというのにこの女はなぜこんなところにいるのだろう、ここを通るとしたら目的地は屋上しかないけど屋上には鍵がかかってる。

「……牧春さんはなんでこんなところにいるの」

「一服しようと思って」

 悪びれることなくスカートのポケットからタバコを取り出して見せた。

「屋上は鍵がかかってるけど」

「マジで? いや、いっつも焼却炉のところで吸ってたんだけど、この前吸い殻が見つかって見回りされてんのねー。で二日我慢してたけどマジ無理ってなって吸える場所探してたらこのエロ漫画を見つけた」

「エロくないし! こんなの少女漫画じゃ普通だし!」

「でもこれ、この二人って女同士だよね」

「まあ……」

「レズ?」

「百合って言って」

「百合? 白百合?」

 会話しながら、牧春さんはノートを開いたまま、描きかけの部分まで読み終えると、ページを遡って読み始めた。

「あの、牧春さん、相談があるんだけど」

「おっけー、任せて、明日までに読んでくるから」

「そんなこと頼まねえよ!」声が荒くなってしまった。反省。「あのね、私がこういうの描いてること、誰にも言ってほしくないなーって、つまりここだけの話ということで」

「この漫画、女しかいないね」

「聞けよ」

「へええ。花火山はなびやまさんと話すの初めてだけど、けっこう面白い子だったんだねー。発見しちゃった」

「もし漫画のこと黙ってくれてたらタバコの件も黙っててあげる。ここだけの話にする」

「あ、いいよ。あたしめっちゃ口固いもん。サキが援交してることも黙ってるし」

 思い切り言ってるじゃねえか。

「あー、やっべ」

「どうしたの?」

「昼休み終わる。んじゃあたしさっさとタバコ吸ってくるわー」

 そう言って牧春さんは立ち去った、私の漫画ノートを持ったまま……。




 ノートは翌日の昼休みに帰ってきた。特に約束はしていなかったけど昨日と同じ場所で待っていると牧春さんがやってきてノートを手渡された。

「やー、読んだよ。あ、感想は別にいいんだっけ。はい」

 これはこのまま家に持ち帰って封印しよう。二度と学校では描かない、と決意した。

「……で、どうだった?」

 決意しつつもやっぱり気になる。

 牧春さんは珍しく誤魔化し笑いをして言葉を濁した。

「まあ、濡れるよね」

 一瞬意味がわからなかったけど、それを言った牧春さん自身が顔を真赤にしていたので、遅れて私にも意味が分かって顔が熱くなった。

「そ、そう……」

「てか花火山さん絵上手いんだねー。ところどころセリフの言葉が意味わからんかったけど。ていうかなんで女同士? 花火山さんそういう趣味なん?」

「趣味っていうか、まあ百合作品が好きって意味の趣味だけど……」

 牧春さんがよく分かってない感じだったので、私は百合という言葉の意味について説明した。

「はー。そういう世界があるんだ。知らんかった。牧春さんはそういうのが好きなんだ。女同士でエロいことするのが好きなんだ」

「はあ……まあ……」

 改めて言葉にされるとすごく嫌らしい。

「え、待って、じゃああたしのこととか見てエロい気持ちになったりしてるわけ?」

「思ってないです」

「でも遥と礼奈が女同士でエロい気持ちになってるのをめっちゃ描いてたけど」

「想像で描いただけだから」

「キスされたときの話も?」

「想像……あと他の人の百合漫画とか参考に……」

「あたしも女同士でキスしたことはないんだけど、キスだけでこんなに濡れるもんなん?」

「や、それはフィクションだから……」

 実在の人物や物理現象とは一切の関係がありません。

 ところで、もしこれが私が普段描いてる百合漫画の世界であれば、ここで発情した牧春さんが「ねえ……あたしと試してみようよ……女同士のキス……」とかなんとか言いながら目を潤ませて迫ってくるシーンであるが、現実ではそのようなことは起こらない。

 フィクションとは違い、牧春さんは私に何のことわりもなくいきなり唇を押し付けてきた。

 それから数秒後には舌を入れてきた。

「ぷはっ」

 さんざん私の口の中を蹂躙して、やっと牧春さんが唇を離した。私はしばらく、何が起こったのか、これは現実なのか、何かの勘違いではないか、すぐに怒るべきではないか、いや本当にあれは勘違いじゃないのか、などなど、混乱して何も言えずに棒立ちしていた。

 一方の牧春さんは、真っ先に出た言葉が「なるほど」だった。何が「なるほど」だ。これは百合漫画じゃないぞ。

「濡れるね、キスだけでも」

 牧春さんは顔を真っ赤にして、自分の唇を指でなぞった。


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