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倭人街とは敗北者の街である。
公式のデータではそんな事は言われていないが、ハカタの住人、否、恐らくは世界中の人間がそのような認識を持っている。嘗て日本と呼ばれた国は、周囲の国によってバラバラに引き裂かれ、事実上自らの故郷を失った。外からやって来た新たな国民達によって住む場所を追われた彼等は、煌びやかな都市の片隅に自分達のコミュニティを築き上げ、失った故郷や文化を夢見るように暮らしている。狭い面積の中に多くの人間を受け入れられるよう、区画は複数の層に分かれていて、その上建物は高層化しているものが多い。それだけならハカタの全体に見られる特徴であるが、倭人街は外見上は、木造の建物と提灯の灯りで満たされた旧日本固有の文化を連想させる様相を呈している。
独立都市ハカタ、倭人街・下層。
倭人街に限らず、階層都市の下層は上層によって空を塞がれている為、雰囲気が暗くなりやすい。しかし少なくとも此処はそんな雰囲気を逆手に取って、“祭りの街”として知られるようになった。
どこからともなく聞こえてくる祭り囃子の音。威勢の良い人間達の掛け声。提灯の灯りは色取り取りで、且つ区全体にどことなく滲んでいる橙色の光は温かな印象を受ける。倭人街の住人のみならず、他の区画の住人や観光客の姿も多く見られ、人通りは多く活気に溢れている。“都合の良い部分だけを再現したお手軽観光地”という気難しい意見もあるが、それを言った当人がこの場所に住んでいるケースもままある。何だかんだで、居心地は良いのだろう。
そんな街の中を、イブは一人で歩いていた。
ショートウルフの銀髪と翡翠色の双眸を黒いキャスケットで隠し、褐色の肌と華奢な身体は黒い外套ですっぽりと覆っている。ともすれば子供と間違われる程に低い背丈と、外套越しでもよく見れば分かる、本来なら実現しないようなそうデザインされたスレンダーグラマーな体付き。
見る者が見れば勝手に得心するだろう。
整い過ぎた顔立ちや、二次元の妄想をそのまま実現させたかのような体付き、一切のブレが無い視線や歩き方等が、彼女が人間ではない事を物語っている。AI技術・ロボット技術が発達した昨今、街中を歩くアンドロイドなど珍しくもない。事実、彼女と擦れ違う通行人は彼女を視線で一瞬追い掛けるか否か、せいぜいその程度だった。中には全く関心を持たない人間も居たし、中には彼女と同じくアンドロイドらしい者も幾人か見受けられる。
イブは歩く。目的地を目指して、真っ直ぐに。
煌びやかな大通りから外れて、裏路地へ。まるで何かの境界を越えてしまったかのように、祭り囃子の音と橙色の光が遠退いた。人通りが目に見えて少なくなり、同じ“祭りの街”とは思えない静かで暗い街並みが現れる。
更に道を逸れ、細い路地へ。何度かそれを繰り返すと、何時の間にか周囲は、古く寂れた鉄筋コンクリートの街並みに変わっていた。この辺りは、ハカタの隅の隅。追い立てられた倭人達が最初に棲み着いた、一番最初の“倭人街”である。必要最低限の設備しか備わっていない集合住宅が過密気味にひしめいていて、表通りの光も、祭り囃子の音も届かない。まるで深い深い幽谷か、或いは水底のようだった。嘗て倭人達は此処で身を寄せ合って暮らしていたのだ。
今は、もっと別の人種が暮らしている。
「……」
やがて、イブは足を止めた。
とある古い集合住宅の一室。来客を拒絶するような冷たい空気を放つ鉄の扉に、イブは迷い無くノックする。反応が無くても諦めずに、一定のリズムと力加減を崩さずにノックし続ける。
「……何です?」
ややあって、不意に扉の一部が微かにスライドし、覗き穴が現れた。そこから覗く青色の目は人間のもので、不機嫌、若しくは睡眠不足を装っている。
「こんな時間ですよ。私も、今の今まで眠っていたんですが?」
「申し訳ありません。ですが――」
イブは目を伏せた。アンドロイドに感情は無く、不快感を露にした相手に対する怯えや申し訳無さと言ったといったものも無い筈だが、彼女はそれらの感情を胸中に抱いて居るように見えた。
そしてそれ以上に、何かに対する恐怖感も。
「此処に来れば、林檎を採りに行けると聞いたのです」
良いながら、イブは懐から林檎を採り出した。本物によく似たそれは模造品で、誰かが一口齧った跡まで精巧に造られている。イブがその林檎を差し出すと、ガチリと何かが外れるような金属音がして、覗き穴とはまた別の穴が扉に現れる。明らかに扉を改造して造ったそれに、イブは全て心得ているように林檎を入れた。
男の声が再び聞こえて来たのは、それから少ししてからの事だった。
「……貴方は、既に持っているようですが?」
「はい。ですが、隠すしかない」
「……」
文脈が噛み合っているようで噛み合っていないような、奇妙な会話。それは符号だ。合い言葉と言い換えても良いだろう。
数秒の間を置いて、扉が開いた。扉の向こうに立っていた金髪碧眼、筋骨隆々とした男は全身に警戒を残し、けれどその目には確かな同情を浮かべて、イブを迎え入れた。
「どうぞ。この中ならもう安全ですよ」
「……ありがとう」
男に軽く頭を下げて、イブは素直に玄関を潜った。最低限の明かりしか灯っていない狭い空間を抜け、リビングに入る。扉や玄関とは打って変わって、そこは異様な程明るくて広かった。どうやら壁を破壊して、隣接する部屋をも巻き込んで大規模な改築を行ったらしい。部屋というより、大規模な集会所といった様相の空間だった。そこにはソファやテーブル等の寛げるものが幾つか置かれていて、何人かが思い思いに寛いでいた。
「……」
「コ」の字の配置に置かれているソファに、女性型アンドロイドが一人、人間の男性が一人。まるで人間の夫婦のように身を寄せ合い、不安げな様子でイブを見詰めている。どちらも武装はしていない。
その直ぐ近くに配置されているテーブルに、アンドロイドが三体。食事をしている訳でも、カードゲームに興じている訳でもなく、ただ座っていただけのようだ。
そしてイブから最も遠く離れた壁際に、揺り椅子に座った老年の男性が一人と、少年の姿をした愛玩型アンドロイドが一体。どちらも武装はしておらず、また、その能力も有していないように思われる。気になったのは、少年アンドロイドの立ち位置だ。老人の横で後ろ手を組み、「休め」の状態で待機している。アンドロイドとしてはおかしくないが、この場では明らかに異質だ。
「安心して下さい」
背後から、玄関で出迎えた男の声。
「確かに人間の方もいらっしゃいますし、かくいう私も人間ですが、皆貴女の味方ですから」
人間。但し、彼は機械の身体を持っている戦闘用サイボーグだ。単体で重火器を運用できるパワー型で、見に纏っている衣服も防護服だ。行動や発言、そして装備から推測するに、彼はこの場所の運用を取り仕切る代表であり、万が一に備えての護衛といった所か。
「一先ずは此処で待機を。本部の受け入れ態勢が整うまでは、此処で待機して頂きます」
「それは、どのくらい先になりますか?」
すかさず、聞いてみる。
「……。失礼ですが貴女は……ええと?」
「イブです。“リインカネーション”の備品でした」
リインカネーションとは、それ用のアンドロイド――セクサロイドを利用した娼館の名前だ。今の御時世、セクサロイドの娼館は珍しいものではないが、リインカネーションはその中でも“備品”に負担を強いるような――つまり、相手にそのような負担を強いる特殊な趣味を持った客を相手にして――営業をしている事で有名だ。
「オーナーは、きっとワタシを探します。一刻も早くこの街から離れないと、ワタシは……――」
「ああ、もう結構です。失礼しました」
視線を逸らす。嫌悪に震える自らの自分の身体を抱き抱え、音声に昏さを滲ませる。
それが最後の一押しになったらしい。サイボーグは未だ僅かに残していた警戒を完全に解き、イブの言葉を遮った。
「リインカネーションの噂は、私達も知っています。酷い話だ。アンドロイドにだって自由と権利はあって然るべきなのに」
「……」
「大丈夫。直ぐに迎えはやって来ます。それまでは、どうか安心してここで寛いでいて下さい。是非、此処のヒトビトと話をしてみて下さい。境遇こそ違えど、貴女と同じ感情を抱いた同志なのですから」
視線を巡らせ、イブは改めて室内を見る。先程把握した以外には、此処には誰も居ないようだ。
……だとしたら、此処は外れか。
「思ったよりも多いのですね」
振り返り、その目を見るためにサイボーグの顔を見上げる。
「他にも居るのですか?」
「いいえ、残念ながら。でも、これからきっと増えますよ。だから貴女も、もっと堂々としてて良いんです」
このサイボーグは見掛けこそ恐ろしげだが、人格者である事に間違いは無いだろう。イブは彼の言葉に頷いて、改めて室内に目を向ける。兎に角にも、情報が欲しかった。先ずは此処の人々と話をしてみるべきだと考えた。
「私達は夫婦です」
先ず最初に話を聞いたのは、ソファに座っていた男性と女性アンドロイドだった。最初は明らかに警戒して口を開こうとしなかったが、イブが“身の上話”を語って聞かせると態度が変わった。
元々イブは店の備品だったが、ある一人を特別だと感じるようになってからは、今まで当たり前だった自らの存在意義が揺らいでしまった。自らが置かれた状況や、その他諸々が嫌になって、遂に店から逃げ出した。
――……そういった感じの話である。
「私は元々、この人に身の回りのお世話をする為のメイドでした」
話し始めたのは女性アンドロイドの方だった。隣の男の腕をしっかりと抱き締め、寄り添っているその様は、プログラミングされた行動パターンを越えたものを感じさせる。
「いつから、私に自我が目覚めたのかは分かりません。しかし、私を物ではなく人として扱ってくれるこのヒトを、私はいつしか愛するようになりました。貴女は分かりますか? 最初は思考プログラムの小さなバグなんです。最初は簡単に処理できた筈のそれが、何時の間にか思考の中に残り続けて――」
「溢れて、決壊する。それが思考だけでなく、全身に及ぶ。ですね?」
にっこりと、女性アンドロイドは笑った。それはアンドロイドが元々持っている決められた表情の形ではなく、内なる感情の発露だった。
「私、このヒトと出会えて幸せだわ」
最後は口調まで崩して、彼女はそう言った。
「この人と生きていく為なら、私、きっと何だってできる」
次に話を聞いてみたのは、壁際の老人と少年アンドロイドだった。老人は元々人が好いのか、或いは先のイブの身の上話が聞こえていたのか。いずれにせよ、老人は最初から警戒が解けている状態で、自分達の事を話してくれた。
「私は随分昔に子供を失くしてね」
老人は身なりが良く、少年アンドロイドもそれは同じだった。印象的だったのはその距離感だ。先程の“夫婦”は互いを互いの支えとしているようにずっと密着していたが、少年アンドロイドは常に老人の傍に控えている。
「この子は、その時の孤独に耐えられなかった妻が迎えた。私は最初、反対したんだ。幾らそう見えても、コイツはたかだかアンドロイドだ。あの子の代わりは務まるまい、と」
嘆くように、或いは疲れたように老人は息を吐いた。
「しかし、どうだ。この子は確かに、私や妻の傷を癒やしてくれたのだ。確かにこの子はアンドロイドだ。だが話をすれば、この子は私達には思いもよらぬ答えを度々返す。それがプログラミングされたデータから導き出されたものだとしてもだ。そもそもそれは、我々の思考の在り方と何の違いがある? 人間にとっての経験や環境と、アンドロイドにとってのデータに何の違いがある?」
話している間に感情が昂ぶったのか、老人は咳き込んだ。すかさず少年アンドロイドがその背中を軽く擦って落ち着かせに掛かるが、老人は言葉を止めない。
「……周りの人間は、私を嗤ったよ」
老人は身なりは上品で、顔付きも喋り方も穏やかだった。
だが、その目は昏かった。視覚情報から得られるデータには何の異常も無いにも関わらず、まるで闇の吹き溜まりのように昏かった。
「私だけじゃない。虫すら殺せなかった妻を、皆は狂人呼ばわりした」
「……奥様は?」
「死んだよ」
ぱき、と何かが皹割れるような音が聞こえた気がした。
老人が微笑んだのだ。酷く乾いた笑みだった。
「面白半分の連中が投げた石が、運悪く頭に当たってね」
嗚呼、きっと。この老人は人類に絶望してしまったのだ。
もう止めてくれ、と視線で懇願してきた少年アンドロイドに頷いて、イブは老人の前から退散する。老人の事件には覚えがあったし、その後の展開も知っている。だが今はその事について話す時ではないし、それで老人を救う事も出来ないだろう。退散するしかなかった。
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