第2話

 ギフト、というものがある。



 それは神様から選ばれた力で、誇るべきものであり自身の中で大切に育てるもの――――と、いうことは誰しもが知っている常識なのだけれども、そこまで意識している人間は、一握り、というのが現状だ。


 と、いうのも、そもそもギフトを持たない市民も多く、名字持ちである貴族は比較的、保有率は高いものの、ギフトの内容は選べない。例えばとある高貴な貴族のギフトが、実はパンを美味しく焼くことができるギフトだった、というのはよくある話だ。


 自分が一体なんのギフトを持っているのかということは、“やってみなければわからない”のだ。高貴な貴族が自分でパンを焼くことはないし、逆に文字すらも読むことができない使用人の少年が、実は本をとっても速く読むことができるギフトを持っていたとしても、なんの意味もない。



 それだけギフトとはささやかなものが多く、自身のギフトが一体なんなのかということを知らずに一生を終えることも少なくはない。




 そして私、エヴァ・カルトロール、いや、エヴァ・フェナンシェットのギフトは“人の心の声”を聞くことができるギフトだった。


 神様から与えられるささやかな力――――とは言ってももちろん例外は存在する。その例外が私だったと言うわけだ。



 心の声を聞くことは恐ろしい。そう思うようになったのは、いったいいつの頃からだっただろう。記憶も曖昧になるくらい、小さなころから、私は一人離れに住んでいた。柵の中に入ってしまえば周囲の“声”も聞こえない。人と接することが怖かった。けれども私も18になり、いつしか孤独を感じるようになってしまった。だから父の提案は驚きもあったけれど、丁度いいきっかけとも思えたのだ。



 けれども残念ながら、私の旦那様となるリオ・フェナンシェット様にとっては違ったらしい。



 私の前を大きな体でのしのしと歩いて、時折振り返るその顔の眉間にはとても深い皺が刻まれている。父から年をきいたところ、私よりも6つ上であると聞いているけれど、とてもそうとは見えず、可愛らしい顔をしている。とりあえず彼の背中を追いかけて、食卓につくまでの間にはだいたいの彼の事情というものも見えてきた。それはまあ、大変なこと、とひっそり同情してしまうような気分になる。その考えを知った今となっては、彼が必死に不機嫌な顔を作っているということはわかるので、なんとも気の毒だった。本来は柔和な人柄なのだろう。背中から見えるものは罪悪感の一文字だ。




 食卓の上には立派な大鍋が乗っていた。あたたかそうな湯気がほかほかとしていて、朝食すらまだの身としてはお腹が減る。


 リオ様は僅かに迷った後に、どっかりと座り込んだ。そんな彼を見ながら、どうすればいいのだろう、と考えている間に、青年の中の冷や汗もどんどん量が増えていく。慌てて彼に倣って、正面の席に座った。



「私は先程まで、遅めの朝食をとっていたんだ」


「そ、そうでしたか。お食事中とは知らず、申し訳ありませんでした」


 ぺこりと頭を下げたら、彼の中の思考が、これまたぐちゃぐちゃした。困った。私が声を聞くことができる範囲と言えば、だいたい自分の腕1本分、と言いたいところだけれど、相手の感情にも、考えていることにもよる。なのでだいたい2本分程度は離れてもらえると安心するのだけれども、自分の名前というのは、よく聞こえるものである。その場合はいくら離れていても勝手に頭の中に入ってきてしまう。だからこそ、私は一人畑の真ん中でぼんやりとクワを持っていたのだが。



「いや、それは気にしなくても……いい。とにかく、朝食の、最中なのだから!」



 もともと棒読みのセリフがぐだぐだになってきた。私が来た頃合いを待ち構えて、こう言おう、と何度も考えて検討していたらしい。それにしても、私のことをさきほど聞いた、と彼は出会い頭に言っていたけれど、私達が婚姻を結ぶためには、あのうんざりするくらいに膨大な書類にサインする必要がある。それを私一人が行うわけもなく、彼だって辟易しながらペンを走らせたはずだ。それで知らないというにも無理がある。



 あとはこの朝食。つやつやな野菜達を湯で煮込んで、だしで味をつけた、シンプルながらに温かくって美味しそうなこの料理。どうやら彼の手作りらしい。私が来る頃合いを今か今かと待って、ほれきたそこだ、と炎色石を叩きつけたのだろう。彼の考えを見たところ、伯爵令嬢に出すには失礼極まりないものと知りつつ、自分が作れるものはこれぐらいなのだから、とぺちゃりと耳としっぽを垂らしている姿が見えた。



 欠伸をしながら、さぞ今まで寝ていたという素振りをしておいて、朝食中であるとは、色々と設定が破綻している。なのに彼の思考ときたら、いくつもの考えを並行で行っていて、私からするとひどく心地が良いものだった。人間一つのことを考えるとそれに囚われてしまうことが多いので、中々こういった思考をする人は少ない。現に、私が出会った中では、父以外には片手に数えるくらいで、どれも賢く、忙しい人達だった。常に色んな声にざわざわしているから、少し聞き取りづらい。久しぶりに屋敷の外に出て、その道中の馬車は、それはもう苦しかった。



 輿入れ前に、どういった男性であるのか尋ねたところ、父は『おもしろい男だ』と言っていた。それから相変わらず忙しく、違うことを考えてしまったので真意はわからなかったのだけれども、こういうところを言っていたのかもしれない。



「――――とは、言ってもだな。私にはいささか多い量だ。あなたさえよければ適当にしてもらっても構いはしない」


 ぼんやりしているうちに、リオ様が恐らく自身の中でメインとも言えるセリフを絞り出した。


(長旅でさぞ疲れて、腹も減っているだろう。大したものも出せないが、よければ食べていただけるとありがたいのだが)



 とても気をつかっていらっしゃる。



「まあ、あなたのためにわざわざ頼む侍女などいやしない。食べたければ、自分で好きに使ってくれ」


 要約すると、給仕は自分でしろ、という意味である。私個人としては以前から変わりはしないし、特になんの問題もないのだけれども、彼の心の中では滝汗がこぼれている。けれども彼にはたくさんの弟がいるらしく、私と姿を重ねながらもそわそわとこちらを見ていた。ご丁寧にもすでに準備されていた丸皿を手にとって、スープをすくう。それから具材を見繕う。花の型でくり貫かれた人参が可愛らしい。ぱくりと食べた。彼の思考が飛び跳ねた。



「とってもいいお味ですねえ」



 ぱあっと花が咲き開いた。心の中でだけれども。


 その姿と毛並みを見ていると、子供の頃に飼っていた可愛らしいしっぽのジョンを思い出した。あれは可愛い犬だった。



「その程度で満足できるのか? 随分お気楽な舌をしているな」


「うふふ」


 口と心の中で言っていることが違いすぎて、思わず笑いを噛み殺してしまった。リオ様は相変わらず眉をひそめて私を見た。



 どうやら、彼はのっぴきならない事情で、私との婚姻を取り消したいらしい。

 それは仕方のないことなので、彼には全面的に協力を行いたい。


 なのでもう少しばかりの結婚生活を、少しくらい楽しくできたらな、と温かいスープをほっこりと飲み込んだ。

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